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萱野稔人さんの国家に関する考察を方法論として読んでみる

萱野さんの国家論というのはたいへんユニークで面白いものだと思う。国家論というのは、どちらかというとこれまではマルクス主義的な観点から論じられたりすることが多く、イデオロギー的な前提を強く持っていたように感じる。国家というものが民衆にとってどのような存在である「べき」かという「べき」論の観点から語られることが多く、対象の客観的認識よりも価値判断のほうが先行してきたように感じる。

マル激で宮台氏が語っていたが、「べき」論で考えてもいいのだが、それが現実にそうなっていなければ、いくら「べき」論を主張してもあまり意味がないということが出来る。価値判断的に、そのような方向である「べき」だと考えたとしても、現実には客観的法則性を認識して、その法則に従う方向で変革を考えなければ「べき」も実現しないと考えなければならない。

価値判断よりも客観的認識のほうを優先させて、まずは対象理解を徹底させるというのは、理科系にとってはごく当たり前の科学的な発想だ。それは、理解系の対象が自然科学的なものを基礎にしているので、価値判断をせずに考察の対象に出来るということもあるのだが、社会科学に関しても、それが「科学」と呼ばれるのなら同じような発想をするというのは、理科系にとっては極めて分かりやすい。萱野さんの論説に心惹かれるものを感じるのはそのせいだろう。

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by ksyuumei | 2007-05-31 10:07 | 方法論

イデオロギーを排した思考の方法論と、イデオロギーに支配された思考の誤謬論

イデオロギーとは、「政治・道徳・宗教・哲学・芸術などにおける、歴史的、社会的立場に制約された考え方。観念形態」と辞書的には定義されている。ということは、イデオロギー的なものに影響された思考というのは、その帰結が「歴史的、社会的立場に制約された」ものであると捉えられている。本来ならば、その時代の特殊性に縛られているはずなのに、それを捨象してしまって普遍性があるかのごとくに勘違いするところに、イデオロギー的な誤謬の本質があるような気がする。

これは、人間の思考がパラダイムという枠組みの影響を免れないということから言えば、そのパラダイムでさえも思考の対象に出来るという、時代の制約を超えた視点を持たなければ克服できない誤謬だ。これは、再帰性というものを反省の対象にすることが出来た近代になって初めて気がつかれたものではないだろうか。近代以前の社会では、どれほど優れた人間であろうとも、時代の制約そのものを反省の材料にして自分の思考の結果を検討した人はいなかったのではないか。

マルクス主義というイデオロギーが人々を支配した時代も、そのイデオロギーそのものが前提として正しいものかということは発想することが難しかったのではないかと思う。おそらく、その時代には、マルクス主義を成り立たせていた条件がほぼ自明なものとして受け取られるような時代的制約があったのだろう。

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by ksyuumei | 2007-05-29 10:32 | 方法論

治安問題に対する関心

都知事選での石原慎太郎氏の圧勝を考えたとき、あるブログで見た「治安問題」への取り組みが大きな要素だったということに頷いたものだった。他の候補に比べて、石原氏が主張する治安対策のほうが、多くの人の信頼を勝ち得たという指摘は正しいものだと感じた。

治安対策というのは強権的な警察権力を有効に発揮しなければならない。その意味では石原氏の強い姿勢のほうが何となく安心できそうな感じはする。萱野稔人さんの指摘にもあったが、他を圧倒する強い暴力でなければ、暴力を制圧するという治安は保てない。弱い暴力では治安問題の解決には不安が生じてしまうだろう。

治安問題を主張すれば一定の支持が得られるというのは石原氏だけにとどまらず、保守政治家は気づいているような感じがする。自民党を離れた亀井静香氏も、今度の参院選での争点を治安問題に求めているようだ。多くの人が不安を感じている時代は、その不安をあおることによって、不安を鎮めることが出来る強いイメージを持った政治家がポピュリズムを獲得する。小泉さんがそうだったし、フランスにおけるサルコジもそのようなイメージがあるのではないだろうか。しかし、この治安の不安というのは、本当に深刻に迫っているものだろうか。

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by ksyuumei | 2007-05-28 09:56 | 雑文

国家とは何か

萱野稔人さんが『国家とは何か』(以文社)という本を書いている。この本の前書きに当たる部分の「イントロダクション」というところで、この本が目指しているところの全体像について書いている。それは、タイトルにあるとおり、「国家とは何か」ということなのだが、その中に物事を考える方法論のようなものがあるのを感じた。

