「<事故米転売>太田農相、事態軽視?「じたばた騒いでない」」という9月12日20時14分配信の毎日新聞の記事によれば、太田農水相は「「(汚染米から検出されたメタミドホスは)低濃度で、人体への影響はないと自信をもって言える。だから、あまりじたばた騒いでいない」と言ったそうだ。これは、太田農水相が言った言葉でなければ、たとえば農薬の専門家が解説したものであれば、ある意味で安心を与える言葉になっただろう。だが、これを太田農水相が言えば、それは結果的に影響がないのだから責任はないのだという、責任逃れの言葉にしか聞こえないだろう。
太田農水相がこのような発言をするというのは、政治家の責任というのをあまり自覚していないのだということを自らが語っているようなものになるだろう。農水省を監督するような立場にありながら、農水省が行ったミスを正しく追求できないことを伺わせるようなものだ。政治家としての資質を疑わざるを得ないと思う。このことから、以前の事務所費問題にしても、その責任の重さを自覚することは難しいのではないかと思われてしまうだろう。未だに説明責任を果たしていない。このようなことで話題になるよりも、まずは事務所費問題をきちんと説明することが大事だと思うのだが、それを国民も忘れずに注視していかなければならないだろう。 さて、汚染米問題は、食品会社が悪質であることはたくさんの報道からはほぼ明らかで、それを見抜けなかった農水省の責任も問われている。どこに最も重い責任があるかは、明らかにしなければならない問題であり、再発防止のためには重要だと思われる。だが、その責任の根幹にあるシステムの問題があまり報道されていないのに違和感と疑問を感じる。 大分県の教員採用において不正が発覚したとき、その採用試験の結果の採点の改ざんがあまりにも簡単にできることにマル激では宮台氏が驚いていた。誰もいない深夜に、パソコンを一人で扱ってその点数を改ざんしたらしいのだが、そのアクセス記録も残らず、何重ものパスワードで保護されているということもなかったらしい。もし不心得者がいたときには、その不正はいとも簡単に行えるようなシステムになっていたというのだ。つまり、そこで不正が行われないということは、ひとえに職員のモラルに依存していたというのだ。まさかそのような不正はしないだろうというような、根拠のない信頼だ。だが、現実には、不正をしようと思えば出来るというシステムでは、その不正はかなりの高い確率で、ほぼ必然的に引き起こされる。 今度の汚染米問題でも、そのようなシステムの問題があるのではないかと感じていたのだが、それに関する報道がほとんど見あたらない。それはどのようなシステムかというと、汚染米を工業用に処理するというシステムだ。このシステム自体には一定の合理性はある。汚染された米であっても、食用には使えないかもしれないが工業用に糊として加工するなら十分使えるからだ。ちょうど教員採用試験の採点が必要なように、工業用に転売すること自体にはそれが存在する合理性はある。問題は、必要だから存在しているシステムが、その目的を正当に果たしていないという点だ。 僕が疑問を感じていたのは、工業用に使用する目的で処理された汚染米が、どうして食品を扱う会社に売られたかということだ。その食品を扱う三笠フーズという会社は、糊を作る事業もしていたのだろうか。そうであれば販売に合理性は出てくるものの、もし三笠フーズ自体が糊を作っているのでなければ、その汚染米は、どこかの糊製造業者に転売されなければ処理できないだろう。糊製造業者は、直接自分で汚染米を購入するのではなく、三笠フーズなどという会社を媒介して買う合理性というものが果たしてあるのだろうか。三笠フーズという会社が汚染米を、糊を作るという工業用に処理する目的で購入することの合理性というものがどこにも語られていない。これが僕の論理的な疑問だ。 このことがマスコミのどこにも語られていないというのは、そもそも僕と同じような疑問を持つ人間が少ないのを意味しているのだろうか。疑問自体を語ったものも僕が見つけた限りでは二つだけだ。一つは日経新聞の9月10日の社説「「事故米」、食の安全意識が低すぎる」だ。ここでは 「そもそも工業用のコメを食品会社に売っていたこと自体が疑問だ。見かけが普通のコメと変わらないなら、不届きな業者が食用に転売する可能性は十分予想できたのではないか。工業用に限るなら最初からそうした企業に売ればいい。遅ればせながら販売方法の見直しなどを検討しているようだが、事故米を購入した他の業者に不正はなかったのかも徹底糾明してもらいたい。」 と書かれている。しかし、この疑問に答える記事はまだ見つけていない。どこかに報道されているのだろうか。どうして「工業用のコメを食品会社に売っていたのか?」。 信濃毎日新聞の9月11日の社説「汚染米転売 農水省はお粗末すぎる」では「三笠フーズは事故米を大量に買い付けた。農水省の“お得意さま”ともいうべき存在だ。だが工業用のコメを食品メーカーが大量に買うこと自体、不自然である」と書かれている。この不自然は説明される必要があるだろう。 理由を想像させる記述はある。それは北海道新聞の9月13日の社説「汚染米転売 農水省の責任は重大だ」の中にある 「輸入米は全量がさばけるわけでなく、膨大な在庫の保管費用が重荷になる。