「反証可能性」という言葉で、何か科学の成立について語った気分になっている人間がいるが、科学が成立するのは、「仮説実験の論理」を経てそれが証明されたときのみである。いくら「反証可能性」があろうとも、それだけで考察している事柄が「科学」になるのではない。仮説から得られた予想(任意の対象に対して成立する)を実験によって検証する手順を踏まない限り、それは科学としての真理を獲得出来ない。
科学は、仮説実験の論理を経ることによってのみ科学としての資格を獲得する。この「のみ」がもっとも大事なもので、仮説実験の過程を経ていないものは科学として認めないのである。「反証可能性」もくそもない。科学か、科学でないかはこの点だけに関わっている。 自然選択説における「適者生存」という法則が科学になるためには、その仮説から何らかの具体的予想を導き出し、それが任意の対象に対して成立するような実験を工夫しなければならない。しかし、「適者」という概念が、常に結果として生き残った者が「適者」だという概念を持っていれば、それは実験の前に任意の対象に対して予想することが出来なくなる。 「適者」という言葉を、結果からではなくあらかじめ決定出来るように概念化しておかないと、自然選択説は科学性を証明する実験が出来ない。しかし、生き残らないことがある「適者」というのは、形容矛盾を起こす恐れもある。 結果から解釈するしかない「適者」という言葉は、たとえある種の実験があったとしても、その解釈を変えることによって反証だと思われるものをすべて逃げることが出来る。解釈というのはどうにでも出来るからだ。だから、実験結果を解釈するような理論は、「反証可能性」がないと言ってもいいだろう。しかし、これは「仮説実験の論理」という過程を経ていないと言ってもいいのであって、わざわざ「反証可能性」という言葉を使う必要はない。 科学を考える場面に限らず、結果を解釈することによって主張の不合理を逃げると言うことは良く行われる。これは、ある意味では「反証可能性がない」とも言えるのだ。もちろんそれは科学ではないが、この場合はむしろ科学とは言わず、「正しくない」と言った方が一般的だろうか。 議論において解釈で逃げるような議論は良く眼にする。このような議論は詭弁と呼ばれる。論理に関しての基礎知識と基礎技術を持っている人間なら、詭弁とまともな論理の区別がついて当たり前だ。わざわざ「反証可能性」というような大げさな言葉を使う必要はない。「反証可能性がない」などと指摘するよりも、そんなものは詭弁だと言えばいいのだと思う。 さて、非常にハイレベルな詭弁として科学史に登場するものに「天動説」がある。これは、結果的に「地動説」が正しいこと、つまりそちらの方が科学であることが証明されたので詭弁になってしまったが、これが詭弁であることを示すのは、たいへんな難しさを持っていて長い間の考察が必要だった。 我々が素朴に見たままを信じるという立場に立てば、地球が止まっていて、天が動いているというふうに見るのが普通だ。つまり「天動説」が正しいという出発点が、単純・素朴には感じられる。科学というのは、本来仮説を立てて、その仮説が正しいことを実験という検証を経て確認するのだが、まず正しそうに見えることを「真理」として立ててしまうと、あとは現象を解釈して、その「真理」に合わせようとするようになる。 「天動説」の歴史はまさにそのような解釈の整合性を次から次へと探していくというものだったらしい。真理だと思い込んだ先入観を捨てて、違う発想をするということがいかに難しいものであるかをこの歴史からは感じる。内田樹さんが語っていた、フロイト的な抑圧から生じる「構造的無知」というものがそこにあるのを感じる。それを否定したあとの時代から見ると、実に簡単に分かるものが、その「構造的無知」の中にいる人間にはまったく分からないのだ。どれほど優秀な人間でも、そこから逃れることが出来ないと言う意味で、まさに「構造的」な「無知」なのだと思う。 「天動説」は、まず視覚的真理という面からそれが信じられるようになったが、神の創造を信じていた時代には、神が作ったものの完全性という概念から、その軌道も完全性を持った円であると信じられていた。しかし、実際に天体観測をしていると、特に惑星は明るさが変わったりするので、その距離が変わってくるのではないかと思われたそうだ。 このとき、科学の仮説実験の論理から言えば、「完全な円軌道を描く」という仮説から導かれる、明るさも距離も同じではないかというものが否定されれば、「完全な円軌道を描く」という命題は証明されないことになる。論理的には、これがすぐに否定されるわけではなく、明るさが変わると言うことは、別の原因を設定して解決する可能性もあるので、実験の結果が予想と違うからといってすぐに仮説が否定されるわけではない。 しかし、距離が違うと言うことが確認されると、これは円軌道であるという定義と矛盾する結果になるので、これは形式論理を用いて仮説が否定される。中心からの距離がすべて同じ図形を円と呼ぶのであって、距離の違う点を持っている円というのは存在しないからである。 だから「天動説」も円軌道であるという仮説は後に捨てたようだが、天が動いているという仮説はまだ否定されないでいた。これは直接見ることが出来ないので、実験としては非常に難しい。しかし、「天動説」の理論から導かれる予想に対する疑問はその後もあふれてきた。 