宮台真司氏が「連載第一三回:「行為」とは何か?」(社会学入門講座)で説明している「行為」と「体験」という言葉は、「責任」というものを考える上で役に立つ抽象概念になっている。
「責任」という概念は、自然科学的に、対象に存在すると言うことを証明することが難しいものだと思われる。昭和天皇の戦争責任に対しては、多くの異論があり、誰をも納得させるような客観的な判断が提出されていない。それは、感情的なバイアスが客観的な判断を邪魔しているのか、そもそも原理的な問題として、「責任」は客観的な判断が出来ないものなのかということが確定していないのではないかとも思ったりする。 このような概念的な難しさを持っている「責任」という言葉を、少なくともこの範囲までなら多くの人の合意が得られるだろうと思われるものとして提出するのが、その概念を抽象化して論理的整合性を持った範囲での概念を確立することではないかと思う。 抽象的な言葉として「行為」「体験」というものを定義し、その範囲内で「責任」を、論理的整合性を持ったものとして抽象的に定義する。その論理的な関係が納得いくものであり、理解を得たなら、「責任」の所在は抽象的に確認出来る。そして、その抽象論を現実に応用するときは、現実の中の様々な個性という差異を捨象出来るかという判断で、この抽象論の妥当性を考えることが出来るだろう。 抽象的な命題として提出すれば、宮台氏の主張は、 <「行為」の主体(帰属処理される主体)に「責任」が帰属される> ということになるだろうか。「責任」を問われるものは、「行為」という判断をされた現象が帰属する主体と言うことになる。「責任」と言うことを客観的に判断するためには、「行為」というものが客観的に判断出来るかということにかかっている。 「行為」というものは抽象的にはどう捉えられているのだろうか。宮台氏によれば、「行為」は意味的なものとして定義されている。そして、「行為」の意味とは次のように説明されている。 「意味とは、刺激を反応に短絡せずに、反応可能性を潜在的な選択肢群としてプールし、選び直しを可能にする機能でした。これを踏まえると、行為の意味とは、行為の潜在的な選択接続の可能性の束によって与えられます。選択接続をコミュニケーションと呼びます。」 意味の本質は、「選び直しを可能にする機能」として語られている。これは、自然科学的な法則とは違って、選択の余地のある、選択可能性が複数存在すると言うこととして理解出来る。選択の余地のないものは、上の定義に照らして考えれば、「行為」としての意味を持っていないと考えなければならない。 「行為」というものは、人間が意志の自由によって選択すると言うことを前提として、それが「行為」であるかないかを判断すると言うことが抽象的な定義ではないかと思われる。意志の自由によっていくつかの選択肢を持っていれば、実際に選ばれなかった選択肢をプールして選び直す可能性を保ったまま選択していると考えることが出来る。それこそが「行為」という対象なのだと言うことだ。 刺激に対する反応として決まり切ったものだけしかないときは、そこには選択肢がないということから、「行為」としての意味がないと判断され、そのような現象は、人間が行うことであっても「行為」とは判断されないと言うのが論理的な帰結になる。そのような現象は、個人の「行為」ではないということになり、個人の外に選択肢があると考えられる。だから、それは個人を越えたシステムの「行為」と言うことになり、「責任」はそのシステムに帰属されることになる。 個人の外のシステムというのを、より一般的には、外部のシステムという意味で環境というふうに宮台氏は呼んでいる。そして、環境の行為として判断される現象を「体験」という言葉で呼んでいる。これをまとめると、 <「行為」が個人の「行為」であれば(個人に選択肢が帰属する場合)、「責任」も個人に帰する> <「行為」が環境(個人を越えたシステム、組織など)のものとして帰属するなら、「責任」も環境のものとして帰属する> その選択肢を自らの意志で選んだ「行為」であるなら、その「行為」に対して「責任」が帰するというのは、論理的には納得出来る判断である。そして、それが自らが選んだものではなく、ある意味では仕方なくやらされたという面があるなら、それは「行為」ではなく「体験」というものになり、責任は、それをやらせた環境(これが「行為」の主体になるから)に帰するというのも納得出来るものだ。 「行為」「体験」「責任」の抽象的な関係は、論理的にすっきりしているように感じる。これを現実に適用出来れば、それは客観性を持ったものとして受け取ることが出来るだろう。宮台氏は次のような例を挙げている。 「法実務の場面を考えれば分かります。