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凶悪犯罪者に対する偏見

今週配信されているマル激には安田好弘弁護士がゲストで出ている。タイトルは「私が重大犯罪の被告を弁護しなければならない理由」となっている。これを聞いて思うことは、我々が凶悪犯罪の報道から、いかにしてその犯罪を犯した人間に対して極悪人という偏見を抱くかということだ。もう少し正確に言うと、犯人であるかどうかがまだ決定していない被疑者に対してでさえ、マスコミの報道から大きな憎しみを抱いてしまうという偏見が育っていく過程というものがもっとも心に残ったものだった。

安田弁護士は、山口県光市の事件の弁護を引き受けた際、上告審弁論に欠席したことが、裁判を遅らせる意図だったのではないかということでバッシングを浴びていた。ほとんどのマスコミのニュースがそうだったし、個人のブログでも非難する論調の文章が目立っていた。しかし、冷静になってこの事件を見れば、このような感情的な反応は偏見から生まれるものではないかと考えてみなければならないのではないだろうか。

安田弁護士によれば、この事件の鑑定書を詳しく見てみると、検察側が事件の描写をする際に意図的に凶悪性を増すような表現をしているところが見られるという。明らかに鑑定書が語る事実に反するような描写が見られるというのだ。それを具体的に書くのはためらいがあるが、例えば子どもを床にたたきつけたという描写が被告人の残虐性を示すものとして語られている。しかし、そのような行為をしたのなら、鑑定書にはその時の傷がはっきりと書かれていなければならないのに、そのようなことが書かれていないという。

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by ksyuumei | 2006-05-30 09:34 | 雑文

天皇個人に対する偏見

先週のマル激では天皇制について論じていた。ここで僕の関心を引いたのは、議論されていたのが、天皇制という抽象的な制度という対象ではなく、具体的な天皇個人の問題として語られていたことだった。それは現在の明仁天皇を巡る問題だったり、昭和天皇である裕仁天皇を語るものだったりしていた。

天皇制という制度を巡っては、理論的には、それがすべての差別の根源であるという主張があったり、戦争における失敗が天皇制軍国主義というものに帰して考えられているところがある。僕もかつては、これらの主張を素朴に信じていた。しかし、マル激の議論を聞いていると、問題はそれほど単純ではないのではないかと感じるところがある。

天皇という存在は、無条件の絶対的な聖性を持っていると考えられている。聖なる存在として、無条件の頂点に位置するというその属性から、反対の極にある、もっとも穢れた存在というものを必然的に生み出すという考え方が、理論として差別の根源であるという考え方だろうか。僕も素朴にそう信じていたところがあった。

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by ksyuumei | 2006-05-29 09:52 | 雑文

もう一つの偏見について

偏見というものが不当性を持つのは、それが社会的弱者に対してであることが多い。偏見とは文字通り「偏った見方」であり、ある一面を捉えて、そこから得た解釈が、対象の全面であるかのごとくに扱って考えることを言う。

以前に本多勝一さんが、アメリカの黒人を取材したときに、その差別された現状に同情して善意から黒人へ近づいた人々が、現実の黒人たちに嘘つきや泥棒が多いことに大きなショックを受けるだろうと書いていたことを思い出す。

嘘つきや泥棒が黒人に多いことは事実だったから、それと黒人であるという属性とを結びつけて、例えば黒人は道徳的・倫理的に劣っているという見方をすれば、それは偏見というものになる。実際には、黒人だからという理由で嘘つきや泥棒を説明出来るのではなく、その社会的状況などを、一面的にではなく多面的にその影響を考慮に入れて考えなければならない。それが出来ないと偏見という間違ったメガネで対象を眺めてしまうことになるだろう。

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by ksyuumei | 2006-05-28 10:10 | 雑文

方法論としてのフィクショナルな前提

大きな失敗をしたにもかかわらず、出直しの姿勢に暖かい言葉をかけてもらえて感謝の気持ちで一杯だが、その一つ一つの言葉に返事を返す余裕がまだ無いので、折に触れてそれらのコメントに触れることで返事にさせてもらうことをお許しいただきたい。

さてそのコメントの中でも非常に心にとまったのが、mojimojiさんの次の記述だ。


「「一方的な反批判停止」の中で、「つまり、行動面においては、僕は決してフェミニズム的な批判は受けないと思っている男だ。少しでも、抑圧的・封建的なところがあると指摘されて、その指摘が正しいものであればそれを改めるという柔軟性も持っていると僕は思っている」という部分、お気持ちはよく分かるのですが、これは僕自身の自戒もこめた仲間へのアドヴァイスとして申し上げるのですが、そのように言いたくなる心情こそが、私たちが警戒すべきものです。自分の中の気づかないところに抑圧的なプロトコルが仕組まれているだろう、ということを、方法論的前提として常に忘れないようにするのがよりよい対処法かなと思います。実際、自分の行動の中に抑圧的なものの欠片を発見し、肝を冷やすことは今でもしばしばあります。」
「偏見が生まれてくる前段階について」のコメント…はてなダイアリー)


