カテゴリ:政治( 42 )

麻生 VS 小沢 の党首討論の評価

28日に行われた党首討論について、マル激の中で宮台真司氏が「小沢さんの完全な一人勝ち」というような評価をしていた。各新聞の社説を見ると、麻生さんの逃げを批判しているものがほとんどではあったが、小沢さんの完全な勝ちだと評価したものは少なかった。理屈としては小沢さんのほうが勝ったが、小沢さんにも批判されるべき点があるという論調が多かった。

党首討論は、「討論」と呼ばれている以上、論理的側面が最重視されてその評価がされるべきだと思う。その意味では、小沢さんには論理的整合性があったが、麻生さんには論理的整合性がなく、むしろ矛盾した主張をご都合主義的に使い分けているところがあった。それは各新聞でも指摘されていたことだ。

論理的整合性という面でこの「討論」を評価するなら、宮台氏が語るように、小沢さんの完全な勝ちではないかと思う。しかし一般にはどのように映っただろうか。「どっちもどっちだ」「話が深められていない」というような評価が、ある新聞の社説でも語られていたが、そのように見る人が多かったりすると党首討論を避けたように見える小沢さんの判断が正しかったという感じがしてくる。

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by ksyuumei | 2008-11-30 11:16 | 政治

麻生内閣の経済政策は世紀の愚策か?

麻生内閣が発足した頃にマル激では、その経済政策に対して「世紀の愚策」というような表現を使っていた。これは神保哲生氏が紹介していたもので、霞ヶ関の埋蔵金を探し当てたといわれている高橋洋一さんがそう呼んでいたということだ。

高橋さんによれば、経済政策の効果としては、為替の変動相場制の下では財政出動よりも金融政策の方が効果的であるということが経済学では常識となっているということだった。景気の浮揚のためには、金をばらまくよりも金融政策の方が重要だということだった。その金融政策が補正予算案には盛り込まれていなかったので、景気浮揚のための政策としてはほとんど役に立たないという評価から「世紀の愚策」という言い方をしていたようだ。

補正予算の段階でも「世紀の愚策」と呼ばれていたものが、今回の金融危機に対する経済政策ではさらにばらまき度が増したような提案がなされているようだ。特に批判されているのは給付金という形でばらまかれる2兆円の金についてだ。これについては、他の面で麻生内閣の政策をプラスに評価しているように見える新聞の社説でも、ほとんどすべての社説で疑問を投げかけられている。給付金は、国民が個人としては助かるかもしれないが、それが経済的な面での影響をどの程度与えるかといえば、ほとんど期待が出来ないというのがその評価のようだ。このことは、政策の提出者である麻生内閣の方でも分かっているのではないかと思われるのに、どうして「世紀の愚策」といわれるものが提案されてしまうのか。このことの合理的(論理的)な理解を考えてみたいと思う。

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by ksyuumei | 2008-11-03 11:05 | 政治

自民党には出来ないだろうが民主党には出来るかもしれないという期待

「ブログ・エントリーのための覚え書き」で、民主党の政策に対する評価について、それが正当なのか間違っているのかという評価がしにくいということを記録しておいた。特に財源の問題について、反対する立場の自民党からは批判的な主張がでているものの、それは対立しているから当然といえば当然で、それが客観的に見ても正しい指摘なのかということが判らなかった。

財源については、上のエントリーのコメント欄でジョーさんという方が、いわゆる「埋蔵金」というものを使うことを考えているのではないかということを教えてくれた。それを語っている動画も紹介してくれていたので、それも見てみた。しかし、それを使うから財源が確保できる、と納得できるほど「埋蔵金」というものの実体はよく分からなかった。自民党は、それは自由に使える財源ではなく、いろいろな制約もあるのだという批判をしていたようにも思う。これも、それが正しいのかどうか判断するだけのデータがない。

この紹介してくれた動画にも出演していた高橋陽一さんが今回のマル激のゲストだった。ここでは民主党と関連させて「埋蔵金」の話も展開されていたので、ようやく「埋蔵金」というもののからくりが見えてきた。そして「埋蔵金」だけではなく、日本の予算の全体像というものの説明から、民主党の財源問題の評価を語っていた。それは、賛成や反対の立場からの、自分の立場に都合のいい事実の解釈からの評価ではなく、かなり客観的な評価をしているように見えた。そこから考えると、この財源問題は、自民党が「出来ない」「無理がある」と言っているのは、それは自民党では「出来ない」「無理だ」と主張しているように聞こえてくる。それが民主党に出来るかどうかというのは、まだやってみなければ判らないという段階だが、自民党では出来ないだろうが民主党ならまだ期待は出来る、というのが現段階での客観的な評価になるのではないだろうか。そういう意味では、政権選択というのは、少しでも可能性のある方に賭けてみるかどうかということが一番大事な問題になるのではないかと感じた。

