小沢一郎氏の辞任会見から始まった一連の混乱が収まりかけてきた今、改めてこの騒動は何だったのかということを整理してみたいと思う。小沢一郎氏は、僕自身は余り好きなタイプの人間ではなかったが、宮台真司氏が高く評価していることもあり、政治家としては優れている人物だろうとは思っていた。真のマキャベリストというような表現を宮台氏は使っていたが、理想の実現のためには、あえて不人気なことであろうとも実現していくというところが「豪腕」と呼ばれる所以なのだろうと思っていた。
小沢一郎氏には、原則を貫くという政治家として最も大事な資質があると僕も感じている。だが、この一連の騒動においては、原則を貫くという面よりも、ある種の利害の計算で「大連立」を画策したというふうに、政治家ではなく「政治屋」として小沢氏を非難するようなニュースにあふれていた。 報道に対する批判は、小沢氏自身も語っていたが、神保哲生氏も「小沢辞任会見を見て」というエントリーの中で「どうも報道されている内容とはちょっと趣が違うように私には聞こえました」と書いている。宮台氏も、このことを語ったマル激の中で、NHKの報道などはデタラメですということを語っていた。小沢氏が優れているという高い評価と、マスコミで報道されている小沢氏の姿が、どうしても整合性のとれた形で理解できないのを感じる。すべての間違いが小沢氏ただ一人に集中しているように語られている現状が果たして正しいものなのかというのを考えてみたいと思う。 「ビデオニュース・ドットコム」では小沢一郎氏の辞任会見を見ることが出来る。神保氏は、この会見を見てから一連の報道を見直してほしいというようなことを書いていたが、この報道を見る限りでは論理的な齟齬を小沢氏の言葉からは感じない。原則を貫くという姿勢はここでも一貫している。小沢氏の主張の要約は「小沢氏辞任会見詳報(1)けじめをつけるに当たり」という記事に詳しい。それによると次の4つの点がポイントであると思われる。 ・1、国際平和協力に関する自衛隊の海外派遣は、国連安保理、もしくは国連総会の決議によって設立、あるいは認められた国連の活動に参加することに限る。したがって特定の国の軍事作戦については、わが国は支援活動をしない。2、新テロ特措法案は、できれば通してほしいが、両党が連立し、新しい協力態勢を確立することを最優先と考えているので、連立が成立するならば、あえてこの法案の成立にこだわることはしない。福田総理は、その2点を確約された。 これまでのわが国の無原則な安保政策を根本から転換し、国際平和協力の原則を確立するものであるだけに、私個人は、それだけでも政策協議を開始するに値すると判断した。 ・民主党は先の参院選で与えていただいた参院第一党の力を活用して、マニフェストで約束した年金改革、子育て支援、農業再生をはじめ、国民の生活が第一の政策を次々に法案化して、参院に提出しているが、衆院では依然、自民党が圧倒的多数を占めている現状では、これらの法案をいま成立させることはできない。逆にここで政策協議を行えば、その中で国民との約束を実行することが可能になると思う。 ・もちろん民主党にとって、次の衆院総選挙に勝利し、政権交代を実現して国民の生活が第一の政治を実行することが最終目標だ。私もそのために民主党代表として全力を挙げてきた。しかしながら民主党はいまださまざまな面で力量が不足しており、国民の皆様からも、自民党はダメだが、民主党も本当に政権担当能力があるのかという疑問が提起され続け、次期総選挙での勝利は大変厳しい情勢にあると考えている。 その国民みなさんの疑念を払拭(ふつしょく)するためにも政策協議を行い、そこでわれわれの生活第一の政策が取り入れられるならば、あえて民主党が政権の一翼を担い、参院選を通じて国民に約束した政策を実行し、同時に政権運営への実績も示すことが、国民の理解を得て民主党政権を実現する近道であると私は判断した。 また政権への参加は、私の悲願である政権交代可能な二大政党制の定着と矛盾するどころか、民主党政権実現を早めることによって、その定着を実現することができると考えている。 ・以上の考えに基づき、2日夜の民主党役員会において、福田総理の方針を説明し、政策協議を始めるべきではないかと提案をしたが、残念ながら認められなかった。それは私が民主党代表として選任した役員の皆様から不信任を受けたに等しいと考えている。よって多くの民主党議員、党員を主導する民主党代表として、また党首会談で誠実に対応してもらった福田総理に対し、ケジメをつける必要があると判断した。 最初の点は、大連立と呼ばれるような政策協議に応じようとした判断の一番の根拠になるものだと思われる。安保政策の原則を国連の決議に置くというのは、小沢氏の長年の主張に重なるものであり、これを守りつづけるというところに、小沢氏の原則的な姿勢を見ることが出来る。また、この原則が実現できるなら、政権交代というもう一つの目標よりこちらのほうが優先されるという判断も、どちらがより原則的かという観点の違いによるものであるから、論理的にはまっとうでありご都合主義とはいえない。 宮台氏も、これこそが最も重要な論点になるべきだったのに、マスコミの報道では、衆参両院での多数派の違いから法案が通らない状態を改善するために連立構想を立てたかのように末梢的な部分の報道がされていたと指摘していた。与党と野党のねじれ現象の国会運営を改善する政策の歩みよりは、この原則を確認した後に行われる妥協の産物であって、歩み寄ることを目的に政策協議をするわけではなかったのに、歩み寄るところばかりが強調されてしまったようだ。だから、自民党にノーを突きつけた参院選の民意を裏切ったかのように見えてしまったのではないだろうか。問題は、安全保障政策の原則に賛成できるかどうかということのはずだったのに。 小沢氏の基本的な考えは、宮台氏が語るように、今までの無原則なアメリカ追従のやり方ではなく、国連決議というものを根拠に、アメリカの要求をただ飲むだけの安保政策からの転換を図るということが目的にあるものだと思う。