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日本の軍隊と軍人に対する評価について

クリント・イーストウッド監督の「硫黄島からの手紙」は、僕はまだ見ていないのだが、それを見た多くの人は映画の主人公とも呼べる栗林忠道という軍人に大きな魅力を感じたのではないかと思う。その人間性の豊かさと頭脳の優秀さには感嘆するばかりの感じを受ける。まさに尊敬に値する人物と言えるのではないだろうか。

僕は、映画ではなく、小室直樹氏の『硫黄島 栗林忠道大将の教訓』(WAC)という本で詳しく知った。そして、知れば知るほど、この人物の魅力を強く感じるようになった。これは僕にとってかなり衝撃的なことだった。僕は、日本の軍隊というのは腐敗している組織であって、優秀な人間が指導的立場につくことが出来なかったがゆえに多くの過ちを犯したのだというイメージを持っていたからだった。

硫黄島の戦いで指揮をとった栗林中将(この戦いの時点ではまだ中将だったと思う)は、おそらく日本の軍隊史上で最も優れた指揮官だったのではないかと僕は感じる。そして、軍人として優れていたというだけではなく、その他の分野の人間と比べても、その合理性・先見性・視野の広さ・人間的な懐の広さなど、どれを取っても最高の人物のように感じる。この最高の人物とも思える人間が、戦闘の最高指導者だったというのが僕には驚きだった。




日本の軍隊が腐敗した組織だったというのは、実は敗戦前の数年間に特徴的なことであって、実は実力主義の優れた組織だった時代もあったのではないかとも考えるようになった。敗戦というイメージがあまりにも強烈なものであり、しかも、戦争の歴史といえば、日本の軍隊のマイナス面ばかりが強調されてもきたので、そのイメージが全体を覆ってしまったような気がする。

もし、日本の軍隊が最初から腐敗していたひどいものであったなら、先の大戦で敗戦する前に、すでに日清・日露の時代で負けているのではないだろうか。日本が、他のアジア諸国と違って、明治維新後に植民地化されなかったのは強大な軍隊を持っていたおかげだといわれている。それは、歴史を振り返ればほぼ明らかなことではなかったかと思う。

日本の武士たちは戦争のプロだから、たぶん1対1の戦闘では負けないという自信を持っていたであろう。しかし、近代の戦争は重火器を用いた集団の戦闘になっていた。これでは刀で1対1の戦闘をする武士は、その武力の圧倒的な格差のために、敵に切りつける前にやられてしまう。西欧近代の武器を知れば知るほど、指導的立場にいる人間たちは、外国を追い払うという単純な攘夷思想では日本は守りきれないということを痛感したという。

明治維新は、攘夷思想から始まった改革の動きが、開国をして外国文明を取り入れ、武力において対等に近いものを確立して国を守るという方向へシフトしていったと考えられる。富国強兵という考え方や、そのために「産めよ増やせよ」と掛け声をかけたというのも、すべては、植民地化されて国が滅びるのを防ぐという目的からだったのではないかと感じる。

このような時代は、危急存亡の時代ではあるが、逆にいうと本物の実力を持たない人間は敗北によって消えていき、生き残れるのは本当の実力を持った人間だけだとも言える。明治維新期に、日本にいた最も優れた人間たちが指導者として登場したのは、そのような時代だったからだともいえるのではないかと思う。

日本は、この明治維新期の偉人たちの努力によって、植民地化されることなく、西欧の先進国と肩を並べるくらいの国力を誇る国へと成長していった。宮台氏によれば、この時期に唱えられた「亜細亜主義」というものが、実は日本と同じように近代化の道を歩むことによって、アジア諸国が西欧の食い物になるのを防ごうという、アジアの共同体を構想するものだったということだ。

この精神は、明治維新後の一時期は、おそらくそのとおりの崇高なものだったのではないかと思う。だからこそ、日本は世界に大国として君臨するだけの力を持ちえる国になったと思うのだ。日本の軍隊も、このころまでは他国に優位する強い軍隊であり、優秀な軍隊であったに違いない。その指揮官も優れた人間だっただろうし、兵士たちの規律も、統制の取れたものだったのではないかと思う。日露戦争のころの、日本軍の捕虜の扱いに関しては、最も尊敬されるべき手厚いものだったといわれている。

この優秀な日本軍がどの時点で、腐敗した組織になり、規律を守った指揮系統を保てなくなり、歴史に汚点を残すといわれるような事件を起こすようになったのか。このあたりのものは、小室氏が「失敗学」と呼ぶものの研究を深めることが必要なのではないかと思う。何が原因で、取り返しのつかないところまで行かなければ、その誤りを正すことが出来なくなってしまったのか。

硫黄島の戦いのように絶望的な状況のときにこそ、栗林中将のような優れた指揮官が登場したというのは、ある意味では象徴的なことではないかと思う。それは絶望的な戦いであり、本当に優れている人間でなければ、そこからは逃げ出したいと思いたくなるような場所ではないだろうか。実際には逃げ出すことが出来なくて、無駄死にとも思えるような玉砕に走ってしまうのではないかと思う。

優秀でない指揮官がみな逃げ出した場所だからこそ、たまたま最後に残った指揮官が、栗林中将のように優れた人間だったのではないかと思う。栗林中将の優秀さを感じるのは、相手の裏をかくその作戦のすばらしさだ。米軍との戦力の格差においては圧倒的なものがあるので、正面からぶつかれば、相手に何の損害も与えずに玉砕するだけだ。

特に、直接地上戦をすることなしに、外から、艦隊あるいは飛行機による攻撃で島を破壊してしまえば、米軍はほとんど損害を受けずに戦闘は終わってしまっただろう。硫黄島の日本軍としては、どうしても米軍を上陸させてから戦うしかない。