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by ksyuumei | 2008-10-16 09:46 | 政治

田中康夫さんの代表質問から構造を読み取る

「田中康夫さんの代表質問」から、日本社会の構造を語っている部分を読み取り、その構造の下での問題の解決の主張という解釈で、その語っていることの理解を図ってみよう。なるほどと思えるような全体性の把握が出来、それならこのような対処が正しいだろうと感じられるかを考えてみよう。まずは次の文章を引用する。


「私は2000年10月、信州・長野県の知事に就任しました。戦後の公選知事は、私以前に僅か3人。前任2人の公務員出身者が41年6ヶ月、議員と職員と知事の“仲良しピラミッド”を続ける中で、財政状況は47都道府県でお尻から数えて2番目の状態に陥っていました。
 借入金に掛かる利息の支払いだけでも、1日当たり1億4800万円に達していたのです。そのまま手を拱いていたなら、3年後にも財政再建団体への転落は不可避。待ったなしの危機的状況でした。
「『脱ダム』宣言」を切っ掛けに不信任決議を議会から突き付けられ、失職を経て出直し知事選に打って出た私は、都合6年間の在任中に、後述する様々な取組を実行し、その結果として、47都道府県で唯一、6年連続で起債残高を減少させ、同じく全国で唯一、7年度連続で基礎的財政収支=プライマリーバランスの黒字化を達成しました。
 無論、その成果は、住民や職員の深い理解と篤い協力が有ったればこそです。その間、 “現場主義・直接対話”の精神で職員や住民に、「発想を変え・選択を変え・仕組を変えよう」と訴え続けました。
 ヤマト運輸株式会社“中興の祖”として知られる小倉昌男さんを委員長に起用し、天下りと補助金の伏魔殿と化していた全ての外郭団体をゼロベースで見直したのも、その一環です。委託料・補助金・負担金と職員派遣の全面的見直しに留まらず、団体の廃止・統合・縮小を敢行し、見直し比率は既存54団体の96%にも及びました。それは、今は亡き小倉昌男さんが最後に手掛けた公的仕事です。」


ここに語られているのは、まずは長野県の財政状況だ。それは非常に大きなな財政赤字で、普通の方法では全く解決が出来ないのではないかと思われていたものだ。しかし結果的に「6年連続で起債残高を減少させ、同じく全国で唯一、7年度連続で基礎的財政収支=プライマリーバランスの黒字化を達成」している。これは長野県の産業を活性化し、長野県の景気を浮揚させて解決に至ったのだろうか?

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by ksyuumei | 2008-10-07 09:36 | 政治

麻生さんの所信表明演説 1

麻生さんの所信表明演説があった。その内容については、専門家が詳しい解説をしてくれるだろうと思う。そこで、内容そのものには立ち入らずに、その主張の論理的側面に注目して、ある種の前提から論理的に導かれた帰結ではないかと思われる部分を探してみたいと思う。

論理的な語り方をしている部分というのは、その論理をはっきりと自覚して、相手を説得しようという意図があれば、自明だと思えることでも明確に記述して説明することが多い。しかし、そのような意図があまりなく、これは自明なことで言うまでもなく誰もがそう思う、という思い込みがあれば、そのことの前提をわざわざ言うことはないだろう。そのようなところが麻生さんの演説の中にないかも探してみたいと思う。

前提を語らないことは、何か論理的でないように見えるかもしれないが、論理的でないというのは、その導出の仕方が論理法則に反しているときに指摘できることで、自明の前提を置いていたとしても、そこから正当に導かれる論理を使っているのであれば、前提を語らずとも論理的であると言える。このように、麻生さんが語ることの論理的な側面を評価するという読み方をしたいと思う。もし麻生さんが論理的におかしなことを語っていれば、それは結論として主張されていることが信用しがたいということを意味する。しかし、麻生さんが正当な論理を使っているのであれば、あとはその前提となっていることが正しいのなら、その結論を確信を持って信じてもいいということになるだろう。

