カテゴリ:宮台真司( 50 )

宮台真司氏の『権力の予期理論』(勁草書房)を読む 2

宮台氏の権力の定義は非常に抽象的なものである。それは、現実の権力のイメージに引きずられると、その正しい概念を持つのに失敗する。数学における定義に近いものを感じる。

数学では自然数といえば、物を数えるときに使われる数のことを指す。自然数という概念を抽象するきっかけとして、現実の具体的な物と、それを数えるという行為から具体性が捨象されて抽象されていったことだろうと思う。自然数をはじめて学ぶ子供たちは、このような歴史的な発展の過程を追うことでゼロから概念を作り出すという経験を基にその概念を獲得していくだろうと思う。

しかし、数学の理論としての自然数の概念は、ペアノの公理系に見られるように、ある種の条件に当てはまるものを自然数と呼ぶようになる。これは、理論においては、現実の具体性に引きずられて偶然的で例外的なものが入り込まないようにするためである。理論というのは、論理的な整合性を持った対象の間に成立する、抽象的な法則性を求めていくものだ。明確に捉えられる対象以外は排除する必要がある。そうでなければ法則性がつかめないからだ。

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by ksyuumei | 2007-01-21 12:39 | 宮台真司

宮台真司氏の『権力の予期理論』(勁草書房)を読む 1

宮台氏の最新刊『宮代真司ダイアローグズ』(イプシロン出版企画)に、田原総一郎氏との対談が収められている。田原氏は、ジャーナリストとしては時に疑問符を感じることがあるのだが、ここで語られている宮台氏への観察眼は鋭いものがあるのを感じる。田原氏は次のように語っていた。


「宮台さんの文章を読みますと、まるでロシア語をフランス語で通訳してもらってるみたいで、もう一度通訳がないと分からない(笑)。」


宮台氏の文章の難しさのニュアンスがよく伝わってくるような表現だ。宮台氏の文章が難しいという感覚は、僕だけのものでなく、田原氏ほどの優れた頭脳の持ち主でもやはり難しいのだということがわかると少し安心する。

田原氏が語るように、宮台氏の文章というのは、最初読んだときには、日本語として辞書的な解釈は出来るもののそれは何かの翻訳文のように意味を書き写しただけの外国語のような感じがしてさっぱり分からないという感じがする。だが、そこに書かれていることに何か宝が隠れていることは感じるので、最初は理解が難しくても、何度もそこに帰ってきて何とか理解しようという動機は失うことはない。

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by ksyuumei | 2007-01-20 10:37 | 宮台真司

バックラッシュの奥に潜むものと丸山真男

宮台真司氏の「アンチ・リベラル的バックラッシュ現象の背景」について書いたエントリーに浩瀚堂さんという方から「宮台真司氏の所説の疑問」というトラックバックをもらった。浩瀚堂さんの論旨をまとめると、次のようなものではないかと僕は受け取った。

1 宮台氏は丸山眞男の「亜インテリ論」を間違えている
 (丸山が語った「亜インテリ」は「宮台氏が言う様な頭の悪いインテリや低学歴を指すのではなく」「義務教育以上の高等教育を享受していたし、経済的にも当時の中間層に属していた人々」を指す)

2 宮台氏は『丸山眞男の時代』(竹内洋・著、中公新書)の読み方を間違えている。
 (丸山の「亜インテリ論」に対して「竹内先生はこれに対してやや批判的な記述をしている」。それを自説に都合良く解釈している。つまり、丸山の「亜インテリ論」が正しいかのように竹内氏が書いているように引用している。)

ここでは宮台氏が間違っていると言うことを二つ指摘しているのだが、正直言って、この二つは僕は考えもしなかった。その理由は二つある。一つは、宮台氏に対する信頼感が大きいと言うことだ。宮台氏ほど論理的に明晰な思考をする人間が、他人が言っていることを間違って受け取ると言うことはほとんど考えもしなかったからだ。もし他人が間違えていたら、それを間違いとして正しく受け取るだろう。間違ったまま受け取ったり、正しいものを間違って受け取るとは考えられなかった。

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by ksyuumei | 2006-12-24 12:54 | 宮台真司

ポストモダン(後期近代)の理解から成熟社会の理解へ

「ポストモダン」という言葉は、思想家によってその意味が微妙に違ってくる言葉なのではないだろうか。それは現代の特徴を指していることは確かなのだが、あまりにも抽象的な表現なので、何を抽象しているのかが分からないと、現実のイメージに引きずられてしまって、自分にとってこれが現実だと思えるものが「ポストモダン」のイメージに重なって理解されると言うことになるのではないだろうか。

またこの言葉は専門用語として流通しているところもあるので、ある種の専門知識なしに理解することが難しくなっている。たとえば「ポスト・モダン、その簡単な定義と提言」によれば、次のように説明されている。


「モダンとは則ち、機械文明下の近代社会における人間性の解体(脱・中世)として出発した思想であり、機能主義的な単純要素によって構成されていたのに対し、ポスト・モダンとは、あらゆる諸要素を複雑に重ね合わせ、過去の諸思想及び、諸作品等から引用することによって構成される、それ故、思想的な面においてはポスト構造主義と対応する思想である。」

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by ksyuumei | 2006-12-22 10:19 | 宮台真司

