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論理トレーニング3 順接の論理;練習問題1の続き


(1)芸術が20世紀において生活の中心から「余白の部分」に追いやられてしまったということは、創造者と享受者が分離したことと無関係ではない。
  (接続詞)
(2)享受者の側にとって、創造者がいよいよ遠い存在になるとすればなおさらのことである。


(1)と(2)の主張をまとめると次の通り。

(1)芸術の分離は、創造者と享受者の分離と関係がある
(2)創造者との分離は、芸術の分離をさらに進める。

(1)と(2)が語っている内容はほぼ同じものと考えられる。これが、まったく同じ対象を視点を変えて語っているのであれば解説ということになるのだが、同じもののある一部を(1)が語り、他面を(2)が語っているとすれば、それは互いに補うものであり、付加と言ってもいいだろう。果たして、全体を語っているのであるか、それとも部分を語っているのであるか、どちらかが判断出来るだろうか。



(1)は芸術の位置づけという点で、創造者と享受者の関係というものよりも広い範囲のことを語っているように感じる。つまり、芸術の位置づけを語るときに、創造者と享受者の関係というものが、その背景の一部をなすという部分を構成するもののように思われる。そうすると、(2)は、その部分をさらに詳しく説明したものとして、(1)に付加しているという論理構造として捉えられるのではないか。解答は、

  (1)+(2):接続詞=しかも
 (「なおさらのことである」という表現から来るニュアンスで「しかも」という接続詞を選んだ。)



(1)争い事の解決には「人による解決」と呼ばれるものがある。
  (接続詞)
(2)当事者の直接の対決を避け、当事者が共にその権威を認める第三者の判断に解決をゆだねる方法である。


(1)と(2)の主張
(1)争いの解決の一つをあげている
(2)「人による解決」の具体的内容を解説

ここでは、(1)で争いの解決を一つあげていて、(2)ではその説明をすると言うことで、論理構造としては、(1)で名詞を使って実体的なとらえ方を示し、(2)ではその具体的内容という属性を語って、同じものを違う側面から捉えている。よって、解答は

  (1)=(2):接続詞=すなわち

これが、もっと具体性を持った説明になれば、具体例の例示というものになるだろう。


6 子供が幼くして死んだ場合、
(1)人々は悲しまなかったわけではないが、
(2)かけがえのない存在とは考えず、
  (接続詞)
(3)すぐ代わりの子供が生まれてくるように思われていた。
  (接続詞)
(4)子供は、まだ匿名状態の、取りかえのきくものであった。


それぞれの主張は次の通り。
(1)悲しまなかったのではない(=悲しんだことは悲しんだ)という事実の指摘
(2)子供はかけがえのない存在ではない(=取りかえられる存在)
(3)代わりの子供がすぐ生まれてくると思われていた
(4)子供は匿名の取りかえがきく存在(=かけがえのない存在ではない)

それぞれの論理構造として、(2)と(4)は、互いに否定と肯定の表現になっていて、内容的には同じことを語っている。つまり(2)=(4)。

もし(2)の次にすぐ(4)の文が続いていたら、ここには「つまり」などの言葉が入るのがふさわしかっただろう。だが、(3)の文章が入ったことで論理構造が少し変わっている。これは、(4)の主張のための根拠になりうるからだ。

すぐに代わりの子供が生まれてくれば、その子供が死んだ子供の再来と受け止めることによって、死んだ子供は死んだことにはならず、かけがえがないと言うことにはならなかっただろう。つまり、(3)と(4)の関係は論証になっていて、接続詞は「それゆえ」などという言葉がふさわしい。

  (3)→(4):接続詞=それゆえ

そうなると(2)と(3)の関係はどうなってくるだろうか。(4)と(2)とが同じ内容であれば、(3)は(2)に対しても論証の根拠となっているのだろうか。これは、(4)の文章が無く、(2)が断定的な主張で語られていれば、そのような論理構造になると思われる。次のような場合だ。

(2)’かけがえのない存在とは考えなかった。
   (なぜなら)
(3)’すぐ代わりの子供が生まれてくるように思われていたからである。

このようになっていれば論証の構造があると判断してもいいだろうが、問題の文章においては、論証の主眼は、やはり(3)と(4)の文章の方にかかっていると思われる。そこで、(2)と(3)の関係については、(4)の論証につなげるための展開と考えた方がふさわしいように思う。つまり、(2)だけでは同語反復的な繰り返しで(4)につながってしまうので、論証であることを明確にするために、根拠としてふさわしい(3)を挿入することで(2)を補って(4)につなげていると解釈することが出来るだろう。従って、解答は、

  (2)+(3):接続詞=むしろ

この場合の付加は、否定から肯定へと主張の重点が移るというニュアンスを出すために「むしろ」がふさわしいのではないかと思う。
by ksyuumei | 2006-02-25 16:45 | 論理


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