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論理解明のためのウィトゲンシュタインの関数

野矢茂樹さんが紹介するウィトゲンシュタインの関数の具体例を通じて、その関数概念の把握と、それがどのようにして論理構造の解明に役立てられるのかを考えてみたい。野矢さんは、概念理解の目的のために非常に単純な世界を設定する。名として設定されているのは次の6つの言葉だけとする。

 「ポチ」 「ミケ」 「富士山」 「白い」 「走る」 「噴火する」

この単純な世界では、これら6つの言葉を用いて表現されるものだけが実現可能な「事態」となる。単純化するために日本語の助詞も省略して、二つの名の結びつきだけで表現を考える。たとえば

 「ポチ」-「白い」

というなの配列によって、「ポチ」という個体が「白い」という属性を持っていることを表す。現実に「ポチ」(これはたぶん犬の名前だろう)が「白い」ならば、この「事態」は「事実」として、この世界に実現されているものになる。このとき、言語の配列として

 「ポチ」-「噴火する」

というものも形式的には作ることが出来るが、「ポチ」と「噴火する」という二つの名の論理形式が、このような表現を含んでいなければ、この配列による表現は、この世界では無意味だということになる。つまりこの配列は「事態」にならない。このあたりの解析をもっと厳密に行うために、野矢さんは次のような関数を作る。

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by ksyuumei | 2008-05-10 10:20 | 論理

フレーゲ・ラッセルとウィトゲンシュタインの関数概念の違い

フレーゲの発想は、野矢さんによれば、述語を関数で表現することによって論理の記号化に成功したというものだ。述語は日本語で言えば、動詞あるいは形容詞で表現されるか、名詞に判断の助動詞を伴った形でなされる。たとえば次のように。

1 地球は「自転している」。
2 海は「青い」。
3 小泉さんは「元総理だった」。

上の文章の「自転している」「青い」「元総理だった」は、それぞれ肯定判断を表しており、判断を示す述語として機能している。三浦つとむさんは、動詞や形容詞に対して、そこに直接判断を示す品詞がないので、日本語の場合は動詞あるいは形容詞そのものに肯定判断の表現が含まれると考えていた。いずれにしても、判断を伴う表現であり、述語として捉えることが出来るだろう。

この述語の記述に対して、フレーゲはその判断が及ぶ対象を変項として捉えてxなどで表す。上の3つはそれぞれ次のようになるだろうか。

1 xは「自転している」。
2 xは「青い」。
3 xは「元総理だった」。

このxには、基本的には現実の対象である何らかの存在物が入る。つまり定義域は現実世界ということになる。そして、1のxに「地球」という対象が入れば、1の命題は正しくなり、真偽値は「真」ということになる。この関数は、現実世界を定義域として、命題の真偽値を値域とするものになる。

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by ksyuumei | 2008-05-08 09:55 | 論理

ラッセルのパラドックスを回避するウィトゲンシュタインのアイデア

ラッセルのパラドックスというのは、「嘘つきのパラドクス」と同様に、自己言及によって矛盾が導かれてしまう種類の論理的なパラドックスになっている。現実を誤って認識したために、現実存在に反する判断が生じてしまったような、「ゼノンのパラドックス」のようなものではない。

現実に反する判断は、どこかに論理的な間違いが生じているのか、論理の出発点となるような現実の把握(つまり事実の認識)において間違っているのかどちらかだということになる。論理的な間違いであれば、それは正しくない論証であり、論理の出発点の把握が間違っているのなら、それを否定した判断が正しいという背理法を示すことになる。ゼノンは運動を否定したという言い方もされるようだが、その真意は空間が多くのもので構成されていて無限に分割できるものではなく、一つの存在として捉えなければならないという主張を証明するための背理法として提出したのだという。存在は「多」という性質を持つという前提を否定しようとしたらしい。

間違い・あるいは背理法として処理できるパラドックスに対して、論理的なパラドックスは、そこに間違いを見つけることが出来ない。ある意味では論理の限界を示すものとして、論理を無制限に適用してはいけないという警告と受け取らなければならない。どのような制限を設ければパラドックスを回避できるのか。ラッセルは「タイプ理論」というもので一つの解答を提出したが、ウィトゲンシュタインはそれとまったく違う発想でもう一つの解決を提出したというのが野矢茂樹さんが『『論理哲学論考』を読む』という本で展開していることだ。これを詳しく考えてみようと思う。そこには、パラドックスというものの本質が見えるのではないかと思う。

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by ksyuumei | 2008-05-07 10:14 | 論理