個室ビデオ店放火事件に関しては多くの新聞がそれを社説として論じている。それは、この事件を単なるニュースとして扱っているのではなく、ここに現代日本が抱える問題点が象徴的に現れていると判断しているのだろう。だが、各社が語るその問題提起は、どうも当たり前すぎて心に響いてこない。確かに分かりやすいのだが、その解決は果たして可能なのかという疑問符がつくような気持ちを感じている。
容疑者の身勝手な犯行を非難するのはもちろん当然だが、各社が主に論じているのは、被害がこれだけ拡大したことの原因についてだ。それは主に防火施設の問題として取り上げられている。これもたいへんに分かりやすい。火災報知器の作動がもっと確かなものであれば、施設の管理に当たる従業員が避難誘導を的確にしていれば、火災が発生したときの避難通路が本当に非難できるような実効性を持っていれば、など様々な点の不備が指摘されると、それが問題だというのは誰にでも理解できる。 それではこの問題の解決法として提言されているものにはどのようなものがあるだろうか。多くは規制の強化など、人間の意識(倫理観とでもいおうか)に訴えかけるものになっているように見える。しかしそのように規制を強めて、意識を高めれば問題が解決して、防災体制が整っていくようになるだろうか。意識を高めて問題を解決するという方向は、社会的な問題の解決に当たっては疑問を持たざるを得ない。むしろ、倫理観が低くても大きな被害が出ないようなストッパーとしての働きを持たせることが必要なのではないか。道徳心が高ければ社会の秩序は維持されるけれど、道徳が崩壊すればやりたい放題だというような社会では安心して生きていくことは出来ない。道徳に頼らずに安定をもたらすような工夫はないだろうか。 まずは各社の社説での提言を具体的に拾い上げてみよう。 ・「個室ビデオ店ばかりでなく、シャワーを備えたネットカフェや漫画喫茶も増えている。このまま法のあいまいさを放置してはならない。実態に見合った法規制と指導が必要だ。雑居ビルの所有者や店舗経営者には、法令を守り人命・安全優先に徹することをあらためて求めたい。」 「県は消防本部や建設事務所に対し個室ビデオ店などで防火設備などの緊急調査実施を通知。郡山地方、会津若松地方、福島市の各消防本部では一足早く実施した。違反があれば厳しく改善を指示してもらいたい。また、今後も抜き打ち調査などで違反に目を光らせて対処してほしい。」(福島民有新聞) ・「徳島県内にも類似の個室型店舗は多い。再発防止へ消防当局は立ち入り検査や指導を徹底してほしい。」(徳島新聞) ・「死者四十四人を出した二〇〇一年の新宿・歌舞伎町の雑居ビル火災が思い出される。避難経路の管理などに厳しい目が注がれ、法改正とともに指導も強化されたはずだ。だが今回、放火事件とはいえ多数の死者が出たことをよくよく考えたい。安全管理上の手抜かりがなかったとはいえまい。 現に点検すれば安心できない店舗の実態が明らかになる。雑居ビルの営業形態は時代とともに変容を重ねる。防火施策を再度見直し法規制や指導を徹底すべきだ。」(神奈川新聞) ・「今回のような悲劇を2度と起こさないためにも、自治体などは個室ビデオ店やインターネットカフェなど、個室営業の実態調査を急がなくてはならない。法の目をかいくぐるような営業に監視の目をもっと光らせ、防火体制の見直しを急ぐべきだ。」(信濃毎日新聞) ・「個室ビデオ店だけではない。シャワーを備えたネットカフェや漫画喫茶も増えている。実態に見合った規制と指導が必要だ。利益優先で安全は二の次としか見えないビル所有者や店舗経営者らの姿勢が変わらない限り、何も改善されない。 規制強化の改正消防法施行令が施行されたその日に起きた惨事は、それを問い掛けている。」(岐阜新聞) ・「昨年1月には、兵庫県宝塚市のカラオケボックスでの火災で8人が死傷した。消防庁の全国調査では、消火器具の未設置など法令に違反するカラオケボックスは7割に及んでいた。 是正を指導した後も、なお3割が違反状態を続けていたという。防火意識の希薄さは明らかだ。違反の放置には、施設使用禁止命令などで厳しく対処すべきだ。 放火によって44人が死亡した東京・歌舞伎町の雑居ビル火災では、ビル所有者ら5人が、業務上過失致死傷罪で有罪判決を受けた。東京地裁は「利益追求のあまり、最低限必要な防火管理さえ怠った」と断じている。 雑居ビルには、多店舗に不特定多数の人が出入りする。店舗の経営者やビル所有者がしっかり目を光らせなければ、こうした惨事は防げない。」(読売新聞) ・「大阪での事件を受け、札幌市消防局は、市内の個室ビデオ店への緊急立ち入り検査を行っている。 防火管理体制の実態を早急につかみ、法律に違反する事例を一掃することが肝心だ。」(北海道新聞) ・「防災上の観点や防火管理の責任などについて、徹底した検証が要る。放火は論外だが、今回の雑居ビル火災を対岸の火事で済ませてはならない。人命を預かっているビル所有者らのモラルの向上を含め、防火への意識を不断に高めたい。」(琉球新報) ・「1日に改正消防法施行令が施行され、「個室営業」を行うビルや店舗に自動火災報知設備の設置を義務付けたが、雑居ビルでは従来の想定にない形態の営業が次々と誕生する。問題点を根こそぎ洗い出し、施設の利用実態に即して法の網をかぶせるのが急務だ。」(毎日新聞) ここで主張されていることはすべて正論である。間違いはない。だが、この主張をそのまま実現したら、実際にはどういうことが起こるだろうか。