数学屋のメガネ
2009-02-09T00:16:26+09:00
ksyuumei
数理論理学の発想から考えることあれこれ
Excite Blog
事実(知識)の面白さと理論(考察)の面白さ
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2009-02-09T00:16:26+09:00
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ksyuumei
読書
森さんの本の面白さを考えたときもそう思ったのだが、事実の面白さを書いた本はとても分かりやすい。そこには自分の知らないことが書いてあり、しかも知りたいと思うことが書いてあるので、それを知ること自体が楽しいという、知識を得ることの楽しさを感じることが出来る。それは知らなかったことを知るだけであるから、そのことについて深く考えるという複雑さがなく、そのためにとても分かりやすい。
僕は数理論理学などをやっていたので、かなり理屈っぽく考えるのも好きだ。そのときの楽しさは、何かもやもやしていた頭の中が、すっきりと見通しよく晴れていくように見えるところに楽しさがあった。事実を知ることによる分かりやすい楽しさもあれば、複雑な現実世界のつながりを一つずつほぐしていって、世界の全体像がいっぺんに見えてくるような瞬間を感じる、考えることの楽しさというものもある。この二つの楽しさは質が違うものだが、強く結びついている部分もあるのではないかという気がしている。
僕は宮台真司氏に大きな信頼を寄せている。その宮台氏のパートナーとしてマル激をやっている神保氏にも、宮台氏から派生するような信頼感を感じている。従って、この二人がマル激で語ることは、ほとんど疑いなく「事実」だろうという前提で聞いている。本来なら、「事実」であることを確認するには、それを自分が体験したり、何らかの物的証拠を見つけて確信を得る必要があるだろうと思う。その言葉を聞いただけで信頼するというのは、ある意味では危険なことでもある。
だが、それが本当に信頼の置ける人ならば、その危険な賭をおかしてでも信頼を寄せることがあるだろう。逆に言えば、それほど信頼を置いていない人が語ることは、その人がたとえ当事者であろうとも、「本当だろうか?」というような疑問を持つことになる。そのような疑問を感じるときは、事実を知ることによる楽しさというのはあまり感じない。むしろ、疑問がもやもやしたものとして心に残り、楽しさよりも欲求不満のようなものが残る。
森さんと高橋さんにも、面白く読んだ後にはかなり信頼感が増したのだけれど、まだ宮台氏ほどの絶大な信頼感はない。しかし、彼らが書くことのほとんどは、たぶん事実(論理的にいえば真理)だろうと感じている。それは、森さんがとてもよく調査しているかとか、高橋さんが当事者だったからということから来る信頼感もあるが、それ以上にその考察に納得がいって、理論的な意味での真理の確信が、その語ることが事実であることを確信させるというような感じがしている。
元々宮台氏に絶大な信頼を置いたのもその理論的展開に見事さを感じたからだった。事実の面白さを感じさせてくれる人というのは、同時にその考察の展開の見事さに惹きつけられて、その語ることが確かに事実に違いないと思えるような語り方をしている人ではないかと感じられる。ただ単に事実を語っているだけの人は、その人から見れば確かにそう見えたのだろうけれど、それは一面的な見方かもしれないし、錯覚かもしれないと感じてしまう部分がある。事実の面白さは、このようなことがあったのだと語るだけでは出てこない。それが確かに事実だったと信じられるような語り方をしたときに、初めて面白さが出てくるのではないかと思う。
高橋さんの本によれば、プロレスの試合というのは、基本的にマッチメイカーと呼ばれる人間がストーリーを作り、そのストーリーをいかに感動的に観客に訴えかける試合が出来るかという表現の面でプロレスラーのうまさが評価されるという。これは、今では知っている人も多く、ありふれた事実だろうが、かつての僕はプロレスの真剣さをかなり熱く信じていた。小中学生の頃にアントニオ猪木に夢中になったときは、猪木の強さとかっこよさに心の底から感激していたものだ。このときには、プロレスにストーリーがあるなどということは全く考えていなかった。
高校生になったときも、小中学生の頃のようにベタに信じていたという気分は薄れていたものの、プロレスは物語ではなくて試合をしているのだという気分でそれを見ていた。だが大人になって、いろいろと論理的な考察が出来るようになると、どうも子供の時に感じていたようなものとプロレスは違うらしいということが少しずつ分かるようになった。いや、分かると言うよりも感じられてきたと言った方がいいだろうか。
それは、プロレスの試合があまりにも美しくかっこいいからだ。本当の勝負を争う試合では、あれだけかっこよく美しく技は決まらない。また勝負に勝つのは時の運であり、強いものが必ず勝つとは限らないということも分かってきた。それに対して、プロレスでは勝って欲しいと思う選手(僕の場合はアントニオ猪木)が必ず勝つという結果が出る。これは物語以外の何ものでもない。
大人になってこのようなからくりが分かってくると、なんだプロレスなんてインチキなのかと思ってしまう人がいるかもしれない。だが僕の場合はそうは思わなかった。そのときは言葉でうまく表現できなかったが、僕はやはりプロレスが好きで、プロレスの面白さを感じていた自分を否定したくなかったのだ。その気持ちを高橋さんの本が実にうまく説明してくれた。
プロレスをスポーツだと前提するから、それに筋書きがあることがインチキのように見えてしまう。しかし、プロレスがスポーツではなく、エンタテインメントという観客を喜ばせるショーだと捉えるなら、それに筋書きがあるのはむしろ当然で、それを最もうまく演じるプロレスラーこそが最高のプロレスラーだという高橋さんの主張には共感するものがあった。
僕は今の格闘技路線というものにあまり面白さを感じない。かつてUWFとかパンクラス、リングスなどで格闘技色の濃いプロレスが展開されたときも、僕はそれにあまり興味が持てなかった。面白みを感じなかったのだ。自分がそのスポーツの経験者だったり、細かい知識を持っていれば面白さを感じたかもしれないが、素人として観客になった場合、「どこが面白いんだ」という感じを抱いていた。高橋さんもそう語っていたので、その部分にも共感したものだ。
プロレスの面白さは芝居の面白さに通じる。プロレスラーは一人のアーティストだと言ってもいいだろうと思っている。そういうプロレスの面白さは、そこに演出がなかったら面白さなど引き出せるものではない。もしプロレスがスポーツのような真剣勝負になったらどうなるだろうか。よほど実力に差がなければ、その技が鮮やかに決まることはない。だが実力がかけ離れた二人の勝負に誰が感動するだろうか。それでは、実力伯仲した二人の格闘家が勝負をしたらどうなるだろうか。それは、必殺技が決まってしまえばそこで試合が終わってしまうので、どうしてもディフェンスに徹するような試合になるだろう。
昨日のテレビでは、アントニオ猪木対モハメッド・アリという、かつての異種格闘技戦の映像が見られた。これは、高橋さんだけでなく、多くの人が真剣勝負だったと言っているものだ。僕はそれは事実だと思う。それは、この試合が、見ていて退屈きわまりないものであり、素人の観衆が見るショーとしてはつまらないものだったからだ。「世紀の凡戦」と形容されたのは、観客を興奮させるプロレスではなかったという評価だろうと思う。だが、これは真剣勝負であれば全く当たり前のことではないかと思う。実力が伯仲していたために、あっさりと勝負がつくことなく、猪木もアリも二人ともディフェンスに徹する試合をするしかなかったのだと思う。究極の真剣勝負は退屈なつまらない試合になる。これは事実ではないかと思う。
逆に、観客を興奮させた柔道の金メダリストのウィリエム・ルスカとの試合は、高橋さんによれば綿密に計算された筋書きのあるプロレスだったという。これも僕はその通りだろうと信じている。プロレスだったからこそあれだけ面白く、心が躍るような感激を味わえたのだと思う。また、筋書きのある芝居を、あれだけリアリティーがあるように演じられるアントニオ猪木というプロレスラーの非凡さを高橋さんも絶賛しているが、僕もそう思う。かつて子供の頃に夢中になったことを、だまされたなんて感じてはいない。むしろなんとすばらしいうまさを持ったプロレスラーだろうかと、改めて惚れ直したいくらいだ。
僕は、世間知らずの子供だった頃にプロレスを本気で信じて感激したことをとてもありがたいと思っている。いい時代に子供時代を過ごしたものだと思う。子供は世界が狭いから、ある意味では嘘にだまされて、現実の本当の側面を見落とすことがあるが、それを見ないことで却ってプラスになることがあるのではないかという気がしている。本当の面というのは、どうしても汚い面を持っている。その汚い面が現実だということをあまりにも早く知るのは、大人としてそれを冷静に受け止める素地のない子供にはゆがんだ現実像を植え付けてしまうのではないだろうか。
理想と現実について、かつて仮説実験授業の提唱者である板倉聖宣さんは、「理想を持ちつつ妥協する」という言葉で語っていた。妥協というのは、理想を持ち続けるためにするものであって、理想なしに妥協をするのであれば、それは妥協ではなく、本当に利益だけしか考えないエゴイストになってしまう。理想というのは、それが幻想であろうと、一度は自分でそれをベタに信じて熱く感動することが必要だ。それはやがては破れてしまうものになるのだが、理想なしにただニヒルに現実を捉えているだけの人間は、それから生じるエゴイズムから逃れることが出来なくなる。
プロレスがスポーツを装ったエンタテインメントであるというのは、一つのフェイク(嘘)でありごまかしと言っていいだろう。しかし、それは楽しい嘘であり、大人になってそれに気づいたからといってその楽しさが減るものでもない。子供の頃にそれをベタに信じて熱を入れてそれに夢中になれれば、むしろ理想というものを信じる基礎にさえなるかもしれない。高橋さんが語ることには、事実の面白さとともにそのような考察に対する共感を感じる楽しさがある。納得してその考えを受け入れることが出来るのだ。
自分では経験できないこと、見たことがないことを誰かが語っているとき、その語っていることが本当だ(事実だ)と思えるのは、そのことを考察したときの語り方に説得力があり共感するときではないかと思う。プロレスの知識について教えてくれる本はたくさんある。マニアックな知識に面白さを感じることもしばしばだ。しかし、そのような知識の面白さは、たぶんすぐに忘れる。だが、高橋さんが語ることの面白さは、なるほどその通りだなと思えることは、印象深く事実としてもきっといつまでも覚えているのではないかと思う。高橋さんの文章からは、高橋さんに対する信頼感というものもだんだん大きくなるのを感じる。信頼できる人間をどうやって見分けるかということを考えるのにも役立つのではないかと思う。]]>
森達也さんのおもしろさ
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2009-02-01T12:21:53+09:00
2009-02-01T12:21:53+09:00
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ksyuumei
読書
僕がプロレスを見始めた頃はジャイアント馬場の全盛期で、猪木はまだ若く馬場の引き立て役のようになっていた。しかし僕は最初から馬場よりも猪木の方に強く惹かれていた。猪木のはつらつとした動きに魅せられていて、勧善懲悪的なカタルシスを前面に押し出した馬場のプロレスよりも、動きそのものに引き寄せられる猪木のプロレスは、見ているだけで楽しかったものだ。ドリー・ファンク・ジュニアやビル・ロビンソンとは60分フルタイムで戦って引き分けるという試合があったが、それだけ長い間見入っていても飽きるということがなかった。
そのようなプロレスファンだった僕は、『1976年のアントニオ猪木』(柳澤健・著、文藝春秋)という本もかなり夢中になって読むことが出来た。しかし、その夢中の度合いがどうも森さんの本の場合と違うのを感じた。どちらも夢中になって読み、しかも僕の中では猪木の方が圧倒的に好きだから、内容としての関心の高さでは柳澤さんの本の方が関心が高い。それなのに、森さんの本は次のものが読みたいと思うような夢中さなのだが、柳澤さんに関しては、関心を持つような内容であれば手に取りたいと思うが、その著者の名前だけで次の本を手に取ろうというような気分にはならなかった。
どちらの本も5時間ほどで読むことが出来た。それは、内容に理論的な側面を読み取る必要がないもので、事実を追いかけて何かを「知る」というような読み方をすればいいだけだったからだ。だが、事実を知るような本は、その事実に面白さがなければ、15分と読み続けるのが難しい。すぐに放り出したくなるからだ。その意味では、どちらも僕の関心を大きく引くような事実を語っていたので、5時間ほど集中して読み続けることが出来たのだろうと思う。
どちらも事実の面白さに惹かれた。それは僕の個人的な関心に引っかかるものだったからだ。だが森さんの記述は、その事実を知った後に何か考えさせるものがあった。グレート東郷は、悪役として観客に嫌われることで巨万の富を築いた。嫌われれば嫌われるほど、観客はグレート東郷がやられるところを見たくなる。プロレスというエンタテインメントにとって正義の味方以上に観客を満足させるのは悪役の負けっぷりなのだ。そういうことは、子供の頃に無邪気に猪木を応援していたものから、大人になってプロレスというものの仕組みを知ったときにすでに知っていたことだった。そのようなプロレスのエピソードを語る森さんの筆は、プロレスに関心を持つものとして面白さを感じる事実を語っていた。
それは柳澤さんの本も同じで、猪木ファンだった僕は猪木対モハメッド・アリという試合をリアルタイムで見ているのだが、それに関する数々のエピソードはやはり面白いものがたくさんあった。柳澤さんの本は、どちらかというと「ああ面白かったな」という感想で終わる。これはこれで一つの価値を持っているものだと思う。だが森さんの本は、面白かったという感想の次に何か心に引っかかるものがあるのを感じる。
グレート東郷は、日系人であり、戦後まもなくということもあって日本人の血を持っているということを利用して最高の悪役レスラーになった。だが、その生活スタイルはビジネスライクなアメリカンスタイルのように見える。日本人らしくないその姿は、どの人間からも良い評判を聞かなかったという。イメージとしては強欲な、自分が演じていた悪役そのものの延長のようなものを持たれていたようだ。
しかし、グレート東郷は、アメリカでは絶対的な力と地位を持っていた。そして日本のプロレスの第一人者である力道山からは尊敬を以て遇されていたようだ。悪評しか持たれなかった人間が、なぜ力道山からは尊敬を得ていたのか。森さんはそのようなこだわりからグレート東郷の実像に近づいていこうとする。
このような近づき方は、おそらくマニアックなプロレスファンにはない視点ではないだろうかと思う。だから森さんが求めるような情報はどこにもない。それを追い求める過程が森さんの本では綴られているのだが、これが僕にはとても面白かった。謎解きの面白さというのだろうか。「どうして?」という疑問に合理的に答えようとするその過程が大きな興味を呼ぶ。それが、森さんの他の著書にも手を出したくなる動機を与える。他の問題でも、森さんはどのように問題意識を設定し、どのようにしてその謎に迫っていくのだろうかということを知りたくなる。
森さんは、結局はグレート東郷の謎には到達できなかった。しかしその謎に到達する過程で、プロレスに夢中になったかつての日本人の姿というのを実に鮮やかに描いているように感じる。僕もプロレスに夢中になった一人だが、日本人のかなりの部分がプロレスに夢中になった。そこにある国民性のようなものが、事実を通じて考えさせるものになり、そしてその国民性がつながっていくような愛国心やナショナリズムの問題も考えさせる。しかも、それを盛り上げた力道山が実は在日朝鮮人であり、もしかしたらグレート東郷も日本人ではなかったかもしれないという謎を探るあたりは、日本人の持つ複雑な思いをいっそう際立たせて示しているようにも感じる。
森さんは、子供の頃の記憶の中にあったグレート東郷の印象にこだわり続けてそれを追いかけることからこの本を始めている。何かへのこだわりというのが森さんのどの本のテーマにも感じるものだ。そしてそのこだわりを追求していく過程で、不思議なことに事実をただ確認するだけではなく、そのこだわりにつながる何かの本質が見えてくる。森さんの本の面白さはここにあるのではないかと感じた。
柳澤さんの本も、事実を丹念に調べて、猪木が行った真剣勝負のプロレスを3試合解明していっている。エンタテインメントとして緻密に計算されて構成されているプロレスにおいてどうして真剣勝負が入り込んでくるのか。それを猪木という人間の特異な個性として解明しようとして描いている。おそらくジャイアント馬場というプロレスラーは、プロレスを離れて真剣勝負になるようなことを生涯しなかったのではないかと僕は感じる。それが猪木の場合は、本人が意図したものと意図しないものもあるが、プロレスにおいて真剣勝負をしてしまうような危険な匂いがする人間だった。それが猪木の魅力でもあったのだが、柳澤さんの謎の解明は、最終的には「やっぱり猪木はすごかったのだな」と、猪木ファンとしては実に気持ちいい結論でカタルシスを感じながら読み終えることが出来る。
だが森さんの本は、そのような完結した終わり方をしていない。何かさらに続きがあるような気分のまま終わる。そういうものを好まない人もいるかもしれないが、僕はそのような謎をつなげていく森さんの描き方に強く惹かれるものを感じる。世の中や、物事というのはそんな単純なものではなく、何かが分かったと思った次にはもっと難しい分からない問題が見つかってしまうのだというようなメッセージをそこに感じる。そんな面白さだろうか。
もう一つの夢中になった森さんの本は、『ベトナムから来たもう一人のラストエンペラー』(角川書店)という本だ。これは、僕は全く知識がなかった事実で、初めて知ることの面白さというものをまず感じた。だが、プロレスのように、昔から好きだったものを知るという関心の高さはない。初めて知ることがもし面白いものでなかったら、この本もやはりすぐに放り出してしまっただろう。だが、これも夢中になって読むことが出来た。
この本で描かれているのは、昭和期に40年も日本で過ごしながら誰にも知られることなく死んでいったベトナム王朝の最後の王子の一生だ。フランスの過酷な植民地支配から独立するという民族の悲願を一身に背負って、当時はアジアでは唯一西欧列強に対抗する力のあった日本に留学し、日本の援助によって国民の期待に応えようとしたが、その願いが果たせず異国で寂しく死んでいった王族の悲劇の一生を追ったものだ。
このような運命は、ドラマとしてうまく描くことが出来れば、人々の感情に触れることが出来て感動させることが出来るだろう。しかし森さんはそのような描き方をしていない。あくまでも事実を求めて、彼が日本に来たいきさつや真相は本当はどうだったのかということを調べていく。
この本のきっかけは、テレビ番組でたまたま一緒になったベトナム人留学生から、ベトナムの王子のクォン・デのことを聞いたからだ。その留学生は、「僕らの王子は、日本に殺されたようなものなのに、どうして日本人は誰も、このことを知らないのですか」という言葉を語った。森さんはこの言葉にこだわりを持ち続けた。「どうして知らないのか」というのが森さんが求めた謎だった。僕も森さんの本を読むまでは知らなかったし、森さんも留学生からそのことを聞くまで全く知らなかったようだ。
森さんが、この謎を解明していく途中で出会ったベトナムの研究者は、最後に「ベトナム人はクォン・デを忘れてはいけない。今回あなたに同行して、私はつくづくそう思った。研究者としての今後のテーマを見つけることが出来た。あなたに礼を言わなくてはならない」と語っていた。それを読んで、僕も「そうだ、その通りだ」と強く共感したものだ。日本人も、クォン・デのことを知らなければならない。それは日本人が自らの歴史を振り返って評価するときに、とても大事な要素となるものに感じたからだ。
クォン・デは日露戦争に勝利した日本にあこがれ、大きな期待を持って日本にやってきた。日本こそがアジアの輝ける星だった。そして、クォン・デが期待したとおりに、日本は彼を手厚くもてなし、アジアのリーダーとしての器量を見せた。ここまでの歴史は、日本にとっても輝ける歴史だっただろう。しかし、結果的に日本はクォン・デを見捨てることになった。そのために、クォン・デは故国ベトナムでも見捨てられた存在となってしまった。
クォン・デに多大な援助をした崇高な理想を持ったアジア主義者たちが、その理想をそのまま実現できるような歴史的条件があれば、日本は胸を張ってベトナムの独立に貢献したと言えただろう。しかし、ベトナムの独立は共産主義思想の元にホー・チ・ミンによって指導されて達成された。日本は、アジア主義の思想が侵略を正当化するために利用され、かえってベトナムを弾圧していたフランスと手を組んで独立の邪魔をするような存在になってしまった。
クォン・デを知ることは、日本のアジア主義の失敗を知ることになる。その意味で我々日本人もクォン・デを忘れてはならないのではないかと思う。宮台真司氏は、アジア主義に学べと以前から主張していた。それは理論的な考察の結果として主張されていた。森さんは、直接アジア主義を主張はしないが、淡々と事実を語ることによって、我々が忘れてはならないことを感性的な部分で訴える。それはとても共感を呼ぶものだ。
森さんの本を面白いと感じ、次のものを求めたくなるのは、このような事実から考えさせられることの展開が森さんの記述にはあるからではないかと思う。森さんの語るクォン・デの事実から、改めてアジア主義の実感的な部分を考えてみたいものだと思う。日本はアジアの輝けるリーダーであり、同時にアジアを見捨てた侵略者でもあった。それはどちらか一方だけしか見ないのでは一面的で間違った見方になるだろう。その歴史を見るにはアジア主義というものの理解が必要な気がする。それから、森さんがこの本の中で語っている「歴史」というものに対する見方も共感を呼ぶものだ。それは次のように語られている。
