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論理トレーニング4 順接の論理;練習問題1の続き

問2から問4までは、[ ]の中から接続詞を選び、番号のついた文の論理構造を分析するというものだ。考えてみよう。


問2
(1)私たちは普通、現実世界のいくつかの断片を素材にして、夜の夢の世界が構築されるのだと思っているが、
(2)実はまったく逆なのだ。
  (a)[すなわち/しかも]、
(3)私たちの無意識的存在こそを真の存在であり、
(4)この真の存在の見ている夢が、私たちの意識存在というものなのである。
  (b)[例えば/だから]、
(5)この現実世界は、その中にいるときに現実のように見える夢のように、夢であり、見せかけの現実に過ぎない。


それぞれの文章の主張を簡単に表現してみよう。

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by ksyuumei | 2006-02-27 10:32 | 論理

「不快という貨幣」(内田樹)を論理的に理解する

内田さんの「2006年02月23日 不快という貨幣」がいろいろなところで評判になっているという。批判もかなりあるようだ。内田さんは、一般に流通している観念に対してアンチテーゼとなるような主張をするので、その反対性から反発されることが多い。つまり、結果としての主張を見て、結果が自分の思いと違うというところから来る反感からの反発だ。

しかし、それがどれほど自分の思いに反していようとも、論理的に真っ当な結論であれば、それは受け入れざるを得ないというのが、論理にこだわってきた人間の思いでもある。内田さんに対する反発が、誤読という誤解に基づくものなのか、論理的に反対されても仕方がないものなのか、どちらであるかを考えてみたいと思う。

野矢茂樹さんから学んだ論理トレーニングの応用としても、ちょうどいい対象ではないかとも思うので、いろいろと論議を呼んでいるこのエントリーを、論理的に正しく理解するということを、論理トレーニングの観点から考えてみたいと思う。そして、その結果から、内田さんの主張の真意を受け取ってみようと思う。

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by ksyuumei | 2006-02-26 14:37 | 論理

思考停止を招いたアメリカ追従路線の始まり

今週のマル激の配信は、元毎日新聞記者の西山太吉氏を迎えて、いわゆる沖縄密約文書の問題を語っていた。これは実にタイムリーな企画だと思った。当時西山さんがつかんだスクープは、国家権力の犯罪を告発するものだった。しかし、国家はこの告発を隠蔽し、問題を他のことにずらして逃げ切ってしまった。なぜこのように断言出来るかというと、


「1972年の沖縄返還の際、返還される米軍施設の原状回復費をめぐり、両国 の合意文書では米側が負担するとなっていながら、実は日本政府が負担するとの 密約が存在していたことが、25年ぶりに公開された米国の公文書によって明ら かになった。」


と、マル激の紹介文では語られているからだ。アメリカは、公文書がすべて公開されるので、このように明らかな証拠が後に出てくることがある。しかし、この当時ではここまで明らかな証拠が手に入ることはない。証拠が手に入らないということで逃げ切られてしまうということが、国家権力の犯罪の場合にはたくさんあるだろう。おそらくそれは、日本の場合には他の近代諸国よりも多いに違いない。

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by ksyuumei | 2006-02-26 11:18 | 政治

論理トレーニング3 順接の論理;練習問題1の続き


(1)芸術が20世紀において生活の中心から「余白の部分」に追いやられてしまったということは、創造者と享受者が分離したことと無関係ではない。
  (接続詞)
(2)享受者の側にとって、創造者がいよいよ遠い存在になるとすればなおさらのことである。


(1)と(2)の主張をまとめると次の通り。

(1)芸術の分離は、創造者と享受者の分離と関係がある
(2)創造者との分離は、芸術の分離をさらに進める。

(1)と(2)が語っている内容はほぼ同じものと考えられる。これが、まったく同じ対象を視点を変えて語っているのであれば解説ということになるのだが、同じもののある一部を(1)が語り、他面を(2)が語っているとすれば、それは互いに補うものであり、付加と言ってもいいだろう。果たして、全体を語っているのであるか、それとも部分を語っているのであるか、どちらかが判断出来るだろうか。

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by ksyuumei | 2006-02-25 16:45 | 論理

コメント・トラックバックの削除

僕は、本格的にインターネットを始めてからはかれこれ7,8年は過ぎただろうか。最初はメーリングリストという、メール中心のネットワークで交流をしていた。そのころから、文章だけでのやりとりは、一度感情的にもつれてしまうと収拾がつかなくなるところがあった。

それでもメーリングリストは、まだ閉じられたネットワークだったのでその影響は他に及ぶことはなかった。やがて、ホームページというものがもっと手軽に持てる時代になってから、掲示板での交流というものを経験するようになった。

はじめは既存の掲示板に書き込みをするだけだったのが、楽天が手軽な日記形式のホームページを提供していたので、それによって自分の掲示板を持つということも出来るようになった。このときに、掲示板に書き込まれたコメントを削除するということで、つまらないやりとりがたくさんあったのを記憶している。

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by ksyuumei | 2006-02-25 14:48 | 雑文

