運動というものを、ゼノンはどのような理由から否定しなければいけないものと考えたのだろうか。事実として、そのようなことをしたと言うことを確認するのでなく、ゼノンの基本的な考えから、どのように運動の否定が論理的に導かれるのかということを考えてみたい。
まず考えられるのは、ゼノンのパラドックスを帰謬法として捉える解釈だ。運動が存在すると考えると、論理的にパラドックスのような矛盾が導かれる。だから、運動は存在しないと考えられる。このような流れだ。しかし、これは運動の否定の証明ではあるが、この証明が見出されたから運動を否定したというのは、原因と結果が逆であるように感じる。 まず運動の否定という考えが生まれ、その考えが正しいことを証明するためにパラドックスを考えたという時間的な順番になるのではないだろうか。パラドックスは証明のための方法であって、これを思いついたから運動を否定するという考えが生まれたというのではないようだ。 運動の否定はパラドックス以前にすでに生まれている。それを哲学史から拾ってくると、ゼノンの師であるパルメニデスの考えに行き着く。『西洋哲学史要』(波多野精一・著)によれば、パルメニデスの考えは次のようだったらしい。 「彼は「存在」という概念から出発しました。その根本思想は「存在だけがあるのであって、非存在はあることなく、思考することも出来ない」というものです。ここから出発して彼は「存在」のすべての規定を展開しました。」 これは完全な形式論理である。ものは、存在するかしないかどちらかであって、その中間はないとするのは形式論理の排中律だ。また、存在して同時に非存在でもあるという矛盾も起こりえない、とするのが形式論理だ。この形式論理が成立する世界で、非存在があり得ないと証明されれば、ものの存在性は絶対のものになる。 パルメニデスは、この非存在を否定するために、非存在の規定性から論理的に次のようなものを導く。非存在というのは、存在の否定である。つまり、存在することを否定するのであるから、非存在は存在出来ないと。これは、一見論理的に正しいように見えるが、実は論理ではなく、言葉の意味を辞書的に解釈しただけに過ぎない。これは、論理的には、正確には、 非存在の対象となるものは存在出来ない という命題になる。非存在そのものを対象にしているのではない。非存在という言葉で指すものが対象であって、その言葉で指された対象は、非存在という属性から、存在出来ないという結論が論理的に導かれるのである。これは、言い換えると次のようになる。 存在出来ないものは、存在出来ない このように書くトートロジー(同語反復)であることが明らかになるので、これは、「非存在」という言葉の定義を言っているにすぎないのだなと言うことが分かる。「非存在」という言葉は、ある対象が存在しないときに、その対象が「非存在」という属性を持っているのだと言うことを意味する。この対象に「非存在」という言葉自体は含まれていない。だから、非存在が、「存在しない」と言うことを語ったとしても、それによって非存在という概念までないことにはならないのだ。 パルメニデスが否定したのは、非存在という属性を持った対象の存在であって、非存在の概念ではないから、それによってこの世には非存在そのものがないとは結論出来ないのだ。しかし、パルメニデスは、非存在があり得ないものとして否定し、世界は存在で埋まっているという結論を下したようだ。 それは、パルメニデスが「空間」というものを認めなかったと言うことに現れている。空間というのは、そこにものが存在していないから「空間」と呼ばれるのであって、まさに「非存在」を表すものだからだ。実際には、非存在という概念が、空間の属性として考えられていると言った方がいいだろう。 さて、非存在というものが形式論理的に存在を否定されて、そこからの帰結で空間の存在も否定されると、ここから運動の否定がもたらされる。この本では、このあたりの論理展開を次のように説明している。 「次に、パルメニデスは存在は動くものではない、としました。動くとするならば存在ではない何ものかの中で動く以外にない。存在でないものは無い。従って、存在は動かない。(後に述べますように、非存在とは空間のことです。パルメニデスは空間の存在を否定したので、運動を否定することになったのです)。 次に、存在には変化がない、としました。なぜならば、変化とは存在が存在でなくなって非存在になることを意味するのだからである」 「非存在」という言葉の意味を形式論理的に展開すると、最後には「運動」の否定にまでいってしまうのである。こういうものを三浦つとむさんは「論理的強制」と呼んだように記憶している。