「客観的な歴史などあり得ない。この書籍に綴られた物語は歴史的事実ではなく、歴史に対する(僕の)史観なのだ。もしもあなたが日本に殺されたというベトナムの王族のことを調べたとしたら、全く異なる世界観が現れているのかもしれない。それが歴史なのだ。」
この言葉に共感するとともに、歴史が客観的でなければ、それは科学にならないのではないかという疑問も抱きつつ、このことをもっと深く考えてみたいと思う。]]>
『14歳からの社会学』 卓越主義的リベラリズムとエリート
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2009-01-19T09:49:39+09:00
2009-01-19T09:49:39+09:00
2009-01-19T09:49:39+09:00
ksyuumei
宮台真司
民主主義は非常に価値の高いものとして多くの人に捉えられてきたし、僕もそう思っていた。科学的な真理というのは、科学としての手順を踏んで証明されたものは、賛成者が多いか少ないかにかかわらず真理であることが確信できる。しかし、科学として真理が確かめられない事柄は、最も真理に近い判断を求めるために民主的な手続きを踏むことがいいという発想は正しいように感じる。議論を尽くして求められた結論は、多くの人が賛成したものの方がより真理に近いように思えるし、それが間違えていたときも、賛成した多数者が責任をとるという形にしておけば、間違ったときの反省も出来て、以後はより真理に近い判断が出来るようになるだろうと期待できる。
民主主義がすばらしいものであるというイメージがあったときに、それを「奴隷制」と呼ぶようなマイナスのイメージを提示されることは衝撃的だった。民主主義には必ずしもいい面ばかりではなく、欠点もあることを具体的に指摘され、しかもそれが納得できるようなものだった。板倉さんの指摘は、科学における真理にも、多数決的な民主主義的な判断がされた歴史があり、それが間違えていたということから導かれたもののように感じる。みんなが判断するということにふさわしくないことまでも民主的な手続きで決定することに間違いがあるという指摘だ。
同じような指摘が宮台氏の『14歳からの社会学』の中にもある。宮台氏は次のように書いている。
「「どんな行為が幸せにつながるか」と違い、「どんなルールがみんなを幸せにするか」を知るには、ものごとを広く長く見通す必要がある。そんなことが出来るのは特別に優れた人だけだ。あれがいいかこれがいいかと毎日一喜一憂するパンピーには無理だ--。」
「どんな行為が幸せにつながるか」は自分の感覚で判断できる。結果的に自分が幸せを感じることが出来れば、それは「幸せにつながって」いるのだ。これなら誰にでも出来る。パンピーと呼ばれる一般大衆(ピープル)にも可能だ。しかし、感覚で判断するのではなく、社会全体にどのような影響があるかを考察するような「ルール」を考えるときは、自分の感覚を離れて社会全体を「広く長く見通す」必要がある。これはそのような能力がある人間にしか判断できない。
誰もが同じように判断できる事柄は民主的な決定にふさわしいだろう。それが最初から多くの異論に分かれて多様であることがはっきりしているときは、一つに決定するのではなく多様性を実現できるような決定こそが民主的だと言えるだろう。誰もが同じように判断できないときは、優れた人間の判断こそが真理に近いと言えるとき、その優れた人間を「エリート」として見る観点が重要になってくる。それを宮台氏は「卓越主義的リベラリズム」と呼んでいる。宮台氏はこの立場だ。
宮台氏は最初からこの立場にいたのではなく、最初はやはり民主主義を基礎とするリベラルの立場にいたようだ。それは教育改革の運動の過程でだんだんと「卓越主義的リベラリズム」の方へ傾いていったようだ。
教育の改革において、いい教育を考えるとそれには二つの考え方があると宮台氏は指摘する。一つは「自分の子供が幸せになるにはどんな教育が必要か」と考える「行為功利主義」的なもので、もう一つは、「いい社会になるためにはどんな教育が必要か」という「規則功利主義」的なものだ。「行為功利主義」的な考え方は、自分の感じ方で判断できる。だからこれは誰にでも判断できるものだろう。しかし「規則功利主義」的なものは、社会をどう捉えるかで判断が違ってくる。社会のとらえ方が深い人間の方がより正しい判断が出来る。そして、この両方の考えはしばしば対立する判断を導くことがある。
宮台氏が以前語っていたことで、親が教育に期待することとして、自分の子供が自分の希望通りの進路を進めるような教育を望むということがあった。しかし、人間には適性というものがある。どれほど希望が強くとも、「下手の横好き」のようなものを希望していれば、それはなかなか実現できない。永遠の自分探しというジレンマに陥る可能性もある。若いうちはいろいろな可能性を試すことは大事だが、ある程度の年になったら、自分の適性を正しく判断して社会の中での自分の存在を、卑下することなく十分使命を果たしているのだという満足感を感じながら生活することが必要だろう。ある意味では夢をあきらめるということも必要だ。実現可能な違う夢を見る必要があると言い換えた方がいいだろうか。科学の問題でいえば、板倉さんが語っていたように、夢物語のような妄想的な夢を抱くのではなく、自分に解決可能な問題を発見することが科学においては重要だという指摘に近いものだろうか。
社会学者としての宮台氏は、教育に関してその機能性の方にこそ注目する。自分の子供がどうだとかという感性的な面はある意味では無視する。機能性の最も重要な部分は、子供の適性に従って、社会での適正な配置をするというものだ。自分の適性に気づかせて、それを意志に反して押しつけられたと感じさせるのではなく、自らの判断で選択したという理解の下に納得して選択させるような教育を構想していた。いい社会を作るためにはこのような教育がふさわしいだろう。
「ゆとり教育」を推進したのは、宮台氏が高く評価していた寺脇研さんという文部官僚だった。このそもそもの発想は、子供自身の適性に関係なく、学習における競争に打ち勝って有名校に進学することが多くの子供と親の願いになっている現状を変えて、本当の適性を考えて正しい判断で選択するための余裕としての「ゆとり」を教育にもたらせようとするものだった。だから暗記教育に偏ったそれまでの学習の内容を変えて、総合的な判断が出来るようなものを学ぶ方向にシフトしようとしたように見える。
だが結果はどうなったかといえば、余裕として与えられた時間を、さらに学習の競争に勝ち抜くために使うようなことになり、塾通いをしたりして、その時間を有効に使えるリソースを持った豊かな家庭が有利になるということになった。逆に言えばそのようなことが出来ない子供たちの学力の低下ばかりが目立つようなものになった。大学で「ゆとり世代」といえば、学力が低いことを揶揄するような言い方になっているそうだ。
宮台氏のそれまでの発想は、「国がしばるのをやめてみんなに任せよう」と思ってきたらしい。しかしそれでは「うまくいかなかった」と感じたようだ。みんなが賛成した方向が必ずしも正しいとは言えなくなったという判断がここには見られる。さらに、インターネットの状況からもそのような判断が導かれたようだ。宮台氏は次のように書いている。
「僕が考えを変えたのは21世紀に入った頃だ。インターネットの発達で、みんなが多様な情報を得るようになった頃だ。
テレビや新聞で社会の動きを知ったのが、ネットやケータイを利用する時間に食われるようになる。テレビや新聞は一部の企業が運営しているから、流れてくる情報がかたよるから、インターネットはいろんな人が情報を発信するから、偏りが消えるだろう--。
僕はそんなふうに予想していた。確かにいろんな人が情報を発信するようになった。そうした人たちの発信を受け取って自分からも発信するようになった。今や自分でホームページやブログを運営している人は数え切れないほどだ。でも予想通りにならなかった。」
民主的に、みんなが賛成したことを正しいと判断していると、実はその判断に参加するみんなが広く薄くなったときにどうも正しい判断とかけ離れていくようだということが見えてきたのではないかと思う。どうもすべての人に、客観的で正しい判断力を要求することが無理ではないかという現象が見られてきたようだ。人気のある言説というのは、それが論理的に正しいというよりも、感情に働きかけて、強い感情を生み出すような表現を持ったものになるようだ。宮台氏の言い方だと「感情のフックに引っかける」というようなものになるだろうか。
みんなの判断が正しい方向に行かないどころか、論理的に考えればあり得ない判断にいってしまうようなところが、情報があふれた現代社会では見られるようになった。これは民主政治が「衆愚政治」になってしまったのではないかと宮台氏は指摘する。ブッシュ大統領が主導したイラク戦争に驚喜したアメリカの姿は「衆愚政治」と呼ぶのにふさわしい姿だったように感じる。
みんなの判断は必ずしも信用できない。そのようなときは、誰の判断が信頼するに値するものか、という信頼できる人間の見極めが重要になるだろう。一般大衆が、本当に信頼できる人間を正しく「エリート」として判断できるようになれば、民主政治の欠点を克服できるだろう。判断そのものは、複雑で難しい問題においては一般大衆には正しく考えることは出来ない。だが、誰の判断が本当に正しいものと信頼できるかということは、判断そのものを考えるよりはやさしい。それなら多くの一般大衆にも正しく判断できそうな気もする。
民主政治の欠点を克服するには、「エリート」に対する正しい判断と尊敬が必要だ。宮台氏が語るように。板倉さんは、科学の教育が、真に優れた科学者が誰かというセンスを育てると語っていた。同じようなことが「エリート」に対するセンスとして育てられないものかと思う。
宮台真司氏は、紛れなく「エリート」の一人であろうと思う。その「エリート」の一人である宮台氏が「エリート」の重要性を語るところに、何となく違和感を感じる人もいるかもしれないが、そのような重要性に気づくところも「エリート」たるゆえんではないかとも思う。
宮台氏が「エリート」であろうという判断は、彼が東大を出た学者であるという表面的な事実だけによっているのではない。東大出身の学者などたくさんいるだろうが、宮台氏のような「エリート」性を感じる人は少ない。宮台氏の現在の行動がその「エリート」性を証明しているように僕は感じる。
宮台氏が優れた判断力を持っていることはその著書を見れば分かる。そして、宮台氏はその判断力を社会に生かすだけの影響力を持ち、実際に影響力を行使している。そして、その影響は、決してエゴから出発したものではなく、学問的な真理の実現を図っているものに僕には見える。利他的な行為として映るのだ。このような資質を持ったものこそが「エリート」と呼ばれるにふさわしいだろう。誰が「エリート」であるか、それは多くの分野でそのような人がいるだろうと思われる。そのような人を正しく判断できる資質を持ちたいものだと思う。そして「エリート」の判断を信頼して、その判断に賛成するという形で民主主義の限界を乗り越えたいものだと思う。
この章では最後に「意思」の訪れについて語っている。これも面白い問題として考察してみたいものだと思う。]]>
『14歳からの社会学』 社会におけるルールの正当性
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2009-01-15T09:57:04+09:00
2009-01-15T09:57:04+09:00
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ksyuumei
宮台真司
ルールを疑わない人は、そんなものは常識ではないかといって済ませるかもしれない。しかしその常識が通用しないときは、いくら常識であることを主張してもルールを維持することには役立たない。また、そのルールが今の状況には合わないのではないかと思っても、ルールがある以上仕方がないというあきらめの気持ちも生まれてくる。そのような場合はなし崩し的にルールが守られなくなっていく無秩序の状況を、何か変だと思いながらも受け入れていくようになってしまうような気がする。
社会のルールは、自分の感性(好き嫌いや気持ちがいいかなどという感情の働き)で判断して正当性を確立することが出来ない。これだけ感性が多様になってきた現代社会では、感性に頼った判断は合意が出来ないからだ。多くの人が合意できるような判断を求めるには、やはり論理に従った判断を求めるしかない。それが社会を理論的に捉えようとする社会学の必要性を要求する。現代社会のルールを理解するには社会学的な素養が必要になる。現在の成熟社会を生きる人間だからこそ「14歳から」社会学の素養が必要になる。
宮台氏はこの章を次のようなエピソードから始めている。
「今年(2008年)の2月、広島県JR芸備線の線路上に自分で踏切を作った73歳の男性が、威力業務妨害の疑いで逮捕された。畑に農作業に行くために線路を渡る必要があって、近くに踏切をつくって欲しいと10年近くもJRに要求し続けていたという。
JRは「60メートル先の踏切を使いなさい」といって受け入れてくれない。年をとった男性は、野菜を乗せた手押し車で遠回りをするのはしんどい。そこで自分で踏切を作った。近所の人たちも喜んで利用していた。けれど、ある日、とつぜん逮捕されてしまった。」
このエピソードは、自分の都合で勝手に踏切を作るという「ルール違反」をした人に対して、どのような判断をするかということを考えさせてくれる。「ルール違反」をしたのだから、それに対して罰を受けるのは当然だと考えるのか。JRに対する要求の方が当然なので、その要求を満たしてくれなかったJRが悪いのであって、この「ルール違反」は仕方がないと見るのか。様々な意見の違いがあるのではないかと思う。
この踏切は「近所の人たちも喜んで利用していた」というのだから、おじいさんの全くのエゴによって作られたものではないという解釈も出来る。そうであれば、いきなり逮捕されるということはひどいようにも思える。その前に何らかの話し合いがあってもいいだろう。だが、このおじいさんの場合だけを特例として認めてしまえば、全国あちこちに特例が出てきて、その判断をするのがまた難しくなる。特例を認めない方が管理はしやすい。
この「ルール違反」は、個別的・具体的に考察すれば容認できそうな要素を持っているにもかかわらず、それを社会全体に押し広げて考えるとなかなか容認が難しいという対立した側面を持っている。弁証法性を持っていると言えるだろうか。このようなことを考えるときに、経験主義を超える理論的考察が必要になる。
宮台氏が紹介するもう一つのエピソードを見てみよう。
「今年の3月30日に開通する横浜市営地下鉄の「グリーンライン」(日吉-中山間)で「スマイルマナー向上員」が乗車することになった。お年寄りに席を譲る呼びかけなどをするのが目的で、普段地下鉄を利用している市民の中から募集するのだという。
横浜市交通局の調査によれば、「社内でマナー違反を見かけたらどうしますか?」という質問に、「いけないことだから、注意する」と答えた人は全体の16%にとどまった。なのに「いけないことだから、やめるべきだ」と答えた人は全体の9割以上もいたのだという。
つまり、車内のマナー違反はみんながいけないと思っているのに、中が出来ない。ならば、その気持ちをサポートしよう。マナー違反があったとき、「マナー向上員」が助けてくれると思ったら注意しやすくなるし、彼らがいればトラブルになることも減る--。」
この場合は、9割以上の人が合意していることが社会のみんなの行為として成立していないことが見られる。踏切のおじいさんの場合は、近所の人たちはその踏切に喜んでおじいさんの行為を容認するという合意が出来ているのに、社会全体に広げた場合には合意が出来なくなるというケースだった。この地下鉄のマナーはそれとちょうど逆に、社会全体ではマナー違反を注意すべきということに合意はしているものの、その合意したことの行為は見られないものになっている。
おじいさんの場合は、法律に対する「ルール違反」だったので、それに同情して共感しようとも「ルール違反」に対する罰が与えられた。しかし地下鉄のマナーは、あくまでもマナーというものであって罰を与えるほどのものではない。むしろマナー違反を自覚して、自分でそれを正していかなければならないものだろう。受け入れに対して個人の自由な判断がかかわってくる。そのようなマナーを持っていない人間に無理矢理マナーを守らせるということが難しい内容になる。
そうすると社会の秩序を考えてマナー違反を注意したとしても、それが素直に受け入れられない場合が多くなってくる。隣の人とくっつくように座るのではなく、少し余裕を持って座りたいと思っている人が多いときに、ちょっと詰めて席を空けるように注意しても、それがマナーをよくすることだと受け取ってもらえないことがあるだろう。自分が座りたいからそう言っているのではないかというエゴだと受け取られたり、注意するのが趣味ではないかと思われたりする。体格のいい人が注意をすれば、自分の強さを見せびらかしたいのではないかと思われたりすると宮台氏も書いている。
このようなマナー違反は、個人が個人の責任で注意するのは難しい。極端な場合は法律化して強制的に執行できるようにしてしまうのが手っ取り早い。喫煙のマナーなどは、それが守られることが少なく、しかも注意することが難しかったので法律となったのではないかと感じる。これなどは、直接的に健康被害も起こるので法律化がしやすかったとも言えるが。地下鉄のマナー程度のものは、法律化して強制するほどのものではないので、そのマナーを指摘する立場の人を作ることで、注意しやすくしたのではないかと思う。こういう措置をしなければ、合意したことの確認が難しくなっているのも、また現代社会の特徴だろう。
誰もがお互いのことを仲間と感じていた時代は、個別的な特殊な事情も理解しやすかっただろうし、ちょっとした注意も、「文句を言われている」と受け取るのではなく、ありがたい助言として素直に受け入れただろう。社会の複雑化は、みんなの範囲を狭くし、お互いを仲間と感じさせなくなったので、そのような社会のルールの理解も難しくさせてしまった。このような現代社会でルールのことを考えるにはどうしたらいいのだろうか。個別的な仲間内での判断なら、臨機応変にみんな(仲間)がどう考えるかで対応してもいいだろう。だが、すべてが仲間というわけではなくなった社会全体のルールについては、ある原則を元にして理論的(論理的)にそれを考えていかなければ正しい方向が見えてこないだろう。
宮台氏は、理論的な考察の方向として「行為功利主義」と「規則功利主義」という二つの考えを紹介している。これは次のように説明される。
「行為功利主義」
どんな「行為」をすれば、人が幸せになるか、と考える。
「規則功利主義」
どんな「規則」が、人を幸せにするか、と考える。
「行為功利主義」に基づいて考えるなら、踏切を作ったおじいさんは、踏切を作ることで「幸せになる」のだから、その行為は正しいと言える。しかし、各人がエゴで踏切を作れば、そのことによって困る・つまり幸せでなくなる人が出てくるから、そのような個人の都合で踏切を作るという「規則」は良くないと考えるのが「規則功利主義」による考えと言えるだろうか。
「行為功利主義」の場合は、個人の自由が重んじられるように感じる。個人が自分の考えで、自分の幸せを考えて行為することが正しいと判断されるように思えるからだ。第1章で宮台氏は、社会の中で幸せになるには「自由」と「尊厳」が大事だと語っていた。その意味では「自由」を実現させてくれる「行為功利主義」は社会の中での幸せに通じるものだ。だが、この「自由」は、他者の「自由」とぶつかるときに、社会の中でどう調整していくかという問題が生じてくる。その調整は、賢い判断が出来なければうまくいかない。つまり、「行為功利主義」は、社会の成員がそれなりに優れた判断が出来るという前提が必要になる。
この判断は、社会が単純だった時代には社会の成員がみんな身につけることが期待できただろう。しかし、社会が複雑化してくると、誰もが適切な判断をするということが期待できなくなる。現在は民主主義社会だから、社会の成員の多数が判断したことが社会のルールとなることも多い。だが、その判断が間違えていることも可能性が高くなった。みんなが賛成したからといって、それは必ずしも正しいこととは限らない社会になった。
このような社会においては、優れた判断が出来る人間に社会のルールの判断をゆだねて、適切な規則を作ることでみんなが幸せになる方向をとった方がいいというのが宮台氏の主張だ。これを「卓越主義的リベラリズム」と言っている。これはある意味では民主主義に反する。みんなが賛成できなくても、判断力の優れた人が主張することを実現すべきだという主張だ。
僕はこの考えは、複雑化した社会においては正しいと思う。だが問題は、誰をその優れた判断をする人間だと認めるかということだ。宮台氏の言葉で言えば、そのような人間は「エリート」と呼ばれる。大衆が、誰をエリートだと判断するか。その判断が正しいものであるようにするにはどうしたらいいのか。これが「卓越主義的リベラリズム」の最重要問題だろう。
仮説実験授業の提唱者である板倉聖宣さんは、科学のすばらしさを体験することで、どの科学者が優れているかということのセンスも磨かれると語っていた。我々は優れた科学者と同じような業績を上げることは出来ない。それはごくわずかの本当に優れた人々のみが科学史において栄冠を得るような業績をあげるだけだ。しかし同じことが出来ないにしても、誰の業績が本当に優れているかということは、科学を学んだ人間には分かる。科学の本質を学んだ人間は、誰が科学史において「エリート」だったかが分かる。
「エリート」と同じことは出来なくても、誰が真の「エリート」であるかが分かるような教育が成功すれば、宮台氏が言う「卓越主義的リベラリズム」の実現が出来るだろう。オバマ新大統領は、宮台氏が言うところの「エリート」であるような気がする。オバマ氏はエゴで動いているのではなく、利他的に社会全体のことを考えて、今までも行為してきたし、これからもそうであろうと思えるからだ。では日本の麻生総理はどうだろうか。どうもエゴによってその行為がされているように見える。とても「エリート」には見えない。最高権力者の地位に本当の「エリート」が座るときに、日本でも「卓越主義的リベラリズム」の実現がされたと言える日が来るのではないだろうか。]]>
『14歳からの社会学』 本当にみんな仲良しなのか?
