内井惣七さんの『シャーロック・ホームズの推理学』(講談社現代新書)には、名探偵シャーロック・ホームズの推理を巡って興味深い記述がある。名探偵の推理くらい「考える」と呼ぶにふさわしい現象はないかも知れない。それは知っていることを語るのではなく、まさに未知なる謎を解明すると言うことになるので、「考える」と言うことにふさわしいものであるように見える。
僕は小学生の頃にシャーロック・ホームズの物語に夢中になってそればかり読んでいた時期がある。それが後になって数学の論理に関心を持つような素地を作ったのではないかと思う。尊敬する三浦つとむさんも探偵小説のファンだった。三浦さんはそこに弁証法の論理を見出し、探偵小説を楽しむことで弁証法論理の訓練にもなったと語っていた。 探偵小説の謎解きの面白さは、バラバラに提出された事実が、謎が解けて来るに従って見事に線となってつながってくることの合理性にあるように感じる。だから、この合理性が、ちょっと強引でご都合主義的に見えたりすると、謎解きの楽しみが半減してくるのを感じる。どのような謎解きが見事な合理性を持っているのかを考えてみたいと思う。そこに論理の面白さも発見出来るのではないかと思う。 内井さんは記憶について語るシャーロック・ホームズの次の言葉を引用している。これを前回考察したことと合わせて考えると実に面白いと感じる。 「僕の考えでは、人間の頭脳などというものは、元々小さなからっぽの屋根裏部屋のようなもので、自分の好きな道具だけをしまっておくように出来ているんです。ところが、愚かな人は、出くわした種々雑多ながらくたを何でも手当たり次第に取り込むものだから、肝心の役に立つ知識ははみ出してしまうか、はみ出さないまでも、他のものとごちゃ混ぜになって、いざ取り出そうとしても、それがどこにあるのか、わからなくなってしまうのです。それにひきかえ、熟練した職人は、頭脳の屋根裏部屋に何を取り込むべきかについて、実に周到な注意を払うのです。彼は自分の仕事に役立つ道具だけを選別して取り入れ、しかもそれを十分細かく分類し、もっとも完全な方法で整理しておくのです」--『緋色の研究』第一部、第二章 「手当たり次第に取り込む」というのは、単に知っていると言うだけの記憶を持っている人を指すように感じる。この記憶は、刺激に対する反応として知識を引っ張り出すという知識の利用は出来るが、それを他の知識と組み合わせて何らかの判断を見つけると言うことはしにくい。 それは、知識と知識の共通点や、知識が全体の構造の中で占める位置というものが見えないからだ。どの知識も、バラバラに頭の中にあるのであれば、それは対等のものであり、論理的なつながりがあるという判断が出来ない。 分類し整理された知識は、その知識が個別の事実を指していることだけにとどまらず、知識と知識の組み合わせで、直接見えなかったことを見せてくれる。これこそが謎解きであり、見事な推理につながることになるのだろう。 ホームズが名探偵であり、その推理に強引なご都合主義的なところがあまり見あたらないのは、このような前提を意識して推理を展開しているからだろうと思う。単に直感的に、天才的なひらめきで語っているのではなく、基礎になる部分は、誰にでもわかる合理性を持っているからこそ見事な推理が出来るのだと思う。 実際の推理の展開においては、もう一つ「観察」という要素をホームズは指摘している。「観察」と「推理」がうまく調和することで、直接目に見えない謎がノーミソの目で見えてくるという謎解きが出来るようになる。内井さんが紹介する、相棒のワトソンの行動を言い当てる場面は、「観察」と「推理」というものがどのように働くのかをよく分かるように説明している。 ホームズは、「たとえばだね、観察によれば、君は今朝ウィグモア街の郵便局へ行っていたことになり、推理によれば君はそこで電報を打ったことがわかる」と語って次のような説明をする。 「観察すると、君の靴の甲に赤土が少しついているのがわかる。ウィグモア郵便局の真向かいの所は、最近舗装をはがして土を掘り返したから、その土を踏まずに郵便局へ行くのは難しい。それは、こんな独特の赤みを帯びていて、まあ、僕の知る限り、近所では他に見あたらないものだ。ここまでが観察で、あとは推理というわけさ」 「それなら、電報のことはどうしてわかるのかね?」 「うん、それはね、午前中ずっと君と向かい合っていたけれど、君は手紙など書かなかったよ。開けっ放しの引き出しには、切手もハガキもたくさんあった。そうすると、電報を打つ以外に、郵便局などへ出かける用はないではないか。他のファクターを消去していって残ったもの、それが真相というわけだ」--『四つの書名』第一章 ここから「観察」と「推理」を読みとろうと思うのだが、ホームズの指摘そのものはやや正確さを欠く。これは内井さんも書いていることで、「観察」だけから結論が出ているとは言い難いところがあるのだ。