男Aの強盗行為と見えたものが、裁判過程を通じて、ボスBの脅迫行為によって「強盗させられる」という男Aの体験だったと分かり、罪を免じられることはよくある話。そこにあるのは、判事Cによる認定(帰属)行為です。 さらに判事Cの認定行為に見えたものが、後になって別の男Dの脅迫行為によって「認定させられる」という体験だったと分かることもあり得ます。「分かる」と言いましたが、分かるという私の体験が、観察者の観点から行為として帰属処理されることもあり得ます。」 「強盗行為」であれば、それは個人に「責任」が帰属されるが、それが選択肢のない「体験」であれば、「体験」させたボスBの「行為」としてボスBに「責任」が帰属して、男Aの「責任」が軽減されることになる。この現実への適用は納得出来るものだ。難しいのは、「行為」と「体験」を判別する根拠を確立することになるだろう。宮台氏も 「つまり何かが行為であるか否かはいつも議論の余地があると同時に、何かが行為であると言うときには必然的に「帰属処理されるシステム/帰属処理するシステム」のペアが前提とされています。その際、帰属処理されることは体験で、帰属処理することは行為です。」 と、この難しさを語っている。この判断は、「いつも議論の余地がある」のである。自然科学的に、ほぼ100%誰もが同じ判断をすると言うことが、原理的にあり得ないのではないかと思う。 最近のニュースで「責任」というものを考える対象になるものに、公立高校での世界史の履修の問題がある。必修科目である世界史を履修していない高校生がいるため、場合によっては卒業を認められない恐れが出てきた。この「責任」はどこに帰すると判断することが妥当なのだろうか。 まずどこからも異論が出ない判断は、高校生自身には「責任」はないということだろう。それは、履修するという選択肢が存在していなかったのだから、選択肢のないものに対しては「行為」という判断が出来ない。それは純粋な「体験」であって、全く責任がないという判断は、上の抽象論の現実への適用としては妥当だろう。 問題は、履修科目を設定しなかったという「行為」がどこに帰属するかと言うことだ。これは今のところ各高校にその「責任」が帰属しているように見える。各高校組織が、このことに関して、「体験」的な面が全くなく自由な選択の下に「行為」をしていたのなら全面的に「責任」を負わなければならないだろう。果たしてそのあたりの事実はどうなのだろうか。ここが「議論の余地のある」部分かも知れない。 イーホームズの藤田東吾氏が耐震偽装事件について語る映像や記事がインターネットでは話題になっている。この問題に関しても、「行為」の主体として「責任」が帰属するのは、果たしてどこなのかという問題が提起されているように感じる。 「行為」という現象の物理的側面を宮台氏は「行動」と呼んでいたが、「行為」の判断の難しさは、「行動」を現実に行っている主体が「行為」の主体と同じでない場合があると言うことだ。「行動」の主体に選択肢があるかどうかが、その主体がそのまま「行為」の主体になるかどうかを決める。 耐震偽装事件に関しては、それを実行した「行動」の主体である建築士や建築会社社長に「責任」が帰するように一般には思われている。しかしこれもやはり「議論の余地がある」ことなのだろうと思う。彼らの選択には、「体験」的な、選択させられていたという面は全くなかったのだろうか。それが「責任」の所在を決める本質的なことになるだけに、慎重な議論が必要だろうと思う。 開戦の責任という戦争責任の問題も、日本にはああする以外に選択肢がなかったのだという判断があれば、それは「行為」という面よりも「体験」としての面が強いことになる。つまりそれだけ「責任」は軽くなると言うことになるだろう。これは問題があまりにも大きいものなので、大いに「議論の余地がある」ものになるだろう。 「北朝鮮」の核実験に関しては、マル激の情報によれば、韓国での世論調査では「アメリカが悪い」すなわち「アメリカに責任がある」と答えた人が一番多かったそうだ。ということは、あの核実験は、「北朝鮮」にとってはそうせざるを得ないものとして選択させられた「体験」的なものだと受け止めている韓国人が多いと言うことではないかと思う。この世論の判断が正しいかどうかも「議論の余地がある」ものだろう。 「行為」と「体験」という抽象概念は、現実への適用として役立つものではないかと思う。現実的な判断としては難しさがあるが、現実のどこを見ることによって判断が正しくなるかという示唆を与えるという面で、大いに役立つものではないかと思う。
by ksyuumei
| 2006-10-27 09:35
| 雑文
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