永井俊哉さんが「脱ダム宣言は間違いだったのか」という文章を書いている。このタイトルは反語的な意味を込めて使っているもので、結論としては「間違いではない」と言うことを主張している。永井さんは結びの言葉で、
「洪水対策、給水、発電といったこれまでダム建設を正当化してきたダムの諸目的を、ダム以外の手段によって実現することができるとするならば、水と栄養の循環を阻み、生態系を貧しくするダムは不要ということになる。今後とも私たちは、脱ダムの方向に向けて、代替策を模索するべきだ。」 と語っている。この結論に至るまでの論理の流れに説得力があり、これは「脱ダム宣言」の正しさの見事な論証になっているように僕は感じる。この論理の流れを詳しく追いかけてみようと思う。 先の長野知事選挙で田中康夫さんが敗れたのは、その直前に起きた洪水被害が、田中さんの脱ダム宣言が間違いだったことを示すものであり、それを理解した長野県民が田中さんを選ばなかったのだとも言われた。しかし、永井さんは、この洪水被害が脱ダム宣言のためにダムを造らなかったことにあるのではないと言うことを次のように説明する。 「日本でダムを建設する主要な目的は治水である。大雨で洪水や土砂災害が起きるたびにダム建設の必要性を叫ぶ人がいるが、しかしながら、岡谷市の豪雨災害では、現場の山の上にゴルフ場が造られており、森林伐採による土壌の保水力低下が災害の第一の原因と考えられる。他方で、田中氏が 建設を中止させて、物議をかもした浅川ダムでは、被害はなかった。」 僕は、永井さんを優れた理論家だと高く評価し、その主張を信頼しているので、ここに書かれていることも正しいと確信しているのだが、一応他の情報を見て確認を取ろうと思った。しかし、なかなか確認が難しい事柄もあった。岡谷市の地理的状況で、豪雨災害の原因として近くにゴルフ場があるということを確かめようと思った。だが地図検索をしても、このことを直接確かめることは出来なかった。この情報には間違いはないと僕は信じているが、地元の人で詳しい人がいたら、この確認が出来ると言うことを教えてもらえれば嬉しいと思う。 「森林伐採による土壌の保水力低下が災害の第一の原因と考えられる」というのは、論理的な判断としては正当性があると思う。森林の保水力だけでは足りないと言うことでダムの必要性を主張する論理もあるようだが、森林の保水力を低下させておいてダムの必要性を言うのであれば、それは本末転倒と言うことになるだろう。 森林を十分に確保しておいてもなおかつそれでは不十分であるというなら、論理としては理解出来る。ダムの必要性ということも論理的に帰結出来るだろう。しかし、森林が不十分な状況でダムの必要性を論じてもあまり説得力はない。むしろ、まだ森林が十分にあった時代の災害はどうだったのかということを調べる必要があるだろう。 自然の状況を破壊しておいて、その破壊された自然が災害をもたらすから、穴埋めをするためにダムを造るというのは論理として無理がある。そのような論理でのダム建設ならば脱ダム宣言が正しいと言えるだろう。永井さんの論理の展開は基本的にそのようになっているように僕は感じる。 「田中氏が 建設を中止させて、物議をかもした浅川ダムでは、被害はなかった」という事実に関しても、確かめたいことがいくつかある。これは「被害はなかった」という事実はおそらく間違いないことだろうと思う。この被害がなかったことの要因がどこにあったのかというのをもっと詳しく知りたいものだと思う。 まず豪雨の規模が、浅川ダムの地域ではどうだったのかということがある。これもなかなか情報が見つけられなかったので、地元の方で教えてくれる方がいたら嬉しいと思う。もし豪雨の規模があまり大きいものでなかったら、ダムの問題と関係なく「被害はなかった」と言える可能性もあるからだ。 また、森林の保水力が、浅川ダムの地域ではどうだったのかということも気になるところだ。豪雨の規模が大きかったにもかかわらず、その被害が大きいものにならなかったとしたら、それがダム建設を中止したからだというのは無理がある。中止しただけでは、何ら積極的な災害対策にはなっていないからだ。 もし災害を防ぐ要因を見つけるとしたら、その地域では元々森林の保水力が高かったか、脱ダム後の努力によって、森林の保水力を高めたのだと言うことがなければ論理的な理解が出来ない。このような事実があったのかどうか確かめるすべがなかったので、何とか知りたいものだと思う。 もし、浅川ダムの地域で、ダム建設を中止したにもかかわらず、いろいろな要因で災害の拡大を防げたのであれば、それは脱ダム宣言の正しさを事実によって証明するものになるだろう。果たしてどうなのだろうか。 永井さんは、ダム建設に対して「自然破壊から生じた問題を自然破壊で解決しようとしても、抜本的な解決にはならない」という基本的な考え方で、脱ダム宣言が正しいという論理を展開している。