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元気でいること

今週配信されているマル激のゲストは衆議院議員の辻本清美さんだ。その前は自民党総裁候補の河野太郎さんだった。またちょっと前には、民主党の保坂展人さんが出ていた。いずれの人にも共通するのは「元気」だと言うことだった。難しい問題に取り組み、逆風が吹いている状況かも知れないのに、彼らはいずれも元気に活動していた。そのさわやかさに大きな共感を覚える。

河野さんは自民党総裁という、リーダーの中のリーダーを目指している人だが、国会議員であるということがすでにある種のリーダーとして存在しているとも言える。三浦つとむさんは、「指導者の理論」で指導者はその行動において模範を示さなければならないということを書いている。その意味では、この3人は模範となる行動で、指導者としての資格を獲得していると言えるのではないかと思う。

宮台氏は以前に国会議員にプライベートはないと語っていた。すべての行動が公共性を持ったものだという主張だ。それから考えると、この3人の行動は、常にパブリックな活動がプライベートな活動に優先しているとも言えるのではないかと感じる。このあたりも指導者にふさわしい資質を持っているのではないかと感じるところだ。

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by ksyuumei | 2006-06-14 10:42 | 雑文

二項対立の図式について

昨日本屋で見つけた仲正昌樹さんの『分かりやすさの罠』(ちくま新書)という本が面白い。まだ最初の部分しか読んでいないのだが、二項対立というキーワードで世の中の現象を見ていくと、いろいろとその意味が分かってくるようなことが多いのではないかと感じさせてくれた部分が特に面白いと感じた。二項対立というメガネで眺めてみると、今まで見えなかったものが見えてくるという感じだ。

二項対立というのは、ある主張とその正反対のものを提出して、どちらに賛成かというものを問うものだ。ある主張に対して賛成か反対かを問うというものになる。ちょっと前の話題でいえば、郵政民営化に対して賛成か反対か、というようなものがあった。今のことでいえば、共謀罪に対して賛成か反対か、というものや教育基本法の「改正」に対して賛成か反対かというような二項対立があるだろうと思う。

二項対立というのは物事を単純化して分かりやすくする。郵政民営化に対して賛成するなら、「改革賛成派」であり、それに反対するなら今までの既得権益を守る「守旧派」だという理解を人々に迫る。これが正しいものであるなら、この二項対立は実に分かりやすい論理になる。どちらかが正しいものであり、どちらかが否定されるのなら、形式論理的には「排中律」と「矛盾律」が成り立つというすっきりした世界が現れる。

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by ksyuumei | 2006-06-13 10:47 | 雑文

男の闘争本能について

お昼をよく食べに行く近所のそば屋にマンガがいくつか置いてある。僕は子どもの頃からマンガをよく読んでいたので、料理が出てくる間にそれをよく読むのだが、ヤクザを主人公にしたマンガに面白さを感じて読むことが多い。僕はヤクザとはまったく関係がないし、ヤクザになりたいとも思わないのだが、マンガに描かれたヤクザはかなり魅力的だと思う。

現実のヤクザは暴力的な犯罪集団であり憧れの対象にはならないのだが、マンガや映画に描かれたヤクザは、男にとっては単純明快な純真さのあらわれとして魅力的だ。自分の信念に殉じるような生き方がその魅力の根底にあるのだろうか。子どもの頃にプロレスに引きつけられたことを考えると、男にとって戦うことが本能的な欲求としてあるのかもしれない思ったりする。

マンガでは、主人公の敵役として、頭はいいが小ずるい私利私欲を求める悪人というのが登場する。同じヤクザであることもあるし、外見上はまともな社会人という姿として登場することもある。この悪人の理不尽な行為に対して、暴力的な抵抗をして立ち上がるのが主人公のヤクザになる。最後は悪人どもを蹴散らして、主人公の信念に基づく秩序を回復して真っ当な道を確立することに男は拍手喝采する。

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by ksyuumei | 2006-06-11 09:52 | 雑文

徴兵制あるいは軍隊の功罪について

宮台真司氏は、韓国と日本との大衆の意識の違いについて、徴兵制というものの存在を大きな要因としてあげることがある。韓国には徴兵制というものがあるので、それを経てきた男たちは、国家というものを強く意識し、不条理な世界での生活が日常性を見直すきっかけになるという。

韓国では、徴兵によって軍隊の生活をすることによって、男は大きな成長を遂げるという。子どもから大人になる通過儀礼として重要な意味を持つものが徴兵だという。宮台氏の弟子だという韓国人のイ・ヒョンソク氏が原作を書いた『軍バリ』というマンガがあるが、ここでも主人公のキム・ジンという二十歳の青年が成長する姿が描かれている。

国家を守るという意識は、個人の利害を超えて公共の利益を考えさせることになる。ある意味での市民感覚を育てることにもなるだろう。旧日本軍のように、滅私奉公の自分をまったく失うような軍隊生活には、主体的に公共性を身につけるという点では弊害をもたらすだろうが、そのようなことがなければ軍隊生活は成長をもたらすという主張にも一理あるような気がする。国を守るという意識は、もっとも大きな公共性に支えられなければ出来ないことではないかと思うからだ。

