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バックラッシュの必然性

バックラッシュというのは、保守的な層からの過剰な反動としてリベラルの側への不当な攻撃がされるというふうに僕は解釈している。それが不当であるという判断をもっていながら、それが起こってくる必然性を考えるのは、バックラッシュの正しさを考えようというものではない。たとえ不当なものであっても、それが現実に存在する限りは、存在するだけの根拠があり合理性があるはずだから、その合理性を理解したいという思いから必然性を考えたいというものだ。

学校におけるいじめの問題に関して、善意の人はそれは「あってはならないもの」という考え方をする。しかし、「あってはならないもの」が現実に存在するという矛盾はどのようにして受け止めたらいいのだろうか。多くの場合は、いじめをする方が悪いということで解釈されるだろう。

しかし、内藤朝雄さんは、いじめの起こる必然性を中間集団全体主義というものに求めた。そこにいじめが存在することの合理性を解釈することが出来たと言えるだろう。これは、そのような合理性があるからいじめが存在することが仕方がないとか、いじめをする方の責任が薄れるとかいう主張ではない。むしろ、中間集団全体主義の方を改善することによりいじめをなくすことが出来るという合理的な展望を語ることになる。

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by ksyuumei | 2006-12-03 11:24 | 雑文

仮言命題の難しさ再考

瀬戸智子さんから「またまた「おむつ」について」というトラックバックを「誤読をしたくなる心理と仮言命題の理解」というエントリーにもらった。この中の、仮言命題に関する部分を考察してみたいと思う。

僕が考える仮言命題というのは、ある仮定の下での結論を主張する形の命題で、仮定だけあるいは結論だけの単独の主張ではなく、「もしAならばBだ」という二つの命題の組み合わせでの判断を主張する形のものを指す。このときのAやBに当たるものは、命題であるという条件だけであって、その内容には何も触れていない。これは命題論理の範囲で考えているので、そのような対象を設定している。

だから、瀬戸さんが「仮言命題の最大の条件は「変項」を同じくすることです」と語ることの意味が僕には分からない。「変項」というものを設定すると、これは命題論理の範囲ではなく述語論理として考えることになる。しかも、仮言命題の場合に、「変項が同じ」という制限を設けてしまうと、その対象になるものがひどく狭められてしまうのではないかと考えられる。

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by ksyuumei | 2006-12-03 00:26 | 論理

誤読をしたくなる心理と仮言命題の理解

witigさんに「排便シグナルが読めて対処方法があればおむつは要らないか」というトラックバックを「必要条件と十分条件」というライブドアのエントリーにもらったのだが、これを読んでも、やはり内田さんの文章の文脈を誤読しているのではないかという印象は変わらない。

内田さんが語る「必要性」は、あくまでも「二歳までおむつをとる必要はありません」という言い方に関連して語られているものだと僕は文脈上の理解をしている。つまり、完全な形でおむつが必要でなくなるまではおむつをつけていてもいい、ということを「おむつが必要だ」という意味に理解し、完全になるまでの過渡期においてもおむつが必要でなくなることもあるよという主張として「おむつが必要ない」という内田さんの言い方を理解している。

問題は、子どもが自立と依存の中間点にいるときに、依存しつつ自立するという状態を作るために、排泄のシグナルを読みとろうという発想をしているのだと思う。自立か依存かという二者択一の発想ではなく、失敗をしつつも上手にシグナルを読みとる道が見つからないかを求めることに価値を見出すというのが、三砂さんの研究であり、それに賛同する内田さんの主張だと僕は受け取っている。

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by ksyuumei | 2006-12-01 10:04 | 誤謬論