栗林中将は、硫黄島のあちこちにトンネルを掘って、地下からの攻撃で米軍を苦しめたということが有名だが、それ以上に、米軍が上陸してくるまでじっと待っていたということがすごいと僕は思った。もし、沖にいる艦船に応戦していたら、どこに潜んでいるかを発見されて、そこを攻撃されたら日本軍の全滅は早かっただろうと思う。それをじっと待つということは、あのような極限状況の中でのことだけに、非常に難しいに違いない。

硫黄島の日本軍にそれが出来たのは、死を恐れない気概が彼らにあったのではないかと思う。これこそが、おそらく日本の軍隊の優秀さと強さの根本にあるものではないかと僕は感じる。死を恐れる気持ちは、じっと待っていることの不安に耐える気持ちをくじくだろう。どう戦っても死は免れないという戦闘に臨むとき、合理的な判断をする人間だったら降伏するだろう。そこで死んでしまえばすべては終わりだからだ。そのときに、たとえこの身は死んでも、戦い抜くことに意義を見出して死んでいくという気持ちはどうやって育てることが出来るだろうか。

それは、戦前の軍国主義教育によって育てられたと、僕も素朴に信じていたが、それで果たして育てられるのだろうかという疑問もどこかにある。日本人の価値観として、どこかに、このような死生観を受け入れさせる資質があったので、そのような教育が割合に容易に受け入れられたのではないだろうか。

僕は戦争を賛美する意図はないのだが、栗林中将の物語を知れば、そこに深い感動を覚えるし、死を恐れずに、米軍に対して少しでも大きな被害をもたらすということを目標に、可能な限り最大限の戦果を挙げたことに尊敬感を抱く。栗林中将の行為も、結局は戦争行為ではないかということで否定する気にはなれない。戦争行為というものが、かなり複雑な評価を持っているものだとは感じているが、戦争だからすべて悪いのだと考えるのはあまりにも単純すぎるのではないかと感じている。

小室氏は、先に上げた本の中で、栗林隊が硫黄島であれだけの戦闘をしたおかげで、その後の戦争の推移においてアメリカの譲歩を導き出しているのだと評価している。この評価に関しては賛否両論あるかもしれないが、栗林中将が、軍人としてアメリカでも深い尊敬を抱かれているというのは、小室氏の解釈に整合性をもたらしているのではないかとも感じた。

アメリカは、硫黄島での戦闘において日本軍の強さをいやというほど知らされたので、それが可能であったにもかかわらず本土への直接の攻撃はしなかったという解釈を小室氏はしている。沖縄でも日米は激しい戦闘を行ったが、ここでも米軍は予想以上の自軍の犠牲に驚いたという。武器の質量ともに圧倒的に上回る米軍が、日本軍には簡単に勝てないということに驚いていたという。

そのため、飛行機の空襲や原爆によって日本軍をあきらめさせるしか敗戦へ至る道がなかった、というのが原爆投下の肯定にもつながるのだが、ある意味ではアメリカの論理でもあるということだ。その国の人間を皆殺しにしなければ終わらないような戦闘というのは、おそらく西欧的な合理主義から言えば、まったく信じられないような戦いだろうと思う。ことの是非はともかく、まったく質の違う軍隊を相手にしているという怖さがアメリカ軍にはあったようだ。

小室氏は、栗林中将のような優秀な人間が、戦争の総指揮を取っていれば、勝てないまでも負けない戦が出来ただろうと書いている。講和に持ち込むことくらいはできただろうということだ。アメリカにとって、もう日本との戦争はいやだと思わせれば、一定の条件で停戦協定を結ぶことが出来ただろうと書いている。

この種の考察の方向は、ある種の違和感を感じる人もいるだろう。僕もそうだった。僕は、日本が戦争に負けたことは、結果的にはいいことだったように感じていたからだ。あのまま戦争に勝ってしまえば、非科学的な精神主義が支配する社会がそのままの形で残ることになる。そうなるとたまらないから、むしろ負けたことによって精神主義が否定されるなら、そのほうがいいと思っていた。

しかし、学校現場の様子を見ても、社会のいろいろな現象を見ても、実は精神主義というのは少しも消えていないことに気づく。あの敗戦がまったく反省の材料になっていない。そういうものを見ると、敗戦が果たしてプラスに働いたのだろうかというような気もしてくる。

日本が戦争に負けたのは、栗林中将のように優秀な人間が、本当の意味での最高指揮官にならずに、硫黄島で犬死させたようなところに原因があるのだと思う。もし、本当に優秀な人間が指揮をとるような組織だったら、戦争に勝利していたかもしれない。そうすれば、ばかげた精神主義ではない、合理的精神で勝利したことになり、もっとよい方向に社会は変わっていたかもしれない。

戦争や軍隊というものは無条件に悪いものだというイメージが強いが、それが存在するのは、そこに合理的に理解できる理由があるのだろうと思う。実際には、これらのものも価値的にはニュートラルなもので、立場によって良いものになったり、悪いものになったりするだけのものかもしれない。

暴力という現象も、犯罪者の暴力は悪であるけれども、犯罪者から市民を守る警察の暴力は善として肯定される。それを、暴力はすべて悪だとして、警察の暴力を制限してしまえば、犯罪者の暴力が横行するような社会秩序の乱れが出てくるだろう。軍隊や暴力の問題を、善悪という道徳から離れて科学的・合理的に理解する道を見つけたいものだと思う。栗林中将が遭遇した軍隊の暴力は、実態としては非常に悲惨なものではあっただろうが、とても感動的なものだっただけに、そのような考えが浮かんできた。
by ksyuumei | 2007-05-19 14:12 | 戦争・軍事


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