そこから出てくる事故米は農水省も扱いに困るのだろう。 食用に回せない事故米を買ってくれる業者は都合のいい存在だ。」 という記述だ。そもそも、輸入米という存在自体が、農水相にとっては都合の悪い存在で、あって欲しくないものらしい。これは「1993年のウルグアイ・ラウンド合意で、国産米を保護する代わりに輸入を義務付けられたミニマムアクセス米だ」そうだ。日本は米に関しては自給できていて、実際には輸入する必要はない。しかし、国際的な合意で輸入が義務づけられている。その余った米としての輸入米に、さらに余分な汚染米が見つかっているというのが現状のようだ。 これを処理してくれる業者であれば、たとえ不自然であろうとも、工業用の糊製造業者でなく食品会社であっても売っていたというのが実情だったようだ。つまり、食品会社が汚染米を買う合理性というのは、農水省の側にあったということだ。農水省にとっては保管と処理に金のかかる汚染米を金を出して引き取ってくれる会社であれば、どのような会社であろうともその存在はありがたいものであり合理性があるということになる。 だが、買い入れる会社の方に合理性があるのかという問題を考えるとこれが奇妙なものになる。もし合理性があるとすれば、買い入れた汚染米を工業用に転売してももうけが出るという合理性がなければ買う必然性は出てこないだろう。そして、もし転売してももうかるなら、工業用糊の製造業者が、なぜ直接買い入れないかという疑問も生じる。合理性の連鎖が築けないのだ。むしろ矛盾の連鎖が目についてしまう。 このような疑問の中で、農水省はその検査の甘さも指摘されているが、農水省の側に、買ってもらうことの合理性があるのなら、その検査の甘さもそのメリットから論理的に導かれてしまいそうな気もする。信濃毎日新聞の社説では、 「農水省は過去5年間に100回近く工場に立ち入り調査してきた。不正を指摘する内部告発は昨年1月に農水省に届いていた。にもかかわらず突き止められなかった。 立ち入り調査は抜き打ちでなく、事前に日時を伝えていた。農水省は不正を見抜く気が初めからなかったのではないか。そう疑いたくもなる。」 という記述が見られる。農水省が不正を見抜く気がなかったのは、三笠フーズが余計な米である汚染米を買い続けてくれることを願っていたからだと考えると一定の合理性を見つけることが出来る。 今回の不正な転売の報道を結果的に見れば、三笠フーズにとっての合理性は、安く仕入れた汚染米を高く売ることが出来るということで、その大きな利益が稼げるということで考えることが出来る。そのようなことがなければ、わざわざ汚染米を買うような食品業者はいないはずだ。だが、これはその利害をあまりに短絡的に考えた発想ではないかと思える。 食品会社が汚染米を買うことの不合理・不自然は、ちょっと考えれば誰でも思いつく。そうしたとき、今回も内部告発によってこの不正が発覚したそうだが、誰かが告発すればこの不正はすべて明るみに出てしまう。隠し通せるものではない。そのときには、会社がつぶれるほどの打撃を受けるのは必至だ。短期的には、その価格差で大きなもうけを得たとしても、長期的にはむしろ損害の方が大きいと判断すべきだろう。 実際多くの常識ある人は、そのような危険を冒してまでも不正な利益を稼ごうとはしない。だから多くの人は、まさかそんなことまではするまいと思っているだろう。だが現代社会というのは、「まさかそんなこと」というものが実際に起こってしまう。これは不心得者の倫理的な問題だろうか。僕には、どうもシステムの問題の方が大きいのではないかという感じがしている。 今は沈静化している感じがするが、狂牛病の問題の時も、それが発症するのは早くても15年、遅ければ20年から30年は発症しないといわれてきた。だから、年配の人であれば、たとえ狂牛病の疑いがあっても発症せずに死んでしまう可能性が高い。それが問題になるにしてもまだずっと先のことだ。だから、今稼げるなら稼いでしまえというような風潮をそこに感じる。アメリカ産牛肉の危険性は、あと20年たったときに深刻になるかもしれない。それまではどうせ発覚しないだろうと思って行動する人間がいても不思議はない時代になった。 三笠フーズの問題も、汚染米で健康被害が実際に起こったというニュースはまだない。それが出てこないならば、汚染米であることを隠すことが出来れば何とかなると思う人間が増えてきたのではないかとも思える。耐震偽装問題の時も感じたのだが、実際に地震で倒壊した建物がまだないので、実際に何かが起きるまではごまかせるという風潮がどうも現代日本では多いような気がする。このような時代背景が、今回の汚染米問題を引き起こすシステムの問題になっていないだろうか。システムの問題の解決を図らなければ、三笠フーズをつぶしただけではこの問題の本当の解決にならないのではないかと思う。自民党総裁選の立候補者は、この問題をどう考えるのだろうか。この問題を、三笠フーズという会社のモラルの問題だと短絡的に捉えるなら、それだけでその候補者の政治センスを僕は疑いたくなるだろう。どこかで語っているならぜひ聞きたいと思うものだ。
by ksyuumei
| 2008-09-13 11:42
| 雑文
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