「死刑廃止 info! アムネスティ・インターナショナル・日本死刑廃止ネットワークセンター」というページに載せられている、「死刑制度の廃止を求める著名人メッセージ」の中の亀井静香さん(衆議院議員、死刑廃止議員連盟会長)の言葉で、冤罪を語ったものも傾聴に値する。
亀井さんは「常にある冤罪の可能性」を語り、日本の警察・司法制度の欠陥を指摘している。その一つは、「依然として自白が「証拠の王」ということです。それは変わりません」と言うことだ。物的証拠こそが第一にならなければならないと僕は思う。それこそが科学的であり、論理的に正しい判断だと思う。 自白が犯罪立証の決め手になってしまうと、取り調べが、自白させることが目的になってしまう。そうなれば「構造的無知」に陥った警察官は、自覚せずに無理な自白を取るようになるのではないか。たとえ自白があったとしても、確かな物証がなければそれは証明出来ないのだという理解があれば、自白を取ることに無理はしないだろう。むしろ、証明出来そうな情報を探るためにこそ自白を利用するだろう。 物証がなければ、いくらそのように思っても真理は証明されないというのは、科学においては一つの常識なのだが、それが裁判の世界においても常識として働いて欲しいと思う。いくら疑わしいと思われても、物証がなければ、それは無罪だという前提で考えて欲しいと思うものだ。そうでなければ、冤罪が起きてしまう。冤罪は、誰にでも起こりうる理不尽なものとして捉えられなければ、民主主義を構成する市民としては生きられないのではないか。 1000人の真犯人を逃すとも、1人の無辜の市民を冤罪にすべきではないと考えることが、市民として生きる基本ではないかと思う。そのような観点から冤罪を描いた映画として、ケビン・スペイシー主演の「ライフ・オブ・デビッド・ゲイル」というものがあった。これは、ネタバレになってしまうので、これから映画を見ようと思っている人には申し訳ないのだが、死刑に反対している大学教授の「デビッド・ゲイル」が、あえて自分を冤罪に陥れるような工夫をして、死刑になった後にそれが暴かれるという映画だった。 デビッド・ゲイルは、状況証拠として、自分が殺人犯であるという証拠をたくさん残しておいた。しかし、それはすべて偽装された証拠だった。その偽装された証拠を、裁判所は何一つ見抜くことが出来ずに、デビッド・ゲイルは死刑になった。捏造したものには、どこかに調和が取れないところがあるものなのに、それが見破れなかった。それならば、偶然状況証拠がそろったときに、それが偶然であることを証明することは至難の業であるに違いない。 客観性を持っている状況証拠でさえもこのような問題があるというのに、日本の裁判では、もっと問題のある自白が重視される。しかも、その自白の取り方にも大きな問題がある。亀井さんは次のような指摘をしている。 「そうしたなかで被疑者が勾留・取り調べを受けると、異常心理に陥ることが現実に、非常に多いのです。 私が立ち会った取り調べでもありました。いわゆる拘禁性ノイローゼにかかって、取調官との関係が王様と奴隷のような心理状態になってしまうのです。絶対的権力を握られてしまい、取調官のまったくの言いなりになる被疑者がかなり多くいます。」 この問題は、宮台氏も何度も指摘している「代用監獄」の問題でもある。民主主義国家として、このような制度を持っている国はもっと恥ずかしさを感じなければならない。世論のメンタリティとして、凶悪犯なんだから、そのような人権を踏みにじられることも仕方がないという感情論は間違いだと思う。罪が確定するまでは、あくまでも被疑者であって、凶悪犯だと確定したわけではないのだ。あくまでも無罪であるという推定でなければならない。 このような問題に対しては、二流の俗論が渦巻いているが、それを一蹴する亀井さんの次の主張は見事なものだと思う。ちょっと長いが引用しておこう。 「人によっては、そんなことはほんの何万分の一の確率だから、社会防衛上しかたがないなどと言いますが、無実で処刑される人にとっては、何万分の一じゃなく100パーセントの話なのです。そういうことを同じ人間がやっていいなんて、ゆるされるべきことではありません。 そんな「何万分の一だから、社会防衛のためだから、いいじゃないか」というような感覚は、今、世の中を覆っている「自分さえよければいい」ということと共通する面があると思います。自分が安全であるために一つのリスクはやむをえないというような感覚です。 昨今は「痛みを分かち合う」などと簡単に言います。自分の会社だけ生き残って同業者がつぶれれば受注数が増えるなど、それを構造改革だなどと言っていますが、そういう今の風潮と共通するところがあります。 