数学は抽象的対象を定義して、その定義に含まれている複雑な内容を、形式論理で解きほぐしていって単純化する学問だ。いくつかの単純な公理という出発点から、形式論理だけで複雑な内容が導き出せるというのが、数学の驚くべき特性だろう。
数学には仮説実験の論理はいらない。論理の前提として認めるいくつかの公理があればいい。論証は仮説実験なしに、言葉の上でだけ進めることが出来る。数学は広義の文法であると捉えてもいいかも知れない。従って、仮説実験を経て真理を獲得する科学という意味では、数学は科学ではない。それを現実に応用するときに整合性があるかどうかという判断においては、仮説実験の論理が必要になってくると思われるので、数学の応用は科学になりうるだろうと思う。 数学に対して、科学と呼ばれるものは現実を対象にして考察を進める。自然科学であれば、人間の意志が介在しないような対象を考察して、その対象が持っている法則性を明らかにする。これは意志を介在しないので、意志と独立に存在していると考える。自然科学者が、基本的に唯物論の立場に立っているのは、対象が意志と独立に存在していると言うことを出発点にするからである。 意志と独立に存在しているので、自然科学が求める法則性は、人間がそれに観念的に押しつけるものではなく、存在する物質そのものが持っている属性だと考える。人間が持っている観念作用という能力で、属性を付与するのではないのである。 板倉聖宣さんは、今さら自分が唯物論者であると言うのが気恥ずかしいと語っていた。それは、自然科学者であればごく当たり前のことなので、当たり前のことを声高に主張することに気恥ずかしさを感じていたのだった。 数学のような形式論理における真理性は、究極的には言葉の持っている性質として、言語の世界で、矛盾を生まないような言説の真理性ということになる。ヴィットゲンシュタインが、言語で表現される世界のみを世界と規定したのは、そのような世界の範囲内であればすべて論理で片が付くと思ったからではないかと僕は感じる。ヴィットゲンシュタインは論理で片がつく世界については、何が真理であるかを決定したのではないかと思う。 しかし、世界はもっと広い。論理だけでは片が付かない、現実の世界での真理は、それに対して沈黙するか、形式論理とは違う真理概念で考察を進めるかどちらかしかない。科学は、現実的な「任意性」という発想で、形式論理的な真理概念とは違う真理概念を獲得して、現実に有効な真理を積み重ねることが出来たのだと思う。 科学は普遍性・一般性を持った真理なので、常に「任意性」が問題になるが、現実の真理の中には、個別的限定的な真理というものもあるのではないかと思う。これは、真理という言葉よりも「事実」という言葉で呼ばれることが多いのではないかと思うが。 本多勝一さんは、かつて「真理」「真実」「事実」という言葉のイメージを考察して、これらは、対象の属性としてはほぼ同じものを捉えていると論じていた。僕もそう思う。区別をするとすれば、視点が違うという感じだろうか。 「真理」には普遍性というものがなければならないという感じがする。「真実」は、そこに情緒的な価値観が入り込んでいる感じがする。自分にとって大事なことというようなニュアンスを感じる。「事実」というのは、ありふれたどこにでもある現象で、「正しいこと」と形容されるようなものになるだろうか。これにはごく小さな正しさも含まれる。 例えば「小泉純一郎氏は、現在の日本の総理大臣である」という命題は、正しい命題であり、上の分類から言うと「事実」に相当すると考えていいだろうか。しかし、この正しさには「相対性」がある。ここで言っている「現在」が、まさに今(2006年4月11日の時点)であるという条件がいる。これが10年後に同じ言葉で語られれば、それはもはや「事実」という正しい命題ではなくなる。 それでは、「現在」という言葉を「2006年4月11日時点で」という言葉に換えたら、これは10年後にも正しい命題になるだろうか。残念なことに、その時もこの正しさは相対的なものにとどまるのではないかと思う。 日本全国に「小泉純一郎氏」が、現在の総理大臣のあの小泉さんだけなら、この命題が指す対象は唯一に決まるが、もし同姓同名の人物がいたら、複数いる他人の「小泉純一郎氏」に対してはこの命題は正しくなくなる。つまり「事実」ではなくなる。