『ゲーデル、エッシャー、バッハ』という本では、図と地に関する一章が設けられている。図というのは、絵画的表現で言えば、表現したい中心になるようなもので「積極的な部分」と書かれている。その表現を見たときに、目立つものとしてすぐ目に入ってくる部分というようなイメージだろうか。それに対して地の方は、その目立つ部分を支える背景に当たる部分になる。この本では「消極的な部分」と呼ばれている。これが目立つようでは図の表現がかすんでしまうから、確かに消極的でなければならないだろう。
この図と地という二つの概念は,ゲーデルの定理を理解するための比喩として語られているように思う。ゲーデルの定理では「証明可能ではない」という考え方が証明の中心をなす。しかし、形式システムでその性質が目立って我々に見えてくるのは「証明可能である」という方だ。つまり「証明可能性」の方が図であって、「証明不可能性」は、その図が見えた後に背景として浮かんでくる地の方だと考えられる。 図の方は目立つので直接捉えることが容易だ。「証明可能性」の方は、出発点である公理から正しい導出法則を適用してあれば、それが「証明できる」ことを直接語ることが出来る。しかし、「証明できない」ということは、いくらやっても出来なかったという結果を示すだけでは「証明不可能性」を示したことにならない。どのような可能性を考えても「証明が出来ない」ということを示さなければならない。 不可能性の証明で分かりやすいものは「関数・写像の考え方とゲーデルの定理」で考察した「一筆書きの数学」だ。実際に与えられた図形が一筆で描けるかどうかというのは、有限の可能性しか持っていないので、これはその図形を一筆で描くあらゆる可能性を考えることも出来る。あらゆる可能性をやってみて出来ないのであれば、それは不可能だということが出来るだろう。 また、描かれうる可能性があるすべての図形に関して一筆書きが出来るかどうかを考察することになれば、それは無限の対象に対する考察になるが、この場合は任意の図形をとってきて有限個の点と線を考察することに帰着できる。無限の考察がうまく有限の考察に写像される。だから、その有限の範囲の試行で、やってみても出来ないということを示すことが出来る。 一筆書きが出来るというのは、実際にやってみて出来るのであれば直接示すことが出来る。これは図の方だと見なすことが出来る。そして図である一筆書きが出来る図形が決定するのなら、その地として一筆書きが出来ない図形の特徴が見えてくるということになる。このような考察が、証明可能性という性質に対しても同じように出来るだろうか。ある形式システムにおいて、証明可能であるという性質が決定可能であれば、それがたとえ無限に多くの対象を持っていようとも、それが決定した後に地として証明できないという対象が浮かび上がってくるものかどうか。 『ゲーデル、エッシャー、バッハ』というこの本では、かけ算の命題を生成するシステムを考えて、そこから約数の概念に当たるものを作り出し、素数を決定する定理を考えている。素数を、合成数に対する地として考えている。合成数は、2以上の数のかけ算によって表現されるものとして定理化し生成するシステムを考えている。そして素数は、そのような表現ができないものとして、合成数が決定した後に、それに当てはまらない残りとして把握される。「消極的な部分」として決定されるので地に当たるものと考えていいだろう。果たしてこれは本当に決定されるものになるかどうか。 合成数はいくらでも大きなものを生成することが出来る。それに伴っていくらでも大きな素数を見つけることが出来るだろう。だが、合成数のすべてを決定することは無限に多くの数の集合を考えることになる。この無限は、一つ一つを把握することは出来るので考察の対象には出来る。しかしその全体をいっぺんに把握するということが出来るかどうか。これは実無限として排除される可能性もある。しかし、合成数の全体という図が決定しなければ、その地としての素数が決定しないのではないかという気もする。 ゲーデルの定理において、図である証明可能な定理が個々には決定したとしても、その全体が明確に決定するのだろうか。無限にたくさんあると思われる自然数論の定理(例えば形式システムでは、2+3=5とか3×4=12などという正しい計算式の一つ一つが定理になると思われる)の全体が無限集合として決定するのだろうか。それが決定しなければ、証明不可能性ということも決定しないのではないかという疑問はどのように論理的に解決されているのか。 この本で紹介されている<tqシステム>と呼ばれる、自然数のかけ算として解釈できるシステムを見てみよう。それは次のように記述されている。 公理図式 xがハイフンの列であれば xt-qx は公理である。 推論規則 x、y、zがどれもハイフンの列であるとする。