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クラインの四元群と親族の構造

クラインの四元群というのは、元を4つしか持たない集合が満足する群構造を指す。群構造というのは、代数的な計算の構造を言い、任意の2つの要素を1つの要素に結びつける計算の構造を持つ集合を群と呼んでいる。具体的には、かけ算や足し算が持つような構造を抽象したものとしてイメージされる。

整数の足し算でイメージをすると、まずはその演算(足し算)が、整数の集合の中では閉じている、つまり答えがまた整数の中で見つかるということが必要になる。これは、どんな整数を具体的にとってきても、その足し算の答えがまた整数になっていることから確かめられるだろう。この閉じた演算に対して、次のようなことが言えるなら、整数の集合は足し算について群をなしていると言える。


1 任意の3つの整数a,b,cが結合律を満たす。
   (a+b)+c=a+(b+c)

2 単位元(足し算をしても値が変わらない)が存在する。整数の場合は0が単位元になる。
    a+0=0+a=a

3 逆元(足し算の結果が単位元0になるようなもの)が存在する。整数の場合は、正負を逆にした数が逆元になる。
    a+(-a)=(-a)+a=0


整数の足し算に限らず、このような演算規則が成立するものを群として抽象的に捉えて、群であれば成立するような数学的な法則性を求めることが群構造の考察ということになる。

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by ksyuumei | 2008-12-07 23:50 | 構造主義

レヴィ・ストロースの「親族の基本構造」における群構造の理解

レヴィ・ストロースが、オーストラリアの未開族であるカリエラ族における親族関係の中に群構造を見出したのはよく知られている。婚姻の規則の中に、クラインの四元群と同じ構造があることを見出した。このことについて、今までの僕の感覚では、それまで誰も気づかなかった隠された構造(仕組み)を発見したことにレヴィ・ストロースの偉大さがあったと感じていた。

しかしこのような理解は、ある意味では複雑で難しいパズルの答えを見出したことの頭の良さに恐れ入ったというような感覚だったようにも思う。レヴィ・ストロースの天才性に偉大さを感じていただけであって、その内容(構造を見出したということの意味・意義)の偉大さを理解していたのではなかったような気がする。

つい最近手に入れた『思想の中の数学的構造』(山下正男・著、ちくま学芸文庫)という本の中に、「構造」の発見という構造主義の視点がいかにすごいものであるかということを教えてくれる文章を見つけた。レヴィ・ストロースの個人的なすごさというのは、「構造」というものの持つ思想史的な意味・意義(人間がどれほど物事を深く広く押さえられるかという思考の発展の持つ意味・意義)の大きさから感じられるものだということが分かるようになった。レヴィ・ストロースは有名だからすごいと感じるのではなく、このようなすばらしい思考の過程を教えてくれるからすごいのだと思えるようになった。それがうまく伝われば嬉しいと思う。

さて、おおざっぱに構造発見のすごさを語ると、人間が現実の観察から得られるような現象的な記述というものをそれだけをベタに受け取るのではなく、構造というものがそこに存在してそれが必然性を教えるということを考えると、世界の仕組みが分かったというような気がしてくる。それがすごいことだと僕は思う。偶然そうなっていることを発見して、「ああ珍しいこともあるものだなあ」と思ったり、「面白いな」と感想を抱くだけではなく、その現象が、ある意味では当たり前の現象として現実に発見できることの、根源的な理由を構造が教えるというような発想を見出したことがすごいと思った。

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by ksyuumei | 2008-12-07 16:07 | 構造主義

楽天ブログに書いたこと

楽天ブログに書いたことをここにも転載しておく。


構造の把握の仕方


「数学屋のメガネ(ライブドアブログ)」「数学屋のメガネ(はてなダイアリー)」「数学屋のメガネ(エキサイトブログ)」という3つのブログで、同じ表題の「構造の把握の仕方」というエントリーをアップした。いずれも内容は同じで、一筆書きの数学を考察することで、「構造」というもののとらえ方を考えたものだ。

上のエントリーの文章は、きわめて理科系的なもので理詰めで展開していっているものになっている。それを、この楽天では、努力して文系的な随筆風に出来ないものかということを試みてみようかと思う。語る対象も、一筆書きの数学というような、がちがちの理系的なものではなく、日常ありふれたところに題材を見つけて、「構造」が見えてくるものを探してみようと思う。ただ、上のエントリーで考察した方法論だけは踏襲して、考察だけは具体的な方向を目指してみようと思う。

まずは、方法論として結果だけをあげておくと次のようなものになる。


1 対象の限定(集合的に制限が出来る)
2 対象を抽象化して有限のものにする。
3 抽象化した対象の具体的な結びつきを捨てて、それぞれが独立した対象になるような抽象の仕方をする。
4 独立した対象の間に対応関係(関数)を設定し、それを「構造」と呼ぶ。


現実のありふれたものを対象にして、この方法で「構造」を見出すことが出来るかどうか考えてみたい。

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by ksyuumei | 2008-12-03 09:39 | 楽天

構造の把握の仕方

構造というのは、対象の全体性を把握しなければそれが見えてこない。対象の一部をどれほど細かく観察しても、そこから全体を引き出すことが出来ない。そこで考えられている全体は、まだ観察していない部分を想像している、仮説的な思考になってしまうだろう。その意味で、構造の把握はいつでも思い込みから来る間違いを含んでいる。

数学的な構造は、その思い込みからの間違いが排除できる唯一の構造だ。それは、数学的対象が、現実に存在しているものではないということから来ている。現実に存在しているものは、我々にその一面しか見せていない。必ず観察から漏れる面がある。それはたいていは末梢的なものとして捨象されるのだが、時にそれが論理的判断に重要な位置を占めることがある。そのような漏れがあった部分は、後に理論の間違いを決定づけるものになるだろう。

数学においては、見えない面を最初から意図的に排除するような抽象の仕方をする。それは排除されてしまったので、後の観察で、見落としに気づくというものではなくなる。羽仁進さんのエピソードで、馬が1頭ずつ2つの方向から現れたとき、馬は何頭になるか、という問いを子供の時に考えたというものがあった。羽仁さんは動物が好きで、馬という動物がとても気持ちの繊細な動物だと思っていた。気が合わない相手と一緒にいるのが難しいので、1頭ずつよってきても、必ずしも2頭になるとは限らず、1頭がどこかに行ってしまうかもしれないし、2頭ともいなくなってしまうかもしれないということを想像していた。この想像はとても人間的で文学的(芸術的)にはすばらしい。しかし数学的には間違いだ。数学は、このような具体性をすべて捨象して、しかも捨象した具体性を後の観察でもう一度引き入れることをしない。「1+1」は、普通の意味で抽象された場合(10進法というよく知られた数の記法の上での計算ということ)、誰が考えても「2」になるというのが数学の抽象になる。

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by ksyuumei | 2008-12-02 10:00 | 方法論