このような記述に関して、以前の僕ならある種の反発を感じて読んでいたかも知れない。しかし、一つの失敗を経た今は、この言葉を冷静に受け止めて、その正しさを理解することが出来る。

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by ksyuumei | 2006-05-26 09:00 | 雑文

内田さんのアンチ・フェミニズム言説に対する誤読

僕の偏見にとってもっとも大きな影響は、内田さんのアンチ・フェミニズム言説を誤読したことだろうと今は感じている。誤読のポイントは、内田さんがアイロニーとして語ったことを、アイロニーとして理解せず、ベタにそのまま受け取ったことにある。なぜそのような受け取り方をしたかは、僕の無意識に属することのような気がするので今は分からないが、誤読から偏見への流れを考えてみると、これがもっとも大きなもののように思える。

内田さんの真意は、フェミニズムというものが基本的に正しい主張をしているものであるにもかかわらず、現実にフェミニズムという言葉で流通している現象は、その正しさを少しも実現せず、かえって抑圧的な作用をもたらしているという皮肉を指摘したものとして理解しなければならなかった。

それはフェミニズムに対する誤読であり間違った判断ではないかということが内田さんの真意ではなかったかと思う。それを、間違ったのはフェミニズムだというふうに、現象を短絡的に理解したことが誤読だったと思う。

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by ksyuumei | 2006-05-25 10:05 | 雑文

自分の中の教条主義と自らの誤読に対する自己批判

自らの中にある偏見に気づき、「構造的無知」から解放されて自分を冷静に眺めてみると、「地獄への道は善意によって敷き詰められている」という法則を自分が実践していたのを感じる。自らが正しいと信じた行為によって、僕は多くの人を攻撃してしまったことに気がついた。それが正しいと思っていただけに、歯止めが無くエスカレートしていってしまったようにも思う。

そのようなことを見抜いていた人からは、僕のような人間は、まったく軽蔑に値すると思われても仕方がないと思っている。何を言われようとも返す言葉がない。しかし、コメント欄に暖かい言葉をかけてくれる人がいるのを見て、このような軽蔑すべき姿をさらしてしまったにもかかわらず、出直そうとする姿を暖かく受け入れてくれる人がいると言うことに、大きな感謝を感じる。人の心の温かさを感じて、ただありがたいと思うだけである。

それに勇気を得て、自分にとってはもっともつらい自己批判をする決心がついた。これがどうしてつらいかというと、教条主義と誤読というのは、僕が攻撃して回った事柄なので、自らが激しく怒りを抱いていたことを実は自らが行っていたというアイロニーを認めなければならないからだ。これはひどくつらいことだ。自分で自分を軽蔑しなければならないと言うのは、自己防衛本能をひどく傷つける。

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by ksyuumei | 2006-05-25 09:16 | 雑文

偏見が生まれてくる前段階について

コメント欄にもいくつかコメントをいただいているが、今は自分にそれに答えるだけの余裕がないので返事が書けないでいる。決して無視しているのではないが、今は冷静に他のものにまで目を向けることが難しいと言うことで理解してもらえればと思う。今は、自分の失敗を見つめることで精一杯で、他のことを冷静に見つめる自信がない。今しばらくは、自らの誤謬をしっかりと見たいと思う。

さて、僕が「フェミニズム」というものに偏見を抱く前段階として、あるトラウマ体験が深く関わっているような気がしてならない。以前にもちょっと触れたことがあるが、ある冊子の誤植を巡って追求されるという体験をしたことがある。その当時の僕は、ある組織の事務局長をやっていた。冊子というのは、その組織の大会の記録をまとめたものだった。

これにいくつかの誤植があったのだが、当時の僕は事務局長とは言え、この記録冊子の制作には一切関わっていなかった。それは、それを担当するものが他にいて、そこが全面的にその制作を担っていたのだ。これは当然のことで、僕は教員をやりながらその組織の事務局長をしているのであって、その仕事を専門にしているわけではない。だから、具体的な処理の仕事は分業で当たるのが当然だろう。

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by ksyuumei | 2006-05-24 10:45 | 雑文

自らの誤謬から学べること

偏見からの「構造的無知」が晴れてみると、自分の論理展開がまったく無理な詭弁であることがよく分かる。まさに構造的無知というのは、その本人にはまったく見えないことが、外にいれば容易に見えてくるという構造を持っている。ばかげた論理を展開したものだと思う。