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2009-01-12T22:07:12+09:00
2009-01-12T22:07:12+09:00
2009-01-12T22:07:12+09:00
ksyuumei
宮台真司
社会学というのは、今の大人たちも学校で習ったことがない。しかし、これまでの大人は、社会に出て働いたりすれば、それなりに社会というものがどういうものであるかを経験で知ることが出来た。学校で習わなくとも、学校を卒業した後に、社会のことは社会で経験することによって学ぶことが出来た。それが今ではたいへん難しい時代になっているのではないかと思う。
今日は成人式であり、日本では二十歳を過ぎれば一応大人として認めてもらえる。それは、大人としての義務を果たさなければならないというものがいくつか発生することでもあり、大人として行使できる権利を手にすることが出来ることでもある。かつての大人たちは、この儀式を通過することで大人としての自覚を持つことも出来たが、今はそれは難しい。子供たちはどうやって大人になればいいかが分からなくなっている。社会が安定していた時代は、ある種の通過儀礼を経ることによって誰もが大人になった。しかし、複雑化し流動化した現在は、どうなれば大人になれるのかが分からなくなっている。
大人になるということは、おそらく社会というものが理解できたときにそのような自覚が生まれてくるのではないかと思う。宮台氏が「14歳からの」という限定付きの社会学を語っているのは、これからの時代は、社会を理論的に捉えなければ理解が難しくなったのだということを語っているのではないかと思う。14歳からそれを意識することで、やがて二十歳になり大人になるときに、自信を持って大人だと言えるような何かがつかめるのではないかと思う。
この「14歳からの」社会学は、大人にとっても役に立つものだと思う。大人は、かつての社会が安定して持続していれば、その中で大人になったものとして、社会の中枢を担うことが出来ただろう。しかし、今はその社会の安定性が失われてしまったように感じる。このような社会では、自分の経験だけでは社会のごく狭い範囲の性質しか捉え切れていない。大人が、社会のことに対して必ずしも正しい判断と指針を出せなくなってきている。経験だけでは社会のことが分からない時代になった。それを補って乗り越えるには、宮台氏が語るように、社会を理論的に捉える視点を知らなければならないのではないかと思う。
社会を理論的に捉えるというのは、社会の全体像を捉える、つまり抽象的な対象である社会を捉えるということを意味する。自分の経験や感覚から得られる「社会像」に対して、それが一般的なもの、多くの人が抱いているイメージになっているかどうかを考えて、それを正しく捉えることを意味する。自分の経験や思いは特殊なもので、自分のような人間であればそう感じたり考えたりするかもしれないけれど、世の中の多くの人はそう考えてはいないかもしれない。そのような判断を教えてくれるのが社会を理論的に捉えるということになるだろう。
第1章のテーマは、「自分と他人」というものになっている。副題として「「みんな仲よし」じゃ生きられない」という言葉がつけられている。かつての安定した社会を生きてきた大人たち、特に昭和30年から40年代くらいの日本を知っている大人たちは、その時代が人情に篤い時代であり、ご近所さんは「みんな仲よし」であり、ある場合には全く見知らぬ他人でさえもすぐに「仲よし」になってしまう時代であったことを知っているだろう。
僕は昭和31年の生まれだが、子供の時に迷子になったことをよく覚えている。泣きながら歩いていたら、ガソリンスタンドのそばを通り過ぎたときに声をかけられた。若いトラックの運転手が、かわいそうに思ってくれたのだろう。どこに住んでいるかを聞いてくれて、僕の家のそばの学校までトラックで送ってくれた。僕は子供の頃は東京の渋谷区の恵比寿に住んでいたけれど、そのような地域でさえもこのような人情をかけてもらえる経験があった。
このような時代は、「みんな仲よし」にしましょうと指導されなくても、子供たちはみんな仲良しだったし、大人たちも人情に篤かった。だが今はそんな時代ではないだろう。いつから変わってしまったのかは、経験だけでは分からない。宮台氏が教えてくれる「近代成熟期」という指標を理解して初めて、それがいつから変わってきたのかということが分かる。複雑化した現代社会は、理論的考察なしに経験や直感で捉えることは出来ない。
「みんな仲よし」というのは、かつてはそれで幸せだったし、いがみ合ったり無関心であったりするよりも、仲良しで温かい思いやりのある社会の方がいいと思えるので、この目標が間違っていると考える人は少ないのではないだろうか。しかし、宮台氏は「みんな仲よし」では今の社会は生きていけないのだと指摘する。それは間違いなのだと言う。それはどうしてだろうか。それは、社会を理論的に捉えなければ、その正しさを理解することが難しいのではないだろうか。
「みんな仲よし」は、ちょっと考えるといいことのように思えるけれど、もう少し深くこのことを見てみると「みんな」という概念が気になってくる。この「みんな」は、かつては社会で生きている人の大半を含むものとして日本人は意識できていた。だから、ある意味では他人であっても、何となく仲間として「みんな」の中に入れてくれていたので、それで親切にしてくれたりして「仲よし」になっていた。それが今の時代は、この「みんな」という範囲が共通の理解が無くなってしまったという。宮台氏は次のように語っている。
「今の社会では「みんな」という言葉が、誰から誰までを指すのかイメージしにくくなっている。「みんな」の顔が見えにくくなっているのに、昔と同じように「みんな仲よし」と言われたって、実態とかけ離れているから、タテマエに聞こえてしまうんだ。」
今の社会では価値観が多様化し、かつては「みんな」の中に入っていた人たちも、今ではもしかしたら価値観の違うものとして対立する相手になりかねない。そんな相手とも「仲よし」にしようということになったら、利害関係の面で損をすることが多くなるだろう。それでも、自分が損をしてでも相手への信頼を持つ立派な人だということで評価してもらえればいいのだが、今の時代では、損をすることは立派なことではなく馬鹿だと思われてしまうのではないだろうか。仲よくできない相手はたくさんいるのに、「みんな仲よし」にしたら自分はいつまでも損をする人間になってしまう。そのような時代は、「みんな仲よし」がタテマエのように聞こえても仕方がないだろう。
「みんな」というのは、いったいどの範囲の人間を指すのか、という問いは社会に対する理論的な反省を抜きにしては出てこないのではないだろうか。経験と感覚で社会を判断していれば、「みんな」の範囲は自明のものであり、「仲間」と感じられる人が「みんな」になるだろう。そうだ、かつての日本でも「仲間」を外れてしまえば「みんな」でなくなっていたのだが、「仲間」の範囲がとても広かったために、普通の日本人はそのことに気づかないでいられたのだろう。それに気づくには、理論的な考察が必要だったのだ。
宮台氏は、現代の若者たちの心情を「仲間以外は皆風景」という言葉で表現したが、自分たちの狭い範囲の仲間以外は、全く人間として感じられないとすれば、これはきわめて狭い「みんな」の範囲ということになるだろう。逆に、「みんな」は日本人だけでなく、世界に住んでいる人間が全部「みんな」だということになれば、これは非常に広い範囲の「みんな」になる。グローバル化ということの理解には、そのような理解での「みんな」という概念があるとも宮台氏は指摘する。
「みんな」の範囲は日々変化している。宮台氏は、「どんなくくりを考えても、そこから出たり入ったりする人間が増えた。そこに所属するからといって、その人たちがそのまま「みんな」だとは言えない」と指摘している。「みんな仲よし」という目標は、このような時代背景の時には困難であり、間違いであると言えるだろう。
「みんな仲よし」が信じられていた時代は、社会は安定していて単純だったので、社会の中で「仲よし」で生きていられれればそれなりに幸せになれた。しかしそうでない時代には、社会の中で経験に頼って生きているだけではなかなか幸せになれない。社会を理論的に考察する社会学では、幸せに生きるということも理論的に捉えることが出来る。宮台氏は、幸せに生きるための条件として「自由」と「尊厳(自尊心・自己価値)」という二つをあげている。
「自由」はそれを論じようと思えば、これだけでたいへんな問題だが、宮台氏は<選択肢があること>と<選択肢を適切に選ぶ能力があること>の二つを「自由」であることの判断基準としている。そう捉えるのも理論的なとらえ方だろう。
「尊厳」の方は、自分を現在のままの自分として肯定的に受け止めることが出来る何ものかとして考えられている。自分は、もちろん理想とはほど遠い存在として自分には捉えられているだろう。かなりうぬぼれの強い人間でも、自分がすばらしい人間であると手放しで認めている人はいないだろう。たいていは何かが足りない、未熟な人間として自分を捉えているのではないかと思う。しかし、未熟で能力が不足している自分であっても、自分が人間として生きているというのは、他の人間と変わりないものであり、軽蔑されるようなところがない限りは、自分は今のままでもいいのだと肯定的に認めてやれるような基礎が自分の中にあるとき、それを宮台氏は「尊厳」と呼んでいるようだ。
「尊厳」というのは、社会の中で他者から承認されることによって自分の中に育てられていくという。だから「仲よくできない他者たちとどうつきあうかについて、考えていかなくちゃいけない」という指摘を宮台氏はしている。これも経験から学ぶには難しい事柄だ。だが、理論的に考えればこれは次のように簡単に解答される。宮台氏は、
「自分に必要な人間とだけ仲良くすればいい。自分に必要でない人間とは、「適当につきあえば」いいだけの話だよ。」
と語る。これなどは、経験からこのような教訓を得ている人は多いと思われるが、このようにあっさりと言えるのは、理論的なとらえ方をしている宮台氏ならではの一般化ではないかと思う。社会を特に意識しなくても幸せに生きられた時代には、社会での幸せを体現するロールモデルがいた。それが誰にも目標となった。しかしそれが失われた今は、宮台氏が次に語るような問題を考えることで幸せを理論的に考察する道が開けるのではないかと思う。
「競争を勝ち抜いて「一流」大学や「一流」企業に入っても、会社を興して成功して金持ちになっても、自分の人生が「承認」から見放されているのであれば、いずれ君は自分が寂しく死んでいく人間であることに気づかされるだろう。それが果たして幸せな人生だろうか。」]]>
東條英機のイメージ
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2008-12-25T23:24:43+09:00
2008-12-25T23:25:41+09:00
2008-12-25T23:25:41+09:00
ksyuumei
歴史
僕はその当時の日本の歴史的事実や東條英機の伝記に詳しいわけではないので、そこで描かれていた事実がどの程度「本当」であるかという判断は出来ない。だが、フィクションとはいえそこに嘘が描かれているという可能性は少ないだろう。ほとんどは、事実として確認出来る「真実」を元にして描かれていると思われる。だが、そこで語られていることがたとえ「事実」であったとしても、それを抽象化して「判断」を求めると、必ずしも「事実」と直結した「判断」が導かれるとは限らない。
ナチス・ドイツの高官たちは、ほとんどが家庭では良き夫であり・良き父親であったと言われている。その面だけを取り上げれば、彼らは魅力的で誠実な人間だったと「判断」されるだろう。しかし、ユダヤ人を迫害した面を考慮に入れるなら、この良き家庭人としての面は総合的な「判断」の中では末梢的な部分を占める「事実」になるのではないかと思われる。テレビドラマに描かれた東條の一面の「事実」も、東條を総合的に評価するには、それが本質を表しているかどうかを考えなければならないだろう。だが、そこまでの詳しい知識がない今の僕の段階では、そのような考察をすることは難しい。そこで、テレビドラマに描かれたことを「事実」だと前提にして、その「事実」を受け取った限りでの東條の印象を考察してみようかと思う。テレビドラマに描かれた東條を見れば、その姿から東條という人間がどのような人間であると受け取れるのか。それを考えてみたい。
東條は、「東條英機 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』」によれば、「父英教は陸大を首席で卒業した俊才であった」が東條英機自身は「陸軍士官学校をクラス50人中42位で卒業」と書かれている。このあたりのことは、ドラマでは東條は秀才のエリートではなかったが努力によって最高の地位にまで上り詰めた人間というふうに描かれていた。
実際には、陸軍幼年学校に入り、陸軍士官学校を卒業したのだから、その経歴を見ればエリートの一人であることは間違いないと思う。ただ、そのエリートの中では落ちこぼれていた人間だったのかもしれない。このことはドラマでは好意的に描かれていた。何でもトップに立っていた優等生ではなく、落ちこぼれることによって人の痛みや欠点を知ることの出来た、人間味のある人物として描かれていた。これはドラマの描かれ方と実際の姿とは近かったのではないかと思う。
ウィキペディアの記述には「非常な部下思いであり、師団長時代は兵士の健康や家族の経済状態に渡るまで細かい気配りをした。また、メモに記録し、兵士の名前を覚えた」というものがある。これはドラマで描かれていた東條の姿にかなり近いのではないかと思った。ウィキペディアには東條の悪評も数多く紹介されており、視野の狭さや器の小ささなどを指摘するものも多い。これは、ドラマの最後に「(総理の?)器にあらず」というような表現があったので、このような評価も一般的にはあったのだろうと思う。
だが全体的には東條は善人として描かれていた。単純素朴で考えはあまり深くはないが、愛国心に厚く天皇を敬愛することは誰にも負けないという人物として描かれていた。単純素朴であったが故に、先の見通しを正しく予想することが出来ず、日本を誤った道に導いた指導者として、その失敗があったというような描かれ方をしていたように感じた。
東條が首相になった経緯は、次のように書かれているウィキペディアの記述の通りにドラマでも描かれていた。
「木戸幸一内府らは、日米衝突を回避しようとする昭和天皇の意向を踏まえ、天皇を敬愛していた東條英機をあえて首相にすえることによって、陸軍の権益を代表する立場を離れさせ、天皇の下命により対米交渉を続けざるを得ないようにしようと考えた。
天皇は木戸の上奏に対し、「虎穴にいらずんば虎児を得ず、だね」と答えたという。木戸は「あの期に陸軍を押えられるとすれば、東條しかいない。宇垣一成の声もあったが、宇垣は私欲が多いうえ陸軍をまとめることなどできない。なにしろ現役でもない。東條は、お上への忠節ではいかなる軍人よりもぬきんでているし、聖意を実行する逸材であることにかわりはなかった。…優諚を実行する内閣であらねばならなかった」と述べている」
この状況を考えると、東條は平和主義者である天皇の意向を、血気にはやる軍隊に伝え、どのように押さえるかということを期待されて首相に任命されたことが分かる。東條がいかに難しい仕事を任されたかということが分かる。このような努力をしたにもかかわらず、結果的には東条内閣の時に日米開戦が決定し、その責任をとるような形で東條はA級戦犯として処刑されてしまう。この状況を考えると、東條の立場にとって、その責任があまりにも重すぎるものではないかとも僕は感じる。むしろ、東條は他に責任あるものの責任を一人で全部背負って、他を免罪するためにA級戦犯の汚名を甘んじて受けた英雄のようにも思えてくる。このドラマの描き方をそのまま受け取ればということを前提にしてだが。
東條を始めとするA級戦犯が処刑されることによって、昭和天皇と日本の一般国民はその罪を免れたという形になったように感じる。A級戦犯は、日本の開戦の罪を背負うには、その立場がかわいそうで不運だというのを感じる。あの当時の日本で、日本人のメンタリティを持っていたら、おそらく誰も彼らと違う決定を提出することなど出来なかっただろう。正に、日米開戦へと追い込まれていってしまったに違いない。
敗戦した以上は、開戦の責任を問われるのは仕方がないが、指導者であるA級戦犯とともに、戦争を望んだ一般国民と、それを煽ったマスメディアの新聞とが、やはり責任を負わなければならない部分があったのではないかと思う。その批判は未だに弱いだろう。その意味ではドラマはそこに踏み込んでいた分だけ、今までとは違うメッセージがあったように思う。A級戦犯を免罪するわけではないが、A級戦犯だけに罪を押しつけているという今の状況を反省する必要はあるのではないかと思う。宮台氏が語るとおりだろう。
また、このドラマの描き方で、昭和天皇を平和主義者だと捉える見方の一端が分かったような気がした。それは、今までは戦争責任を逃れるための言い訳のようなものと僕には映っていたけれども、宮台氏は何度か昭和天皇が平和主義者であり、宮台氏自身は尊敬を抱いていると語っていた。その意味が少し分かったような気がした。
昭和天皇が東條を首相に任命したのは、アメリカとの開戦を避けるためであったという。これは本当のことだろうと思う。また、この時期の内閣は、戦争に対して「不拡大」の方針を持っていた。軍部と国民が戦争を煽る中、内閣だけが主体的に「不拡大」というアンポピュラー(不人気)な方針をとり続けられるというのはかなり無理がある。その不人気に耐えられずに近衛内閣は崩壊してしまったともいわれているからだ。これは、やはり天皇の意志が戦争の「不拡大」であったから、内閣はそのような方針で政治を進めようと思ったのだろう。
