江川さんは、『現実はマイナーの中に』(ウェイツ)の中で、「戦前のことをある目的を持って研究していくと、必ずしも戦前は否定すべきではないことが明らかになってしまう」と書いている。江川さんは、戦前を高く評価していることが他の言葉からもうかがえる。それは、指導者たちがマトリックスの外からマトリックスを眺める視点を持ち得たからだと考えているようだ。例えば、
「明治維新もそうで、作った方は、こんなものあとで何とでもなると思っていたけれど、そのあとに生まれた人たちはそれが世界だと思ってしまう。そこが難しいところです。箱の中で育ってしまった人と、箱を作った人の差みたいなものですね。」 という言葉からそのようなものがうかがえる。同時に、マトリックスの中でベタにそれを受け取る人間は、「それを世界だと思ってしまう」限界があり、それが「差」だと指摘している。これは、マル激などで語られる宮台氏の見解と驚くほど似ている。宮台氏も、戦前の評価として同じようなことを語っていて、戦後についても、マトリックスを外から眺められる政治家を高く評価していた。 いわゆる55年体制と言われるものに関しても、表向きは保守である自民党と、革新である社会党の左右の対立と見られているが、これは冷戦体制というマトリックスの中で演じられていた役割分担に過ぎないと見ていた。自民党にとっては、アメリカからの無理な要求が行きすぎた場合に、反対勢力である左翼の方がある程度の力を持っていた方が、そのアメリカの無理によって日本が左翼化するという脅しをかけることが出来たというのだ。アメリカに対しては、自民党にとって社会党はなくてはならない存在で、消滅させてしまってはアメリカに対するカードを失うことになる。社会党が55年体制の下で、永遠の野党として存在価値を持っていたわけだ。 このような見解に通じるものが次の江川さんの言葉だ。戦後の政治家について語った部分を引用しよう。 「前半は意識的だったと思います。アメリカとソ連の間に挟まってバカなふりをしていた。バカなふりをしながら、とりあえずまず経済からやっていくことにした。マトリックスであることは分かった上で、アメリカをだましつつ、ソ連を欺きつつやっていたわけです。それを中身の分からない下の世代の人間が、世界とはそういうものなんだと思い込んでしまった。マトリックス世界を分かっていた当時の為政者は、面倒なことは後回しにして、経済発展だけを追い求めることが出来た。経済を何とか立て直してから精神的にも自立しようと思っていた。そしたら、その中で育った人が経済のことしか考えなくなってしまっていた。それでちょっと苦しい状態にある、と言うのが今の時代ではないでしょうか。」 江川さんは、マトリックス世界を外から眺める人を高く評価すると共に、そこで育ってしまった人間が、その視点を持ち得ないことを指摘して批判している。かつて、マトリックス世界以外を経験し、それが激動してきたことを経験した人間は、ある意味では容易に今のマトリックスの外の視点を持ちうるが、その中でしか育たなかった人間にはそれが難しいという指摘でもある。 これは宮台氏の見解に通じるものでもあり、しかも江川さん独自の見解も付け加えられている。まったく同じものなら、受け売りかも知れないと言う感じもするが、これを見ると、優れた人は結果的には同じことを考えるものだなと感じる。そういえば、憲法9条と日米安保に対する見解としても、宮台氏は、これをベタに受け取るのではなく、どちらもアメリカとの関係でうまく利用するための道具として一段高い視点から見るように語っていた。 これが、内田樹さんの見方とほぼ重なるように僕は感じた。内田さんは、一見矛盾するように見えるこの二つの条文を、セットで効力を考えることによって、日本の平和と繁栄がもたらされたのだと解釈しているように見える。これをどちらか一本に絞ってしまいたいというのは、マトリックスの中での矛盾を解消したいと言うことになる。しかし、マトリックスでの矛盾を解消してしまえば、その矛盾のおかげで保っていたマトリックス世界の外との平和共存が崩れてしまうという指摘をしているように、僕は内田さんの論説を読んだ。内田さんも、マトリックス世界の外から見る視点を語っているのだと思った。 内田さんは、宮台氏のことを直接語ったことはなかったように思う。内田さんの文章を検索してみたら次のようなものが見つかった。 「「売春」を職業として認知すべきだ、ということを主張する知識人たちがいます。(宮台真司や上野千鶴子はそういう意見です。)私は売春は職業ではないから、「職業」としては認知すべきではない、と思います。」 (「2001年 3月28日 日記」) これを見ると、内田さんは宮台氏とは真っ向から対立する意見を語っているように見える。宮台氏のことは余り好きではないのではないかと思われる。