内田樹さんは『私家版・ユダヤ文化論』という本で「なぜ、ユダヤ人は迫害されるのか」ということを論じている。この問題に対する答は、「ユダヤ人迫害には根拠がない」と答えるのが「政治的に正しい解答」だという。つまりユダヤ人迫害は不当な差別・バッシングだということだ。
これはある意味では当然のことである。だから、この当然のことに疑問を差し挟むだけで、それは「ユダヤ人迫害には根拠がない」ということを否定しているように感じてしまう気分が生じる。つまり疑問を提出することが「根拠がある」と言っていることに等しいと受け取られてしまう。これは非常に危険な主張ではあるが、論理的には、疑問を提出することと対立する主張を否定することとは同じことではないはずだ。 疑問を提出することは、思想・信条の自由の表現として、それが学問的内容を持っていれば学問の自由として保障されるべきことだと思う。その主張に誤りがあれば批判されるのは当然であるが、疑問を提出したことそのものが間違いだと断罪されてはいけないと思う。 この危険な議論の展開に対して、内田さんは次のようなひねりをきかせた理由を述べている。この理由を正しく論理的に理解するのはけっこう難しいのではないかと思う。内田さんは次のように書いている。 「ユダヤ人問題の根本的なアポリアは「政治的に正しい答え」に固執する限り、現に起きている出来事についての理解は少しも深まらないが、だからといって「政治的に正しくない答え」を口にすることは人類が犯した最悪の蛮行に同意署名することになるという点にある。政治的に正しい答えも政治的に正しくない答えも、どちらも選ぶことが出来ない。これがユダヤ人問題を論じるときの最初の(そして最後までついて回る)罠なのである。 この罠を回避しながら、なおこの問題に接近するための方法として、私には問題の次数を一つ繰り上げることしか思いつかない。今の場合、「問題の次数を一つ繰り上げる」というのは、理由は何か、というふうに問いを書き換えることである。 「反ユダヤ主義には理由がある」と言うことと、「反ユダヤ主義には理由があると信じている人間がいることには理由がある」と言うことは似ているようだけれど、問題の設定されている次元が違う。」 「根拠がない」という「政治的に正しい理由」から得られる結論は、そんなことを主張する人間は間違っていると言うことだ。もっとあからさまな表現を使えば、そんなことを言うやつはバカだというような言い方になるだろうか。そうすると、そのことに関する考察はそこで終わってしまい「理解は少しも深まらない」と言うことになる。 しかも、この考察は対立している側、つまり差別・バッシングしている側だと思われている人々には全く理解されない恐れがある。なぜなら、そんなことは当然だという理由は、当然だと思っている人にしか通用しない理由であって、当然だと思っていない人には、理由としての説得力がないからだ。当然だと思われている言説に対する反論が詭弁のようなものに感じるとき、うまく反論出来ないけれど感情的には納得出来ないという気分が生まれる。そうなるとますます自分がバカにされたように感じる。たとえ理屈としてそれが正しくても、それが納得出来ない人間には、その主張でへこまされたときは恨みが残るだろう。 対立している人間が、その恨みの気分を解消して正しい論理の方向に向かうためには、当然否定されるような方向の議論についても、一度深く考えてみる必要がある。そしてそこに根拠があると言うことを見出して納得する必要がある。これは、納得することで差別やバッシングを強めるという恐れがあるものの、それなしには、その不当な差別やバッシングを否定することも出来ないと僕は思う。 「ユダヤ人迫害には根拠がある」と言うことを考察することは、「根拠がある」から差別していいという論理を展開したいからではない。現に差別する人がいる以上、差別に至る気分を作り上げた状況には存在するだけの論理的根拠があると言うことを考えることが重要だということだ。差別する人が、単に道徳的に劣っているのではなく、そう思わせられる何かが我々の社会や、我々の思考の本質に存在しているのではないかと考えることだ。 これは内田さんが語るように、一段高い視点から問題を捉え直すことだ。単なる現実的な根拠を考えるだけなら、その根拠から「差別・バッシングは正しい」という結論が出てきてしまう。しかし、一段高い視点からは、ある理由でバッシングに至る人が出現することは確率的に高いという予想が納得出来るという議論をすることだ。