昭和天皇は、最後まで平和の道を模索し戦争を避けようとしたのではないかと思える。昭和天皇が平和主義者であるということの意味はそういうことなのではないかと思った。ただ、残念なことに昭和天皇は、自らの意志として平和を求めよという宣言をすることがなかった。それは天皇の地位というものがそのような、直接政治的な発言をすることを許さないものだったから、というのが宮台氏の解釈だったように思う。もし昭和天皇が直接その意志を表明していたら、軍は勝手に戦線を拡大することは出来なかっただろう。だが、それが出来なかったのがあの時代の限界だったのかもしれない。
このドラマは新しい視点を提出していたということでは面白いものだった。その物語(=歴史)が本質を語っているかどうかはまだ分からない。だが、歴史解釈としてはこのようなものもあるだろうとは思った。
日本人的なメンタリティとしては、開戦を論じた軍人や政治家たちの選択は、あれしかなかったという共感を感じるものがある。アメリカとの開戦をしなければ、日本はたち行かないのだという切羽詰まった思いはよく伝わってくる。だが、それを日本人的なメンタリティを離れて冷静に考えると、アメリカのうまい外交政策にしてやられたという、賢さの面での敗北を反省しなければならないのではないかとも感じる。
アメリカが突きつけた要求は、当時の日本にはとても飲めないような厳しいものではあったけれど、だからといって破滅に至る開戦へ突き進むしか道がなかったのかということを反省しなければならないだろう。アメリカは日本が戦争を仕掛ることを望んでいた。それにまんまと乗せられてしまうしか選択肢がないというのは、やはり賢さの点でまずいのではないか。
アメリカは、日本が仕掛けることを望んで、あえて飲めないような要求を提出して挑発したはずだ。日本がそれを飲めないことは百も承知で要求を突きつけている。その挑発に対して、相手の望むとおりに乗ってしまった時点で日本はすでに負けていたのではないか。
今の北朝鮮がアメリカを相手にしている外交を見てみると、北朝鮮がひどい国だということはさておいて、その外交に対しては、アメリカの挑発に乗らずに逆にアメリカを挑発して自らの利益を引き出している結果に対して学ぶ点を探した方がいいのではないかとも感じる。アメリカと北朝鮮を比べれば、当時のアメリカと日本以上に大きな国力の差がある。それにもかかわらず、どうして互角以上の外交交渉が出来るのか。日本の失敗と比べて、北朝鮮の成功を学ぶことは意義の大きいことではないかと思う。
昨日のドラマは、日本の戦争指導者の責任の面と、昭和天皇の平和主義の面と、一般国民と新聞の責任という面で新しい視点を僕は学んだ思いがする。ドラマを芸術として見た場合の評価には様々なものがあり、何か物足りないと感じた人もいたと思うが、新しい視点を提出したという点で、僕はそれをドラマとして受け取るよりも物語としての歴史を提出していると受け取って高く評価したいと思う。それは僕が見ていなかったものを見せてくれたという意味で、僕にとって良い評価だということかもしれない。こんなことは前から知っていたと思う人は、もしかしたらそれほどの評価はしないかもしれないが、それを知らなかった人には良い学びとなっただろうと思う。]]>
『亜細亜主義の顛末に学べ』(宮台真司・著、実践社)
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2008-12-23T12:29:56+09:00
2008-12-23T12:30:53+09:00
2008-12-23T12:30:53+09:00
ksyuumei
宮台真司
おおざっぱに言えば、アジアとの連帯を求めた理想主義的な思想であったにもかかわらずに、結果的には列強の侵略と同じものを招いてしまったというのが「亜細亜主義の顛末」と考えられるだろうか。これから何がどのように学べるのだろうか。
この本は副題として「宮台真司の反グローバライゼーション・ガイダンス」というものがつけられている。その帯の部分には「アタマ悪いが力は強いジャイアン・アメリカをどうコントロールするか」という言葉が書かれている。「亜細亜主義の顛末」に学ぶことによって、このような目的が達成できるという主張なのだろうと思う。だが、このつながりをすっきりと腑に落ちるように理解するのは難しい。反グローバライゼーションに関する論説は、それだけを取り上げるのであれば理解できないことではないが、これがどうして「亜細亜主義の顛末」とつながっているのだろうか。このことの意味をちょっと考えてみようと思う。
宮台氏は亜細亜主義を具体的には語らないが、かなり抽象的に語っている。それは最後の巻末インタビューに多く現れているので、そこに語られた言葉を考えることで「亜細亜主義の顛末」と「反グローバライゼーション」とのつながりを考えてみようと思う。最初の引用は次のものだ。
「亜細亜主義とは簡単に言うと、「近代を反近代によって否定するような愚劣な営みをやめ、近代の力を使って近代の限界を克服する」発想です。
そして、近代の限界の克服とは、近代の過剰な流動性--何もかも入れ替え可能にしてしまうような流動性--に抗って、近代の道具を使ってコミュナルな多様性を護持せんとすることを意味します。」
近代が伝統を破壊する面を持っているということは、歴史を観察していると事実として確かめられるものが見つかるのではないかと思う。それはその伝統が、歴史の進歩を押しとどめているものであり、合理性という面から考えれば否定せざるを得ない面を持っているから、近代によって否定されるものとして現れているのだと考えられる。
伝統の不合理性を合理的に理解して、合理性によって克服できればいいのだが、伝統に生きている人々にとっては、伝統そのものを否定することが許せないという感情がわいてくるだろう。そうなれば「近代を反近代(不合理性)によって否定する」ということが、感情の働きとして生まれる可能性がある。これは「愚劣な営み」であり、あくまでも「近代の力を使って近代の限界を克服する」というものが亜細亜主義の本義であるという主張が宮台氏のものだ。
この「限界の克服」をもう少し具体的に語れば「流動性」に対してそれに抗い、「近代の道具を使ってコミュナルな多様性を護持せんとする」ことになる。これでもまだ抽象的だが、この本義を貫徹するのはかなり難しいことが論理的にも理解できる。それは「近代」に対して抗いたいのに、それを直接否定することが出来ず、むしろ「近代」を利用して「近代」を実現することによって最終的にその「近代」を捨てる道を探すということになるからだ。「近代」の利用が、その有効性を十分に見せてしまうと、それを捨てることが難しくなるだろう。だが、それくらいに「近代」を有効に使いこなさなければ、単に「近代」を感情的に否定するだけでは克服できないという、宮台氏の言葉で言えば「アイロニー」が常に伴うものになる。
「近代」を否定しようと思うと、「近代」を徹底させて、まずは「近代」につぶされないように力をつけなければならない。その「近代」の有効性を享受した後で、「近代」の限界を深く自覚して「近代」を否定する心情を持ち続けなければならない。すでに便利で大きな利益をもたらしている「近代」をあえて捨て去る賢さを持たなければ、最初の目的とは全く違う、「近代」に抗うのではなく、「近代」がもたらす利権の中に巻き込まれて、その利権を守るための行動に目的が転化してしまう。それこそが、抽象的な意味での「亜細亜主義の顛末」というものになるのではないかと思う。
これは田母神論文が語っていたような心情を説明する論理としてはかなりうまい説明になるのではないだろうか。日本は、日中戦争においては、中国やアジア諸国を占領して侵略しようと「意図」したのではなく、あくまでも「意図」としては、連帯して西洋列強に対抗し、「近代」に抗おうとしたのだと考えることが出来る。むしろそう解釈する方が正しいのではないかと思う。
しかし、結果的には西洋列強の侵略と同じものをアジア諸国にもたらした。特に中国と朝鮮半島にそれは顕著に現れた。それは「近代」の克服のために「近代」を利用し、最終的には「近代」を捨てるというアイロニーを持ち続けることが出来なかったからではないかと、抽象的には解釈することが出来る。「近代」の利用によってもたらされる莫大な利益を得ようとする利権を持つものたちの国家操縦を阻止することが出来なかったというのが、具体的な日本の「亜細亜主義の顛末」ではないだろうか。
宮台氏は上の文章に続けて次の文章を書いている。ここからは「亜細亜主義」がどのように変質していくかということが読み取れる。そして、その変質が、日本においてなぜ阻止することが難しかったかが読み取れる。
「近代のもたらしうる過剰流動性の不利益を、近代の思想と技術を用いて防遏(ぼうあつ)せんとする思想。これこそが亜細亜主義の本義です。その意味では欧州主義的な発想の嚆矢だし、今日を席巻するローティーらリベラル・アイロニスト思想の嚆矢でもあります。
さらに抽象化するとこうなります。合理主義をナイーブに徹底すると、不合理な帰結がもたらされる。このとき、ナイーブな馬鹿どもは、合理主義を否定して反合理主義に立ってしまい、却って合理主義によってペンペン草も生えないほどに席巻されてしまう。
だったら、合理主義の限界に対処するに、合理の徹底を以てする他はない。近代の限界に対処するに、近代の徹底を以てする他はない。近代の限界に対処するのに、ナイーブな輩は「近代の超克」を主張します。だが「近代の超克」には限界はないのか(笑)、ということです。
だから、正しいアジア主義者は合理主義の権化である他なく、かつアイロニストの権化である他ない。ところが、この国の馬鹿どもは、合理主義を拒否するが故にアメリカにやられてしまい(日本の戦前)、アイロニーの不徹底故にアメリカにやられてしまうわけです(日本の戦後)。」
亜細亜主義の変質にとって大きな意味を持つのは、合理性を失って不合理になることだ。そのような感情的反応は「ナイーブ」と形容されている。日本人の心性は大部分が「ナイーブ」と呼ばれるにふさわしいものだったように感じる。「意気に感じる」という言葉があるが、「意気」を感じたものは、それがたとえ不合理に見えようとも共感し支持してしまうというところが日本人の心性には強くあるように感じる。田母神論文に共感し、その論理的内容よりも「意気に感じて」支持する人が多いというのも、まだ日本人にはそのような感性を持っている人が多いことを示しているのだと思う。
戦時中は、日本では極端な精神主義が支配し、正に不合理な考え方が蔓延していた。そこでは合理的に考えて「出来ない」という結論を出そうものなら、「精神がたるんでいる」という評価を受けかねないものだった。このような合理主義を否定する傾向は、歴史的に見てもアメリカにやられたという結果をもたらした。合理主義を否定し、不合理な考え方に支配されていれば、合理的に考える人間には勝てないということは、論理的に帰結することが出来るだろう。
合理的な考えというのは、現実世界が従う法則性を正しく認識し、その法則性に従った未来を予測して行動を選択するということを意味する。もし、このような合理性を持たずに、感情的に気分として、それを選びたいから選ぶという基準で選択をしていたらどうなるだろうか。精神主義的な考えでは、その思いが強ければ現実はそのようになるということになるのだが、実際にはそうはならない。合理的に考えて不可能なことは決して実現しない。人間は空中に浮かび上がりたいと思っても、重力の法則がある限りそれに逆らうことは出来ない。心の持ち方では重力が否定できない。
合理的思考というのは、今起きている事実を解釈するだけなら、不合理な思考とあまり利益に差が出ない。現実は、どう解釈しようと、解釈だけならつじつまが合うように考えることが出来る。何かいいことが起きたときに、それは事前に準備したおかげで、努力の結果のたまものだと解釈してもいいし、自分は幸運な星の下に生まれた特別な人間なのだと思っても、それが起きた後の解釈であれば、それに対して解釈だけの問題には特別に支障はない。
だが、この解釈が、これから起こることにもそのまま論理として適用されるなら、そこには大きな違いが出てくる。努力の結果だと理解する人間は、この次の成功のためにも、正しい努力の方向を見出そうと思考を展開するだろう。だが、幸運な星の下に生まれたと思っている人間は、そんなことに関係なく、自分がそうしたいと思えば実現すると勘違いするだろう。不合理な考え方は、いつかはこのように不利益としての失敗をもたらすだろう。
合理主義の否定はこのような論理的帰結をもたらす。だからこそ宮台氏も「合理主義を拒否するが故に」という展開をしている。そして、この「合理主義を拒否」した連中を「この国の馬鹿ども」とも呼んでいる。「亜細亜主義の顛末」に学ぶということは、「アイロニー」を持ち続けるという意識を忘れないということも大事だが、「合理主義」を捨てて不合理な考え方に流れないようにするということも同じくらいに大事だということだ。
感情的反応を見せやすい傾向を、日本の国全体が多く含んでいるなら、かつて合理主義を捨ててしまった失敗を繰り返す恐れがある。「亜細亜主義の顛末」を学ぶのに、宮台氏が語る抽象的な側面は非常に参考になる部分だ。これは、自分がそのように不合理に流れていないか反省するために、自分の思考の結果を評価するのに役立つだろう。だが、思考の展開の過程において、このような抽象的なとらえ方を利用するのは難しい。「亜細亜主義」が、そのスタートは合理的であったにもかかわらず、不合理に転落していく過程を、もっと具体的に理解する歴史を知ることが必要だろう。そのようなものを求めてみたいと思うが、それはなかなか資料が少ないようだ。アンテナを張って、それを探す努力をしよう。]]>
田母神論文の論理的考察 6
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2008-12-19T09:40:02+09:00
2008-12-19T09:40:58+09:00
2008-12-19T09:40:58+09:00
ksyuumei
論理
しかし、考察を始めて見ると、論理的な面の弱さが見えてくるだけで、ここが共感する部分なのかというのが見つからなかった。自分が共感を感じられないだけに、自分の中にないものを外に発見することが難しかったのだ。
そんなことを感じていたときに、ライブドアのブログに「CCMFさんからのコメント」をもらった。これが、僕が見えなかったものを見るために非常に参考になるものだと感じた。このコメントでは
「田母神論文に対する否定的評価の典型は、「論文としては稚拙である」「学術論文の体裁をなしていない」など、テキストとしての外形を問題にする批判が、目立ちました。ただ、これは、学者の世界の中だけで通用する言い分でしょう。世の中の普通の人は、理論理屈だけでは、動かないものです。
好意的な評価としては、花岡信昭氏が「審査する側としては、田母神氏の論文はすっと素直に読むことができて、「国家や国民への思い」があふれた内容を高く評価したのだが、政治の世界や一部メディアはこれを許さなかった」と書いています。
「すっと素直に読むことができる」という花岡氏の意見に、私も同感です。これが普通の人の評価でしょう。
田母神氏の文章は、分かりやすい、いい文章だと思います。しかも、読後に、ある種の高揚感を与えます。このような文章は、書こうと思ってもなかなか書けません。
田母神氏のような軍隊や組織の頂点に立つ人には、なによりも、部下の士気を高め、やる気を引き出す能力が求められます。「感情面の「主観」的な見方が入り込む」のは、むしろ、意図的なものかもしれません。と言うのも、相手の気持ちに訴えることが重要なのですから。」
と感想が語られている。この感想は僕の中には全く生まれなかったものであり、おそらく自分では見つけることの出来ない感性だろうと思う。
田母神氏の文章が分かりやすいという指摘は正しいだろうと思う。ただ僕はそのわかりやすさを、複雑性を見過ごした、単純化して本質を見誤ったわかりやすさだと評価したために、わかりやすさに共感することは出来なかった。
「高揚感」というのは僕の中に生まれてこなかったものだ。それは僕が感性よりも論理の方に関心が高いという、やや特殊な資質を持っているからではないかとも考えられる。感性だけで高揚する人間ではないからだ。だがCCMFさんが指摘するように、これが「普通の人の感覚」であるなら、僕にとってはこの論文の主張に共感する人が多いということが意外だったが、実はそれは意外なことではなく論理的に理解できることなのかもしれない。
ただ、田母神氏がそのような効果を狙って「意図的に」そのような感性に訴える文章を書いたのではないかという評価に対しては、僕はちょっと違うのではないかという印象を持っている。むしろそのようにレトリックを駆使していない、ある意味では自分の心情を率直に書いた文章だったからこそ感性に訴えたのだと理解したい感じがする。
田母神氏は、その心情にあふれた文章から、部下に慕われる・人格の優れた軍人ではないかという感じがする。もしそれが演技であり、レトリックにあふれた文章が書けるような人間であれば、田母神氏は軍人であるよりもむしろ政治家になった方がいいタイプになるのではないだろうか。しかし政治家になるようなタイプであれば、このような論文を書いて、わざわざ不利益を生じさせる(自分自身に対しても国家に対しても)ようなことはしないのではないかと思う。
自分自身の不利益も顧みずに、その心情を率直に吐露できるというところに田母神氏の人柄が表れていて、そうであればこそその面が多くの人の感性に訴えるのではないかと思う。田母神氏の論文への共感は、その論理的内容よりも、田母神氏という人物の人柄の魅力が負っているのではないかという気がしてきた。左翼的な感性の持ち主は、このような魅力を感じる感性を持っていないのでおそらくそれには気づかないだろう。だが、率直さと自分を犠牲にしてでも他者のために尽くすということに価値を見出す人々は、田母神氏の心情に共感するものを感じてしまうのではないかと思う。
田母神氏の著書『自らの身は顧みず』の「カスタマーレビュー」を見ると、この種の共感が語られているのを感じる。それは次のように書かれている。
「日本人の鏡、田母神氏の魂を感じよう!