しかし、それは違うと思います。他の犠牲で自分が幸せになるとか、安全だなどという考えが世の中を覆っていったら、この世の地獄が来ることは明らかです。」 自分に、いま直接リスクがかからないから、それは無視するという態度が社会を構成する上での障害になるというのは、宮台氏も指摘している。自分にとってはその不利益はいまは0%だ、だから他人が当事者として主張するのはかまわないが、自分は関係ないと考えるのは、いざ自分が当事者になったときに、今度は誰の支援も期待するなという結論になる。それで社会が成り立つのか、ということだ。 自分にとっていまの不利益が直接にはなくても、それが論理として自分にもかかってくる可能性があるといえるなら、連帯のためにこそそれを支持すべきだ、ということを宮台氏は主張していたが、僕もその通りだと思う。他人の立場に身を置いて、「それは許されるべきではない」と感じる心をこそ持たなければならない。 宮台氏は、デモやストに関する共感について連帯を語っていた。フランスでは、若者のデモやストに対して、年配者がそれに共感して支持していたらしい。それは、失業と言うことが、若者だけの問題ではなく、いつ誰に起きてもおかしくない問題だからだ。それは若者の問題だから、若者が解決すればいいのだと、連帯の意志を示さなかったら、今度は年配者の問題として持ち上がったときに若者たちと連帯出来なくなる。大衆が個人として分断されてしまったら、これほど弱い存在はない。大衆の強さを保つための連帯として、共感する能力・同情する能力が必要なのだ。 自分のリスクだけが回避出来ればいいと考える考え方は、果たして本当のリスクを避けられるかどうか。mechaさんのように、リスクマネージメントが専門の人は、そのような単純な理解はしないのではないかと思う。リスクというのは、単にどこかが直結して生まれるものではなく、全体のシステムの複雑な関係の中で生まれてくるものではないのか。だから、直接目に見える危険を回避したとしても、本当のリスク回避にはならないのではないだろうか。 「自分の会社だけ生き残って同業者がつぶれれば受注数が増える」というのは、表面的にはいかにも正しいように思える。しかし、そのようにしていけば、全体のパイが縮まって行くことは確かだ。そうなれば、常にどこかライバルを潰していかなければ自分が生き残っていけないような状況になるだろう。それは別の意味でのリスクを背負うことになるのではないか。 商売人の格言では、「損して得取れ」というものがある。損のない得だけの商売というのは、結局は人をだまして儲けるしかなくなる。このような商売は一時期は儲かるかも知れないが決して長続きはしない。本当に安定して儲けるには、買い手にも利益になるような健全な商売にしなければならない。買い手の利益になることは、一見売り手には損をしているようにも見える。しかし、それは「信用」という大事な財産を築くことになるのであって、決して売り手の損ではないのだ。 亀井さんの基本には、社会には誰もが利益を図れる、お互いに幸せになると言うことがなければ健全でないという考え方があるように思う。そのことにこそ力を尽くすのが政治家であるなら、亀井さんはもっとも政治家としてふさわしい人だろう。権力を握るのは、その理想を実現するための手段であって、権力を握ることが目的になるような人間は、本当の意味での政治家ではない。それは「政治屋」と揶揄されるような存在だろう。 他人の犠牲の上に立つのではなく、互いの協力の下で、互いに利益を享受するという理想が実現されるのが、健全な社会だ。もちろんこれはたいへん難しいことなので、いままでの亀井さんが、これを実現してきたかどうかという評価は難しい。しかし、このような理想を持って活動することを原則としているかどうかで、政治家としても一流であるかどうかが決まるだろう。 死刑制度について考えていたが、この社会観に関しては、基本的なものとしてこのようなものがあるかどうかで、小泉さんや小沢さんも評価してみたいものだと思う。政治家を評価する基準としてはなかなかいいものではないかと思う。 亀井さんの冤罪に対する考え方も素晴らしいと思う。我々にとっての不幸は、亀井さんの理想が実現されるような権力を、亀井さんが持てなかったということではないかと思う。亀井さんが、警察官僚の頂点に立つ権力を持ち得たなら、「代用監獄」の問題も何とかなったのかもしれないと思うと残念だ。死刑制度廃止の問題は、この問題とも深く関わるものではないかと思う。
by ksyuumei
| 2006-04-27 09:53
| 社会
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