これは、形式論理で語る範囲を超えた対象を無理やりに形式論理で捉えようとしたためだと思われる。存在というのは、弁証法的な把握をしなければ、現実的な存在を捉えることは出来ない。 存在というのは、絶対的に変化しないものとして存続し続けるのではない。属性の中に変化せずに保ち続ける部分と変化する部分とを持っていて、それが不可分に統一されたものとして現実には存在している。板倉さんは、このようなものを表現するのに、<=:イコール>の矛盾というものを語っていた。 変化しない同一というのは、A=Aという同一性ではなく、A=Bという同一性だというのだ。AとBとは違うものだが、この中に変化しない共通のものを見ることが出来るので<=:イコール>で結べると考えるのだ。 ギリシアの時代に、このように極端な形式論理が使われたのは、おそらくこの時代にはじめて形式論理の有効性が発見されたからだろうと思う。強力な武器としての形式論理は、それこそ世界のすべてを解明する武器に見えたのではないか。また、一度これだけ徹底的に形式論理を使ってみないと、その限界を自覚するのは難しかっただろうと思う。そういう歴史的背景が、パルメニデスの「運動」の否定につながっているのだろう。形式論理の無理な適用が、「運動」の否定という矛盾につながっているのだと思う。 パルメニデスはゼノンの師であり、ゼノンがパラドックスを提出する以前に、すでに「非存在」という言葉の意味を形式論理的に展開することによって、非存在そのものの存在が否定され、非存在として考えられている「空間」の存在が否定され、それによって「運動」が否定された。ゼノンは、この「運動」の否定を出発点に、それを証明するためにパラドックスを提出したと考えられる。 パルメニデスの形式論理の展開を見ていると、形式論理によって神の存在証明をするものに構造が似ていると思う。これは、神の属性として完全性を立てることによって、存在が必然的になるという形式論理だ。神は完全であるから、すべての属性を備えている。だから、存在という属性を備えていないはずはないと言うわけだ。もしその属性がなければ不完全ということになり、そのような対象は神にふさわしくないと言うわけだ。 しかし、これは証明しなければならない「存在」という属性を、証明する前に神に帰属させてしまっている論理になる。それは論理的な構造としては、証明する必要のない前提として、すでに確立されたものとして属性になってしまっている。だから、それを語ったからといって、本当は何も証明されていないのである。単に形式論理を整えて、言葉の定義をしているだけに過ぎない。循環論というものになっている。 非存在という言葉に、存在しないと言うことをくっつけて、非存在などというものは無いのだと主張するのは、神という言葉に存在という要素をくっつけるのに似ている。 我々は、この世にあり得ないものという概念を作ることが出来る。この世にあり得ないものは、見つけることが出来るはずがないのに、頭の中ではそれを対象とした思考が出来てしまう。頭の中の抽象的な世界では「この世にあり得ないもの」が存在する。これを、直接「この世にあり得ないもの」があった、と表現すれば、これがこの世のことに対する記述である限りでは形式論理的な矛盾になる。 この世の出来事に対しては、それをすべて形式論理で表現することは出来ない。それは弁証法論理で表現すべきものを含んでいる。このとき、弁証法論理で、ある種の条件を設定出来れば、その条件の範囲内では形式論理で語ることが出来るだろう。弁証法論理と形式論理は、現実の世界に対してはそのような関係になっているのではないか。 数学のように100%形式論理が通用する世界もある。しかしそれは、数学が100%抽象的な世界で出来上がっているからだ。抽象的な世界の比率に応じて、形式論理が受け持つ範囲が限定されていくだろうと思う。そして、抽象の世界が極めて狭い範囲に限られる対象に対しては、弁証法論理が、その解釈において大部分を占めるだろうと思う。弁証法論理は、A=Bのイコールの同一性に関して、違う部分がありながらも同じという、違うと同じを両立させる論理を提出するだろうと思う。同じと考えられる部分では、ある種の抽象が行われ、そこで形式論理が活躍するに違いない。 「アキレスと亀」のパラドックスにおいて、形式論理が正しく帰結する部分と、弁証法論理でなければ正しく解釈出来ない部分を分けてみたいものだと思う。僕にとっては、そうすることが本当の意味での「アキレスと亀」のパラドックスの論理的な解決になるのではないかと思う。
by ksyuumei
| 2006-01-28 22:51
| 論理
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