マル激のゲストの人選というのは、なかなかすごいと思うものがあるのだが、民主党の参議院議員の鈴木寛氏もなかなかすごい人物だと思った。非常に明快な論理を語る人だし、物事のつながりを深く洞察している人に見えた。教育基本法の問題も、教育の問題として本当に有効なものにするためには、その後の議論・つまり「地方教育行政法」に関わる部分の議論こそが本質的なものだと語っていた。非常に説得力を感じた。
「地方教育行政法」が大事なのは、具体的な地方の教育を変えることが出来るのは、実はこの法律によるところが大きいからだ。鈴木氏は、学校(特に公立学校)の問題を、責任がたらい回しにされる構造に見ていた。学校に関して、いじめなどで何か問題を感じた保護者がいたときに、現在の学校制度の下では、どこにその問題を訴えても有効な対策が打てないと言う。 責任の所在がはっきりせず、責任を取るべき人間に権限が与えられていないのが、現行の「地方教育行政法」だという。具体的な問題を学級担任に訴えても、それが学年主任に回され、学校長の判断を仰ぎ、それでも決定できずに、教育委員会や最後は文部科学省にまで問題が先送りされる場合もある。そして、最後で文部科学省に、これは地方にまかせてあると言われると、問題はたらい回しにされるだけでどこも扱ってくれないということになる。 このようなことを具体的に解決しない限り、今の教育の問題は解決しないと言うのが鈴木氏の持論のようだ。そして、鈴木氏がその提案に大きく関わったというのが民主党の「日本国教育基本法」のようだ。これは、政府案と違って、具体的な問題解決につながるような「教育基本法」の提案になっているだろうか。鈴木氏を高く評価する気持ちとともに、この案に対する関心も高まってきた。 「日本国教育基本法案 解説書」として「詳しくお知りになりたい方へ 条文解説及び現行法との比較対照(コンメンタール)」というものがネット上で公開されている。これを参考に、鈴木氏が考える教育というものを考えてみようと思う。 ここでは、現行基本法・政府案・民主党案が並べて書かれており、比較が出来るようになっている。まずは前文から眺めてみるのだが、この前文を見る限りでは、民主党案が一番優れているように感じる。これは、鈴木寛氏が優れているという先入観をもったために、民主党案の優れた面が目に入りやすいと言うことがあるかも知れない。 政府案というのは、本来は現行基本法を変えたくなかった公明党の間で妥協に妥協を重ねた末に作られたものだと鈴木氏は語っていた。だから、自民・公明双方にとっては非常に不満の残る、中途半端な法案になったようだ。自民党は自分のやりたいことを盛り込むことが出来ず、公明党は変えられたくないところを阻止することに失敗したと思うようなものになっているのではないか。 政府案の前文においてあえて変わった部分を見つけるなら「公共の精神を尊び」「伝統を継承し」という文言が加わっているところだろうか。だが、これも一般的・辞書的な意味として受け取っている限りでは問題は生じない。具体的な「公共」「伝統」の中身がはっきりしてから問題が表面化する。どちらの法案も「日本国憲法の精神にのっとり」と語られているので、「改正」案では、文章の格調の高さが失われただけで、中身は何も変わっていないと言うような感じさえ受ける。 それに対して、民主党案の前文は、全く新しいことがそこに含まれているのを感じる。「教育の原点である家庭と、学校、地域、社会の、広義の教育の力」というふうに指摘されている対象は、非常に具体的で、教育の主体を地域に根を持ったものにし、地域で重要なことは地域で決めるという、鈴木氏のマル激で語った方向性を強く打ち出している文言のように感じる。 教育の主体を地域に返すという主張に対しては僕は賛成だ。地域のことをよく知らない国の中心にいる文部官僚が、地域の教育の中身にまで大きな権限を持つことは弊害の方が大きいと思う。この方向を進めるような前文の「改正」なら、それは言葉の正しい意味での「改正」になるだろう。 また次に語られている「我々が直面する課題」も非常に具体的である。民主党案のキーワードは、このような具体性にあるのではないだろうか。具体性を持っていると言うことは、この基本法が、理念を語るだけではなく、実際の教育の改革をも実現する実効性を持たせたいためと解釈することが出来るのではないか。課題は具体的には次のようなものがあげられている。 ・「自由と責任についての正しい認識」 ・「人と人、国と国、宗教と宗教、人類と自然との間に、共に生き、互いに生かされるという共生の精神を醸成すること」 一般論として教育を語るときには、もっといろいろなものを包含する課題が提出されるだろう。その中であえてこの2つを取り出したのは、これが今の最重要課題だと考えているからではないかと思う。「自由と責任」の認識が間違っているために社会の乱れが起こっていると言う考えから、このことが「課題」とされているのだろう。また、「共生の精神」がうまく育っていないことが、様々な国際紛争やテロの温床になっているという認識もあるのではないだろうか。 これについては全面的に賛成と言うほどの積極性は感じないが、この2つが重要な課題の中に含まれているだろうことは賛成する。