だから、「郵便局へ行った」というのが観察からの結論で、「電報を打った」と言うことが推理からの結論だというのは、厳密に言えば間違いだろう。 結論については、ホームズはそれを直接見ていたわけではないので、観察から得られたものではない。見ていないものを見るのは、ノーミソの目の働きであり、「考える」という推理の力である。だから、「郵便局へ行った」というのも、結論を導くのは推理だと言える。内井さんは、ともに「消去による推理」の結果だと語っている。 観察というのは、直接見て確かめた事柄である。ウィトゲンシュタイン的に言えば事実として確認出来るものであり、「世界」の中に入るべき事柄だ。それは、ホームズの言葉からは次のようなものであると考えられる。 ・靴の甲に赤土がついている。 ・ウィグモア郵便局の真向かいの所は、最近舗装をはがして土を掘り返した。 ・その土を踏まずに郵便局へ行くのは難しい。 ・その赤土は、近所では見あたらない。 ・ワトソンは午前中手紙を書かなかった。 ・引き出しには切手もハガキもたくさんあった。 この観察から得られた事実を組み合わせて、見たことではないことを可能性を表す命題として構築してみる。ウィトゲンシュタイン的に言えば、「事態」を見つけることになり「論理空間」を設定することになる。そして、可能性としての「事態」の中に、論理的には、他の可能性が消去出来るという「消去による推理」が成立すれば、直接見たことではない、観察ではない結論が推理によって得られるというわけだ。 ここでホームズが推理している二つの結論に対して、内井さんは厳密に言えば、前提としての観察がやや弱いと言うことも語っている。他の可能性を消去するためには、上の観察以外にも他の前提が必要にもなってくる。 たとえば「その土を踏まずに郵便局へ行くのは難しい」というのは、「難しい」と語ってしまうと、観察と言うよりは推理の中に入れた方がいいものになってくる。難しいのであるから、他の可能性もゼロではないということになってしまう。だから、その土を踏まずに郵便局へ行ったとしたら、どこか他の所でその土を付けたのかも知れないという可能性が残る。 それは、近くでないところなら、「その赤土は、近所では見あたらない」という事実とも矛盾しない。可能性を消去するためには、「難しい」ではなく、「その土がある場所以外からは郵便局へは行けない」という観察がなければならない。 またワトソンが外出したのは、午前中をともに過ごしたとしたら短時間のことだっただろうと思うから、外出は近所だったと判断するのはいいと思う。ただしこれは、直接見たわけではないので、観察ではなく推理にはいることだろうと思う。だが、赤土がついたのが、その近所への外出の時だと判断するには、外出前には赤土がついていないということも観察されていなければならない。例えば、ワトソンは外出前に必ず靴をきれいにする習慣があったというようなことが、観察として語られなければならない。それはホームズは語っていない。 ホームズが語る言葉を厳密に解釈すると、論理的には穴が見つかるのだが、その穴は、事実を補えば埋めることが出来る。そして、このいくつかの事実を付け加えることは、必ずしも強引なご都合主義的な推論にはならず、そのような前提があっても不思議はないという合理性を持っているのではないかと思う。そう思えるような推論の展開だからこそ、ホームズを名探偵だと思えるのだろうと思う。 名探偵の推理が「消去による推理」だというのは面白いところだ。消去をするためには、あらゆる可能性というものを考えなければならない。ここでウィトゲンシュタイン的な論理空間とのつながりが出てくるし、フィージビリティ・スタディというあらゆる可能性を想定して、どんなことが起きても対処出来るような思考をするという方法論ともつながってくる。 「消去による推理」をするためには、何が消去されず、何が消去出来るかという判断に結びつく観察をする必要があるだろう。目の前にある事実をただ眺めているだけでは、そのために必要な事実を探すことは出来ない。だからといって、全てを調べればいいのだと言っていると、その全ての多さに、人間の能力が追いつかなくなると言うことになるだろう。 膨大な量の多さの情報の中から、何が大切かをかぎ分ける能力は、「考える」という部分に属するものだろうか。経験によって訓練されるものだろうか。よい訓練法が見つかれば、よく「考える」ことが出来る人間が増えるだろうか。観察と推理を区別して現象を見るという訓練は、そのために役立つような気もする。名探偵のやり方に学ぶことは、「考える」ことの上達につながるのではないかと思う。
by ksyuumei
| 2006-08-31 09:51
| 論理
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