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ライブドア問題再考 7

ライブドア問題を考える上での違う視点というのはまだ残っている。その一つはマスコミの報道の問題だ。これは、構造的には、マル激で何度も取り上げられている問題で、かつてのロス疑惑報道、和歌山カレー事件の報道などでも、神保・宮台両氏は問題点を指摘していた。

ライブドア及び堀江氏に関しては、その行為に違法性や犯罪性がある疑いは濃い。しかし、それはまだ決定した事実ではなく、あくまでも疑いの段階だ。この段階で、あたかも疑いが事実であるかのように断定した報道は、「推定無罪」という原則に反すると言うことだ。

「推定無罪」という原則が守られているかどうかは、その社会が成熟した民主主義社会であるかどうかのバロメーターだ。日本では、この原則は、原則であることさえ自覚されていないように感じる。だから、日本社会は未熟きわまりないと言えるだろう。

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by ksyuumei | 2006-02-09 09:37 | 社会

ライブドア問題再考 6

ライブドア問題の難しさは、それがさまざまな視点から深く捉えられると言うことだろうと思う。かつて堀江氏が英雄のようにマスコミに登場したときは、その違法性や犯罪性はかけらほども考えられていなかった。しかし、これを深く考えてみると、山根氏が指摘するように、そのころからすでに違法性や犯罪性があったと考えられる。

しかし、ライブドアや堀江氏が悪かったと言うことを確認しただけでは、この問題は終わらない。悪かったにもかかわらず、なぜそうとらえることが出来なかったかという問題もまた深く考えることが出来るからだ。その一つの理由は、堀江氏に「壊し屋」としての積極面があり、この面では高く評価出来るという現実もあったのではないかと思われる。

一方では高く評価され、一方では反対に低く評価されるというのは、正反対の対立した評価だが、これが両立すると言うことが問題を難しくしている。形式論理的に考えれば正反対の出来事は両立しないのだが、これは視点が違うという条件を付与すると両立可能になる。そういうものが弁証法論理だと思うのだが、この問題は弁証法的に捉えないとならないというのも難しい点だろうと思う。

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by ksyuumei | 2006-02-08 10:06 | 社会

形式論理的思考

今日は短いエントリーを一つ。

形式論理的思考の最たるものは矛盾律ではないかと思う。ある出来事の肯定と否定とが同時には成り立たないと言うのは、日常感覚でもそのように感じている人は多いのではないかと思う。この感覚がないと推理小説も楽しめない。ある時刻に、その場所にいたということとその否定のいないと言うこととは同時には成り立たない。だから、アリバイのある容疑者は犯人では無いという判断が成り立つ。これは形式論理の典型である。

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by ksyuumei | 2006-02-07 08:56 | 論理

イコールの矛盾

土曜日に面白そうな本を手に入れた。哲学者の野矢茂樹さんという人が書いた『同一性・変化・時間』(哲学書房)という題名の本だ。この題名が示しているどれも、最近関心が強い対象ばかりだ。「アキレスと亀」のパラドックスを考えるヒントになるかもしれないと思った。

書店でぱらぱらとめくっていると、最初の方に、哲学者がどのような思考でこの対象を考えるのかということが書かれているのに気がついた。この思考法が、僕にはわかりやすいと共に、哲学者的思考にすべて共感することは出来ないなという感想も持った。

同一性の問題は、「=(イコール・等号)」の問題でもある。エントリーの表題にしているのは、仮説実験授業の提唱者の板倉聖宣さんの『新哲学入門』(仮説社)のある章の表題になっているものだ。僕には、板倉さんの同一性のとらえ方の方が共感出来る。野矢さんの本はまだ最初の方を読んだだけなのだが、その問題意識の違いというものから、形式論理と弁証法論理の違いのようなものまでが頭に浮かんできた。

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by ksyuumei | 2006-02-06 10:00 | 論理

ライブドア問題再考 5

さて、山根さんのライブドアと堀江氏の考察は、まだまだ細かい点に言及が及ぶのだが、とりあえずは、ライブドアと堀江氏の持っていた違法性や犯罪性というのは、確かにあっただろうということは確認出来たと思う。これからの捜査によってそれがおそらく明らかにされてくるのだと思うが、それを前提とした上で、もっと大事なことを考えていかなければならないと思う。

