pantheran-onca さんが「2006年12月24日 バックラッシュの奥に潜むものと丸山真男」というエントリーのコメント欄に書いた「丸山が戦時中の日本を「ファシズム国家」と規定したこと」が間違いだったと言うことは、「南京大虐殺があったか無かったか」という対立によく似ているような感じがする。
「南京大虐殺」という事件については、「大虐殺」という曖昧な言葉をどう定義するかで、あったかなかったかという判断が違ってきてしまう。問題は、この言葉を厳密に定義して、事実がそれに合致するかで判断しなければならないのだが、対立する双方が同意するような定義は見つからないのではないかと思う。宮台真司氏も、どこかで「南京大虐殺はなかった」というような発言をしていたように記憶している。このことの意味は、世間で流通しているようなイメージでの「南京大虐殺」はなかったという意味なのではないかと僕は思っている。 言葉とそれが指し示している概念とは、唯一に決まるわけではない。「南京大虐殺」という言葉が、具体的には何を指しているかは、それを使う人によって違ってくる可能性が出てくる。そして違った前提で結論を引き出している論理は、論理としての正当性を持っているにもかかわらず、言葉の上では全く反対の結論を出すこともある。 このような状況を解決するには、そこで何があったかで同意できるような表現で論理を進めるしかないだろうと思う。当時の南京で、本当にはどのような「事件」が起こったのか。その具体的な事実で、同意できるものがあったとき、初めてその判断も論理的に同意できるものが出てくるだろう。 丸山眞男と「ファシズム」を巡る議論も、「ファシズム」という言葉が何を意味しているかに違いがあれば、その評価に違いがあっても論理的にはおかしいところは何もないだろうと思う。この「ファシズム」という言葉が、定説としてほぼ一つに決まっているのなら定説というものはあるかも知れないが、それはいわば多数決で決められた結論のようなもので、それが真理であるかどうかは多数決では決められない。 「ファシズム 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』」によれば 「ファシズムが何であるのかの共通見解は未だ確定しているとは言えないが、定義するに当たって重要なのはその歴史的経緯である。現在の多くの論者は、ファシズムの原因が当時の複雑な状況にあったことを挙げる。」 と書かれている。「現在の多くの論者」の中に丸山が入っていなければ、未だに確定していない共通見解は、丸山の当時にはさらに多くの異論が存在したのではないかとも思われる。また、現在の多くの論者が「当時の複雑な状況」を大きな要素として考えるのは、現在の論者が何を主張したいのかという内容にも大きく関わっているだろうと思う。 僕は丸山眞男にも、現在の論者にも詳しくないので、その主張の内容は具体的には分からない。だが、それに違いがあるのなら、丸山が「現在の多くの論者」と同じように、歴史的経緯を第一の要素として「ファシズム」を考えなかったとしても、それは論理的に理解できる。 歴史的経緯を重視するというのは、「ファシズム」という概念をかなり限定的に考えることになるだろうと思う。極端なことを言えば、普通名詞として捉えるのではなく、固有名詞のように捉えることにもなるだろう。「ファシズム」というのは、イタリアのファシスト党の政治的な立場を捉えたものだと言うことになるだろう。同じように見えるドイツの政治体制は「ナチズム」と呼ばれることになる。こうなると「ファシズム」という言葉は、同じような現象を一般的に取り扱う言葉としては使えなくなる。 このような立場に立てば、日本における「ファシズム」を考えるというのは、その定義からして間違っていることになるだろう。それは日本ではない国の出来事を指しているのだから。もし、日本においても「ファシズム」を考えるなら、この概念を一般化して、歴史的・地理的な違いを捨象して適用できるようにしなければならない。それはウィキペディアによれば、「広義にはナチスドイツ・日本・スペイン・南米・東欧などでの極右国粋主義による全体主義独裁体制を指す」と言うことになってくるだろうと思う。 「小熊研究会1 ハンナ・アーレント「全体主義の起源」コメント 丸山真男と日本の全体主義」には、「丸山真男の全体主義の図式 日本のファシズムの特徴」として、「ファシズム」という言葉が使われている。この「ファシズム」は、ウィキペディアで言っている広義の意味のものだろうと思う。「全体主義」というものを広く「ファシズム」に通じるものとして捉えているものだと思われる。 だが、「全体主義」というのは、旧社会主義国家もそう呼ばれたように、「ファシズム」ではないものも含まれている。全体主義とは、「全体主義 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』」によれば「個人の自由、個人の利益に対して、全体の利益が優先される政治原理、およびその原理からなされる主張」と定義されている。