沖縄県知事選で「自公」が推す仲井真氏が初当選した。この選挙については、今週配信されたマル激の中で、宮台氏が「糸数氏が当選しそうですし」と語っていただけに、残念な気持ちが強い。それと同時に、教育基本法が国会を通過しそうなことなどを考え合わせて、現在の強い保守の世論の状況が今後も続いていくのだろうかと言うことを考えてみたいと思った。
宮台氏によれば、現在の保守世論というのは、愛国的というよりも国粋的な面が強いという。これは、冷静な国益計算の基に、何が国家にとって有益であるかを判断して行動するよりも、インパクトの強い事件などに触発されて、何か象徴的な国のシンボルを守るために感情的に吹き上がるという面が強いという意味のように僕は受け取った。宮台氏によれば、シンボルとしての崇高なる何ものかに自分を重ねることによって、愛国的気分の中に浸るのが「国粋的」と言うことの意味だった。 これは、同時多発テロと呼ばれた911の事件後のアメリカにも現れた現象であるという。しかしアメリカでは、直後のテロとの戦いに象徴されるような国粋的状況が、イラク統治の失敗によって徐々に反対の方向の世論が強くなってきたという。戦争によってアメリカが勝利するのは当然のことだが、戦争後の統治に失敗したのは、そもそも戦争という政策そのものにも間違いがあったのではないかということが言われるようになった。 アメリカはこのようにスウィングバックするというのが宮台氏の説明だったが、これは行き過ぎた右よりの政策が反対方向に振れることによってバランスがとられるということだ。そして、この行き過ぎた右よりの政策も、その前のクリントン政権の時代が、保守層にとっては行き過ぎた左よりの政策と見えたからこそ反対へ振れたものとして出てきたという。 この状況は日本の状況にもよく似ているのではないかと感じる。日本は自民党政権がずっと続いてきたので、ずっと右の政策が続いてきたように見えるが、公共事業を中心にして再配分してきた構造は、もっとも成功した共産主義国家だとも言われている。自民党が田中角栄政権だった時代に完成した、地方に公共事業を持っていって経済的な再配分が行われていた状況というのは、解釈によっては左の政策と言えるのだろう。そしてそれが行き過ぎて腐敗したことに対する反動が談合の摘発などを生んでいるのではないかと思う。 この再配分政策という左の政策に対する反発が、新自由主義と呼ばれるような、ある種の右よりの政策につながり(再配分を否定して自助努力の方を求める)、それと同時に強い左側へのバックラッシュが始まったことにつながっているのではないかと思う。行き過ぎた左の政策に対する反発から、とにかく左だと思えるものに対しては強い嫌悪感が世論の方に起きてきたという状況があるのではないかと思う。 行き過ぎたものに対する反発は、またそれが行き過ぎる可能性が強い。だから、その行き過ぎが人々の間に明らかに見えてきたときに、今度はそれに対する反発の世論が生まれてくるような気がする。アメリカではそれがようやく生じてきたのだろう。そして、日本でも福島知事選で反自民候補の佐藤雄平氏が当選することによって、その兆しが見えてきたように感じた。 しかし、沖縄県知事選ではまだまだ強い保守の力を見せつけられたという感じだ。そして保守が強い間に教育基本法「改正」などの法案を出されているので、これも世論の大きな反発を生むことなく通ってしまっているという感じがする。政治家として優れていると思われる河野太郎氏や加藤紘一氏のような自民党内のリベラルと呼ばれる人たちも、これに反対するほどの強い関心を持っていない。 教育基本法に関しては、それを変えたからと言って教育の現実的な問題が解決すると言うことはほとんどない。宮台氏が指摘していたが、愛国心の教育を強めて、規律を正すことを強化して公共心の重要性を訴えても、それが直接いじめ問題の解決や必修科目の未履修の問題などの解決には結びつかない。これは「基本法」がなぜ「基本法」と呼ばれているかを考えれば必然的に導き出される論理的な結論ではないかとも思われる。「基本法」というのは、国民一人一人の行動に対して働きかけるものではなく、国家が従うべき原則として定められるものだからである。 現実の問題を解決しない教育基本法「改正」にあまり反対の声が挙がらないのは、多くの人々が、このことを大したことじゃないと受け取っているのではないかとも感じる。もっと深刻な問題でたいへんなのでこんなことにかまっていられないという気分の人も多いのではないか。それに対して、この「改正」反対の重要さを訴える言説があまり多くの人にインパクトを与えていないようにも感じる。それは左翼の言い分に過ぎないと受け止めている、気分的な反発もないだろうか。「改正」賛成の人は、長年の左翼に対する恨みを晴らすために力が入っているようにも見える。 左翼的な言説では、国家権力の危険を訴えるものが多いが、世論状況としてはまだまだ右翼的な、外敵の危機の方を強く感じる人々の方が多いのかも知れない。日本の世論状況は、まだまだ国粋主義の方へ揺れているのだろうか。 沖縄県知事選の結果に対する解釈や評価もいろいろ考えられるだろう。それがわずかの差で破れたと言うことを見て、リベラルの側の力も大きいのだと解釈することも出来る。しかし、本来ならば勝てていたはずのものが負けてしまったと解釈すると、僅差で破れたと言うことの評価は変わってくる。 これは、長野県知事選で田中康夫さんが敗れたと言うことの解釈と評価にもつながるようなものではないかと思う。田中さんは、戦略さえ間違えなければ勝てていたはずだと言われていた。それでは、田中さんが敗れたのは戦略を間違えたという失敗の結果だったのか。