「『狂気乱舞』」と題されたページに、簑田胸喜に関する膨大な資料がある。ここに書かれている簑田胸喜の姿を考察することによって、二流問題というものを考察してみようかと思う。考察のポイントは次のような所だ。
1)思想の二流性(本質からはずれた末梢的な部分の考察になっていないか) 2)権力の獲得(思想としては二流なのに、なぜ権力を獲得出来たか) 3)一流の学者に対する攻撃性(どのようなルサンチマンが積み重ねられて、このような行為につながるのか) 4)マイナスの評価だけではなく、プラスに評価出来る部分があるのか(その評価がマイナスだけだったら、多くの人が支持することの理由が分からない。もしマイナスの評価しかしなかったら、それを支持した多くの人は単なる馬鹿だったとしか結論出来なくなる。それはあまりにも浅はかな見方だと思うので、人々がどの面を高く評価して、全体としても優れていると錯覚してしまったのか、その点を考えたい。) 果たしてこれらの問題の解答になるような資料が、ここで見つかるだろうか。この視点で資料を読んでみたいと思う。「蓑田胸喜の時代」と題されたページから、簑田胸喜という人について考えてみようと思う。 この資料によれば、松本清張は『昭和史発掘』(文藝春秋)の6巻で次のように簑田胸喜について語っているようだ。 「いわゆる右翼理論家は日本精神主義で、社会科学に弱い。その点、ドイツ語も読め、マルクス・レーニン主義を口にする蓑田は、当時の進歩的学者をやっつけるチャンピオンになり上がったわけだ。」 ドイツ語が読め、マルクス・レーニン主義の知識もあるという点では、一定のレベルの知識人としての資格を備えていたと言える。しかし、知識があることと、その思想が一流であることとは直接の関係はない。思想の二流性に関しては、ここまではまだ直接の記述はない。 他の所での「蓑田は八代中学時代を終始特待生で通し,五高(熊本)に進学,さらには東大法学部へ進んだ」という経歴の記述からは、その秀才ぶりがうかがえる。一流の学者にも秀才ぶりがうかがえる人がいるが、一流の一流たる所以はその天才性にある。概して、秀才でありながら天才ではなかった人間は、二流の頂点として権力の中枢に上り詰めることが多いのではないかと感じる。簑田胸喜の秀才ぶりは、彼が天才でなかったとしたら、後の権力把握と連動させて考えることが出来るのではないかと思う。天才性を持っていたら、権力よりも学問的真理の方へ向かうだろうが、天才性のない秀才は、それよりも権力志向の方が強いのではないかと思われるからだ。 「人生の大疑に迷う蓑田」という記述からは、彼の人格の高潔さを伺うことが出来る。思想の正しさと人格の高潔さとは必ずしもイコールで結ばれないところがある。しかし、人格の高潔さは、外から見てわかりやすいので、人々の尊敬をかちうることが容易だ。簑田胸喜を高く評価するとすれば、その人格の高潔さと言うことが入ってくるのではないだろうか。 人格の高潔さは次のような記述からもうかがえる。 「みずほ夫人による蓑田評は「気持は女みたいにやさしい人でした.女のあいだに育ったためでしょう」ということで,家庭内では子供に対する勉強やしつけにうるさく言うこともなく,わりと子煩悩だったらしい.本やおもちゃをよく買って与え,また休日に子供達を連れて出かけるといえば決って明治神宮だった.家人に対してはしばしば,梅田雲浜の詩を引いたりしながら,自分は国事のためには妻子も省みず挺身するから,いつもその覚悟をしておくように言いきかせたりしていたものの,夫人が「それなら何のために家庭をもたれるのですか.妻子をもたねばよかったのに」と逆襲すると,ただ黙っていたとのこと.」 ここで問題として考えたいのは、人格高潔で優しい簑田のような人が、なぜ一流の学者に対しては理不尽なほどの攻撃性を見せて、まったく高潔な人格の片鱗を見せず優しくもなかったのはどうしてだろうということだ。これも、人間の性格として、誰に対しても同じようには振る舞えないのだと言うことだと思うが、内と外に対するこの落差は、日本的特徴なのではないかとも感じるので、考察するのに興味深い対象だと思う。 簑田の思想に関して具体的なものがなかなか見つからないが、一流の学者としての京大の滝川教授への恨みを伺わせる資料があった。それは前出の松本清張の『昭和史発掘』に書かれているもので、京大での簑田胸喜の講演に関するトラブルのようなものが発端らしい。 軍部から簑田の講演を押しつけられたと思った滝川教授は、「蓑田が「札つきの右翼」ということを聞いていたので」それに反対したそうだ。「憤慨した滝川は講演部長として判を捺さなかったが、当の蓑田胸喜は約束の日時に京大に現れた」という。だが簑田の講演はさんざんなものだったらしい。