国連決議さえあれば、どんどん自衛隊を海外派遣してもいいのだというような、戦争をしたいという意図のものではないと思う。むしろ、アメリカに要求されるままに自衛隊を派遣するという主体性のなさにピリオドを打つために原則を確立しようということだろうと思う。そうであれば、基本原則は考えるに値すると思う。 また、この基本原則を打ち立てるなら、国連決議に従って国際貢献をするための軍隊の保持とその活動を憲法に明記する必要があるだろう。だからこそ、そのための改憲という問題も出てくるのだと思う。この改憲は、戦争が出来る国にするための改憲ではなく、無原則に戦争に巻き込まれることのないように、主体性を獲得するための改憲ということなら、これも議論に値するのではないかと思う。 マスコミの報道では、小沢氏が民主党を「力量不足」だといったことが、まるで民主党を侮辱したかのように受け取られているが、これも曲解というものだろう。「力量不足」だと語っているのは、小沢氏ではなく、むしろマスコミのほうであり世論のほうである。小沢氏は、それはまだ政権を担当したことがないことから来るイメージによるものだと判断している。だからこそ政策実現のために政策協議を利用するということもありうると判断したのだろう。これは論理的には、そのように考えることにも一理ある。 また、最後に語っているケジメの問題も、論理的には整合性のある判断だと思う。自分の主張が通らなかったから、わがままから仕事を放り出したというのではない。なぜかマスコミの報道のイメージでは、小沢氏に対してそのようなイメージを貼り付けたいような報道が、特にテレビなどで目立つようだが、自分の提案がほとんどの役員に否決されたということは、その役員を自分が任命したということで言えば「不信任を受けたに等しい」という判断をするのは正しいのではないかと思う。 また、小沢氏は会見の中で、民主党のイメージを著しく落としたことについて、このまま代表を続けることでさらにそれが増幅することを心配していた。それは、ある意味では宮台氏が語るように、デタラメな報道をしているマスコミに責任の一端があることなのだが、小沢氏個人の力ではその流れを押し止めることが出来ないとすれば、辞任をすることで流れを止めようと考えるのは一つの考えだろうと思う。 小沢氏が連立の提案を党に持ち帰って議論したことについて、世間ではなぜ持ち返ったのかと言っているようだが、それは民主的な手続きを踏んでいると神保氏は指摘していた。田中康夫氏も日本新党のWebラジオで同じようなことを語っていた。受けるにしろ受けないにしろ、独断的な判断を避けたということだ。この一連の騒動を改めてよく見てみると、小沢一郎という政治家は、非常に民主的で誠実な人ではないかと僕は思うようになった。今までのイメージでは、陰で総理を操るような黒幕的な人間という感じがして、権力者の中でも「悪」のイメージが強い人間のように見えたが、実は岡田斗司夫さんが言うような独裁者タイプの権力者なのかもしれない。 独裁者タイプは、非常に有能で責任感の強いまじめタイプだと岡田さんは指摘していた。小沢さんの記者会見の言葉からは、有能・責任感・まじめという3つの言葉を強く感じるところがある。小沢さんの安保政策は、戦争をする国にしようという方向だと危惧する人が多いかもしれない。積極的に国際貢献をして行こうという方向が、どんどん戦争をしていくようなイメージを生み出しかねない。しかし、記者会見での言葉を見る限りでは、平和のために必要最低限の武力活動がなくてはならない、というような発想のように感じた。もしその最低限の武力活動さえも否定してしまえば、囚人のジレンマのようにもっと悲惨な結果が待っているという考えではないかと感じた。戦争をしたいというのではなく、戦争を避けるためにこそ武力が必要だという発想のように見える。 ただ、この発想はすぐに賛成できない人が多いだろうとも思う。異論が噴出する問題だろう。だがそれだけに、この問題を中心に据えてこそ、本当の意味での日本の未来の方向の選択が決まるといえるかもしれない。今のように烏合の衆のような2大政党ではなく、基本的な考え方の違いから主張が異なるという2大政党制こそが小沢氏の目指すものではないかとも思える。 小沢氏のマスコミ批判には、政府与党の側の情報を一方的に垂れ流すマスコミに対してのものがあった。政府与党が何を言っているかということを書くことも必要だろうが、それならば、異なる側の小沢氏が何を言っているかもあわせて書くべきだという批判だ。読売の記事は、政府与党の側の話だけで、小沢氏とその周辺に対してはまったく取材がなかったそうだ。これは、ジャーナリズムとしては片手落ちということになるだろう。 一方の側の情報だけを垂れ流す報道は、かつての大本営発表と同じで、かつての間違った歴史を繰り返すのではないかという主張も会見では語られていた。敗戦の歴史を間違ったものと認識しているところを見ても、小沢氏は、単なる感情に流される保守主義者ではなく、何が守られるべきかということを冷徹に判断できる保守主義者ではないかとも感じる。 この一連の騒動は、マスコミの報道だけを見ていると、小沢氏が自分の権力欲から民意を裏切り、バカな一人相撲を演じたピエロのように見えてくるかもしれない。しかし、小沢氏の会見の全体を見て、神保・宮台氏の論評などを聞けば、かえって小沢氏への再評価が高まる感じがする。僕は、今までは黒幕としてのイメージで小沢氏を見ていたが、会見の姿を見る限りでは、小沢氏は日本という国家の行く末を本気で考えている本物の政治家のように見えた。その考えがあまりにも深いものであったために、一般への理解が得られず、ピエロのように見られているのがたいへん気の毒のように見える。小沢氏の深い考えをもっと詳しく考えて、より理解したいものだと思う。
by ksyuumei
| 2007-11-11 16:35
| 政治
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