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ウィトゲンシュタインの「論理空間」

僕は、最初「論理空間」というものを見たとき、その言葉のイメージを数学的な空間のイメージと重ねていた。数学的な空間は、点の集合を意味する。それは座標軸を設定したときに、座標の数字の組で表される。3次元空間であれば、3つの数字の組(順序の違いを考慮に入れたもの)で、空間の位置を表す。

数学の場合の空間は、座標軸によって構造が入るものの、座標軸そのものは相対的に決定されるもので、多くの可能性を持つものから選択されるものに過ぎない。だから、空間としての本質は、あくまでも点の集合という、素材が集まったものというイメージがあった。

このようなイメージで「論理空間」を眺めたので、それは素材である対象・つまり物を寄せ集めたものを意味しているのではないかと受け取っていた。「世界」が事柄の集まりである「事実」の集合だったので、「論理空間」が「物」の集合に対応しているとしたら、対応の構造としてもそれは整合性があるのではないかと感じていた。

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by ksyuumei | 2006-07-31 10:33 | 哲学一般

ウィトゲンシュタインの「世界」

ウィトゲンシュタインは『論理哲学論考』の最初の命題で


「1 世界は成立している事柄の総体である。」


と書いている。「成立している事柄」とは、現実に成立している事柄のことである。これを「事実」と呼んでいるので、世界は「事実」の総体であるというのが、ウィトゲンシュタインの「世界」と言うことになる。

「世界」という言葉は非常に抽象的な言葉で、人それぞれによってそのイメージが違ってくるのではないかと思う。具体的な「世界」の像には微妙な違いがあるだろうと思う。だから、その具体像から抽象された「世界」という言葉の意味は、人それぞれに微妙な違いがあるものと思われる。

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by ksyuumei | 2006-07-29 11:04 | 哲学一般

不可能性の証明

古代ギリシアの数学には三大難問と呼ばれる幾何学の問題があった。定規とコンパスだけを用いて作図するという問題で、

1 与えられた画の三等分をする
2 与えられた立方体の2倍の体積の立方体を作図する
3 与えられた円と同じ面積を持った正方形を作図する

というものだ。これは多くの優れた人々が解決を求めたが、誰もそれに成功しなかった。そして、まったく意外な形で解答が見つかった。これらの作図は、定規とコンパスだけを用いるという制限の元では不可能であることが証明されたのだ。

不可能性の問題というのは非常に不思議なものだという感じがする。それは、誰がやっても出来なかったという経験だけでは証明にならない。未来永劫に、誰がやっても出来ないのだと言うことを含んで証明されなければならない。経験を越えた事柄を主張すると言うところに不思議なものを感じる。

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by ksyuumei | 2006-07-27 11:02 | 論理

昭和天皇の発言メモについて論理的に考えてみる

元宮内庁長官、富田朝彦氏(故人)の手帳に残されていた昭和天皇の発言のメモが論議を呼んでいる。それは、靖国神社のA級戦犯合祀(ごうし)について強い不快感を示していると解釈されていることが、靖国参拝問題を巡るいくつかの立場にとってどう受け止めればよいかが問題にされているようだ。

靖国参拝の是非を、昭和天皇の言葉を元に判断するのはあまり論理的ではない。昭和天皇が何を語ろうとも、その是非は論理的に求められなければならない。しかし、いわゆる右翼論壇にとっては、昭和天皇の言葉を無視することは出来ないだけに、靖国参拝に対して素朴に是とするわけにはいかない。昭和天皇の言葉と齟齬を起こさないような解釈が必要だ。

靖国参拝に反対する側も、昭和天皇の権威を利用してその反対を主張するのにはためらいがあるものと思われる。昭和天皇の意志にかかわらず、それは反対だと思うからだ。どの立場にとっても昭和天皇の言葉の解釈は難しいだろうと思う。

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by ksyuumei | 2006-07-26 23:49 | 論理

仮言命題そのものの真理性とその前件と後件の真理性

内田樹さんの「2006年07月23日 Take good care of my baby」というエントリーに、論理的な観点から見て非常に興味深い記述があった。

『オニババ化する女たち』の著者・三砂ちづるさんは「おむつの研究」をしているという。それは内田さんによれば、「母親にシグナルが読めればおむつは要らない。
ということを科学的に論証しようとする研究だそう」だ。

「日本ではいま「二歳までおむつをとる必要はありません」ということが育児書でいわれているそうだが、三砂先生によると、これはぜんぜん育児の方向として間違っている」と内田さんは語る。それは、後の方の記述を読むと、おむつをいつまでもつけておくことによって、母親が、「子どもが「排便する前に発するシグナル」がどういうものか学習する」ということが損なわれるからではないかと思われる。

おむつを早く取ると言うことを前提にすれば、母親は子どものシグナルに敏感になる。それは、言葉によるシグナルではないので、訓練しなければ間違った受け取り方をするし、微妙な違いが区別出来なくなる。そして、このシグナルを読むという技術が上達することによって、母親と子どもの間に深いコミュニケーションが生まれるという、育児にとって実に大事なことも実現出来る。

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by ksyuumei | 2006-07-25 23:30 | 論理

真理の客観性について--客観的真理は存在するか

数学の基礎教養の一つに集合論というものがある。これは、ものの集まりというものを抽象して数学的対象にするものだが、単純に何かが集まっていれば集合になるというものではない。基準のはっきりしないものはいくら集まっていても、数学的対象としての集合にはならない。