国を守ることを忘れた国会議員や多くのマスコミにとっては耳の痛い内容だろうが、正常な感覚を持った多くの国民にとっては極めて壮快で、読んでいてこれほど嬉しくなる本はそうはないだろう。国の方向性を変えるきっかけになる可能性を秘めた極めて大きなインパクトを持ったな本と言えるだろう。
村山談話や河野談話によって損ねられた日本の尊厳と国益、それを一切回復しようとしない政治家と、それらを助長するマスコミに対しては国民の多くは非常なる不満、鬱憤を感じていたはずである。
そこに、自衛隊のトップという立場の人間が公の場で、日本の名誉を回復すべく勇気ある発言を行なったことはまさに賞賛に値する。」
「やはり田母神さんを支持することは間違っていなかった。
著者の堅固な主張と、柔軟で魅力的な姿が伝わってくる好著です。」
「田母神氏は本当に素晴らしいお方と思います
国に命をかける覚悟のある自衛官たちの誇りを守ることは非常に大事であると思いました。」
「まじ、いい!昨今、読んだ書籍で最も気概ある一書!!
この気概、この覚悟には敵わないね。すごいの一言。昨今最高の一書です。心からお勧めです。」
残念ながら僕の中にはこのような共感はないが、田母神氏のどの部分に共感するかというのは、著書の評価を語る文章からはよく読み取れると思う。このことを日本の社会という現実の状況と照らし合わせてどのように解釈するかということはなかなか難しい問題だと感じる。
宮台真司氏は、田母神氏の軍事的な意見には聞くべきものが多いといい、その専守防衛に対する批判には共感している。そのようなことを考えると、田母神氏は軍人として優れている人であろうと僕も思う。人柄も優れているのだろうと思う。では軍事的な面以外の田母神氏の意見も、それに真摯に耳を傾けて理解すべきかといえば、そこには躊躇を感じる部分がある。
軍事的に優れた意見を語る人が、政治的にも優れた判断をするとは限らないからだ。専門外の分野に関しては間違ったことをいう可能性があることを常に忘れてはならないと思う。もっとも、それを忘れずに細かく分析をしていたら、なかなか感性で共感するという気持ちのいい経験が出来なくなることは確かだ。「高揚感」を味わうことは出来なくなる。それでも僕はやはり、冷めた(=覚めた)論理を使って「高揚感」を捨てることが大事な場合もあることを主張したいと思う。
田母神氏は軍人であって歴史家ではない。歴史に対する判断は、その複雑な構造をすべて考慮して、総合的な判断が出来るような専門家ではない。心情的に、日本だけが非難されているような状況に憤るという感情は理解できるが、それをさらに進めて「侵略」であるかないかを結論づけるような判断にまで踏み込むのは、専門外のことに手を出しすぎているのではないかと思う。
「侵略」ということの判断は、それを専門的に細かく考えれば考えるほど簡単に結論が出せないことだろうと思う。それを村山談話で「日本の侵略行為」と判断するのは、政治的な判断であって歴史学的な判断ではないだろうと思う。政治的な判断というのは、そのような前提で日本は戦後の外交をスタートさせたという経緯を認めることなのだと宮台氏は指摘していた。
宮台氏自身は、学問的には日本の戦争を「侵略」とは考えていないようだ。しかし、外交的には「侵略」を認めることが現在の国益にはかなうと判断しているようだ。それを前提にしてサンフランシスコ講和条約が成立していると判断しているようだ。
僕も、「侵略」という行為の基礎に、植民地主義のようなイデオロギーが重要な要素として入っているのであれば、日本にはそのような明確なイデオロギーがなかったようには感じる。西洋列強が行った「侵略」とはその点で違うような気がする。宮台氏は、日本人のお祭り体質と呼んでいたが、イデオロギーのような論理で行動が規定されるのではなく、心情による共感で、みんながそう思っているのだからということで感情が行動の決め手になっているという。
戦争の拡大も、連戦連勝して、みんなが喜んでいるんだからいってしまえというような気分で拡大されていったと判断しているようだ。そこには植民地主義に基づいた考えで侵略を進めていくような冷静な判断がない。そのように、侵略の「意図」が感じられない行為は、結果的に「侵略」と同じ事実が見つけられても、「侵略」と呼ぶには学問的にはためらいがあるのではないかと思う。
そのような判断は、「侵略」という言葉で呼ばなかったから、「侵略」に対する責任はないのだという判断ではない。結果的に「侵略」と同じことをしたのなら、その結果には責任を持つべきだが、「侵略」という言葉の定義を明確に出来るなら、学問的にはその定義に従ってその現象を評価すべきだという立場だろうと思う。
田母神氏の「侵略ではない」という主張は学問的なものではない。だから学問的な評価をするのはふさわしくないだろう。しかし、それを感性で共感するから「侵略」という言葉に対して曖昧なままで済ませてはいけないような気がする。それがいろいろな意味で使われているということを自覚して、その点においては感性に流されないようにしなければ、同じ感性を持つ人間以外との理解し合うコミュニケーションが難しくなるのではないかと思う。田母神論文の真の教訓はそこにこそあるのではないだろうか。]]>
田母神論文の論理的考察 5
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2008-12-18T09:59:35+09:00
2008-12-18T10:00:31+09:00
2008-12-18T10:00:31+09:00
ksyuumei
論理
「我が国は満州や朝鮮半島や台湾に学校を多く造り現地人の教育に力を入れた。道路、発電所、水道など生活のインフラも数多く残している。」
ここで記述されていることがどのような意味を持っているかということは、直接記述されてはいないが、文脈から解釈すれば、日本が中国や朝鮮半島の近代化に貢献したということを主張したいのだろうと感じる。これが本当に「貢献」になったかどうかという点については異論を感じるところではあるが、その真偽については今は問うことなく、それが論理的な流れの中でどのような意味を持っているかを考えてみたい。この事実を語ることで田母神氏は、実は自らが抱いている「侵略」というものの概念について語っていると解釈できるからだ。
「侵略」という言葉の概念は、物理的な属性のように対象をよく観察すれば誰でも合意できるような属性として見出せるものではない。そこには様々な判断と評価が複雑に混在していて、その複雑な判断と評価に合意したときに初めて「侵略」という言葉の概念に対しても同じものを持つという合意が成立する。複雑な対象を表現する言葉はだいたいそのような性質を持っている。「数学」の定義は数学者の数だけ存在すると言われている。複雑な言葉はそれをどの視点から見るかで解釈が違ってくる。日本のかつての行為が「侵略」であるかどうかという判断は、「侵略」という言葉の概念によって判断が違ってくる。
もし「侵略」という言葉の定義をあらかじめ明確にしておいて、その定義に照らして現実がどうであるかという判断をしていけば、それはきわめて数学的・自然科学的なやり方になっていくだろう。だが、社会科学においては、そのような抽象的対象として設定したものが、必ずしも現実をよく反映しているとは限らない。定義を与えるために現実から何らかの抽象をしていけば、そのときに属性として捨てられるものが出てくる。この捨てられたものが実は本質的に重要だったということも、現実を対象にして考える場合は出てきてしまう。だから、社会科学的な考察では、最初に漠然と定義を語ることがあっても、その定義が本当に考察にふさわしいものであるかを常に考慮しながら論理を進めていかなければならない。定義は、現実の中での新発見によって修正される可能性がある。
そこで社会科学的な文章では、現実を語る中でふさわしい抽象というものがどのようなものになるかを語るという文章が多くなるだろう。田母神氏のこの部分もそのような解釈で受け取ることが正しい受け取り方ではないかと思う。日本が朝鮮半島や台湾に大学を作ったということ。そこで教育を受けた人々が、日本人と同等の扱いを受けて優れた軍人となったこと。またそこで尊敬を受けていた王族を尊重したことなど、これらの事実を語ることによって、このようなことがある「行為」は「侵略」に当たらないのだと、「侵略」の概念をこの事実の羅列によって示していると受け取れる。
田母神氏の「侵略」の概念がこのようなものである、つまり近代化とそれによる繁栄に「貢献」したということがあれば、それは「侵略」ではないという意味になると受け取れば、中心の主張である「我が国が侵略国家だったなどというのは正に濡れ衣である」ということへの論理的根拠を語っていると解釈できる。「侵略」という概念をこのように受け取れば、この論理の展開は論理としては正当であると言えるだろう。人間はものを考えるときは、論理に従わざるを得ないから、思考の展開を経て主張されたものには必ず論理的整合性を見つけることが出来るということの現れだろうと思う。その前提に疑問があったとしても、論理としての整合性は確認出来る。
さて論理の難しさは、論理の中での整合性が見つかっても、それだけでは個々の主張の正しさは出てこないということだ。論理の正しさというのは、命題という個々の主張の関係として成立する正しさであって、内容が捨象された形式的なものだ。だから内容の正しさを見るには、形式から内容へと踏み込んでいかなければならない。この場合でいえば「侵略」という概念(これが内容になる)が正当なものになるかという問題を考えなければならない。これを確かめるには、この概念が他の論理展開においても正しい結論を導くと言えるかどうかということを見なければならない。
田母神氏は、当時の欧米列強の植民地支配による「侵略」と日本の行為は違うものだという主張をしている。だから欧米列強の行為は、田母神氏が考える「侵略」の概念に相当するものとして論理的には帰結しなければならないだろう。果たしてそれはどうなのか。
高校の社会科の先生が歴史についてまとめたページがあったので、そこから「イギリスのインド支配」という文章に書かれたことを引用して考えてみたい。そこには次のように書かれている。
「イギリスは、英語教育の実施・イギリス的司法制度の導入・近代的な地租制度の採用・道路網の整備・鉄道の敷設などある意味ではインドの近代化を進めたが、これらはいずれもインドの植民地化を進めるための政策だった。
イギリス人はインドを遅れた社会と考え、これらを文明化することが使命であると考え、カースト制や不可触選民の惨状・幼児婚・寡婦の殉死と再婚禁止の風習・インド女性の地位の低さなどインドの「憂うべき」インド問題をなくするためにはインド人の道徳・習慣・思考法をヨーロッパ流に変えていかなければならないと考えた。」
この記述を読むと、イギリスがインドの近代化に「貢献」したことが分かる。現在のインドの経済発展は、インド人の英語能力の高さが「貢献」しているという。特に英語圏であるアメリカでのインド人の活躍はめざましいものがあるそうだ。コンピューター業界でのインド人の地位は他の国の追随を許さないという。それは英語の能力に負っているところが大きいという。イギリスのインド支配は、このようなところで現在の繁栄とつながっていると論理的には解釈できる。
田母神氏は、「イギリスがインドを占領したがインド人のために教育を与えることはなかった。インド人をイギリスの士官学校に入れることもなかった。もちろんイギリスの王室からインドに嫁がせることなど考えられない」と、イギリスと日本の違いを強調しているが、これは「侵略」という概念を考えるときに抽象されるべき属性となるのか、それとも捨象してもいいような事柄になるかの判断は難しいものだ。
田母神氏が「侵略でない」という判断をした要素を書き出してみると次のようにまとめられるだろうか。
1)その国の近代化に「貢献」した。
2)近代化による「繁栄」をもたらした。(具体的には人口の増加など)
3)大学を作り「教育」を整備した。
4)王室との血縁関係を作り関係を強化した。
「侵略」を否定する概念がこのようなものであれば、イギリスの行為は侵略だが、日本の行為は侵略ではないと結論できるだろう。しかしどうも違和感が残る。2の近代化と4の政略結婚のようなものがどうもうまくつながらないような感じがしてくる。本当にそのようなことが近代化になっているのだろうかというようなことだ。また近代化をするということの中に、実は「侵略」に通じる概念があるのではないだろうかという思いも感じる。
先のホームページには、近代化の目的を「インドの植民地化を進めるための政策だった」と評価している。近代化に貢献することは必ずしも「侵略」を否定することになっていない。むしろ
「しかし、このためにインドの伝統的な社会慣習や生活基盤が破壊され、インドの自給自足的な村落社会は崩壊した。そのため支配者の地位を追われた王侯貴族から、職を失った手工業者・重税の取り立てに苦しむ農民に至る広い階層にまたがるインド人の間にイギリスに対する不満と反感が広まっていった。」
と記述されているように、近代化することによって「自給自足的な村落社会は崩壊した」と言えるのであれば、それは支配される側が主体的に望んだものではなく、押しつけられたものとして近代化が「侵略」であったと言えるのではないだろうか。近代化に「貢献」するだけではそれが「侵略ではない」ということが出来ないのではないかと思う。「侵略」という概念に対する田母神氏との違いを感じるところだ。
田母神氏は、イギリスのインド支配を教育の面や王族との関係で評価したが、実は朝鮮半島や台湾での伝統的な村落社会の破壊を伴った政策が同じようにあったのではないだろうか。「創氏改名」などが非難されたのも伝統を破壊する面があったからではないだろうか。
田母神氏は自らの「侵略」の概念によってイギリスと日本の違いを導き出しているように見えるが、その違いを導く「概念」の抽象はあまり本質的なものには見えない。むしろ末梢的なところの違いから両者の違いを導いているように見える。本質的には両者が重なって見えてくる。田母神氏の論理展開だけでは、日本の行為が「侵略ではない」と主張するのは弱いのではないかと感じる。
宮台真司氏は、宮台氏自身もあの戦争を「侵略でない」と考えていると発言したり、「南京大虐殺はなかった」と思っていると語ったりしている。判断としては田母神氏と同じことになる。僕は宮台氏がどうしてそのように考えているのか、宮台氏が詳しく語ったものを見ていないので、そのように考えているということしか分からないが、宮台氏の他の議論の展開を見れば、かなり強力な論理でそれを展開しているだろうという予想はしている。
それに対して、具体的に書かれた田母神氏の論理は説得力において弱さを感じる。それは本質が抽出されていないように感じるからだ。論理としての体裁は整えてあるが、論点が末梢的なものになっているように感じる。それは、「侵略」というものが価値評価的に「悪」だと判断されるために、そのようにいわれることだけは受け入れられないという感情的な面が論理の展開の弱さにつながっているようにも見える。
竹内好のアジア主義に関する文章には、「そもそも「侵略」と「連帯」を具体的状況において区別できるかどうかが大問題である」というものがある。ある現象を一つの視点から見れば「侵略」に見えて、別の視点から見れば「連帯」に見えるということだろうと思う。それを「侵略」と呼べば「悪」であるけれど、「連帯」と呼べば「善」になるだろう。
「侵略」という言葉を価値評価の面を伴って判断すれば、それはどうしても感情面の「主観」的な見方が入り込むのではないだろうか。その「主観」を排して、価値評価抜きに「客観的」に「侵略」の概念を考えなければ、「侵略ではない」という判断の論理は強力にならないのではないかと思う。宮台氏はおそらくそのような論理展開をするのではないかと思う。僕が田母神氏への共感をためらうのは、この論理の弱さが原因しているのではないかと思う。宮台氏の強力な論理を知って、具体的に比べてみたいものだと思う。]]>
田母神論文の論理的考察 4
http://ksyuumei.exblog.jp/7740965/
2008-12-16T10:07:02+09:00
2008-12-16T10:07:57+09:00
2008-12-16T10:07:57+09:00
ksyuumei
論理
「張作霖列車爆破事件」は、日本の戦争拡大が「謀略」によるものであるということを主張するときの象徴的なものだと思うが、それは「謀略」であるということに関連しては重要だろうが、戦争全体が「侵略」であるかどうかという判断に関しては末梢的なものだと思われる。また「謀略」であるという考え方も疑問があるもので、日本はそれほどきめ細かな戦略を持って戦争が拡大したのではなく、偶発的な事件を利用して、いわばチャンスだから「やっちまえ」というような、あまり深い考えなしに戦闘行為に入っていったように評価する人もいる。戦争のイメージを左右する意味では象徴的だろうが、戦争全体の評価に関しては末梢的な部分ではないかと思う。
また、この事件が「コミンテルンの仕業」だとしても、その「謀略」を指摘して非難するのも、「謀略」に引っかかるほど頭が悪かったのだと告白しているようで、戦争の指導者に当たる防衛省航空幕僚長空将としてはふさわしくないのではないかと思う。戦争においてスパイが活躍するのは当然のことで、相手の情報を得て戦争を有利に持って行こうとする「戦略」は常に考えなければならないだろう。それが「謀略」と呼ばれるようなものであっても、道徳的には非難されるかもしれないが、味方を有利に導いていれば味方にとっては賞賛されるような行為になるだろう。相手が「謀略」を仕掛けてきても、それを上回る優れた戦略で対抗することこそが戦争の指導者に求められることだろう。
もし「張作霖列車爆破事件」が「コミンテルンの仕業」だとしても、それに対してどうして戦争の「不拡大方針」に反して当時の関東軍が戦闘行為を始めてしまったのか。挑発に乗せられていたのなら、どうして乗せられてしまったのか。それとも、いいチャンスだから拡大しちゃえ、というふうにあまり考えなしに戦闘を拡大してしまったのか。その後の展開の不利益を考えるとここに長期的な戦略があったとは思われないだけに、戦争の指導者としてはこの部分をこそ深く議論しなければならないのではないかと思う。これは、後の部分でアメリカの挑発に乗せられて開戦したことが語られているので、その部分にも通じる論理展開ではないかと思われる。
論理的な帰結で僕が重要だとして注目したいのは、
「日本だけが侵略国家だといわれる筋合いもない。」
という主張だ。これを、論理的な主張としてもっと明確に表現すれば次のようになるだろう。
「<日本は侵略国である>かつ<侵略国は他にはない>、という命題は誤りだ。」
この「かつ」で結ばれた命題を否定すると、論理学のド・モルガンの法則により
「<日本は侵略国ではない>または<侵略国は他にもある>が成り立つ。」
この命題は「または」でつながれた二つの命題が少なくとも一つ成立すれば正しくなる。両立してもいい。そうすると「当時の列強といわれる国で侵略国家でなかった国はどこかと問いたい」という言葉から、「当時の列強といわれる国は侵略国である」という主張を読み取るなら、日本の他に侵略国があるわけだから、上の「または」でつながれた命題は正しいと言える。
つまりここの論理の流れから
「日本だけが侵略国家だといわれる筋合いもない。」