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by ksyuumei | 2006-06-09 10:36 | 雑文

モラルやマナーの問題とルールの問題を再考

昨日のエントリーへのmechaさんの書き込みで、村上氏の違法性ということについて一定の理解が得られたような気がする。確かに違法性というものがあったようだ。だから法的に裁かれるというのは仕方のないことになるのだろう。しかしまだ釈然としない思いが残る。この釈然としない思いをちょっと分析してみようと思う。

以前にライブドア問題の時にも、ライブドアの粉飾決算に関しては、その違法性を早くから指摘していた人がいたことを知ることが出来た。専門家の目から見れば違法性が明らかであっても、専門的な知識のない目からは、それがなかなか分からないということも感じたものだ。その一方で、本当に問題だと思うことは違法性として指摘されていなかったということも感じた。

それはマル激で神保哲生氏が指摘していたことだが、ライブドアの株分割の問題だった。株分割の本来の趣旨は、あまりにも一株の値段が高くなりすぎた株は、一般の投資家がそれを求めにくくなるので、分割して一株の値段を下げて、投資活動を活発化させるというものだったと僕は理解した。

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by ksyuumei | 2006-06-08 10:28 | 雑文

モラルやマナーの問題とルールの問題

僕は小学生の頃にプロレスのファンになったが、子どもだった頃は、単純にジャイアント馬場やアントニオ猪木が一番強いものだと思っていた。よく考えてみれば、テレビの中継に合わせて試合が終わったり、どんなにたくさん試合をしても決して負けないなどということが現実にはあり得ないことを思えば、それが本当に強いのだということに疑いを持ってもよかったのだが、子どもの頃はそれほど深く考えなかった。しかし、そのおかげでプロレスファンとしては、プロレスを心ゆくまで楽しめた子ども時代を送れたので良かったとも思う。

少し大人になって裏が読めるようになってくると、プロレスの本質のようなものも分かるようになったが、それでプロレスが嫌いになったかというとそうでもなかった。むしろ本物の格闘技である総合格闘技やプライドのようなものがひどくつまらないものにしか見えなかった。ケンカをしたら誰が一番強いかなどというのは、見ていてもあまり気持ちのいいものではないからだ。

プロレスの面白さは、見せるための身体の動きの美しさにあると僕は思っていた。本当に相手を倒そうと思っている格闘技では、見せるためのポーズを取れば相手にそのスキをつかれて負けてしまう。見せるということは二の次になることは、そのルールから明らかのように思えた。

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by ksyuumei | 2006-06-07 09:34 | 雑文

映画の感想

土曜・日曜はケーブルテレビで撮りためた映画を見ることが多い。僕は、だいたい好きな俳優が出ている映画を見ることが多い。日曜日もカーク・ダグラス主演の「巨大なる戦場」という映画を見た。

映画の感想を語るにはどうしてもそのストーリーにも触れなければならない。だから、ストーリーの面白さを映画の楽しみの一つにしている人は、ここから先はあまり読まない方がいいかも知れない。ストーリーよりも、何がどう表現されているかに関心がある人には、人が語る感想も一つの見方として参考になるかも知れない。

さて、この映画は、イスラエルの独立の頃に、軍事顧問として独立戦争の指揮をするためにアメリカから招かれたミッキー・マーカスという人物の伝記を描いたものだった。この人物は優れた軍事家で、知性と勇気を併せ持った合理的精神の持ち主として描かれていた。

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by ksyuumei | 2006-06-05 10:21 | 映画

昭和天皇(裕仁天皇)の戦争責任

以前に宮台真司氏が、昭和天皇には戦争責任がないということを話していたことを記憶している。その時にちょっと違和感を感じたので記憶に残っているのだが、宮台氏は昭和天皇に対しては個人的な好感の感情を抱いているということも言っていた。そう言うことも影響しているのかな、と漠然とは思っていたが、その時にはこのことを論理的に考えてみようとは思わなかった。

国家の最高権力者であった昭和天皇が、戦争という国家の行為に対して責任がないということは、論理的にはあり得ないこととしか僕には思えなかったからだ。その言葉が、宮台氏ではなく、右翼的な立場にいる人が語ったものなら、公平な第三者的な主張ではなく、立場から来る主張だから仕方がないなという受け取り方をしていただろう。

宮台氏が語ったことなので、客観的にそう主張出来る要素もあるのかなとは思ったが、深く考えてみようという意欲はわかなかった。しかし、この問題を指導者の影響や、指導者の影響で行動した人々の行為に、指導者はどのように責任を負うかという一般論として立て直してみると、今までは当然だと思っていたことも、もしかしたら他の考えも出来るかもしれないと思うようになった。

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by ksyuumei | 2006-06-02 09:37 | 雑文