「国家とは何か」という問いに対して、こういうものだという答を提示するのがこの本の目的ではない。そもそもこの問いは、国家というものがいかに捉えにくい複雑なものであって、単純に答が出せるような対象ではないのだということを自覚させるためにあるような気がする。

国家の捉えがたさは、国家というのは直接目で見ることが出来ないものだからだろうと思う。つまり、実体としての国家そのものはどこにも見出せないのだ。国家を構成するであろう要素や機能は見ることが出来る。国民一人一人という存在は、現実の我々自身であり、これは幻ではなく実体的に存在する。国家を構成するであろう政治的な装置(国会・議員・地方議会など)もその存在を見ることが出来る。

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by ksyuumei | 2007-05-27 16:31 | 方法論

個人としての自分が見てそう思うのか、誰が見てもそう思うのか

久しぶりにすごい人間に出会った。マル激のゲストで語っていた萱野稔人という人物だ。その明快な論理展開は、宮台真司氏の文章を初めて目にしたときと同じ印象を感じた。この人は優れた専門家だと思える人はたくさん見つけることが出来る。マル激にゲストで登場する人々にはそのような専門家としての優秀性を感じる。しかし、全体的な印象として「すごい」という感覚を受ける人は少ない。萱野さんにはそのような印象を感じた。これは宮台氏に感じて以来久しぶりのことだ。

その萱野さんが「~<政治>の思考~」というコラムで、「第6回 価値判断と認識」という文章を書いている。ここで語られていることは、非常に分かりやすいものであるのに、そこに込められている知の深さと豊かさを感じるものだ。単純なことを語っているからわかりやすいというのではないのだ。非常に難しい深みのあることを語っているにもかかわらず、これほど分かりやすい言い方をしているというところにまず目を引かれた。

これは、三浦つとむさんにも共通していたことだが、ある事柄に本当に通じている人は、それを全体的な把握の下で細部を語ることが出来るので、細部に難しさがあるにもかかわらず易しい語り方が出来る。それは、単に用語を易しく言い換えたのではなく、概念の構造を正確に語ることが出来るので易しい言い方になっている。用語を易しく言い換えただけでは、正確な概念が伝わらないが、正確な概念を伝えてかつ易しく語るということが出来る人が、ごく稀にだがいる。僕はそういう人にすごさを感じる。

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by ksyuumei | 2007-05-26 10:46 | 方法論

資本主義にとって戦争は不可避なものか

以前どこかで、資本主義は永遠の発展を運命付けられているというようなことを聞いた記憶がある。語っていたのは宮台真司氏だっただろうか、小室直樹氏だっただろうか。現在の日本は低成長時代になっているが、資本主義というのは、安定成長という現象はありえないというような話だったと思う。すべての人が豊かになって、その豊かさが維持できるということはなく、豊かであってこれ以上もう物はいらないという状態でも、なお大量生産・大量消費によって資本主義は発展させなければ、安定そのものも失われていくというような論理展開だったように思う。

資本主義は、大量生産によってそのコストを下げて、物を安くすることで大量に消費することを可能にし、大量消費によって儲けを大きくすることで発展してきた。豊かさを実現するということでは、社会主義は資本主義にはまったくかなわなかった。社会主義は、計画経済によって必要量を生産しようとしたのだが、社会にとっては必要量というのは予測することが難しいもので、しかも、需要はある種の刺激によって高めることが出来る。

資本主義は、需要を高める手法によって大量消費の方向を打ち出し、それによって儲かる部分にさらに投資をして、コストを下げることを可能にし、さらに儲けることが出来るようになる。しかし、この循環は永遠に回ることは考えられない。大量に生産されたものが市場に行き渡る状態がやがてはくるからだ。

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by ksyuumei | 2007-05-25 09:38 | 戦争・軍事

マルクス主義の理論的誤りについて

社会主義国家に誤りがあったというのは、それが崩壊したという結果からほぼ明らかだろうと思う。前回の指摘が正しいかどうかは異論があるかもしれないが、社会主義という考え方に間違いがあったのは誰もが認めるだろう。もし、そこに間違いがなかったのなら、国家が崩壊するなどという結果を招くはずがないからだ。

国家の崩壊は具体的な事実であり、目の前でソビエトという国がなくなってしまったのを我々は目撃した。しかし、マルクス主義という理論は、ある意味では具体的な存在である国家とは相対的に独立していて切り離すことが出来る。だから、マルクス主義理論そのものは、そこに誤りがあるかどうかというのは解釈に違いが出てくるだろう。