と主張するのは、論理的に正しいと言える。しかも、この前提である「当時の列強といわれる国で侵略国家でなかった国はどこかと問いたい」という言葉から読み取れる「当時の列強といわれる国は侵略国である」という判断にも僕は賛成できる。従ってこの結論の正しさにも賛成できると言える。
この結論に関して合意できるということが何を意味するかということは間違えやすい部分があるので気をつけなければならない。この主張に合意したからといって、ここから「日本は侵略国家ではない」という結論が出てこないからだ。「または」という論理語でつながれた命題は、そこでつながれている一方の命題の成立だけが、その「または」の正しさにかかわっている。つまり、一つが正しいことが確認出来れば、もう一つの正しさに関係なく正しいと言えるわけだ。
ここでは<侵略国は他にもある>ということの正しさが確認出来たので、「または」の命題の正しさが確認出来た。このとき<日本は侵略国ではない>という命題は、成立してもいいし成立しなくてもどちらでもいいことになる。この命題の正しさだけでは<日本は侵略国ではない>という命題の正しさが引き出せない。
田母神氏の主張の核心は「我が国が侵略国家だったなどというのは正に濡れ衣である」ということだろうと思う。そうであれば、その主張に直接かかわってこない「日本だけが侵略国家というわけじゃない」という主張は、本質を外れた末梢的なもののように感じる。だがこの主張をここに入れたかった感情的な部分は理解できるような気がする。論理としては末梢的だったが、感情(心情)としては本質的な部分を持っていたのではないかと思う。
日本人的な感覚の中には、行為を結果で判断するよりも、その志の高さで評価する気分が大きいように感じる。よかれと思って努力したことなのだから、たとえ結果において失敗しても、その志の高さを評価すべきだという心情だ。戦争における玉砕戦法などは、戦闘行為の合理性からいえば評価できなくても、その志の高さが多くの日本人の感動を呼ぶほどの高い評価を与えているのではないかとも思う。
日本の中国大陸への進出も、その志の高さは、侵略行為を繰り返す当時の列強に対抗するためであって、アジア全体のために戦っているのだという正義があったと感じていたのではないだろうか。だから、列強は傲慢な植民地主義の元に「侵略」をしているけれども、日本は同じような「侵略」国ではないという思い(心情)があるのではないか。その心情はぜひ述べておかなければならないという感情面が、論理的には日本の「侵略」を否定するものではない、この部分の論理展開を挿入させたのではないかと思う。
この主張の後の文章では、日本の行為がいかに列強のものと違っているかが述べられている。論理的には、この部分の展開によって日本の行為は「侵略」ではないという主張を論証するものになっているだろう。論証については重要なのはこの部分であって、その前の「日本だけ」の「だけ」を否定することは、主張の本質にとっては重要ではない。ここは感情という「主観」が強く出てきている部分ではないかと思う。
さて、日本の統治が当時の列強といかに違うかということを述べた部分は、果たして日本の行為が「侵略」ではないという主張を論証するものとなっているだろうか。それを論証だというためには、「結果的に繁栄した」ということが「侵略」だということの否定になるかどうかという判断に賛成できるかどうかが必要だろう。僕はこれには躊躇する。「結果的な繁栄」と「主権の侵害」を伴う利権の独占は両立するものであり、「主権の侵害」という判断が「侵略」であるかどうかにかかわってくるのではないかと思われるからだ。
田母神氏はここの部分の主張を展開する段落で
「実際には日本政府と日本軍の努力によって、現地の人々はそれまでの圧政から解放され、また生活水準も格段に向上したのである。」
という主張をしている。この部分が説得的に論証されるなら、日本の行為が「侵略」ではないということも説得力を持っただろうと思う。むしろアジア主義の理想を実現したのだと胸を張れるようなものになるだろう。
田母神氏は、この主張の後に、日本が行った政策を述べ、朝鮮出身の軍人のことを語ることによって、日本の統治の正当性を論証しようとしているように見える。これは確かにそのような事実があっただろうと思う。日本を好意的に受け止めた人々もいたに違いない。しかしこの事実は、もう一方では激しい抗日運動という抵抗の事実と対比させて理解しなければならないのではないかと思う。
結果的に日本は戦争に負けて、抵抗勢力に負けたと言えるのではないだろうか。日本人の感覚では「アメリカに負けた」という感覚が大きいのかもしれないが、実質的には連合国に負けたのであって、中国やアジア諸国の抵抗勢力に負けたと受け取らなければならないのではないかと思う。
この抵抗には「ナショナリズム」というものが大きな要素を占めているのではないかと思われる。中国でも、それまでの支配者の軍隊であった国民党軍は全く日本の敵ではなかったが、人民軍である毛沢東の八路軍のゲリラには日本は悩まされたという。これは、「ナショナリズム」の高揚によって生まれた抵抗者が戦闘において職業軍人よりも有効な戦果を上げたということだろうと思う。そしてまた、そのような「ナショナリズム」の高揚をもたらしたのは、もし日本の統治が田母神氏が語るような理想的な面を持っていたとするなら、「ナショナリズム」の高揚とどのような関係を持っているかを整合的に説明しなければならないだろう。すべてが中国共産党の「謀略」だといってしまうのは、あまりにも単純に受け取りすぎる。
この「ナショナリズム」は、ベトナム戦争における解放軍が抱いていたものに通じるのではないかと思う。この「ナショナリズム」が原動力となって、軍事的な力では圧倒的な違いがあるにもかかわらず、ベトナムはアメリカを追い出すほどの強さを見せた。本多勝一さんなどは、このことは「侵略国」の弱さを露呈した事実だと解釈していたように思う。
日本の行為が「侵略」ではないと主張するのは、心情的には理解できるが、あまり生産的な方向へ向かわないのではないかと思う。むしろ、それは結果的には「侵略」と同じになってしまったということを反省して、どうして志の高さが正反対への結果と導かれていってしまったのかということの、論理的な理解を図ることの方が実りが大きいのではないだろうか。その方がアジア諸国の理解も得られ、今後に生産的な関係を築く可能性を大きくしてくれるのではないかと思う。単に謝るのではなく、失敗したことの原因を整合的に理解する方向の論理(思考)の展開が必要なのではないかと思う。]]>
田母神論文の論理的考察 3
http://ksyuumei.exblog.jp/7733506/
2008-12-13T11:14:23+09:00
2008-12-13T11:15:18+09:00
2008-12-13T11:15:18+09:00
ksyuumei
論理
「我が国は蒋介石により日中戦争に引きずり込まれた被害者なのである。」
この文章も、「判断」を示す「で」「ある」という言葉が使われている。この主張においては、「被害者」という言葉をどう解釈するかが問題になる。僕はこの言葉に込められた意味を、「主体的な選択をしたのではない」「そうせざるを得なかった」というニュアンスで受け取る。そうすると、この言葉からは「戦争の結果における日本の責任は大部分は免除される」という結論が導かれるのではないかと思っている。犯罪における「被害者」の位置づけもそのようになっているのではないだろうか。
さて、この結論に至る論理の流れを田母神氏の文章から拾ってこよう。それは次のように並べられるものだと思われる。
1)「日本軍に対し蒋介石国民党は頻繁にテロ行為を繰り返す。」(事実)
2)「邦人に対する大規模な暴行、惨殺事件も繰り返し発生する」(事実)
3)「これは」「とても許容できるものではない。」(主観的判断)
(田母神氏は、「現在日本に存在する米軍の横田基地や横須賀基地などに自衛隊が攻撃を仕掛け、米国軍人及びその家族などを暴行、惨殺するようもの」というような比喩による想像で、この事実との類似性を語り、この想像が「許容できない」のであれば、当然1,2で語られている「事実」も「許容できない」だろうと、「主観的判断」の合意を求めている。これが「主観的判断」であると考えたのは、その前提を認めてもなお違う感覚を持つ可能性が論理的にはあるからだ。前提を認めれば、誰もが結論を認めなければならないものだけを「論理的判断」と僕は考える。)
4)「これに対し日本政府は辛抱強く和平を追求するが、その都度蒋介石に裏切られるのである。」(事実)
(ここでは、「で」「ある」という言葉が使われているにもかかわらず、これを「判断」ではなく「事実」として受け取った。これは「裏切られるのである」という言葉を、過去の事実を表す「裏切られた」という言い方に変えても、それが正しいかどうかの判断を客観的にすることが出来ると考えたからだ。ここの「で」「ある」は、それが「事実」だという判断を強調する言葉として捉えた。「日本政府は辛抱強く和平を追求する」という言葉に対しては、客観的な「事実」であるかどうかという問題は残るが、これを「判断」として考察すると、「判断」の構造が複雑になるので、とりあえず「事実」として受け取っておく。)
5)「蒋介石はコミンテルンに動かされていた。」(事実)
(これは観察による「事実」ではないが、田母神氏が述べているいくつかの「事実」から論理的に帰結されるという意味での「事実」だと解釈した。これは本質的には「判断」と呼ぶべきだろうが、4と同じ理由で、「判断」の構造が複雑になるので、とりあえず「事実」として捉えておく。文章の順番としては逆になるが、次の6によって「コミンテルンの手先」が国民党軍を「動かしていた」という論理的前提から、5の結論が導かれる。これを「事実」から導かれた「事実」だと考える。)
6)「1936 年の第2 次国共合作によりコミンテルンの手先である毛沢東共産党のゲリラが国民党内に多数入り込んでいた。」(事実)
7)「コミンテルンの目的は日本軍と国民党を戦わせ、両者を疲弊させ、最終的に毛沢東共産党に中国大陸を支配させることであった。」(事実)
(これは、コミンテルンの目的を記述した文書などがあれば、客観的事実として確立するだろう。今の僕には確かめる情報がないが、とりあえず「事実」だとして受け取っておく。)
8)「我が国は国民党の度重なる挑発に遂に我慢しきれなくなって1937 年2
8 月15 日、日本の近衛文麿内閣は「支那軍の暴戻を膺懲し以って南京政府の反省を促す為、今や断乎たる措置をとる」と言う声明を発表した。」(事実)
(この文章の前半部分の「我慢しきれなくなって」というところは、客観的にそうだということを誰もが認めるというものにならないので、田母神氏の主観を表明したものとして受け取った方がいいだろう。しかし、後半部分の「声明を発表した」という部分は、それが実際にあったかどうかを客観的に確かめることが出来るので「事実」に当たると考えていいだろう。これも今の僕は実際に確かめてはいないが、とりあえず「事実」だと受け取っておく。)
以上のような前提から「日本は被害者だ」という判断が導かれてくる、というのが論理的な流れになるだろう。日本がとった道が、「そうせざるを得なかった」という主張になるのは、8の前提にあるように「我慢しきれなくなって」という「主観」の作用が大きい。もし「我慢しきれない」のではなく、むしろ日本の側が中国側(国民党軍やコミンテルン)を挑発して、中国側に「そうせざるを得なかった」ような行為をさせたのであれば、日本は被害者ではなく、主体的な選択をしたことに責任を持つものとなる。
これはなかなか微妙な判断だ。日本が持っていた強大な軍事力や、それを育てた明治以降の日本人の優秀性を考えれば、強大な軍事力の自信を背景に策略を巡らして中国側を挑発したのだと考えたくもなってくる。それが結果的にうまくいかなかったということはあるが、その失敗に対しては、優秀さを示した方が責任を負わなければならないだろう。かつての日本が優れた国であると思いたい心情があると、ここでは田母神氏の主張に反対したくなる。日本は「被害者」ではなく、主体性を持っていたのだが、その考えが不十分で見通しを誤ったのだと理解したい気になってくる。
田母神氏のように「日本が被害者だ」と考えると、テロや挑発はすべてコミンテルンの策略であり、責任はコミンテルンにあることになる。しかしそのように考えることは、コミンテルンの策略に日本も蒋介石の国民党軍も踊らされていたという「判断」を伴わなければならないだろう。この「判断」には、コミンテルンがそれだけ優秀さを持っていたという「判断」も含まれる。
この「判断」にも賛成したい気持ちが僕の中にはある。それは、日本軍というものが、ある時点から全く論理的な判断をしなくなったように見えるからだ。玉砕戦法などは、その後の戦闘に対する戦略が何もなく、きれいに散って気分がすっきりすればいいだけというようにも感じる。宮台氏の言葉で言えば、フィージビリティスタディというものが全くなされていなかったのが日本軍だと言えるだろう。このような戦闘をすれば、結果的にどのような戦果があり、どのような犠牲があるか、ということを冷静に考えるだけの優秀さがなかったように感じる。メンツが守られれば死をもいとわないという感情はあるものの、多くが無駄に死んでいったようにも感じる。
論理的にものを考えない日本軍であれば、何らかの戦略を持っていたコミンテルンに手玉にとられたとしても、それは仕方がないことのようにも見える。そのような意味では、田母神氏が語っているように、戦争の結果が裏目に出たのはコミンテルンの責任が大きく、「日本は被害者だ」という言い方が正しいような感じもする。
ここでの田母神氏の主張は、論理的な流れはあるものの、そこに「主観的判断」が伴っているので、これに対しては論理の前提を認めて賛成するという論理的態度よりも、その主観に共感して、「そう感じる」という気持ちの賛成の態度が生まれるかどうかという現象の方が見られるのではないかと思う。コミンテルンの策略に対して、正義を貫いた日本がどうして悪く言われなければならないんだ、という憤りを感じるならば、気持ちの上での共感が生まれてくるのではないだろうか。
日本軍に正義があり、日本軍の行為は、コミンテルンのテロなどの残虐行為の報復としてあるのだから正当であると思えば、非難されるべきはコミンテルンであり、「日本は被害者だ」ということになるだろう。この主張を受け入れるかは、その心情において共感するかどうかにかかわっているように思う。
僕は、この主張に関しては田母神氏への共感はない。むしろ、日清・日露の戦争における日本軍の戦略の優秀さや、その規律の正しさのすばらしさが、日中戦争においてはどうして失われてしまったのかということの方が気になる。確かに、日本軍は中国側に翻弄されて冷静な判断を失い、その後非難されるような行為をしてしまったように感じる。だが、これは「被害者」だから相手が悪い、と相手に責任を転嫁できるようなものではなく、冷静で論理的な判断を失っていった日本の側に大きな責任があるものだというのが僕の感性だ。「被害者」であることに憤るよりも、優秀さを失っていった失敗の原因を追及することの方が大事だというのが僕の考えだ。
クリント・イーストウッドが撮った映画「硫黄島からの手紙」では、硫黄島での司令官・栗林中将の優秀さが描かれていた。戦いそのものは絶望的な前提で、全滅することが確実であったにもかかわらず、その条件の中では最高の戦果を上げたものとして語られている。太平洋戦争のさなかでも、戦略の優秀さを示す人間はいたのである。
しかし、本来もっと優秀さを示すのであれば、硫黄島で玉砕することを選ぶのではなく、犠牲を最小限にとどめ、その後の反撃につながるような戦略を選ぶべきだっただろう。それが出来なかったというのは、日本軍の優秀性が、どこかで狂ってしまったのだと考えざるを得ない。それがどこなのか、それがなぜなのか、それこそが軍事的な論文で語られなければならないのではないかと思う。
田母神氏の論文でのこの部分は、田母神氏の憤りと心情がよく語られてはいるものの、問題がより本質的なところへ行くようにはなっていないと感じる。気持ちは分かるけれど、それは同じ感情を有する人間にしか共感されないのではないかという気がする。これでは、敵と見なされる相手とは決して建設的な関係を結ぶことが出来ない。敵とは殺し合うだけしかないのだろうか。敵と理解し合うことが、感情の回復にも必要なのではないだろうか。このような発想では、いつまでも憤る感情を引きずりそうな感じがする。
しかし、田母神氏のこのような感情が共感を呼ぶとしたら、それはかつて日本軍が失敗に落ち込んだ構造がまだ日本社会に残っているのではないかという疑いを感じさせるのではないかと思う。コミンテルンの挑発に乗って、「耐え難きを耐えてやってきたのに」という気持ちが爆発したとき、挑発する相手よりもさらにひどいことをしてしまうという結果を導くという失敗を繰り返すのではないか。相手が挑発してきたときにこそ冷静な判断で対処し、相手よりも優れた戦略で対処することが必要なのではないだろうか。そうでなければ失敗が教訓として生かされていないような気がする。
現在の北朝鮮外交を見ていると、北朝鮮の挑発に対して、日本は強い憤りを表明するだけで、冷静な戦略を示すようなことをしていないように見える。相手がひどいやつに見えるときこそ、冷静な戦略を考える、かつての日本の優秀さを取り戻す必要があるのではないだろうか。田母神氏のここでの主張は、心情的には分かるが、上のような理解から僕には賛成することが出来ないし、共感することも出来ない。]]>
田母神論文の論理的考察 2
http://ksyuumei.exblog.jp/7731158/
2008-12-12T10:16:22+09:00
2008-12-12T10:03:01+09:00
2008-12-12T10:03:01+09:00
ksyuumei
論理
「現在の中国政府から「日本の侵略」を執拗に追求されるが、我が国は日清戦争、日露戦争などによって国際法上合法的に中国大陸に権益を得て、これを守るために条約等に基づいて軍を配置したのである。」
この文章が「判断」を語っていると解釈したのは、文章の終わりに「で」「ある」という「肯定判断」を示す助動詞が使われているからだ。これは「判断」を直接言葉によって表現している。文脈から、何らかの「判断」をしていると解釈できるのではなく、「判断」そのものが直接表現されていると考えられる。
この「判断」が提出される前段では、軍隊の駐留の正当性を「二国間で合意された条約」に求めている。従って上の文章の主張を文脈からも考えると、中国政府の言う「日本の侵略」は、「二国間で合意された条約」という合法的な行為の元でなされたのであるから、という根拠の元に「侵略」だという指摘が間違っているのだという主張につながる。この「で」「ある」の「判断」は、日本軍の中国駐留が「合法的で正当」だということの「肯定判断」としてここで語られていると解釈できる。