簑田の河上肇に対する攻撃に対し、 「聴衆は騒ぎ、その罵声のために蓑田の言葉は一語も聴きとれなかった。滝川は、いうだけのことはいわせるがよい、と司会者に注意したが、いきり立っている聴衆は司会者の言葉にも耳をかさなかった。蓑田は小一時間も立往生したのち講演場を去った。 そのあと座談会を開いたが、学生たちは分担を決めて蓑田理論を追求し、蓑田をいじめつけたため、蓑田は「抑留されている人が監視者の眼を偸んでこそこそ逃げるようなかたちで」京大を出ていった。」 とその後の様子が記述されている。このようなことがあれば、滝川教授に対して個人的な恨みを抱きたくなる心情は理解出来る。それがたとえ間違った恨みであったとしても、恨みを抱きたくなる心性は生まれてしまうだろう。だが、これは個人的な恨みであるから、これが一流の学者全体に対する恨みにどう発展していくかということも考えなければならない。それは論理的に整合的に理解出来る展開をしていくのだろうか。 鶴見俊輔『戦時期日本の精神史』の引用の中に、ようやく簑田の思想の二流性を検討出来るような資料を見つけた。次のような記述だ。 「この種の運動の論客であった蓑田胸喜は一九三〇年に次のように書きました.日本民族は現在頂いている天皇である現人神に対する信仰において建国の神話と国家宗教をもっており,このようにして儒教,仏教,キリスト教ならびに社会主義がこれまで実現できなかった仕方で世界史によって人間に託されている人類の使命を実現するであろう.私たちが天皇を現人神としてあがめて忠実に仕え私たちの祖国を守護するときそのことによって私たちは人類に奉仕するのである. 日本を世界最強の国にするということが日本人にとって人類に奉仕するただ一つの可能な道であるというのです.それが蓑田の論法でした.当時蓑田は日本の有数の私立大学の一つである慶応義塾大学で論理学および心理学の教授を務めていました.蓑田の論法はだんだんに力を得てきて,やがて京都大学法学部の自由主義的教授たちの追放をもたらすことに成功しました.この京都大学は日本における学校のピラミッド組織のなかで上から二番目におかれるものです.このようにして蓑田胸喜の議論はこの大学の法学部の性格を一変するだけの力をもちました.彼の攻撃はそのあとでピラミッドの頂点にある東京大学に向けられ,やがて憲法についてのそれまでの正統の解釈であった美濃部達吉の天皇機関説を陥れることに成功しました.」 (P53~54) 「私たちが天皇を現人神としてあがめて忠実に仕え私たちの祖国を守護するときそのことによって私たちは人類に奉仕するのである.」という思想は、その高い理想(人類への奉仕)にもかかわらず、実現可能性という現実性を考えるとき、どうしても本質から離れた末梢的な感情の問題にしてしまっているような二流性を僕は感じる。 「人類に奉仕する」のなら、具体的にどのような方法で奉仕出来るかを、現実に可能な形で考察しなければならないと思う。「天皇を現人神としてあがめて忠実に仕え私たちの祖国を守護する」という方法が、そのことを実現するとはとても思えないのだ。歴史的にはむしろ反対の結果が出てしまった。「人類に奉仕する」と言うよりも、むしろ「人類に害悪を与えた」のが、戦時中の天皇制軍国主義だった。 しかし、「人類に奉仕する」などという大きすぎる問題は、ほとんどその実現が不可能だと思われるくらい難しい。それに対して、愛国を叫ぶことは、具体的で分かりやすいと言うことはある。「人類に奉仕する」ことを本気で考えたら、それは難しいという結論にならざるを得ないが、それではおまえは「人類に奉仕しない」と言うつもりなのかと、的はずれな批判を受ける恐れがある。 愛国と天皇支持が「人類への奉仕」と直結するということに疑いを持たなければ、この難しい問題が少しも難しくなくなり、単純な真理を信じて生きることが出来る。このあたりの単純さは、錯覚として多くの人々の支持を得やすい可能性があると僕は感じる。 だが、簑田が、最初の京大での講演で見事に排撃されたというのは、難しい問題の難しさを忘れずに本質を見ようとするインテリにとっては、単純で分かりやすいと言うだけでは支持されないのだと言うことをまだ意味していたと思う。しかし、本質を見ようとする動機に乏しい人々、つまり大衆が簑田を支持したときは、皮肉なことに民主主義的なメカニズムによって、二流の思想が席巻すると言うことが起こってくる。二流問題は、衆愚政治としての民主主義の問題とも関わってくることになるだろう。これは極めて現実的な問題だ。 資料はまだまだ続くので、引き続き考察していくことにしよう。
by ksyuumei
| 2006-03-20 10:29
| 雑文
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