僕は「構造的無知」から、自らの過剰反応に気づかず、むしろ批判する側の方を過剰反応だと思い込んでいた。しかも、その過剰反応は、気に入らない言説を叩くためだけに批判しているのではないかという、被害者意識につながっていた。これも「構造的無知」から来る妄想だ。

被害者意識を持ったことが、逆に僕の攻撃性を増す方向へと働いてしまった。向こうが叩いてくるなら、叩き負けないくらいに叩き返さなければならないと言う感情が生まれてしまったのだ。守るために攻撃するというメンタリティは、男に多いものだろうか。とにかく、そのメンタリティによって、誤解からとはいえひどい言葉を投げつけたものだと思う。人格的な非難を浴びても仕方がないとさえ思っている。その時に悪口雑言を浴びせた方には、たいへん申し訳ない思いを感じて、ただ恥じ入るだけだ。

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by ksyuumei | 2006-05-23 23:37 | 雑文

一方的な反批判停止宣言

このようなタイトルでエントリーを立てるとまた反発を呼びそうな感じもするが、自分の偏見に気づいた今となっては、その偏見を指摘される批判に対して反批判を返す意味が無くなった。というよりも、それは正当な指摘であるから、いくら叩かれてもそれを受け入れなければならないと言う感じだろうか。

こういうとき、指摘の一つ一つに答えて、その批判を受け入れるかと言うことを答えた方が誠実なのかも知れないが、一つ一つ検討していくと微妙で受け入れに躊躇するものも出てきそうなので、とにかく、反批判はもうしないということで、以前のエントリーは自由に叩いてもらいたいという姿勢だけを表明する。これを無責任だとまた批判されても、今のところはそれに反批判する気はないので、とりあえずフェミニズムに関することには反批判をしないことを一方的に宣言する。

そして、最後に、自分の持っている偏見を、偏見として率直に語ることに努力をしたいと思う。理論武装するのではなく、率直な思いとしての偏見を語ることに努力して、以前の失敗の反省をしたい。

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by ksyuumei | 2006-05-23 09:47 | 雑文

瀬戸さんの指摘はほぼ全面的に正しかった


昨日瀬戸さんのトラックバックに対して返事を返したとき、最後に


「内田さんによれば、フェミニズムはすでに終わってしまったと感じられている。そうであれば、どこで破綻していったのか、その分かれ目がどこにあるかが僕の次の関心になる。僕は、フェミニズムに対しては、論理的考察の対象以上の何の感情も抱いていないのだ。」


と僕は書いた。書いた後で、オレは何をこんなに力んだ書き方をしているんだろうという思いがふと頭をよぎった。そして、よく考えてみたら、瀬戸さんが指摘するように、僕が書いた最初のエントリーの題名が問題だと言うことが急に理解出来た。

よく考えてみれば、あのエントリーは、僕が抱いている「フェミニズム」という言葉に対する偏見が基礎になって書かれているものだ。僕はその偏見を偏見として自覚してはいたものの、インテリのイヤらしさから、偏見を理論武装しようとしてしまった。偏見であるなら、偏見として率直に語らなければならなかったことに気づいた。

僕に理論武装するだけの能力がなければそんなことをせずにすんだのだろうが、その率直さが無かったことが、偏見を理論武装するという間違いを犯してしまったように感じる。

このことが分からなかったので、偏見を指摘する声をすべて過剰反応だとしか受け取れなかった。これは、そもそも僕が「フェミニズム」に抱いていた偏見のせいで、いろいろな現象に過剰反応していたことが、あのエントリーの原因であったのに、自分の過剰反応に気づかなかった僕は、僕のエントリーに対する反応も過剰反応であるという理解しかできていなかったようだ。「構造的無知」というものだろう。その部分だけは、僕の頭からはまったく抜け落ちていた。本当にまったく理解出来なかった。

瀬戸さんに対して、何であんなに力んだ言葉を返したのだろうと言うことがきっかけで、ようやくこの「構造的無知」に気がついた。僕のあのエントリーは、全くの偏見から出発したものでありながら、その偏見が生じてくるのを理論的に捉えようとしたことが間違いだった。偏見が正しいことを証明しようとしたのではないが、偏見が生まれることはやむを得ないと言うことを理論的に語ってしまったことが間違いだった。あの偏見は、まったく僕の個人のものとして語らなければならなかったのだ。そのことを自覚したくなかったのだろうな。全くの「構造的無知」だと思う。

とりあえず、瀬戸さんに僕の間違いを伝えたいと思い、この短いエントリーを立てる。
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by ksyuumei | 2006-05-23 08:24 | 雑文