特に「惑星」と呼ばれる星の動きの観察からは、それが地球を中心に回っていると考えると、実に奇妙な動きをすることが観測されるようになった。「惑星」がなぜそう呼ばれるかといえば、その動きが「惑う」ように見えるからだった。早くなったり遅くなったり、時には逆に戻ったりする。地球を中心にして回っているなら、なぜそのような妙な動きをするのか、その原因がまったく分からないのだ。 それでも「天動説」は、この動きが予想出来るように、周点円というものを工夫して、計算上は何とか惑星の位置を決定出来るような工夫をした。惑星の動きは、観測記録を取っておけば、長い周期で繰り返されるので、その観測数字に合わせて計算を工夫することは出来たわけだ。これは、結果の解釈をつじつまが合うように理論を変えていくことになった。これは仮説実験の論理ではないのだ。 周点円というのは、地球の周りの軌道の他に、惑星がその軌道上にまた中心を持った円の周りを回っていると考える、二重の円運動を考えたものだった。こうすると、惑星が惑う動きが計算で確定する。逆に戻ることもとりあえずは整合性持った計算が出来るようになる。しかし、なぜそのような運動をするのかという合理的な理解は出来ない。そう考えると計算上は都合がいいというだけのことだ。 しかし、天が地球の周りを動いていると考えるよりは、地球を含めた惑星が太陽の周りを回っていると考えた方が、計算上もずっと単純で便利になることは知られていたらしい。もし、計算上の都合だけを考えるなら、天動説が捨てられて地動説が採用されてもいいはずなのだがそうはならなかった。それは、結果の解釈という動機が大きかったからではないかと思う。 理論の出発点に、天動説の方が正しいという先入観があるので、その正しさを保つための計算だったらご都合主義に気づかずにそれを採用してしまうのだと思う。しかし地動説の方はそれが正しくないと思っているので、たとえ計算上は整合性があっても採用することが出来なくなる。同じことなのに態度が違ってくる。 天動説を支持する人たちは地動説がその不合理を完全に説明出来ないことにも不満があったのではないだろうか。しかし、同じように天動説にも不合理があることには目をつぶってしまう。「構造的無知」に陥ってしまうのだ。 実際に地動説の方が科学として確立されたのは、計算を合わせるという末梢的な発想からではなく、天体の運動が全体的にどうなっているかという本質的な面を考察したことによっていると僕は思う。 天体の運動の本質を求めるなら、地球と太陽の大きさが気になるだろうし、地球より遙かに大きな太陽の方が地球の周りを回ると考えるよりも、太陽の周りを地球が回ると考えた方が自然だ。それは、後の時代の引力の法則で、質量の大きな方が引力が強いと言うことにもつながってくるだろう。 天動説は、見たままの視覚的真理にこだわり、それが真理であることを保つために、観測結果を解釈して整合性を取ろうとしたところに、科学になり損なった原因があると思う。それに対して、地動説は、見たままの真理ではなく、もっと多面的・多角的な視点で現象を眺めて、本質を求めたところに科学になった原因があるように思う。 実際に地動説が科学になったというのは、エンゲルスが語るように、次のような仮説実験の論理が確立されたからなのである。 「コペルニクスの太陽系は、三〇〇年のあいだ仮説であった。それは九分九厘までたしかであったが、やはり一つの仮説であった。しかしルヴェリェ〔一八一一-一八七七、フランスの天文学者〕がコペルニクスの太陽系によってあたえられたデータから、一つの未知の遊星の存在の必然だけでなく、この遊星が天体のなかで占めなければならない位置をも算出したとき、そしてガレ〔一八一二-一九一〇、ドイツの天文学者、1846年に海王星を発見〕がこの遊星〔海王星〕をじっさいに発見したとき、コペルニクスの太陽系は証明されたのである。」 未知なる天体の存在を、コペルニクスの地動説は予想することが出来た。これは天動説ではなしえない科学の真理性を証明する予想だ。それが未知であると言うことが、科学の任意性を保証し、実際の観測で発見されたと言うことが、板倉さん的な意味での実験に当たる。予想を持って現実に問いかけたのであるから、発見は実験なのである。 地動説を早い時期から科学として認識していた人もいただろう。その真理性を疑わず、100%確信していた人は、それを科学として認識していたと言える。コペルニクスなどはそうだったかも知れない。しかし、誰の目にも科学性が明らかになったのは、エンゲルスが語るように、海王星が発見されるという実験が行われたときと見ることが出来るのではないか。 仮説が科学となるのは、仮説実験の論理で、その真理性(任意性)が証明されたときだ。それが証明されるのであれば、対象が何であれ、それは科学になるのである。「反証可能性」などというものは考える必要もない。仮説実験の論理を経ていないものは、「まだ科学になっていない」という意味で「仮説」であると言っておけばいいのである。「仮説」にすらならない理論は、もちろん問題外である。 ■
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by ksyuumei
| 2006-04-14 11:18
| 科学
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