それでは、小泉さんを唯一特定出来る属性を付け加えて表現すれば、これは永久に「事実」になるであろうか。 例えば、誕生日を付け加えたらどうだろうか。しかしこのときも、その誕生日に生まれた小泉純一郎氏が唯一であるということを証明しなければ、唯一性は保証されないので、それも厳密に考えると困ることになる。このような視点のずれから来る懐疑は、現実を対象とするときはいつでも起こりうる。 それでは、このように疑いを持つのはきりがないから、「小泉純一郎氏は、現在の日本の総理大臣である」という主張は正しくないのだと結論する方がいいだろうか。これも、反対の方へ行きすぎた間違いのように感じる。実際には、曖昧な部分があろうとも、この主張が出された文脈を受け取って、この主張が正しくなるような制限を設けて、これが「事実」であると受け取るのが正しい態度ではないかと思う。 個別的な事実に対してもこれだけの懐疑が出来るのだから、普遍的な真理を求める科学に対しては、その懐疑は疑えばきりがないくらい出てくるだろう。その時、どのようにしてその真理性を受け止めるかという問題は重要だ。それが誤謬に転化する範囲を自覚し、「相対的誤謬」としての主張を理解することによって、「相対的真理」としての科学の真理性を理解すると言うことが正しい受け止め方ではないかと思う。 板倉聖宣さんは、『日本歴史入門』(仮説社)という本で、日本の農民は江戸時代に米を食べていたという「事実」を証明した。これは、社会科学的な法則性ではないが、個別的な事実として重要なものを証明したと思う。なぜなら、それまでの歴史の常識では、貧しい農民は米を食べられず、粟や稗を食べていたと信じられていたからだ。 板倉さんの証明は極めて単純な論理から成立している。板倉さんは、数々の統計資料から、江戸時代に本当に生産されていた穀物が何であるかを突き止めた。そうすると、米が圧倒的にたくさん生産されていたことが分かった。このことが「事実」であるということが前提となって、原子論的な発想を適用すると、もっともたくさん生産された米を、もっともたくさん消費しなければ、人間は生きていけない、ということから、農民が食べていたのも大部分は米だったという結論を出した。 だから、板倉さんの結論に反対するには、論理的には、江戸時代に生産されていたのは、米ではなく粟や稗の方が圧倒的に多いと言うことを証明しなければならないだろう。だが、これを証明した人はまだいないようだ。板倉さんの主張が、今や歴史学の常識になっているのかどうかは分からないが、僕は板倉さんの統計を信頼しているので、これは「事実」として正しいのだろうと思っている。 板倉さんが確定した統計資料が、末梢的な間違いがあろうとも、江戸時代に圧倒的に大量に生産されていたのが米であるということが「事実」であるなら、江戸時代の農民は米を食べていたという主張は「事実」であり続けるだろう。統計に根本的な間違いが見つかれば、それは覆されるかも知れない。ここに真理の相対性を見るのだが、相対性があるからということで、板倉さんの主張がすぐに否定されるのではない。 「相対的真理」は相対的であろうとも真理であることに変わりはない。また「相対的誤謬」は、相対性があっても誤謬であることに変わりはない。どちらがより本質的な属性かという視点の違いによって、同じ対象が「相対的真理」という判断がされたり、「相対的誤謬」という判断がされるのである。そして、「相対的真理」という判断がされたものこそが科学であるというのが僕の主張だ。 これは、ある視点では「相対的誤謬」と判断されることもあり得る。だから、その視点では科学ではなくなるが、それによって「相対的真理」であるという視点まですべて失うわけではない。エンゲルスが『反デューリング論』で語っていた科学論は、このような「相対的真理」と「相対的誤謬」の弁証法的な理解だと僕は思う。科学の発展途上段階で、すでにこれだけの深い科学の認識に達していたエンゲルスは、やはり優れた人だと思う。一流の言説を語る人だと思う。当時でも最高の知性の持ち主であり、現代でもそれはまったく色あせない輝きを持っていると思う。
by ksyuumei
| 2006-04-11 10:54
| 科学
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