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by ksyuumei | 2008-09-30 10:06 | 政治

麻生新総裁誕生の評価について 3

毎日新聞の社説では、その表題に「理念も政策もなき勝利」と書かれているように、総裁選に対する評価はかなり明確に出ているものと思われる。冒頭にも次のように書かれている。


「内閣支持率低迷が続き、福田氏は自ら衆院を解散して総選挙に臨む自信がなかった。そこで総裁選をにぎやかに実施して国民の関心を自民党に引きつけ、その勢いで総選挙に突入する--。再三指摘してきたように、総裁選はこんな演出を意識したものだった。

 だが、福田氏や自民党が期待したように「わくわくする総裁選」だったろうか。そうは思えない。」


これは、もしも「わくわくする総裁選」だったら、そこには国民を引きつける魅力ある要素があるはずで、それこそが理念や政策に通じるものだという論理的な展開があるのだと思われる。理念や政策が明確に語られなければ、今まで利権を握っていた人物の不透明な私益は改革されずに残るだろう。そうであれば、その利権に関係ない人々はどうして「わくわくする」ことなど出来るだろう。

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by ksyuumei | 2008-09-26 09:57 | 政治

麻生新総裁誕生の評価について 2

朝日新聞の社説では、麻生新総裁誕生についての評価は、慎重に断定を避ける言い方をしているように見える。「耐用年数が過ぎたか」というふうに疑問文の形で語っている。これは反語的に、「耐用年数は過ぎた」のだという断定的な評価だと受け取った方がいいのだと思うが、反語的なレトリックを使うことによって、ベタに受け取る人は「どっちなのだろう」と迷うかもしれない。朝日新聞の基本的姿勢からいえば、もはや「耐用年数は過ぎた」のだと判断してもいいと思うのだが、ちょっと中途半端な言い方のように聞こえる。

本文の内容では、「自民党は政権政党としてもはや耐用年数を過ぎたのではないか。そんな批判が説得力を持って語られている」と書いている。説得力があるという判断をしているのだから、もう自民党ではだめだと言い切ってもいいのではないかと思われるのだが、中立の立場を守らなければならないということなのだろうか、そういう言い方をしていない。

過去に対する認識については


「官僚との癒着、税金の巨額の無駄遣い、信じられない年金管理のずさん、薬害エイズや肝炎の隠蔽(いんぺい)……。効率的で有能と思われてきた日本の行財政システムが機能不全を起こしたかのように、不祥事が止まらなくなっている。

 国土を開発し、豊かな生活を育むはずだった公共事業は、いまや800兆円の借金となって国民の肩にのしかかる。人口が減り、経済はいずれ縮小に転じるかもしれない。そのなかで格差を縮め、世代間の公平を保ちつつ豊かで平和な暮らしを守ることが本当にできるのか。」


という文章から伺えば、日本をこのようにどうしようもなくガタガタにしたのは自民党政治の責任だと主張しているように見える。だから当然のことながら、このような自民党にはもはや政権担当能力はないと判断しても良さそうなのだが、「自民党に政権を託し続けていいのだろうか」という問いかけをするだけでやはり断定的には語らない。左翼的立場を自他共に認めるのならば、ここはきっぱりと断定するべきだと思うのだが、基本的にはポピュリズムに従い、左翼的言説が人気があるときはそのように振る舞うというだけなのだろうか。

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by ksyuumei | 2008-09-25 10:14 | 政治

麻生新総裁誕生の評価について 1

自民党総裁に麻生氏が選ばれて、新聞各紙はそのことについての社説を書いている。出来レースと言われ、総選挙用のパフォーマンスに過ぎないと言われていたこの総裁選だが、予想以上の大差で麻生氏が勝ったことによって、その出来レースぶりとパフォーマンスだけの内容があからさまに分かるようになってしまった感じがする。

そのせいかもしれないが、各紙の社説では「こうあるべき」というべき論と、「こうして欲しい」という願望を語る論調が多かった。この二つは確かに大切な要素ではあるが、主張としてはリスクの少ない平凡な一般論ではないかと思う。「べき論」は、その政策を具体的に語り、民主党との違いを明確にすべきというものが多いが、これは誰が考えても「そうすべき」と言える内容であまり目新しいものはない。願望にしても、べき論で「そうすべき」だということを実現して欲しいという語り方が多い。