さらに言えば、次の文章で「昔も今も多少の圧力を伴わない条約など存在したことがない」という普遍的「事実」を根拠に、「圧力の存在」すなわち「主権の侵害」が合法性に疑問を投げかけるとしても、そのようなものは常に存在していたものであるという理由から捨象できると「判断」している、と文脈上は受け取れる。これを捨象しないで、「圧力をかけて結んだ条約は無効だ」と判断するなら、すべての条約の合法性は失われる。「圧力を伴わない条約」などないからだ。従って、条約の正当性を主張するためには、「圧力をかけるほどの力を持つことが条約の正当性を確保する」という暗黙の前提が必要になるだろう。これは、条約の正当性というものを、道徳的なものとして解釈するのではなく、実効的なものをもたらす根拠と考えるなら、歴史的にはそのようなものだったとする判断も肯定されるのではないかと思う。
以上をまとめれば、「日本軍の中国駐留は正当である(すなわちそれは侵略ではない)」という判断が論理的な結論として導かれるための論理展開の流れは次のようになるだろうか。
1)二国間で合意された条約には正当性がある。(仮定)
2)圧力を伴わない条約は歴史上存在しなかった.(事実)
3)合意された条約にも必ず圧力が存在する。(2の事実から導かれる)
4)圧力によって結ばれた条約にも正当性がある。(1の仮定によって正当性は確保されているので、圧力の存在という事実はその正当性に関係ない)
5)中国との条約は軍事的圧力によって結ばれた。(事実)
6)中国との条約は合意に基づいて結ばれた。(事実)
7)中国との条約は合法的な正当性がある。(5,6の事実と、4で導かれた判断から帰結する)
8)条約によって合意された行為を行うことには正当性がある。(仮定)
9)日本軍は中国との合意された条約に基づいて駐留していた。(事実)
10)日本軍の中国駐留には正当性がある(すなわちそれは「侵略」ではない)。(9の条約が合意のものであったという事実と、1と8を仮定して得られる論理的帰結を根拠にして導かれる)
論理の展開を仮言命題として考えると、究極の出発点になる前提に対しては、それは他のことから導かれることがないものになる。途中で現れるものなら、それはそれ以前の前提から導かれるということが考えられるが、最初の出発点はそうはいかない。従って、仮言命題を考える限りでは、どうしても「仮定」として設定しなければならない事柄が出てくる。そのような考えから1と8を仮定として設定して論理の流れを考えてみた。
この仮定の選び方は、数学における公理系の設定の仕方に似ているのではないかと思う。それは結論を導くために必要なものとして設定されるが、具体的に何を設定するかは自由に選べる。従って、他の仮定を設定して、その仮定から上記で設定したものが導けるようにすることも可能だろうと思う。その意味で仮定の選び方には恣意性がある。だが、それが論理の流れを作っているということが重要だ。最終的な結論が導けるように仮定を調節するという視点で仮定を選ぶ必要があるだろう。また、その仮定は前提として置くのに合意できるような、無理のないものである必要もある。ご都合主義的な、結論を導くのに都合がいいという理由だけで選ばれている仮定なら、それはなかなか合意してもらえないだろう。
そのようなことを考えると、上で設定した二つの仮定
1)二国間で合意された条約には正当性がある。(仮定)
8)条約によって合意された行為を行うことには正当性がある。(仮定)
は、言葉の上だけで考えるなら合意できるような内容になっているものと思われる。しかし、この「合意」の中に「圧力を伴う」ものも含まれるとなると、それに賛成できない人もいるのではないかと思う。果たして「圧力を伴う」ような「合意」は不当なものだろうか。
これは、法的に権利が認められているような制度のもとで、圧力をかけて結ばれた契約があったとしたら、それは正当性があるとは言われないだろう。だから、問題は国際関係の元での制度が、果たして法治国家の元での制度と同じように見なせるかどうかということになるのではないかと思う。
法治国家の元では、国家権力という個人を超えた強大な力が、契約において圧力をかけたものを排除する力を与える。そのような圧力をかける個人を超えた力で国家権力がそれを排除するように働く。合意というものを、主体的意志によって合意するというものだけに正当性を認めるように働く。合意の中に、「圧力を伴う」ものが含まれない。
それでは国家間の条約についてはどうだろうか。国家を超えた強大な権力が、その条約の主体的意志を保障するような働きを持っているだろうか。そのようなものは、国家という存在の間にはない。最も強大な軍事力を持った国が、ある意味では恣意的に行うような行為が許されている。というよりも、誰もそれに逆らえないといった方がいいだろうか。現在のアメリカ合衆国の軍事力の行使に、他の国が反対したとしてもそれを阻止することが本質的には出来ない。
国家間の行為に関しては、力(軍事力)の強い国が自分の意志を貫徹するというのが歴史の事実だった。明治の日本政府も、そのような国家間の状況を理解して「富国強兵」という目標を掲げて軍事力の増強を図ったのだろうと思う。そしてそれはある程度成功したとも言える。
国家間の意志のぶつかり合いは、軍事力の裏付けがなければ、倫理や道徳あるいは論理によっては正当性が確保できないというのが今までの歴史であり、国家を超える強大な権力がないという状況では理屈でもそういわざるを得ないのではないかと思う。国連はそのような存在となっていないからだ。
そのようなことを考えると、田母神氏が、圧力を伴う条約のことを、そんなことは問題ではないと感じるのは軍人としてのごく普通の当たり前の感覚ではないかと思われる。問題は、圧力をかけられて条約を結ばざるを得ないほど弱い国家であったということに自己責任があるのだという考えではないかと思われる。これは軍人としては当然の感性であろうし、だからこそ強い国を作らなければならないという使命感にも通じるものだろう。
ここで考察した田母神氏の論理展開は、軍人としては当然の仮定を含んでいて、その仮定を選びたくなる心情は、また軍人として当然の感性でもあると考えられる。この感性に共感する人は、この論理に共感したくなるのではないだろうか。つまり、仮定の選び方に賛成したくなるのではないかと思われる。
僕自身も、国家における条約に関する判断は、やはり国家を超える強大な権力が存在しない以上田母神氏が語るような面があるのを認めざるを得ないと思う。しかし、そうであるからといって、圧力をかけて、自分に有利な条約を結ばせることが国家として今でも正しい道だという感じはしない。今は時代が違うのではないかという思いを抱いている。むしろ、今の時代においては、力(軍事力)によって圧力をかける関係になってしまえば、双方の国家が共倒れになる可能性が高いのではないだろうか。かつては、西欧先進国と遅れたアジアの国とでは、国家としての力に歴然とした違いがあったので圧力をかけてでも条約を結ぶことに国益があったかもしれない。しかし、今の時代にそのようなことをすれば、簡単に相手を制圧できるような力は、もはや世界一の軍事力を持っているといわれるアメリカにもそんなものが無い。
田母神氏が、過去の戦争に対してこのような思いを抱くのは、その評価が自分たちを不当におとしめているという感情的反発を生むので仕方がないとしても、これからの国際関係においては、その過去の考えがそのまま通用すると考えるのは間違いではないかと思われる。むしろ、これからの国際関係は、自国の利益を図るために、相手国にも利益となるようなものを発見して交渉していくことが重要だろう。宮台氏の言葉で言えば「Win-Win(双方が勝利するという意味)」の関係を作ることが重要になるだろう。
田母神氏の論理展開は、心情的には理解できる感じがする。しかし、今この時点で防衛省航空幕僚長空将という立場の人間が語ることとしてふさわしいかという問題を考えると、それは間違いであるように感じる。それは、もはや簡単に圧力をかけられなくなった相手であるアジア諸国に対して、また同じように圧力をかけてその上に君臨したいという意志を日本が表明していると誤解される恐れがあるのではないかと思う。かつての日本の行為が、日本だけがひどく言われることに憤慨するという心情的な問題はあるだろうが、それを今そのまま表現することは間違いだったのではないかと感じる。これは論理的な間違いではないが、戦略的な間違いではないだろうかと思う。
日本政府が語る公的見解は、少なくともアジア諸国とは双方の利益を図りたいという意思の表明として国際的には発しているものだろう。だからこそ過去の戦争のある面を否定するのだと思う。それに対して、日本政府が否定している部分を肯定的に主張する田母神氏の論文は、その立場から言えば決して語ってはいけない言葉だろう。もしそれを語りたいならば、今の立場を離れてやるべきだというのが、宮台氏が語る、田母神論文の本質的問題なのだろうと思う。それは国益を損なうのだと思う。]]>
田母神論文の論理的考察 1
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2008-12-11T10:15:25+09:00
2008-12-11T10:16:20+09:00
2008-12-11T10:16:20+09:00
ksyuumei
論理
宮台真司氏によれば、田母神論文の問題点は、防衛省航空幕僚長空将という立場にいる人間が、公的に発した発言が、政府の公的な見解と異なっているところに本質があるという。もし言論の自由ということで意見表明をしたいのなら、その立場を離れて自由な私人として主張すべきだというのが宮台氏の評価だった。あのような意見を表明したいのなら、防衛省航空幕僚長空将をやめてからやってください、というのが宮台氏が語っていたことだった。それがシビリアンコントロールからの見解だという。これはもっともなことだと僕も思う。
宮台氏によれば、田母神論文の問題は、論文の中身の問題ではなく、このようなそれが発表された状況の問題だという。だが、僕はこの論文の中身もちょっと考えてみたい気がしている。それは、「朝まで生テレビ」でこの論文について議論したところ、放送終了後のアンケートでは60%ぐらいの人がこの論文に共感していたという結果が出ていたということをどこかで見たからだ。この共感の多さと、論文の中身との関係について考えてみたいと思った。この共感の多くは心情的なものであり、論理的なものではないだろうと僕は感じる。つまり、論理的に正しいからそれに共感するというものではなく、心情的にそれを好む傾向が日本人の中にあるということの現れだと思う。それは僕自身の中にもあるものかもしれない。この心情を論理によって理解したいと思う。
論理的にはたぶん間違っているだろうけれど、心情的に共感を感じる経験というのは僕にもある。それをはっきりと自覚しているのは、「ゴッドファーザーパート1」の映画を見たときの感動だ。「ゴッドファーザー」の主役はマフィアと呼ばれるギャングだ。彼らは違法行為をし、しかも残虐な殺人を行う、弁護の余地のない人間たちだ。しかし、彼らの家族を思う強さと、家族のためには命がけで行動をするというその心情に僕は感動する。おそらく多くの男たちもそのように感じるだろうと思っている。
宮台氏は、人間社会のルールとして「人を殺すな」というものはないけれど、「仲間を殺すな(守れ)」と「仲間のために敵を殺せ」というルールがあると語っていた。「ゴッドファーザー」の中のマフィアはこのルールを厳しく守っている。外国映画で描かれたものなのに、日本人である僕にも共感と感動を呼ぶこの表現は、おそらく男という種類の人間に共通している心情ではないかと思う。田母神論文が多くの人の共感を呼んだというのも、このような心情に訴えたのではないかという感じがする。「朝生」を見ている人間はたぶん男の方が多いのではないかと思う。そして共感を寄せた人間たちも圧倒的に男が多かったのではないかと思う。
そこで田母神論文の中身において、論理に訴える判断の部分と、心情に訴える主観を表現する部分を比較しながらその訴えの効果というものを考えてみたいと思った。「事実」と「判断」と「主観」という3種類のものは、きれいに分けられるものではなく、解釈によって「事実」の羅列が「判断」を語っているようにも見えるところがあるかもしれない。直接「判断」の言葉がなくても、その「事実」を追っていけば、当然このように考えるだろうというような結論が導き出せるときは、それは論理による「判断」だといってもいいだろうと思う。
論理的な「判断」については、共感というよりもその論理展開の正しさが読み取るときの主題になる。「主観」の表現については、感性としてそれに共感できるかということを考えたい。「事実」については、それが本当に「事実」であるかどうかが確かめられれば望ましいのだが、僕にとって専門外のことはなかなかそれが難しいものもある。だから「事実」についてはその真偽については評価せずに、とりあえずその「事実」が正しいという前提で論理の展開を見ていこうと思う。つまり、論理的判断を「仮言命題」と考えて、論理の部分の正しさのみを考えていこうというわけだ。その前提の正しさを認めれば、結論している「判断」も必ず認めざるを得ないような論理が展開されているかどうかに注目したい。
まず、田母神氏が「事実」を語っていると思われる部分を引用して、僕が何を「事実」だと受け取るかということを説明しよう。僕は、次のような表現を「事実」だと判断する。
「アメリカ合衆国軍隊は日米安全保障条約により日本国内に駐留している。」
この表現で語られている内容は、観察によってそれが確認出来る。つまり対象として存在しているものの属性として語ることが出来る。従って、この表現が正しいかどうかは、その対象の属性がこの表現に語られているようなものであるかどうかという客観的な対応を見ることで確かめられる。そのようなものを僕は「事実」と判断する。ここで語られていることは単純なことなので、これが「事実」であることは僕にも分かる。専門的な知識を必要としないからだ。
これに対して次のような表現
「これをアメリカによる日本侵略とは言わない。」
というものは「判断」であると僕は受け取る。「侵略」というものが属性として観察できるものではないと考えるからだ。また、これを「判断」という論理的な帰結だと考えるのは、この後にこの「判断」が導かれた根拠が語られているからだ。もし根拠なしにこの「判断」だけが唐突に語られていれば、これは文体という形式としては「判断」のように見えるが、内容としては「主観」を表現しているものだと受け取る。根拠を伴わない意見表明は「主観」の表現であると受け取るわけだ。
この「判断」の根拠を引用すると、次のものであると考えられる。
「二国間で合意された条約に基づいているからである。」
これが「判断」の根拠であるということは、「から」という理由を語る言葉が使われているところからそう考えた。これを論理としての「仮言命題」の形に書くならば次のようになる。
「二国間で合意された条約に基づく行為である」(前件)
↓(ならば)
「アメリカによる日本駐留はアメリカによる日本侵略とはいわない」(後件)
この仮言命題は、前提になる部分がある暗黙の了解を含んでいるように思われる。論理として分析する場合は、そのような暗黙の前提もすべて「前件」の中に含めなければ論理としての正当性を判断することが出来なくなる。そこで、「後件」である結論が必ず導けるような形に整えるために暗黙の前提を探してみよう。次のようになるだろうか。
・「侵略行為」の判断に関して、主権の侵害などの要素は捨象して考える。(つまりそのようなことがあったとしてもその「事実」は無視する。)
・「侵略」の判断は、「二国間で合意された条約に基づく行為」であるかどうかだけを基準とする。(条約に基づく行為であれば「侵略」ではない)
・アメリカ軍の日本駐留は、日本とアメリカの二国間で合意された条約に基づく行為である。
(ここまでが「前件」としての前提。このすべてが成り立つことを「前件」とする)
↓(ならば)
「アメリカによる日本駐留はアメリカによる日本侵略とはいわない」(後件)
このように前提を整えれば、一応前提を認めたときには必ず結論を認めざるを得ないという論理展開になっているのではないかと思う。この論理展開の正しさは、前提の正しさには関係ない。前提が間違っていたとしても、この論理であれば、それは論理としては正しいと言える。
この前提に疑問を持つ人が正しさに疑問を持つのは、論理の正しさではなく結論で主張されていることの真偽という正しさの方である。例えば、「侵略」の判断に「二国間で合意された条約に基づく行為」ということだけを基準に置くことに疑問を持つ人は、主権の侵害などの、無理矢理押しつけた条約による行為が正しいものではないというような異議を唱えるだろう。つまり、主権の侵害などを無視することに賛成できないだろうと思う。
このように前提の中に否定したくなるようなものがあれば、その前提を置くこと自体に反対することになるので、その人はこの結論に反対したとしてもそれは論理的には間違っていない。論理的に言えることは、前提のすべてを認める人は、その結論も受け入れなければならないということだ。前提をすべて認めるにもかかわらず、結論は気に入らないという人は、論理に従った思考をしていないことになる。しかし前提の中に一つでも認められないものがあれば、その人が結論を受け入れられなくても論理的には間違いではない。論理というのはそういうものだ。
僕も、この論理はあまりに単純すぎると思うので、「侵略」というものについてもう少し説明がないと、この判断については受け入れがたいものを感じる。「侵略」という行為があったかどうかは、もっと多様な面を考察の中に入れて判断すべきだろうと思う。
田母神論文は、一応論文の形をとっているので、その文体としては論理の展開をしているように見える文体が多い。しかし、上で考察したように論理の前提に暗黙に了解している事柄をおいているように受け取れるようなものが多い。結論を導くための前提が不足していて、根拠の提示が不十分であるのを感じる。これを根拠のない主張として受け取れば、論理の展開のように見えるものが「主観」の表明として受け取れるようにもなる。
田母神氏は、アメリカの日本駐留が侵略ではないことの類推として、日本軍の中国駐留も侵略ではないという方向へ論理を展開していこうとしているが、これが根拠が弱い主張であると受け取られると、それは田母神氏がそう「思っている」だけだと、田母神氏の「主観」ではないかと理解されるのではないかと思う。
田母神氏の論文は、日本軍の行為が「侵略ではない」ということを客観的に示すことが目的ではないかと思う。その客観性が不十分で、それが主観的な見解にしか見えなかったら、その目的は論理的には達成されていないということになるだろう。それでもなお主観としては共感を呼ぶのなら、その共感の元になっている心情を考えてみたいと思う。それは、もしかしたら男としての自分の中にもあるものかもしれない。]]>
親族の親疎が持つ群構造
http://ksyuumei.exblog.jp/7726412/
2008-12-10T10:20:10+09:00
2008-12-10T10:21:05+09:00
2008-12-10T10:21:05+09:00
ksyuumei
構造主義
1 夫婦の間が親密 ←(対立)→ 妻の兄弟の間が疎遠
2 夫婦の間が疎遠 ←(対立)→ 妻の兄弟の間が親密
3 父子(息子)の間が親密 ←(対立)→(母方の)叔父甥の間が疎遠
4 父子(息子)の間が疎遠 ←(対立)→(母方の)叔父甥の間が親密