他にもまだあるかも知れないので、これを最重要とするかどうかは判断は保留したい。 教育の目的としてあげられている事柄にも、民主党案には新しいものを感じる。現行基本法案と政府案で盛り込まれている ・「個人の尊厳」 ・「真理」 ・「平和」 ・「正義」 ・「人間性」 ・「創造性」 といった目的は、全て民主党案にも含まれている。政府案にはこれに加えて「伝統」というものが入っているが、これも一般的な意味では問題はない。具体的に語るときに問題が生じることがあるというものだ。民主党案では、 ・「美しいものを美しいと感ずる心」=「人間性」の具体像 ・「自律の精神」 ・「個人や社会に起こる不条理な出来事に対して、連帯して取り組む」=「人間性」の具体像 ・「公共の精神」=「正義」の具体像 ・「祖先を敬い、子孫に想いをいたし、伝統、文化、芸術を尊び」=「愛国心」または「伝統」の具体像 ・「学術の振興」 ・「他国や他文化を理解」 などというものが新たに盛り込まれている。ここでもやはり「具体性」というキーワードが感じられる。ここで提案されている教育の目的はおおむね賛成できる。「愛国心」についても、このような「愛国心」であれば、「愛政府」ではないし、軍国主義化の日本のように弾圧に働くようなものにはならないだろう。 鈴木氏は、「愛国心」はだいたい教育できるものではなく、法案でも民主党は「涵養」という言葉を使ったと語っていた。「涵養」というのは辞書では、「水が自然に染み込むように、無理をしないでゆっくりと養い育てること」という説明がされている。民主党案が語る教育における「愛国心」がそういうものであるなら、それは具体的に学校教育の中に入ってくることはないと考えられるだろう。 上の目的の中で特に、「自律の精神」「個人や社会に起こる不条理な出来事に対して、連帯して取り組む」というものは僕の印象に残った。これは、日本社会に特に欠けている資質だと感じるし、欠けている原因の中に、このような資質を育てる邪魔をする教育というものを感じているだけに、教育の中身がこの法案によって変化するようなら、このような資質が育つ可能性を期待することが出来るのではないか思ったからだ。 パターナリズムが強く、教師からどのような評価をされても、その評価に異議を唱えることが出来ないという今の教育制度の中では、「自律の精神」を養うのはかなり困難だ。他人がどう言おうと、自分はこれが正しいと主張できることを、ある種の「わがまま」と見てしまう日本の学校の中では「自律の精神」を押しつぶそうとしているのではないかとさえ感じる。 「自律の精神」に欠ける日本人は、不条理な出来事に連帯して抗議すると言うことがほとんど無い。それが自分の問題として、自分に深刻に降りかかってくるものであれば、連帯ではなく利害関係として抗議するというものは見られる。だが、連帯して抗議すると言うことはほとんど見られない。 公共交通機関がストライキをすることは、労働者の当然の権利として理解している人は少ない。迷惑なことをしていると思っている人が大部分だろう。ここにはほとんど連帯と言うことがない。連帯というのを、感情のロジックで行える人もいるだろうが、そのような素質のない人間は、ある種の不条理が、今は自分には関係ないように見えても、それが大きな観点からは自分と関わりを持ってくると言う論理を理解して初めて本当の連帯感が生まれてくるのではないかと思う。この教育は、正しい論理教育によってなされるだろうと思う。 民主党案には、鈴木氏の持つ優秀さがよく反映しているように見える。少なくとも政府案よりはずっといいものに僕には見える。それは、現実の教育問題を解決するということに役立てる、という結論に結びつけるためにはいいものだと感じる。しかし、これによって自民保守層が考える学校からの左翼勢力の一掃がなされるようには見えない。 民主党案なら、むしろ、「バカサヨク」に分類されてしまう勢力は一掃されるけれど、賢い本物の「左翼」は、さらに力を得て学校の中で重要な位置を占めていくことになるだろう。そうなると、国民が賢くなって、自民党が行っている衆愚政治が通用しなくなるかも知れない。しかし、民主党案に賛成する人は少ないだろう。僕の感覚でも、どうせ変わるなら政府案より民主党案の方がいいとは思うが、現行基本法と比べてどちらがいいかということはなかなか判断が難しい。 現行基本法は長い間日本の教育を支えてきたものであり、今の教育に様々な問題があるとしても、その問題の原因が本質的に教育基本法に関わっているのだと言うことが確信を持ってまだ言えないと言うことがある。それが確信を持って言えるなら、問題を生じさせた原因を「改正」することが正しくなるだろう。そういう意味で、やはり教育基本法の問題は、まだ議論が足りないのではないかと思う。民主党案を検討することによって、新たに盛り込まれた部分の意義を考えることで、もしかしたら現行教育基本法の本質的問題が解明できるかも知れない。
by ksyuumei
| 2006-12-17 15:05
| 教育
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