それを想像するのに、人々が見落としているのではないかと思える視点を、マル激の中で宮台氏が指摘していた。 社説の中でもいくつかは指摘されていたが、この個室ビデオ店は、そもそも風俗営業としてアダルトビデオの鑑賞をする客が集まるところではなかった。むしろ、終電が無くなったあとの簡易宿泊施設として、あるいはネットカフェと同様に、家を持たない人の寝る場所として使われていた。 このような場所であるからには、そこは少しでも安い料金を設定することに意味がある。何か付加価値をつけて、少々高い料金でも泊まりたくなるような商売などは出来ない。少しでも安い料金を設定するためには規制ぎりぎりの条件を満たすことのみが考えられるだろう。それは道徳性やモラルの要請よりも重い要請として経営者に働きかけるだろう。 このような「構造」を前提にして、社説に書かれているような厳しい規制の解決法を実現したらどうなるかを想像すると、安い料金が設定できないことが計算できると、そのような商売からは撤退する人間が増えるだろう。簡易宿泊所としての個室ビデオ店はおそらく無くなっていくだろう。それが無くなっていけば、危険な個室ビデオ店もなくなる。だから問題は解決されたと言えるだろうか。 個室ビデオ店での同様な事件は、個室ビデオ店そのものが無くなれば起こらなくなるだろうが、そこを利用していたような人々も、個室ビデオ店が無くなればいなくなるだろうか。これが娯楽のために利用されていたのであれば、もっと面白い娯楽を見つけて、利用客がいなくなることが考えられるが、安い料金で宿泊したい、あるいは宿泊しなければならないという人は、果たしていなくなるだろうか。これは、そのための対策が何もないのであれば、自然にいなくなることは考えられない。 それでは、そのような需要がまだ残っていれば、当然のことながらその需要を当てにした新商売を考える人が出てくるだろう。そもそもネットカフェや個室ビデオ店は宿泊施設ではなかったのに、そこで宿泊する人が増えてきたというのは、そのような需要があったからなのだ。それは安い料金を設定しなければならないところだから、当然のことながら、規制がたくさんあってコストがかかるような店としては営業できないだろう。どのような法の網をくぐる手があるか判らないが、出来るだけ安くするために、それだけに努力をすることだろう。安全は二の次になるのではないかと思う。 宮台氏が指摘するように、この構造にこそメスを入れなければ問題の解決にはならない。経営者のモラルに働きかけ、規制を厳しくして道徳心を高めようとしても実効性はないだろう。新宿の雑居ビルの火災の教訓が生かされていないという指摘は、多くの社説の中でなされていたが、それはこのような「構造」に全く手がつけられないで規制だけを厳しくしたからではないかと思う。 「構造」は目に見えないが、人間の判断に無意識のうちに働きかける。どれほどいい人間であっても、心ならずも安全性を犠牲にするような経営に手を出しかねない。それが「構造」の持つ影響力だ。構造主義は、この見えない「構造」の力を意識的に見ようとした発想法で、このようなときに大きな力を発揮するのではないかと思う。そこに「構造」が見つかったときは、人間は自由な思考・判断が出来ない。その「構造」に支配される。だから、現状を変えるには「構造」を変えることが必要になってくる。 そのような発想が少し見える社説には次のものがある。 ・「急増する個室ビデオ店は、アパートを借りられない人らの宿としてネットカフェと同様に使われることが多いという。安全に不安はあってもほかに選択肢がないのが現実だろう。公的セーフティーネットの不備も問われている。」(愛媛新聞) ・「本来は起きている利用者が対象のはずの店だ。法規制などが今のままでいいのか。ホテルの場合なら、非常口は原則二カ所が義務づけられているし、避難誘導訓練も行って客の安全に万全を期している。個室ビデオ店なども、実態に合わせるなら、同様の対応を検討すべきだろう。 まずは全国のネットカフェや個室ビデオ、漫画喫茶などの施設や安全対策を実態調査する必要がある。 その上で国や各自治体、議会は、これらの店舗が宿泊の場となっていることの是非を含め、安全性や法的な問題点を検討する時期ではなかろうか。」(京都新聞) ここには、道徳性の主張ではなく、その背後にある社会の構造に目を向けなければならないという主張が含まれている。社会の問題の解決は、道徳性を変革することに頼るのではなく、構造の変革にこそ本質を見なければならないということではないかと思う。 この事件は、感情を揺さぶられる痛ましい事件ではあったけれど、実は現代日本の持つ「構造」の問題を象徴的に知らせてくれる事件でもあったのではないか。そして、この構造は、今政治で問題になっている、日本の国全体の問題にも、道徳心の向上や、やる気などの意識の問題ではなく、実は「構造」の問題こそが大事なのだということを教えるのではないかと思う。 麻生さんの所信表明演説には、気持ちを力を込めて語るところは印象に残ったが、「構造」を語っていたと思えるところはなかった。それに比べて田中康夫さんの質問には「構造」が多く語られていたように思う。「構造」という観点から、この論戦を考えてみたいなと思った。
by ksyuumei
| 2008-10-05 14:04
| 社会
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