一流の学者について、仮説実験授業の提唱者の板倉聖宣さんは、「哲学的な科学者」と言うことを語ったことがあった。ここで言う「哲学的」とは、板倉さんが語る意味での「哲学的」と言うことであって、普通一般に辞書的な意味で語られている「哲学的」ではない。
板倉さんは、「科学」というものを「科」の学問として定義する。それは狭い範囲での法則性を求めるものだが、それが狭い「科」に限定されることによって、法則性の正しさが判定されると考えるのだ。もしも、広い範囲にわたって法則性を求めると、例外が多すぎてとても法則性と呼べるものではなくなってしまう。 板倉さんが語る「科学」とは、ある条件の下で「真理」が確定されるというようなものだ。その条件が厳密に求められていれば、それは「科学」としての信頼性が高いと判断される。 これに対し、板倉さんは「哲学」というのは、対象範囲を限定しない、いわば森羅万象に関わること・つまり「世界」を対象にした考察のことだと考えていた。だから「哲学」の世界では、絶対的な真理というのは見つからない。対象が「世界」であるから、その法則からはずれる例外がいつ見つかるか分からないからだ。 このような哲学的な見方をもっている科学者を、板倉さんは一流の科学者と呼んでいたように思う。「世界」を対象にして考察するなどと言う怪しいことをする人間がなぜ一流なのかは、よく考えないと分からないだろう。これは、もっと俗っぽい言い方をすれば「広い視野をもっている科学者」と言ってもいいようなものになる。 「科学」というのは、限定された狭い範囲でしかものを考えない。その狭い範囲に閉じこもってものを考えていると、だんだんと視野が狭くなり、本来は他の論理を適用しなければならないものに対しても、自分の狭い範囲の「科学」の論理を押しつけてしまいがちになる。それを乗り越えて、自分の「科学」の限界を超える思考として「哲学」があると、板倉さんは考えていたのだ。 人間はなかなかメタ的な思考が出来ない。数学を対象にしてものを考えている人間は、その数学そのものが本当に正しいかという思考をすることは少ない。僕は学生のころに数学基礎論に出会ったおかげで、数学そのものの自明性を疑うことが出来た。どのようなときに数学は正しくなるのかということを考えることが出来た。 宮台真司氏が学者として一流であるというのは、個人的な資質もあると思うが、宮台氏が社会学者であったことも大きかったのではないかと僕は感じる。それは、社会学というのが、再帰的に自分自身をも対象として考察する学問だからである。つまり、メタ的な思考がやりやすい学問だったのではないかと思う。さらに、宮台氏は、グランドセオリーという基礎理論の専門家でもあり、これはまさに板倉さん的な意味での「哲学」に通じるものだ。それは、広い「世界」を考察の対象としている。 しかし、社会学者のすべてが宮台氏のように一流の学者だとは思えないので、社会学といえども「哲学的」視点を持つことは難しいのだろうと思う。社会学は、社会現象のあらゆるものを対象にしうるから、宮台氏がいろいろなものに口を出すのは、ある意味では自然なこととして受け取れる。そのほとんどが納得出来るような言説になっていると言うところに、学者としての技術も一流だなと言うことを感じる。どんな材料を使って考察しても、高いレベルの分析を提出出来ると言うことだ。 学問によっては非常に限定された対象を深く分析するものがある。数学などはその典型だろうと思うが、対象とするのは抽象世界のみである。具体的な世界の考察は一切行わない。だから、しばしば数学者が語ることは、それが現実に対する考察である場合は的はずれな空論であることが多くなる。これは致し方ないこととも言えるが、逆に言うと、現実に対して発言した言説が、まことに素晴らしいものであれば、その数学者はまさに一流の学者と言っていいだろう。 遠山啓先生や(遠山先生に対しては尊敬の気持ちから「先生」という敬称を付けている)森毅さんの言説からは、現実を対象としたときにもその分析と判断が的確であることを感じる。だからこの二人は数学者として一流なのだと僕は感じる。 いま数学者の藤原正彦さんが書いた『国家の品格』という本が、100万部を超えるベストセラーになっているというのを内田さんの「2006年03月18日 謝恩会だよおっかさん」というエントリーで読んだ。数学者が、数学ではなく「国家の品格」を語ると言うところに僕は興味を持った。 しかもこの本は100万部を超えるベストセラーになっているというのであるから、この本の内容に「一流性」を感じられるかどうかはとても関心を引かれるものだ。僕は、ベストセラーになる本はかなりうさんくさいものだという疑いを抱いているところがある。果たして、この本が一流のものだったとして、それは大衆的に理解される一流性なのだろうか。 