僕は、そう言う解釈よりも、負けるかも知れないがあえて正攻法で攻めることによって民度の高さを問いかけたのだという解釈に共感していた。 沖縄知事選では、この破れたと言うことに対する評価はどうなのだろうか。厳しい中を良く戦ったという善戦の評価になるのだろうか。それとも、勝てていたはずなのに、何らかの失敗によって負けてしまったという評価になるのだろうか。あるいは、田中さんの知事選のように、あえて不利を承知で正攻法で行ったという評価が出来るのだろうか。 マスコミで報道された範囲の事実だけでは、どのような評価・解釈が妥当なのかというのは、なかなか結論が出せない。ただ、一つ想像出来るのは、沖縄県民が苦渋の選択をしたという感情的な部分の理解は出来る。本当は糸数氏が主張するような正論の方向を選びたかったのだが、背に腹は代えられないという気分で経済を優先する仲井真氏を選んだのだと言うことは想像出来るし理解出来る。 この感情を理解するのは、沖縄の人々の選択を非難するのではなく、ある意味では当事者として当然のことではないかとも感じる部分があるからだ。再配分を否定したネオリベの小泉さんを、再配分によって利益を得る経済的弱者層が支持したというのは、論理的な矛盾であり間違いだったが、沖縄県民が経済利益を優先する仲井真氏を選択したのは、そういう意味での論理的間違いはなかったと思う。むしろ論理的には選択に間違いはなかったが、当事者としての特殊な立場を越える観点からの判断としては間違ったかも知れないと言えることではないかと思う。 基地の問題は、一般論的な弊害の問題から言えばそれを無くしていく方向こそが正しいものになるだろう。しかし、沖縄にとってそれが経済的な利益を引き出すための唯一の取引材料だったとしたら、当事者としての沖縄県民は、きれい事だけを言っていることは出来ないと言うのが本音ではないかと思う。きれい事が言えるのは、当事者でない第三者だけで、ある意味では強者の論理になるのではないかとも感じる。 田中宇氏によれば、アメリカ軍の縮小というのは世界的に見られるもので、この既定路線は今後も変わることがないと言われている。宮台氏も、現在のアメリカ軍のハイテク状況から言って、大量の軍隊を常時駐留させておく必要性というものが既になくなったと指摘していた。沖縄の米軍も、時間的に早いか遅いかという違いはあるだろうが、いずれは縮小されるというのは決まっているのではないかと思う。そして、地元はそれを敏感に感じ取ってもいるのではないだろうか。 それを感じ取っている地元は、今現在取引条件としての価値を持っている基地問題を、価値があるうちに取引カードとして使うというのは、ある意味合理的な判断ではないかとも感じる。そのうち取引カードとしての価値を失ってしまえば、今引き出せるかも知れない利益が失われてしまうという判断は、当事者でなければ分からないかも知れない。 それを非難することも出来るだろうが、非難したからと言って、当事者の論理を変えることが出来るかどうかは難しい。非難するだけで、経済的に苦しい沖縄の状況を理解しないのであれば、そのような非難は関係のない他人事の言葉のようにしか受け取られないだろう。 マル激のインタビューゲストに出ていたジャーナリストの春名幹夫さんは、米軍基地の拡張という問題で離陸専用の滑走路と着陸専用の滑走路の建設が進められているという話をしていた。これなどは、常識はずれのバカげた発想だと言っていたが、基地として現実の役に立たなくても、公共工事として発注されると言うことであれば、地元の土建業にとっては利益となる。 このような公共工事に対して、その無駄を指摘して非難しても、それ以外に経済的な利益の見込みがないとしたら、地元はそれに対して耳を傾けるだろうか。知事選で敗れた糸数氏は、このような経済的な問題に関しても建設的な提言を語っていたのかも知れないがマスコミのニュースに関する限りでは見つからない。しかし、このことで何とか出口を見つけない限り、感情のロジックを克服して保守勢力の強い世論をかえることは難しいのではないかと思う。 経済政策に関して建設的なプランを持っていた田中康夫氏でさえ、先の知事選では県民にそれが全て理解されたとは言い難い面があった。経済政策をことごとく反対勢力に潰されてしまったという面もあったそうだ。だが、現実的には経済面の政策は目に見える成功というものが生まれなかったというのは事実だったようだ。このとき、県民が短期的な経済利益の方向を選んだとしても、それを非難するだけでは現実はなかなか変わらないのではないだろうか。 日本ではまだまだ保守勢力の力が強い。国粋主義的な安倍政権も高い人気を誇っている。これを安倍さん個人の人気だと考えない方がいいのではないだろうか。第三者的に考えれば判断出来る長期的な利害関係も、なかなか第三者的立場に立つことが難しいという現状が、沖縄県知事選で見えたのではないだろうか。 当事者に対して、第三者的立場からの判断の正しさをどう説得していくことが出来るだろうか。利害の衝突があったときに、多数を占める主張が勝利するのが民主主義だと単純に理解すれば、当事者として多数を占めればいいのだと言うことになるかも知れない。民主主義とはそういうものだと割り切る考えもあるが、単に数が多ければ、その判断の客観的な正しさなどはどうでもいいとは思えないだけに、論理的な説得力というものが気になる。現在の状況は、数さえ多ければそれが正しいとされるように見える。沖縄県知事選の意味は、そのような現状判断に関わっているのではないかと僕は感じた。
by ksyuumei
| 2006-11-22 10:06
| 政治
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