論理トレーニング2 順接の論理;練習問題1

野矢さんが提出する練習問題の考察をメモしておこうと思う。まずは、順接の論理に関する練習問題だ。( )に接続詞を入れるのと、それぞれの番号がついた文章の間に成立する順接の論理構造を分析する問題だ。


(1)理論的に人間関係をその結びつき方の形式によって分けると、「タテ」と「ヨコ」の関係となる。
  (接続詞)、
(2)前者は「親子」関係であり、後者は「兄弟姉妹」関係である。
   また、
(3)上役・部下の関係に対する同僚関係も同様である。

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by ksyuumei | 2006-02-25 14:21 | 論理

論理トレーニング1 順接の論理

野矢さんの『論理トレーニング』のメモを残していこう。まずは第1章の「順接の論理」だ。これは

<議論の流れが変わらない場合の接続構造一般を表す。>

と定義されている。つまり、ある主張がなされたとき、その主張を受けたり展開したりする流れを作ると言うことだ。この論理の流れに対して、接続詞というものが大きな働きをしている。適切な接続詞が使えるようになることが、日本語において論理が使えることになると言える。

順接の論理は、大きく分けて4つのパターンに分かれる。

(1)付加(記号:A+B)
   接続詞「そして」「しかも」「むしろ」
(2)解説(記号:A=B)
   接続詞「すなわち」「つまり」「言い換えれば」「要約すると」
(3)論証(記号:A→B)
   接続詞「なぜなら」「それゆえ」「したがって」「だから」「つまり」「~ので」「~から」
(4)例示(記号:A-例B)
   接続詞「たとえば」

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by ksyuumei | 2006-02-24 23:25 | 論理

論理のテクニック

野矢茂樹さんの本が面白い。『論理トレーニング』という本を読み始めているのだが、これによって論理のテクニックを学べば、これはディベートの訓練をするよりも遙かに論理を身につけることが出来ると感じている。

ディベートというのは、一種のゲームであるから、ルールに許された範囲では反則すれすれのプレイであっても、結果的に勝てばいいという戦術も許される。論理としてはマトモでなくても、相手にダメージを与えられるという詭弁のテクニックも上達することになる。

詭弁のテクニックも、理屈という点では論理だと捉えることが出来るかも知れないが、論理というのは詭弁のテクニックを身につけて、荒れた論理の方が身に付いてしまうと、まともな論理の方が離れていってしまうのが不思議なところだ。免震構造の専門家の多田さんが、職人というのはレベルの低い仕事をしていると手が荒れてだめになるということを語っていた。論理のテクニックも同じだ。詭弁というレベルの低い論理を使っていると、論理を使う手が荒れてだめになる。

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by ksyuumei | 2006-02-24 09:33 | 論理

残念な結果に

民主党は、党の存続をかけて勝負に出たと思ったのだが、勝負をする前にしっぽを巻いて逃げ出しそうになっている。残念な結果になったと思う。どうせ玉砕するなら、相手をも巻き込んでいって欲しかったと思う。

このままでは、自民党に対する疑惑は何も解明されないまま、民主党の不手際だけが叩かれて終わりそうだ。民主党が不手際だったから、自民党は白だということは論理的には導かれない。単に解明が出来なかったというだけで疑惑は晴れていないのだ。

世論は、疑惑が解明されなくてもそれを良しとしてしまうのだろうか。所詮は権力のあるものに立ち向かうのは無謀だという教訓だけが残ってしまうのだろうか。民主党の不手際によって、今回は逃げ切られてしまうが、それでも武部氏は真っ黒に近いグレーだという認識を国民は持ち続けることが出来るだろうか。グレーだったことも忘れてしまうことにならないだろうか。もしそうなったら、民主党の動きは、悪い方向への影響しか残さないことになる。そうなったら、本当に残念なことだ。
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by ksyuumei | 2006-02-24 08:54 | 政治

「事実」の解釈について

いわゆる「堀江メール」に関して、民主党の前原代表と小泉首相の間で党首討論が行われたらしい。僕はその場面を実際に見ていないのだが、その同じ事実を目にしながらもまったく違う解釈が提出されていると言うことから、「事実」と「解釈」の問題を考えてみたいと思う。そして、マスコミの「解釈」を批判したい。

まずはマスコミの解釈からだが、これは「<党首討論>民主、新証拠示せず メール真偽立証断念か」という記事から拾ってこようと思う。この記事によれば、この党首討論の評価は次のようになるらしい。


「ライブドア前社長・堀江貴文被告から自民党の武部勤幹事長の二男への「送金」メール問題について、民主党が信ぴょう性を立証できるかどうかが焦点だったが、前原氏は「さまざまな情報から資金提供がなされたのではないかと確証を得ている」と指摘するにとどまり、新証拠は示せなかった。これは民主党がメールの信ぴょう性の立証を事実上断念し、資金提供の有無に争点を変更したものと言える。前原氏はこれまでメールについて「信ぴょう性は高い」と述べてきており、今後、前原氏をはじめ民主党執行部に対する批判が高まりそうだ。」

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by ksyuumei | 2006-02-23 09:11 | 政治