この本を書店で見つけてぱらぱらとめくってみたとき、僕が感じた第一印象は、これは「一流」ではないというものだった。数学者は、形式論理の駆使については他の誰にも負けないくらいにすごい技術を持っている。しかし、対象が形式論理的なものではない、現実のものになった場合に、その見事な形式論理の技術がかえって邪魔をすることが出てくる。それを僕はこの本に感じてしまったのだ。 「アキレスと亀」のパラドックスにおいて、その見事な形式論理で現実を否定してしまったゼノンのように、藤原正彦さんも、現実認識というものが抽象的な形式論理の結果として出てきてしまっているように感じたのだ。ゼノンが語ることは形式論理としては少しも間違っていないにもかかわらず、現実認識としては間違えていた。そういう匂いを僕はこの本に感じてしまった。 まだすべてを読んでいないのでハッキリとそういえないところもあるのだが、「はじめに」に書かれた次の一節は、この匂いを強く感じさせるものだった。 「戦後、祖国への誇りや自信を失うように教育され、すっかり足腰の弱っていた日本人は、世界に誇るべき我が国古来の「情緒と形」をあっさり忘れ、市場経済に代表される、欧米の「論理と合理」に身を売ってしまったのです。」 このことが、結果的に正しいと言うことが納得出来るような論理展開であれば、現実を対象とした論理としては正当な論理と言うことが出来るだろう。しかしこれを、出発点としてさまざまな結論を引き出す、演繹の前提にしてしまったら、正しい形式論理によって間違った現実認識が引き出されると言うことが起こるのではないか。 この本に対しては、内田さんが「2006年03月20日 母語運用能力と『国家の品格』」の中で次のように語っている。 「藤原さんの言っていることのコンテンツについては、ほぼ95%私は賛成である。 私が「私ならこういうふうには書かない」と思うのはコンテンツではなく、「プレゼンテーションの仕方」である。 「国家の品格」というのは誰が決めるのかということが問題である。 品格というものは本質的に外部評価である。」 僕は、まだ全部を読んでいないので、95%に対して賛成出来るかどうかは分からないが、ぱらぱらとめくっただけでも、この内田さんの指摘には共感する。「国家の品格」というものをベタに見るのではなく、メタ的視点から見ることが大事なのではないかという指摘だと思う。 「国家の品格」をベタに語ろうとすると、愛国的な気分をもっていれば、自国の品格が高いと自慢したくなるのは当然だ。特に、自国に対して批判的な視点を語れば「自虐的」だとか「非国民」だとか言う非難が起こりそうな空気をもっている日本では、日本をほめる類の「品格」を語る場合が多くなるのではないか。 もし、そのような品格だけを集めるとしたら、ご都合主義的に、自分に都合良いことだけを書くことになるだろう。それは、ベタな視点では反省出来ない。メタ的に一段高いところから反省しなければ見えてこないことだ。内田さんは、このメタ的視点を 「おそらく日本に在住している外国人は読者には想定されていない。 英語や中国語に訳されて読まれることも(たぶん)想定されていない。 でも、それって少しおかしくはないだろうか。 日本という国の「国家の品格」について査定を下すのは私たちではなく「彼ら」である。 彼らが読んだときに、この「日本国家の品格を向上させるための啓発的文書」に横溢する自民族中心主義は彼らを「日本国家の品格」にハイスコアをつけるように導くだろうか。 ちょっと無理なような気がする。」 と、外国人の視点から見るという発想で語っている。自分だけいい気分になって、このメタ的視点を忘れれば、やはり現実認識としては間違った結論を導くことになるのではないかと僕は思う。内田さんの、このようなメタ的視点は、内田さんが持っている構造主義的なものに関係があると思う。このような視点をもてる構造主義は、非常に優れた構造主義だと思う。僕が内田さんの一流性を感じるところだ。 僕は、この本は、二流である故にベストセラーになったのではないかと感じている。これは、複雑で難しい問題を捨て去り、簡単でわかりやすく、しかも日本人の感情のフックに引っかけて気分良くさせてくれる本だから、大衆的な人気を呼びベストセラーになったのではないかと思っている。内容を深く検討したいと思う。 内田さんや宮台氏の本も、時にベストセラーになる場合もある。このときの判断は難しい。一流であると思える両者の著書が、大衆的な人気を勝ち得るというのは信じられないのだが、これはどう解釈したらいいだろうか。「一流問題」「二流問題」の一つとして考えてみたいことだ。
by ksyuumei
| 2006-03-22 15:46
| 雑文
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