例えば「大きい」人の集合といっても、人によって「大きい」という基準が違ってくれば、その集合に属するか属さないかが違ってしまう。このような曖昧な存在は数学では排除される。この場合は、身長が180センチ以上とか、体重が100キロ以上を「大きい」と規定して基準をおけば数学的な集合とすることが出来る。

数学が、「大きい」というような曖昧な判断基準を排除するのは、客観性を保つためである。主観によって判断が違ってくるようなことを考えたのでは、同じ結論に達することが出来ない。数学においては、その前提とする事柄も、使われる論理も、数学の世界にいる限りでは誰もが同じものを受け入れなければならない。そうすることによって、正しい事柄はすべての数学者が同じ結論に達するという「客観性」を保つことが出来る。

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by ksyuumei | 2006-07-22 14:05 | 哲学一般

再びフェミニズムについて考えてみる

また同じ議論を蒸し返してしまうかも知れないと恐れながらも、もう一度フェミニズムについて考えてみたいと思う。これは、自分自身に対して深い理解をしたいという思いからでもある。

こんなことを思うきっかけは、ワールドカップ決勝でのジダンの頭突きのことを考えてからの連想だった。僕はあの頭突きを、単にプロの試合での戦術に引っかかっただけという単純な理解をしている。そこに深い意味を見出そうとは思わない。

ジダンがこれまでも差別というものと闘ってきた社会意識の高い人間だったとか、暴言を吐いたマテラッツィが、以前からの差別主義者だったということなら、そこには考えるべき深い意味があるかも知れない。しかし、単に戦術上の問題だったら、マテラッツィの暴言も、昔はよく言われた子どもの悪口の「おまえのカーちゃんでべそ」という類のものと一緒だと思う。相手を怒らせることが目的のものであって、それ以上の意味はないという受け取り方だ。

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by ksyuumei | 2006-07-20 10:49 | 雑文

究極的な存在の考察

観念論の再評価のために『カント入門』(石川文康・著、ちくま新書)を読んでいるのだが、その中に興味深い記述があった。それは「空間・時間は主観的なもの」という中見出しで語られていることだ。

我々は、具体的に存在するものは、物質として客観的に存在すると受け取っている。それはいくつかの実践によって確かめられ、かなり信憑性の高いものとして考えられている。そして、その延長として、存在を抽象した「空間」という存在に対してもその客観的存在をそのまま信じているところがある。

「空間」というものが存在するから、その中で特別な位置を占める具体的な物質が存在出来ると論理的に把握しているように感じる。しかし、言葉として「空間」というものを考えてみると、これがなかなか難しいものだとも感じる。「空間」というのは、物質が占める場のことを意味するのだが、そこに他の物質が存在していれば、もはやその空間には同時に他の物質は存在出来ない。つまり、「空間」というのは、物質が存在していない場所として、ある種のすき間としてしか存在出来ない。

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by ksyuumei | 2006-07-19 09:50 | 唯物論・観念論

歴史における真理とは何か

「北朝鮮」のミサイル発射に関することは、国連での非難決議の成立で一定の決着を見てしまったのでもはや旬の話題ではなくなってきた。この決着が、それぞれの国のどのような思惑が働いているのかを考えるのは、何が「事実」なのかを考える上で大事だとは思うが、素人考えではあまり深みのある考察が出来そうにない。

この決着は、日本にとっては想定の範囲内だったのか、それとも外交のミスと呼べるもので、マイナスの結果として受け止められているのか。将来的には有利な方向へ向けることが出来るのか、あるいは不利な方向へ今のところは行っているのか。「北朝鮮」にとってはどうなのか。これらのことを考えるのに、素人では今のところ大したことは考えられそうにない。

素人としては、具体的な問題について考えるには、どうしてもデータを持っていないので限界がある。そこでこのことをもっと一般化して考えてみるのがいいのではないかと思った。そして、一般化するのにちょうどいいような情報をマル激での江川達也さんの言葉に見つけた。

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by ksyuumei | 2006-07-18 10:01 | 雑文

「北朝鮮」のミサイル発射を論理的に理解してみる 2

「北朝鮮」のミサイル発射に関しては、それが何らかの利益をねらったものだという前提で考えなければ合理的な理解は出来ないと言うことは、誰もが認めることではないかと思う。問題は、それが利益になると「北朝鮮」に判断された理由の方を知ることだ。

中山・元内閣官房参与の言葉にある「悪い事をやめる代わりに何か下さい」というような意図というのは、一つの解釈だが、これはあまりにも単純に考えすぎているような気がするというのが前回の考察だった。これは脅しをかければ効果があるという判断に基づいて、何らかの利益がもたらされるだろうと考えていることになる。

これは、あまりにも軍事超大国アメリカを見くびっているのではないだろうか。どこの国よりも強い軍隊を持っているアメリカが脅しに屈すると考えるのは、頭の悪い判断ではないのだろうか。「北朝鮮」はそう言う頭の悪い人間が支配しているのだという判断をしたい人もいるかも知れないが、あくまでも合理的な考えで行動をしているという前提で考えてみたいと思う。

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by ksyuumei | 2006-07-14 10:23 | 雑文