結果として表れる差別・バッシングは間違いであっても、ある事柄が差別・バッシングにつながる合理的な理由は納得出来るという論理を展開することだ。つまり、そのような間違いや誤解は、人間が騙されるということを考えた場合、無理もないと思えるようなものかどうかを考察すると言うことだ。内田さんの考察は、誤謬論として非常に重要なものだと僕は思う。 内田さんは、この問題を一般化して次のような構造を捉えるように指摘している。 「その問いは「人間が底知れず愚鈍で邪悪になることがある」のはどういう場合か、という問いにも書き換えることが出来る。経験的に言って、人間は全く無動機的になったり邪悪になったりすることはない。私たちはそうあることを熟慮の末に選んでいるのである。私たちが自分の暴力性や愚かしさを肯定するのは、それによって得られるものがそれによって失われるものより大きいという計算が立った場合だけである。」 「底知れず愚鈍で邪悪になる」のは人間として間違っている。しかし、その間違いは、間違いに陥った人間の資質が劣っているからではない。人間の本質に関わっているのだというのが内田さんの真意であるように僕は感じる。この本質を理解しない限り、人間はこのような間違いから逃れることは出来ないのではないだろうか。 差別するような人間は生まれつきそのような人間だったのだと理解するのと、社会の中でそのように形成されていったのだと理解するのでは、どちらが建設的な理解になるだろうか。もし生まれつき悪い資質を持っている人間がいるのなら、その人間を排除してしまえば問題は解決する。だが、このような考え方は何か変ではないだろうか。 差別される存在というのは、まさにそのような論理によって不当な差別を受けているのではないか。生まれつき劣っているから差別されて当然というような見方をされているのではないだろうか。それに反対する側が、同じ構造の論理を使うのは自己矛盾ではないかと思う。差別されるのが生まれつきのものだと考えることが不当であるように、差別する人間も生まれつきそのような人間であると考えるのは不当なことだ。 差別する側の人間も社会的に育てられるとしたら、それは合理的な理由があるからこそ育てられるという現象が存在するのだと考えなければならない。社会全体にとって個人の悪意がその全体を動かすと言うのは論理的に無理な設定だ。悪意が生まれることの根拠が社会に存在するというふうに考えなければならない。内田さんが語る「根拠」というのは、このようなものだろうと僕は思う。 不当な差別・バッシングというのは、宮台氏が語るバックラッシュにも通じるものではないかと思う。バックラッシュ現象がなぜ必然的に起こるのか、ということを理解するのにも内田さんの考察は役立つのではないだろうか。バックラッシュそのものは不当なものであり非難に値するものだが、非難すればそれでなくなるというものでもない。バックラッシュが発生する根拠というものを正しく求めない限りその克服も出来ないだろう。 自分と対立する側の論理が持っている正当性を理解すると言うことはかなり難しいものだ。それは構造的無知が邪魔をするからだ。ある立場からものを考えていると、その立場を成立させている選択前提は自明のものであり疑うことが出来ない。それを疑えば、自分の立場そのものが危うくなってしまう。それを疑いうるのは、その立場に立たない第三者的な人だけだろう。それは敵ではないが味方でもないという中途半端な立場だ。 ある立場にいる人たちが、そのような中途半端な立場の人を受け入れると言うことはかなり難しいことに違いない。しかし、ある立場にいる人たちも、その立場を越えた一段高い視点を持って考えることが必要なのではないだろうか。それが「客観的」と言うことに通じると思うからだ。 僕はこの本をまだ全部読んでいないので、内田さんが展開している論理をまだ全部見てはいない。だから内田さんが語ることが正しいかどうかはまだ分からない。しかし、どんなに不合理に見える不当な存在であろうと、それが現実に存在すると言うことは、存在すると言うことに合理的な側面を見つけることが出来るだろうと思う。内田さんが発見した、不当な差別・バッシングである「ユダヤ人への迫害」が存在することの客観的根拠というものを深く理解したいものだと思う。
by ksyuumei
| 2006-08-28 09:01
| 内田樹
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