誰もがそう考えることを主張するのであれば、そこに間違いが入り込むリスクは少ない。そして、現実がその願望通りにならないときは、そのような主張をした方に間違いがあるのではなく、希望を実現しなかった方が非難される。論説による主張としてこれほど安全なものはないだろう。それに対して、この麻生総裁誕生を評価するという主張になると、その評価は今後の動向によって正しいか間違っているかが判断される。間違った評価をすれば、主張としては批判されるリスクがあるだろう。だが論説をリードする立場の新聞の社説では、あえてこのリスクを冒すべきだろう。そのような評価を語っている部分を社説の中から探し出し、その評価の論理的正当性というものを考えてみたいと思う。

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by ksyuumei | 2008-09-24 09:28 | 政治

自民党政権の構造的欠陥

第388回のマル激では飯尾潤氏(政策研究大学院大学教授)をゲストに招いて、自民党政権の評価をしていた。その中で面白いと思ったのは、自民党政権には構造的な欠陥があるということだった。たとえば、自民党政権のもとでは赤字がふくらんでいくという現象が見られたのだが、それは与党というシステムの欠陥がもたらしたものであると飯尾さんは説明していた。

自民党は長期にわたって政権党だったことによって、内閣における大臣職というものが、その専門的な能力によって指名されているということになっていなかった。大臣職は、当選回数によって、その功績に報いるために与えられるものとなっていった。当然のことながら大臣になったからといって、その省庁を指導し国家全体の利益の正当性を第一の基準にして判断するなどという能力を持つ人間が大臣になるということは稀だった。結果的に、官僚をコントロールして省庁の仕事をまっとうに進める大臣ではなく、官僚にコントロールされて、その省庁の利益を代表する存在となっていった。

大臣がこのような存在になっていくことによって、実は各省庁がその力を恐れて意向を伺うような存在が、大臣ではなく「族議員」と呼ばれるようなある種の力を持った議員になっていった。この「族議員」というのは、省庁に不祥事があったときに責任をとる立場にはない。責任をとるのは大臣であり、「族議員」は、省庁に影響を与え、その決定に関与するにもかかわらず責任をとらなくてすむ。このような存在がその力を行使し、自らの望む方向に各省庁の動きをコントロールしようとすれば、国家全体の観点から考えるよりも個人のエゴからの視点で考えるようになるだろう。

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by ksyuumei | 2008-09-17 10:03 | 政治

自民党総裁選に立候補者が乱立する理由

民主党の代表選挙が小沢氏の対抗がなく、無投票で当選が決まりそうになったとき、マル激の中で宮台氏が元代表の前原氏に立候補を促したという話をしていた。それは形だけでも対立候補を出して民主主義の形態をとっているように見せるというパフォーマンスとしての立候補というものではなかった。民主党がどんな政党であるかを、有権者の前に明らかにするために、意見表明を広く知らしめる機会としてそれを利用すべきだという理由からのものだった。

宮台氏の提言は、前原氏個人の利益のためというものではなく、小沢氏の無投票当選で、民主党が具体的にどのような政策を持っている政党であるかが見えにくくなった時にこそ、それを明確に示すために強い主張を持っている人間が立候補すべきというものだった。それは、前原氏個人の主張が民主党の主張とイコールであるというわけではない。だが前原氏が強く主張することで、対立候補がその主張に答えなければならない義務が生じる。それを通じて民主党という政党が本来どのような政党であるかが明らかになることが重要なのだという考え方をしていたように感じた。長い目で見れば、それが民主党の利益になり、ひいては民主党で中心をしめる人間としての前原氏にとっても利益となるだろうという計算だ。

結果的には民主党の代表選は誰も小沢氏に対立する候補が出てこなかった。宮台氏はこれをたいへん残念なこととして捉えていたようだった。せめて小沢氏が代表として民主党がどのような政党であるかを明らかにするような分かりやすいマニフェストを出してくれることを願うだけだ。党内の融和を優先するあまり、はっきりしない曖昧な言葉遣いでマニフェストをまとめるようであれば、派閥に遠慮して明確な政策を打ち出せなかった福田内閣とどこが違うかという批判を浴びてしまうだろう。

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by ksyuumei | 2008-09-08 09:33 | 政治