その相手から大きな影響を受けているとは考えにくいから、論理的に正しい思考を進めて、現実を正しく捉えた結果として似たようなことを語っていると受け止めた方がいいのではないかと思う。優れた人は、やはり正しいことを語るときは同じようなことを語るのだと思う。 江川さんが語る、マトリックス世界と関連して語られた左翼批判は、左翼批判としては一番説得力を感じるものだ。次のような文章がある。 「社会主義者の中でも、ソ連の社会主義とは違う、資本主義の中での社会主義のようなものを考えていた人たちがいた。けれども労働組合とかの人たちが、がちがちの似非マルクス主義でガーンと行こうとしてしまったため、バランスのいい社会主義者さえも追い落とされてしまった。より純化されたマトリックスな成員に支配されてしまった。マトリックスな世界だから、ある程度はそっちの方がうまくいくわけです。でもそれが崩壊しだしたときは、すべてがパーッと崩壊してしまう。左翼にも日本オリジナルなものを考えた人たちがもう少しいれば、ソ連が崩壊したあとでも「実は本当は分かっていたんだぜ」と言える。でもいまや、左翼は何も分かっていない連中ばかりですからね。」 これは、左翼の主流派でなかった人間には反対したくなる意見かも知れないが、江川さんが批判しているのは、あくまでも主流派としての多数に関して上の主張をしていると受け取った方がいい。これは、実は三浦つとむさんが「官許マルクス主義」と呼んでいた批判と同じもののように見える。「官許マルクス主義」は、ソ連製マルクス主義を真似ただけの、言葉の暗記だけの学問だと三浦さんは批判していた。江川さんが語るように、マトリックス世界で評価されるには、無意味な暗記の方がいいのだというのがここにも見られるのではないかと思う。 これは、より一般的な見方をすれば、純化された存在は弱いと言うことになるだろうか。多様性を持たないと、一つの弱点によって、純化された存在は全滅してしまう。純系の種は、それだけに感染する伝染病によって全滅するが、雑種であれば生き残る種が必ずあると言うことにもなるだろうか。 日本の左翼も、多様性を認める柔軟な左翼であれば、ソ連崩壊という弱点が明らかになっても、純系が全滅して、あとには何も残らないと言うことがなかっただろうと思う。日本共産党の支持率が5%を超えないのも、純系としての限界なのではないだろうか。もし雑種も含む柔軟性を持っていれば、内部抗争が起きるだろうが、支持率ももっと上がっていたのではないかと思う。日本共産党は、内部抗争をすべて潰してしまい、純系としての性質を保つことによって大衆的支持を失ったのではないだろうか。 それに対して自民党などは、実は極右から極左までを含み込む実に多様な組織だったのではないか、と言うのが宮台氏の指摘でもあった。常に内部抗争が渦巻いていたが、その内部抗争によって、右から左に揺れ動いたことが、実は擬似的な政権交代になっていたので、本来の労働者階級は、純化した左翼よりも自民党の方を支持したのではないだろうか。 江川さんは、上の言葉に続けて、「そう出来なくなって、今はアメリカべったりで行きましょうみたいな感じになってしまった」と語っている。これは、現在の日本を実に的確に表現しているように感じる。ベタなマトリックス世界をそのまま受け取っている人間は、このような方向に行ってしまうだろう。小泉さんが、そのような方向で高い支持率を得ていると言うことは、日本人の大部分が、やはりマトリックス世界の中でベタに生きていることを示しているのではないかと思う。 小泉さんの政治はネオリベと呼ばれているが、その路線は今のところかなり純化されてきている。小泉さん自身は、この路線が権力獲得のための方便に過ぎないと自覚しているかも知れない。そうであれば、一応はマトリックスの外から眺める視点を持っていると言えるだろう。しかし、小泉さんの後継者はどうだろうか。 その中での権力ゲームを見ている小泉さんの後継者は、マトリックスの中での思考しかできないのではないか。そうなれば、おそらく純化したことによる崩壊がこれから訪れるのではないか。今週配信の丸激を聞いていると、民主党の新代表の小沢さんは、小泉さんの後継者として安倍さんが出てくることを願っているそうだ。これは、今の路線がさらに純化されることによる破綻を予想しているのだと言うことだ。そうであるなら、小沢一郎という人は、久しぶりに登場した、マトリックス世界の外からマトリックスを眺めることの出来る政治家ではないのかと感じる。現在の力関係では、自民党に次の総理が行くのは仕方がないが、そのあとをにらんだ戦略を構想出来るというのは、政治家としては一流ではないかと思う。
by ksyuumei
| 2006-04-18 09:24
| 雑文
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