いくつかある全体主義の中で、特に「ファシズム」と呼ばれる特徴を持つものとして「極右国粋主義による」というものを付け加えると「ファシズム」の特徴が捉えられるとするのがウィキペディアの広義の定義のように思われる。 「極右国粋主義による全体主義」という抽象的なとらえ方をするなら、この抽象の範囲には戦争当時の日本も十分含まれるのではないかと思う。もし丸山がこのような意味で「ファシズム」を使っていたのなら、それは言葉の使い方として大きくはずれているようには思えないだろう。 「ファシズム」という言葉は、その定義が違えば、論理的な結論が違ってくるような言葉になっている。そして、立場や目的が違えば、それに伴って定義が違ってくるような言葉になっているのではないだろうか。問題は、この言葉を誰もが同意するような定義として確立することではなく、何を解明したいかという目的にふさわしい言葉にすることではないかと思う。 「科学」という言葉も、それを仮説に解消してしまうような定義も出来るし、相対的真理として確立できるような定義も出来る。どちらの定義が、自分が解決したい問題にふさわしいかという、問題意識と重なる定義が求められるのではないかと思う。丸山眞男は、果たしてどのような問題を解決したいと思ったのだろうか。 小熊研究会では、日本のファシズムの特徴を 1.家族主義 2.農本主義 3.無責任の体系(無限責任=無責任) と言うものに置いているのが「丸山真男の全体主義の図式」だと解釈している。そして具体的な主張として ・日本でのファシズム運動を担ったのはインテリ層(ヨーロッパ的教養を持つ人間)ではなく亜インテリ層(土着の権力者)→日本におけるインテリ層の大衆からの孤立 ・日本ファシズムの矮小性/指導者の指導意識の希薄 ・ナチスやイタリアファシズムが大衆運動から出発した(下からのファシズム)のに対して日本のファシズムは上からのファシズムである と言うようなものをあげている。このような考察によって、丸山眞男は何を明らかにしようとしたのか。日本が歩んだ間違った道の、どこが間違っていたかを明らかにしたかったのではないだろうか。それは戦争に負けたから間違ったのではなく、重大な判断において間違ったものを結論していったことの本当の原因を求めたいと言うことではないかと思う。 「ファシズム」の問題で言えば、宮台氏が語ったような亜インテリ層がその中で権力を握っていったことが、真のインテリ層を追い出すことにつながり、これが間違った判断を修正できないことにつながっていったのではないかと言うことは、論理的に整合性があるように感じる。亜インテリ論が正しければ、それを基にした解釈にはかなり信憑性を感じるものだ。 そして、亜インテリ論は、日本特有のものであるからこそ「ファシズム」一般ではなく「日本ファシズム」という呼び方をするのではないだろうか。「ファシズム」という言葉の定義に拘ることは、問題の解決に対してはあまり重要ではないように感じる。問題としては、次のようなものを解決することが大事なのではないだろうか。 ・広義のファシズム(=極右国粋主義による全体主義)には本質的に大衆の支持を受けるような要素があるのか。 ・広義のファシズムはインテリ層の支持を受けるものなのか、それとも権力の圧力に対してインテリ層が負けてしまったのか。 ・亜インテリというのはどこにでも存在するものなのか。それはどのようなメカニズムで生み出されるのか。 ・日本には亜インテリ層が権力を握る源泉としての制度的問題があるのか。(宮台氏によれば、欧米では亜インテリのような存在は大きな力を持たないと言う) ・人間の行動に対する暴力の影響の一般的な法則はあるのか。 真のインテリ層というのは、ある意味では専門家を指すのではないかと思う。難しい問題に対して、多面的な角度から分析して、その時にもっとも妥当な結論を出すことが出来る人間が、本当の意味での専門家であり、真のインテリ層ではないかと思う。この真のインテリ層が、世論の動向や権力の意思にかかわらず、「それでも地球は回っている」というエピソードに語られているガリレオのような、真理に対する強い意志を持っていれば、激動期においても間違った判断を避けられる可能性があるだろう。 しかし、インテリ層が、世論の動向を気にしたり、権力の圧力に負けたりするようであれば、誰が道の間違いを指摘できるだろうか。亜インテリの影響力を大きくしないためにも、誰が本当のインテリであるか、真の知識人・専門家を見分ける目を、一般大衆こそが持つ必要があるのではないかと思う。それこそが丸山眞男的問題なのではないかと思う。
by ksyuumei
| 2007-01-01 13:38
| 雑文
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