そして xtyqz が古い定理であると仮定する。そのとき、 xty-qzx は新しい定理である。 これはどのように実際に書かれるかというと、xとしてハイフン二つ(--)をとると (1) --t-q-- という文字列が公理図式から得られる。つまりこれは定理になる。この定理を古い定理と考えると、推論規則のyはハイフン1つ(-)の文字列と考えられる。したがって (2) --t--q---- という定理が得られる。この文字列は自然数のかけ算として解釈できる。それぞれ (1) 2×1=2 (2) 2×2=4 という解釈が出来る。これは、公理と推論規則が次のようなかけ算の式として解釈できることから理解できる。 公理図式 x×1=x 推論規則 x×y=zのとき x×(y+1)=z+x つまり =xy+x さて、このtqシステムを使うと、自然数のかけ算で正しい計算になるものを生成することが出来る。そこで合成数であるという解釈が出来るCxという文字列の定理を次のように定義する。 規則 x、y、zをハイフンの列とする。もし x-ty-qz が定理ならば Czも定理である。 この規則は、xとyがたとえハイフン一つの列であったとしても、<x->や<y->は二つ以上のハイフンの列になるということが基本的に重要なものになる。つまり、かけ算の計算結果として表現されているzは、2より大きい因数を必ず二つは持つことが定理を語る仮言命題のの前件で主張されている。2より大きい因数が一つだけなら、それは素数の2になってしまうが、二つ以上あるのならばそれは必ず合成数になる。また、合成数であれば、それを二つの因数に分解したときは必ず2よりも大きな因数が出てくる。上の規則で語られる特徴から、Czという定理はzが合成数であると解釈できる。 Czの前件が成り立たないとき、例えばC5などという列は定理にならない。つまり5は合成数ではないと解釈できる。5は素数になる。これは、解釈によってそのようなことが分かる。それでは、上の規則の図式にあるようなハイフンの生成規則による生成が5の場合は決して出来ないということはどのようにして分かるだろうか。やってみたら出来なかったというのは、すべての場合を尽くしていなければならない。そのようなことが果たして出来るだろうか。 ある自然数が与えられたとき、それが合成数であるかないか(素数になるか)が決定できるだろうか。これは、現実的には決定が難しいことがあるかもしれないが、論理的には決定するアルゴリズムがありそうだ。どんなに数が大きかろうとも、有限回の手順で終わる方法ならば決定できると、論理的には主張できるだろう。 ある自然数Nに対して、それが合成数であるか素数であるかを決定する手順は、Nよりも小さな数で実際にかけ算を試してみて、かけ算の結果としてNが生成できるかをすべて確かめれば決定できる。実際にはNが巨大であるときはこれは現実的には出来ないかもしれないが、理論的には有限回の手順で終わるはずだ。Nよりも小さな数は有限個しかないからだ。つまりすべての場合を考え尽くすことが出来る。 合成数になるかということは、有限回の手順でそれを決定する方法がある。そのような性質に対しては、合成数という図に対する地に当たる素数になるかどうかということに対しても、有限回の手順の結果として決定する方法が見出せる。図と地とは、それぞれ決定可能な判断となる。 また、このように決定可能な判断は、地であった素数の方を図にするような方法も考え出すことが出来る。それは、かけ算の結果を照合するのではなくて、自然数の範囲で割り算が出来るかどうかという判定法を使うというものだ。ある数Nに対して、Nより小さな数で順番に割り算をしていき、どの数でも割りきれなかったらNは素数になる。これはNは合成数でなかったという結果から素数を判断するのではなく、直接Nが素数であることの判断となる。地であったものが図になる。 有限回の手順で決定する方法に関しては、このように決定方法も間接的なものと直接的なものの両方が考えられる。それでは、有限回の手順では終わらないかもしれない決定問題に関しては、地となる方はどのようにして決定されるだろうか。あるいは、決定不可能となるだろうか。無限回の手順ということになると、現実的にも理論的にも、それをやり尽くした後に「出来なかった」と判断することが出来ない。このようなものは、決定不可能であると言えるのだろうか。ゲーデルの語る「決定不可能」あるいは「証明不可能」というイメージは、もしかしたらこのようなイメージに近いのではないだろうか。考えてみたいものだ。
by ksyuumei
| 2008-10-29 10:02
| 論理
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