マル激の司会者の神保氏は、ライブドアは確かにグレーゾーンにいたということは以前から言われていたと語っていた。しかし、今ほどハッキリと違法性が指摘されてはいなかった。だから、以前にグレーだという判断(ちょっといかがわしいかも知れないがという判断)の元に、堀江氏の「壊し屋」としての面を評価したことが、今でも同じように評価出来るかという問題を考えなければならないと思う。

この評価という解釈で考えられるものに、僕には二つのものが浮かんできた。一つは、結果的にたまたま改革の方向が生まれてきたと解釈するもので、堀江氏にその意図はなかったが、堀江氏がのし上がろうとするには、古い勢力の排除がどうしても必要だったので、結果的に古い勢力の排除になるような動きが生まれて、そのために改革への貢献が出来たと見る解釈だ。

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by ksyuumei | 2006-02-05 17:54 | 社会

ライブドア問題再考 4

さて山根さんの、「ホリエモンの錬金術 -5 」を読むと、昨年の4月に書かれたものであるのに、現在の姿を示唆する文章になっているのに驚く。仮説実験授業的に言えば、正しい仮説に基づいて予想したことが、現実の事実によって、その仮説の正しさが証明されたという感じがするくらいだ。抜き書きしてみると、次のような文章に、現在の姿を予想するものを見ることが出来る。


「ライブドアという会社は、所詮、自浄作用を失った株式市場が生み出した“あだ花”であり、幻の存在であると知るべきです。」

「私が先に提示した3つのうちのどれ一つであろうとも、事実であることが確認されるならば、上場基準に抵触するおそれがあるからです。」

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by ksyuumei | 2006-02-03 09:21 | 社会

ライブドア問題再考 3

ライブドアの会社としての行為に違法性や犯罪性があったのかどうかを確認するというのは、一見マスコミと同じように、ライブドアや堀江氏を叩く行為に見えるかも知れない。日頃マスコミを批判している人間が、マスコミと同じことをしているのは矛盾しているのではないかと思われそうだ。僕がしていることとマスコミの違いというものを考えたいと思う。

僕がライブドアに対して違法性や犯罪性を考えるのは、それがあったという前提でライブドアや堀江氏の「壊し屋」の面を評価するのか、それがなかった・つまり嫌疑は冤罪だという前提で評価するかというのが、議論としては違ってくると思ったからだ。

マスコミは、おそらくライブドアと堀江氏を叩くだけで、そのあとに「壊し屋」としての面をどう評価するかという報道には行かないだろう。今は叩くことがポピュラーなので、売れる報道をするだけだろう。僕は、山根さんの分析を信頼している立場からいって、ライブドアには違法性も犯罪性もあったという前提の元で考えようとしている。その点ではマスコミと同じだが、その前提に立った上でもなおかつ「壊し屋」としてのライブドアと堀江氏は評価出来るという論理を展開しようとしている。

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by ksyuumei | 2006-02-02 10:03 | 社会

ライブドア問題再考 2

山根さんの「ホリエモンの錬金術 -3」に書かれている「ホリエモンのマジック」の3つのトリックについて考えてみたいと思う。まず最初のトリックは次のように説明されている。


「一つ目のトリックは、5年前のマザーズ上場に際して、会社の評価額を、なんと1,440倍にもつり上げていることです。目を疑いましたね。」


僕は株に詳しくないので、会社の評価額が1440倍になるということが、普通に起こりうることなのか、常識はずれのことなのかが分からないが、専門家の山根さんが驚いているくらいだから、これは非常識な現象ではないのかと思う。もし、これが整合性のある出来事なら、評価額が1440倍になることに見合うだけのライブドアの成長の見込みがなければならないのではないかと思う。確実にヒットする新しい商品を独占的に開発したとか、そのようなことがなければこれだけの評価額の上昇はないのではないだろうか。株に詳しい専門家が、この記述の意味を解説してくれるとありがたいと思うが、素人考えでは、1440倍というのは、やはりとんでもない数字ではないのかと感じる。

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by ksyuumei | 2006-02-01 09:07 | 社会