この現象の間に群の構造を発見するのは非常に難しいと思われる。婚姻のタイプであれば、それは世代が変わることによって変化し「変換」としての面を見ることが出来る。そうすれば「変換」というものが持つ群構造を予測して、そこに群を発見できそうに思われる。しかし、上の親疎の関係は「変換」につながっているように思われない。ここに群の構造を見ることが出来ても、それが何を意味し、どのような必然性を語るかということがよく分からない。それを考えてみたいと思う。
まず『思想の中の数学的構造』で説明されている群構造を見てみよう。それは、上の親族の関係を次のように書いて記号化することで考える。
(夫婦、兄妹、父子、叔父甥)
で4つの親族の関係を表し、それが親密であることを「+」で、疎遠であることを「-」であらわす。上の4つの親疎のタイプは次のように記号化されて表現される。1,2および3,4は対立しているので両立することはない。そこでそれぞれの組み合わせを考えると次の4つが可能性として考えられるものになる。
1-3 (+、-、+、-)
1-4 (+、-、-、+)
2-3 (-、+、+、-)
2-4 (-、+、-、+)
本の中では2行2列のマトリックス(行列)になっていて、この方が見やすい感じはするのだが、テキスト表現ではマトリックスは難しいので一列に並べてしまったが、前の二つは「夫婦、兄妹」という同世代の関係になっていて、後の二つは、「父子、叔父甥」という2世代にわたる関係になっている。この親疎の関係をよく見ると、それぞれの組み合わせが、+と-を反対にした関係になっている。つまり、この組み合わせが変化する「変換」を想定するなら、その「変換」に関してはクラインの四元群を構成することが予想できる。同じことを繰り返すと元に戻るという関係になっているからだ。
このことを抽象的に理解して、群構造を見出すのはそれほど難しくはない。しかし難しいのは、婚姻のタイプのように「変換」が目に見える場合と違って、この親疎の関係の構造は、古代原始社会においては変化しないように見えることだ。つまり、この関係を「変換」として表現するような現象が見あたらない。
婚姻のタイプは世代ごとに変化する。親と子は同じ婚姻タイプにはならない。「変換」が常に観察され、その「変換」が群構造を持っているので、群構造から導かれる「変換」を考えると決して起こらない「変換」が見出せる。決して起こらないということから、近親婚のタブーという、構造がなければ起こるかもしれない可能性が構造によって排除されている。近親婚のタブーは構造が維持されるということの結果から、それが守られているという現象が現れてくる。論理的には構造の維持ということからの帰結で導かれる。しかし、構造の維持を目的と考えるなら、それは解釈が違ってくる。
近親婚が起こるなら、群構造の「変換」において、群としては許されない「変換」が入り込んでしまう。群構造における「変換」は、交叉イトコ婚を要求している。つまり家族の中で婚姻の相手を探すのではなく、家族の外の親族(交叉イトコ)から妻を迎えろという要求だ。これをレヴィ・ストロースは「女の交換」と呼び、構造を維持するために必要な要求だからこそ、これを目的として解釈し、近親婚のタブーは「女の交換のため」にあると、目的として解釈したのではないだろうか。
さて、親族の親疎の関係は、婚姻の規則のように何らかの目的と結びつくような、群構造の維持という問題が見出せるだろうか。それは、現象的には、群構造の維持というよりも、親疎の関係の構造そのものの維持がされているように見える。ある親族の間で、夫婦が親密で兄妹が疎遠であるなら、それは世代が変わることによって変化するものではなく、その親族が維持される限りで親疎の関係も維持されるもののように感じる。「変換」に相当する変化が見つけられない。
レヴィ・ストロースは、この親疎の関係を、考え得る最も単純な親族と考え「親族のアトム」と呼んだそうだ。「親族の基本構造」と呼ばれているものだ。これが「基本構造」と呼ばれることの意味は、それ以外のものは構造から排除されるとも考えられるのではないだろうか。婚姻の規則から近親婚が排除されたように、群構造を認めると、何らかの組み合わせが排除されるということが必然的に帰結される。それを排除しなければ群構造が壊れてしまうので、群構造を守るためにはある特定の組み合わせを維持する必要があるわけだ。
上の親疎の組み合わせを考えてみると、みんな仲良くした方が幸せではないかと、今の感覚なら考えて、
(+、+、+、+)
という親疎の関係があってもいいではないかと思いたくなるかもしれない。しかし、この組み合わせは親族の基本構造が作る群構造を壊す。だから、いくら親しくしたくても、どうしても親しくしてはいけない関係がそこになければならないことになる。対立が必然的なものとして要請される。
親疎の関係を表す組み合わせは、世代ごとに変化することはないが、もっと長い時間の経過においては変化する可能性があり、人間社会が発生したときに、いろいろな親疎の関係の可能性があったにもかかわらず、上のような4つに絞られた関係だけが存在したというところに、群構造の維持というある種の「目的」を見ることが出来るのではないかと思う。
レヴィ・ストロースがこの構造を「基本構造」と呼んだのは、他の構造を排除する、これのみが許される構造として捉えた解釈につながっているのではないだろうか。それでは何故に、この構造が維持され、他が排除されていくような道を、人間の社会はとってきたのだろうか。その必然性を群構造が教えてくれるだろうか。
現代社会は、この群構造はすでに失われているのではないかという感じがする。親疎の関係は、親族の中の立場によって決まっているというよりも、一人一人の個性によって、感情として発生するものにように見えるのではないだろうか。父子や叔父甥の関係にあるものも、その関係によって親疎の気分が決まるのではなく、何となく気が合うかどうかという人間の個性によって親疎が決まるのではないだろうか。
このような現代社会の親疎の関係は、個人の多様化を進め、ある意味では社会の秩序の維持を困難にする。社会が複雑化し、単純な判断が出来ないようにさせる。これが、もし「基本構造」に従った、四元群という単純な構造をしているのなら、お互いの関係も個性に左右されることなく、どのような関係を築けばいいのかが明らかで安心して対応することが出来るだろう。群構造の維持は、社会の秩序の維持につながってくるのではないかという気がする。
複雑な現象に臨機応変に対応するには、その複雑な現象が持っている本質を理解しなければ正しく対応できない。古代原始社会が群構造を持つということは、そのような臨機応変の対処というものに伴う困難を減らすのではないかと思う。群構造の維持は、社会の安定というものに貢献するのではないかと思う。
現代社会は群構造が壊れているので、社会のルールに従って生きていれば人間が成長し、幸せを感じて生きられるような社会ではなくなってしまったように見える。複雑さを理解してそれに適切に処理できる能力が必要になった時代のように見える。このような現代社会に対して、内田樹さんは『こんな日本で良かったね』という本で面白い考察を加えている。
内田さんによれば、レヴィ・ストロースが書いていなかったことで、「親族の基本構造」においてなぜ対立する同性の関係の中で子供(息子)が生きなければならないかに次のような解釈をしている。それは、その対立の中で、何が正しいのかという考えの中に葛藤を起こし、その葛藤の中で試行錯誤をすることが「成熟」につながるからだというものだ。
この考えはとても面白いものだと思う。群構造から直接帰結されるような論理的なものには見えないが、群構造が壊れたときに、「成熟」というものが難しくなったという感じは、現代社会に生きている僕にも感じられるものだ。その感覚が論理によって説明できれば面白いものだと思う。
多様で複雑になった現代社会では、さらに葛藤が多くなるのだから、本当はもっと「成熟」してもいいのではないかとも考えられる。しかし「成熟」のためには試行錯誤が成功したという、何が正しいかという判断基準がしっかりしていなければならない。複雑で多様な現代社会は、ある意味では何が正しいか分からなくなった社会で、極端に言えば「何でもあり」という感覚も生まれやすい。このような社会では、葛藤が「成熟」につながらずに、「未熟」さを維持するための合理化に、社会の複雑性が利用されるということにもなりかねない。
親疎の関係の群構造というのは、何が正しいかという判断を壊すものではなく、そのような安定の中にあって葛藤を起こすという、実にうまい構造だったのではないかという気がする。そうであればこそ、人間社会が維持されるところでは、そのような構造が常に見出されてきたとも解釈できそうだ。内田さんが語る、レヴィ・ストロースが語らなかったことを、このような観点から見直して、「成熟」ということの意味をさらに深く考えてみたいものだ。現代社会でも「成熟」がうまくいくように出来るのだろうか。現代社会で正しい判断をするには、かなりの知識と能力を必要とする。それが果たして可能になるのか。社会の成員の大部分が「成熟」出来る可能性があるのか。それとももはや、現代社会では「成熟」というものを求めるのは無理があるのか。そんなことが頭に浮かんできた。
今日の内容は数学的に深入りした部分がないので、楽天でもそのままアップしようかと思う。]]>
親族の構造が群構造として抽象される過程
http://ksyuumei.exblog.jp/7723825/
2008-12-09T10:11:42+09:00
2008-12-09T10:12:36+09:00
2008-12-09T10:12:36+09:00
ksyuumei
楽天
「レヴィ・ストロースの「親族の基本構造」における群構造の理解」、「クラインの四元群と親族の構造」(ライブドアブログ)、「レヴィ・ストロースの「親族の基本構造」における群構造の理解」、「クラインの四元群と親族の構造」(はてなダイアリー)というエントリーで、親族の構造に関する婚姻規則についての数学的な考察を行った。ここでは数学的な群の説明に言葉を尽くし、議論の展開がきわめて数学的になった。群についてよく知らない人には分かりにくかったものと思う。
そこで説明したものを、数学的な言葉を使わずに、ある意味では文学的にそのエッセンスを感じられるような説明を考えてみたいと思う。数学的な概念を数式を使わずに正確に伝えることは出来ないが、そのイメージの本質というものが伝えられるように努力したいと思う。
レヴィ・ストロースが婚姻の規則の中に群の構造を見出したのは、そこに群が抽象されていく過程と同じものを見ていたのではないかという気がしている。だからそのイメージのエッセンスは、具体的な現象として目の前に現れている婚姻の習慣というものが、珍しい・面白いと思われる現実の様々な属性をはぎ落とされて、それが抽象的な考察の対象になるところに見えてくるのではないかと思われる。その抽象の過程が群の抽象過程と重なるところに、婚姻規則が群としての構造を持っているという発見につながるのではないだろうか。
さて、群というのは計算規則を抽象して求められた概念になっている。我々は足し算やかけ算の計算をする。これは具体的な計算においては全く違う計算として我々は経験している。「2+3」と「2×3」は、計算においては全く違うものだ。しかしこれは群においては同じものとして見なされる。違いが捨象され同一性が抽象されてくる。群というのは、具体的な計算の方法を見るのではなく、計算が持っているもっと基本的な性質の方に注目する。だから足し算やかけ算が具体的に持っている他の面が捨象される。
抽象というのは、このように注目する部分を引き出して、無視する部分を捨てることによって行われる。そうすると、そもそも数字そのものが一つの抽象を経て得られた対象であることが分かる。3という数字をそのままベタに体現する具体物はどこにもない。3という数字は、数えられる物が3つあったとき、その物とともにそこに見られる、認識の対象として我々に対して存在するだけだ。その3は現実には、具体物である、例えば家が3つだったり、車が3つだったりするだけだ。そのような具体物がない3だけが存在するのは、抽象的世界に踏み込んだ数学の中だけである。
現実から抽象された数学世界で、この数の計算を考えるという具体的な操作をしたとき、この抽象の中の具体がさらに抽象されて群という対象が求められる。つまり群というのは、抽象の抽象というメタレベルの高度の抽象を経て得られる対象となる。ここに群の理解の難しさがあると僕は思う。
数を抽象するときに、抽象が徹底せずに具体性を引きずっていると、抽象の結果として展開される計算が曖昧なものになってしまう。以前に羽仁進さんのエピソードとして、馬が1頭ずつ他の方向から来たときに、「1+1」という計算が、具体性を捨象できずに答えられなくなってしまうことを紹介した。馬の特性として、気が合わない相手とは一緒にいられないので、1頭はどこかへ行ってしまうかもしれないし、2頭ともどこかへ行ってしまうかもしれない。そうすると「1+1」の可能性は、0かもしれないし、1かもしれないし、2かもしれないということになって答えられなくなる。
数の計算という演算の性質を見るときも、個々の計算(足し算やかけ算)の具体的な属性が捨象できないと、群としての抽象的性質が分からなくなるかもしれない。個々の計算の個性を取り去って残る、群としての抽象的な性質というのは次のようなところに注目することになる。
・計算というのは、2つの数に対して、ある規則に従って一つの数を対応させる「変換」として捉える。
・この「変換」には、組み合わされるもう一つの数を変化させないもの(足し算では0,かけ算では1)がある。「恒等変換」というものがある。
・同じ「変換」を連続して行うときは、その順番によらずに結果が同じになる(足し算もかけ算も、どこから計算してもいいということ)。これは「結合律」と呼ばれる性質になる。
・ある「変換」を元に戻す「変換」がある。つまり、連続して行うと「恒等変換」である0や1になる数がある。足し算における「aと-a」、かけ算における「aと1/a」などがそれにあたり「逆元」と呼ばれる。
以上の性質は、個々の計算がどのようにされるかという個性に関係なく、具体性が捨象された抽象的な性質となっている。このようなものに注目して、このような性質を持った構造がどのような法則性を持っているかを考察することが数学における群の考察になる。
さて、このような抽象の過程をレヴィ・ストロースが語る婚姻規則の場合にも当てはめてみてみると、そこに群の構造が見えてくる。レヴィ・ストロースはカリエラ族の婚姻の規則を、その部族の人間が所属する4つのセクションA,B,C,Dとの関係から観察できるものとして記述している。この4つのセクションは、結婚できる相手を特定する規則と結びついていて、下のような規則になっている。
夫(男) 妻(女) 子
A B D
B A C
C D B
D C A
ここで右に、生まれた子供のセクションも記述しておいた。これは、このセクションの分け方が厳格に決まっているという現象を示している。現象として現れるのはこのような具体性である。この具体性に引きずられていると、ここに群の構造を見出すことは難しい。なぜなら、これらは具体物(個々の人間)の属性であって「変換」ではないからだ。群の構造は「変換」にこそ見なければならないというのは、群の抽象の過程が語っている。
この婚姻規則に「変換」を見つけるために、婚姻のタイプというものを考える。それは次のM1~M4で表されるようなものだ。
夫 妻 息子 娘
M1 A B D D
M2 B A C C
M3 C D B B
M4 D C A A
ここでは、子供のセクションを息子と娘の両方を書いておいた。婚姻においては夫になるか妻になるかということが重要になってくるからだ。この婚姻のタイプもまだ「変換」ではないから群の構造をなすわけではない。しかし、ここに一つの変換を見ることが出来る。
婚姻のタイプは、セクションがAとBであれば、それは男女がどちらに所属していても婚姻の相手として許される。だが相手がCとDであればそれは婚姻の相手としては選べない。そこで親と子のセクションをよく見てみると、それは婚姻が許されないセクションとして対立するセクションになるように決められている。A,Bのペアの親からはCあるいはDの子供が生まれてくる。C,Dのペアの親からはAあるいはBの子供が生まれてくる。
親子によって夫婦のセクションのペアが入れ替わる。ということは、孫の世代になると再び同じセクションのペアになるわけだ。親と子は、婚姻のタイプが変わる。しかし2世代後になると再び同じものに戻る。ここに婚姻のタイプの「変換」というものが、婚姻という行為が同じ変換だと見なすと、それを2回繰り返すことによって元に戻るということがわかる。これは「恒等変換」の存在を示唆する。
同じ「変換」を2回繰り返すと、それが「恒等変換」になるということは、その「変換」が自身で「逆元」にもなっていることを表す。クラインの4元群というのはそのような構造を持った群になっている。
数学的表現を使うと、交叉イトコ婚という規則(息子は母親の兄弟の娘と、娘は父親の姉妹の息子との婚姻をするという規則)も群の構造から導かれる。習慣として観察される多くのことが、実は群の構造から必然的に導かれるものとして発見できる。この必然性は、その習慣が存在する理由として捉えることが出来るだろう。その構造があるからこそそれが行われているのだとする考えだ。
そこに構造があるということは、それが固定的で変化せず、その構造が厳格に守られるということを意味する。ある意味では、そこでは人間の行動は形式システムと変わりがないということになるだろう。決められた規則通りに行動し、決して例外的なことはしない。
宮台氏の文章には、古代の人々は、誰もが同じ感覚を持ち、同じ考えを抱いていたというような記述があった。そのような社会では、例外的なことを希望する個性ある人間は出てこないだろう。つまり、構造は厳格に守られて行くに違いない。構造の発見は、現代社会のような混沌とした対象よりも見つけやすいだろう。構造主義がレヴィ・ストロースから始まったというのもそのような必然性を持っていたように感じる。
群の構造は変換の中にこそ発見できるという抽象の過程がある。だから、社会の現象の中に「変換」という解釈が出来るものが見つかれば、そこに群構造の発見が出来る可能性があるだろう。また、クラインの四元群は、同じことを繰り返すと元に戻るという「変換」の性質と結びついている。同じことを繰り返すと元に戻るような現象というのは、実は我々の周りにいくつかあるのではないだろうか。そうするとそのような現象の背後には、クラインの4元群の構造が見出せるかもしれない。
群の構造が抽象できた対象には、群の持つ必然性が見えてくる。この必然性が、なぜそのような現象が起こるかという「なぜ」の解明に役立つのではないかとも感じる。このことを次は考えてみたい。近親婚の禁止というタブーはなぜ存在するのか。それは長い間生物学的な問題とされていたが、実は群構造からの必然性で説明できるのではないか。レヴィ・ストロースは、それは女の交換の「ため」にあるという。その意味は本当はどういうものなのか。また、父子と叔父甥の間にある親密さと疎遠さの関係も、それがなぜあるのかという説明が、群構造から行えるのか。これに関しては、内田樹さんの『こんな日本で良かったね』という本にも関連した記述が見られる。これと合わせて考えてみたいと思う。]]>
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