特に長野県では、オリンピックなどのために環境破壊が進み、元々災害に弱い体質を作っておいて、それをダムで何とかしようとするという逆の対策をこれまでしてきたという指摘をする。 だから、脱ダムを考える際も、現在の状況をそのままにしておいて考えるのは間違いだと言うことになる。脱ダムとともに、環境の再構築も合わせて考えなければ、単にダムをやめて財政支出を減らせばいいのだと短絡的に考えるだけでは、環境破壊によって生まれた弊害が残ってしまう。むしろダムの必要性を感じさせる結果にもなってしまう。 永井さんが考える、自然環境の再構築とともに脱ダムをしていくという方向は素晴らしいものだと思う。これは多くの面での問題を解決し、将来的な見通しとしては、もっとも利益が大きくなる方向ではないかと思える。 「もちろん、植林をしたからといって、洪水がなくなるわけではないが、シュメール文明のように洪水を害悪視して、ダムや堤防で堰き止めるのではなくて、エジプト文明のように自然の恵みとして農業に利用するべきだろう[永井俊哉:シュメール文明の遺産]。 田中氏も「氾濫受容型の治水」を主張していた[田中康夫:脱ダム宣言議会発言]。」 と永井さんは語っている。洪水を単に被害として受動的に受け止めるのではなく、それを建設的に共存していける、恵みとして変えていく方向を目指そうというものだ。それが出来たときに、本当の意味での脱ダム宣言が完成するときになるのだ。脱ダム宣言というのは、単に無駄な公共事業を減らして財政支出を減らすという問題ではないのだ。将来に渡る、人間の生活の形という大きな理念を伴ったものだったのだ。 このことと、ダムによる弊害を合わせて考えると、脱ダム宣言が正しいという確信がますます高まってくる。永井さんは、ダムによって水をせき止めると言うことが、自然に反すると言うことからいくつかの弊害を指摘している。 ・「川を 堰き止めると水質が悪化するという問題がある。堰き止められてできるダム湖底には、上流から流れ込む有機物がダム湖底に堆積し、 水流による撹拌の行われない、酸素が少ない条件下でヘドロとなり、貯水も懸濁する。水質を悪化させないためには、流れている水を活用した方がよい。」 ・「ダムで堰き止めた河川の水を高い所から低い所まで導き、その流れ落ちる勢いにより水車を回して電気を起こすことができる。落差が大きいほど、水量が多いほど発電量が大きくなるので、これまで巨大ダムが好んで造られてきた。しかし、水力発電のコストは火力発電のコストの約二倍である[NEDO:一般水力発電のコスト]。 ダムには他にも機能があるからということで、この高コストが容認されてきたが、他の機能が必要ないなら、発電も不要ということになる。 水力発電は「二酸化炭素を出さないクリーンなエネルギー」と言われているが、ダムが環境を破壊している以上、ダムの発電がクリーンなどと言うことはできない。」 ・「ダムを建設して川の流れをせき止めることは、栄養分が山から川を経て海に流れ、漁業資源を育み、魚を食べる鳥や動物の糞や死体となって再び山に還元されるという自然の循環を遮断するという意味で、たんに水没する地域だけでなく、山と海を含むより広範な自然の生態系を破壊する。川の流れを堰き止めるということは、人体において血液の流れを止めるのと同じで、有害である。 ダムが河川の流れを遮断すると、水生昆虫、魚類、甲殻類などの生物が、上流から下流の間を行き来して生活史を全うすることができなくなる。サケ・マス・アユのような回遊性の漁業資源を守るために魚道を作るという方法もあるが、完璧を期そうとすればするほど、建設費用が高くなる。」 この指摘は、全くその通りだと納得出来るものだ。脱ダム宣言というものは、パブリックな面から考えれば、それが正しいことは疑い得ないほど確実なのではないかと思う。公共性を体現する公人としての田中元知事が提唱するにはもっともふさわしい政策だっただろう。特にオリンピックで環境が破壊された長野県にはふさわしい政策だったのではないかと思う。 パブリックな面で正しい脱ダム宣言が捨て去られて、再びダム建設が始まるというのは、そこにエゴイスティックな利害が絡んでいるのではないかという疑念を感じる。そのようなパブリックでない政策を新知事が推進しようとしているなら、それは田中県政の時に培ってきた民主主義の土壌を破壊するものとなるだろう。脱「脱ダム宣言」の公共性というものを長野県民は注視して欲しいと思う。そこにパブリックを破壊する要素を見たときは、田中県政の時に育った民主主義のマインドを見せて欲しいと願っている。私的利害という私益を越えた公益を考えることが出来るものこそ民主主義のマインドだと思う。
by ksyuumei
| 2006-10-06 09:24
| 論理
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