マルクス主義の主張には多くの正しさがあったと思うが、根本的なところで間違っていたのではないかと僕は今では考えている。マルクス主義の場合も、理論は正しかったのだが、その適用においてみんな間違えたという解釈をすることも出来る。しかし、ほとんどすべての状況で適用を間違えたマルクス主義というものは、たとえそれがとても難しいものであったとしても、適用した個人だけに責任があると考えるのはどうも整合的ではないように感じる。

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by ksyuumei | 2007-05-24 09:55 | 誤謬論

社会主義国家の誤りについて

社会主義国家が崩壊したとき、その現象をどう解釈するかというのはマルクス主義の陣営にとっては深刻な問題だっただろうと思う。これが、マルクス主義の理論的な誤りを証明する実験と捉えるのか、理論には誤りがなかったが、その現実の適用において失敗した実践的な誤りと見るのかは大きな違いがあるだろうと思う。

マルクス主義を信奉して、そのパラダイムで自分の思想を形作っていた人々は、その理論が間違っているという前提そのものの否定はなかなか出来なかっただろうと思う。目に付くのは、現実の社会主義国家の指導者たちの具体的な失敗のほうだ。スターリン主義に見られるような大衆の弾圧と強権的な政治に失敗を見たり、特権的な指導者層の物質的な贅沢さに個人的な堕落を見たりすることのほうが多かったのではないかと思う。

マルクス主義理論そのものの間違いを認識するというのはかなり難しいことだったに違いない。理論が間違えているのではなく、人間の認識の中に誤りがあったと思いたくなるのではないだろうか。しかし、社会主義国家が例外なく倒れ、生き残った中国などは、もはや社会主義とは呼べないような国になっている。むしろ資本主義国家以上に資本主義的な生産が浸透し、国家が巨大な資本家になって資本主義を運営しているようにも見える。社会主義国家として唯一残っているように見える「北朝鮮」にしても、資本主義化して生産を発展させなければ国家の存続が危うくなっている。

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by ksyuumei | 2007-05-23 09:49 | 誤謬論

極めて論理的・合理的に考察する人間が最終的にはなぜ感情に任せた行動をするのか

僕は、マル激で紹介された『論座』の「赤木論文」なるものを読んでいないのだが、この赤木氏がネット上で公開している他の文章を見つけて読んでみた。「なぜ左翼は若者が自分たちの味方になるなどと、馬鹿面下げて思っているのか」と題された文章だった。

このテーマは、以前から僕が関心を持っているもので、それが不思議だとは思いながら、僕自身がそのような感覚を持っていなかったので、実感的に考察することが難しいと思っていた事柄だった。

宮台真司氏が、以前にアメリカの民主党と共和党について、大多数のアメリカ国民にとって、政策的には民主党を支持する層が多いほうが合理的なのに、結果的には共和党支持のほうが多くなり、民主的な制度のもとに共和党政権が誕生すると語っていた。それは、共和党のほうがマスコミ操作がうまく、宣伝によって非合理的な判断をするように働きかけるからだとも語っていたが、それが成功するのはなぜなのかということに関してはよくわからなかった。

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by ksyuumei | 2007-05-22 10:14 | 雑文

合理的判断を拒否するメンタリティ

郵政民営化問題をマル激で議論していたとき、小泉自民党が提出していた「郵政法案」が論理的にいかに間違っているかということを荒井広幸さんや山崎養世さんの話を聞いているとよく分かった。郵政省に限らず、役所の改革が必要だということは分かるのだが、このとき提出された「郵政法案」がそのような構造改革にはならずに、結果的には郵貯や簡保が持っている国民の財産を外資に提供するだけのものになるだろうというのは説得的な論理展開だった。

表面的には改革のように見えるものが、よく考えてみれば一部の利権に奉仕するだけのものになっているというのが「郵政法案」に対する合理的な判断ではないかと思った。しかし、選挙では郵政改革を訴える小泉自民党が圧勝し、どう見ても合理的判断では改革になっていない「郵政法案」が、その欠点を指摘されることなく成立してしまった。

合理的判断で正しいと思われることと反対のものが選ばれてしまうというのは、その問題が難しいために、人々がトリックにだまされているのだというのが僕の理解だった。どうすれば人々が合理的判断の正しさを理解できるようになるか、というのが教育に携わる人間としても、教育という面で社会に貢献するという一つの問題意識として感じていたことだった。

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by ksyuumei | 2007-05-21 10:24 | 雑文