宮台真司氏の論理展開 5

宮台氏が語る『バックラッシュ!』での次の命題を考えてみよう。それは、


「丸山がインテリの頂点だったために亜インテリの反発を買った。」


という命題だ。丸山というのは丸山真男のことであり、個人名が語られた命題ではあるが、これは「一流の学者」の代表として選ばれている個人名であり、命題を一般化すれば次のようになるだろう。


<インテリの頂点にいる「一流の学者」は「亜インテリ」の攻撃を受ける。>


命題関数の形にすれば


<xは一流の学者である> →(ならば) <xは亜インテリの攻撃を受ける>


という仮言命題になるだろうか。このxに「丸山真男」を代入すれば宮台氏が提出した命題になり、これは正しい、真の値をとる命題だという主張になる。このxに任意の対象が入っても真になるなら、この命題は一つの科学的法則になる。論理構造をたどってそう結論出来るかどうかを考えてみたい。

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by ksyuumei | 2006-08-21 09:32 | 宮台真司

宮台真司氏の論理展開 4

宮台氏は『バックラッシュ!』(双風社)冒頭のインタビューの中でいくつかの命題としての言明を語っている。その命題の論理的根拠をたどってみようと思う。まずは次の命題から考える。


「権威主義者には弱者が多い。」


この命題には何となく正しさを感じる。権威主義者というのは、何か世間で権威あるものと認められているものを持ち出してきて、それを根拠に正当性を主張する人々を指す。つまり、その定義からは、自らの力で正当性を主張出来ないと言うようなニュアンスを感じる人々だ。そのように自らの力の弱さを持つ人々を「弱者」と呼ぶのは、言葉の使い方としては正しさを感じるものだ。

この場合、一般論としての論理的な根拠としては、「権威主義者」という集合をまず考える。次に、この「権威主義者」の集合の要素を、「弱者」とそうでないものに分けていく。そうすると結果として「弱者」の方が多くなると言うものが得られれば、この命題の正しさが確認出来ると言うことになるだろう。

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by ksyuumei | 2006-08-19 12:17 | 宮台真司

宮台真司氏の論理展開 3

宮台真司氏が語る


「不安こそはすべてのバックラッシュ現象の背後にあるものです。」


という判断が、いかにしてもたらされるかという論理の流れをたどってみたいと思う。これは直感的にはそうだと思うものである。バックラッシュ現象というものが、そもそも正当な批判活動に当たるものではなく、的はずれのバッシング(攻撃)に過ぎないものだと受け止めれば、それが冷静に行われる可能性が薄いというのはすぐに分かる。つまり何らかの不安があるだろうということも予想するのは難しくない。

だが、これを直感ではなく論理的な帰結として構築するのはなかなか難しいのではないかと思う。物が上から下に落ちるという現象はすぐに分かる。しかし、落下運動がどういうメカニズムで起こるのかという論理的な解明は、ガリレオやニュートンという天才の出現を待たなければならなかった。現象をそのまま記述するのは易しいが、それを理論化するのは難しい。

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by ksyuumei | 2006-08-16 13:39 | 宮台真司

宮台真司氏の論理展開 2

宮台真司氏が『バックラッシュ!』(双風社)で語っている、バックラッシュ現象の分析の論理を細かくたどってみたいと思う。宮台氏の論理というのは、その膨大な知識と論理能力の高さから、必ずしも自明に分かるような論理の展開をしてくれていない。現状認識や判断というものが、確かにそのような流れなら納得がいくという風にうまく心に落ちるまでが難しい。

ある種の論理の飛躍に感じるところに、細かい橋を架けて、論理の流れが納得出来るように構築し直してみようと思う。まずは現在のバックラッシュ現象に対する次の判断を考えてみようと思う。


「再帰性という概念を知らない人々が--とりわけ後述するような不安な層が--立場を問わず騒いでいるだけの話ですね。」


この現状認識は、何となく同じように感じるところもある。しかし、「感じ」ではなく論理的な帰結としてこのことを納得したいものだと思う。それを考えてみたい。

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by ksyuumei | 2006-08-15 22:06 | 宮台真司

宮台真司氏の論理展開

先週のマル激だっただろうか、宮台真司氏が、福田康夫氏の総裁選出馬辞退についてこんなことを語っていた。

・現段階では安倍氏に勝つ確率は低いし、勝ったとしても僅差の勝利になる。
・負ければ実績に傷が付くことになる。
・勝ったとしても僅差での勝ちなら、安倍氏に代表されるようなポピュリズム政治が生き残ることになる。
・安倍氏には小泉さんほどのカリスマ性はないので、総裁になった後の実績は作れず人気は落ちる。
・安倍氏は、小泉路線で人気を保ってきたので、大幅な路線転換は出来ず、小泉さんの政策を継承していく。
・小泉さんの政策はそろそろほころびが出てきたところで、格差拡大などの面がこれからいっぺんに吹き出し、その負の面が明らかになってくる。
・安倍氏は、これらの問題に対処しきれず、早晩失敗を犯すようになる。

このような論理の展開を前提にすれば、今無理をして総裁戦に出るよりも、安倍氏が失敗した後に、人々の期待をすべて背負って出る方が有利であると判断出来る。その時を待つために、今回はあえて出馬を見送ったのではないかということだ。

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by ksyuumei | 2006-08-14 10:18 | 宮台真司

都市型保守の豊かなイメージを読む

「携帯電話の社会学的機能分析?コミュニケーション変容の社会的意味(連載第三回)」という文章を、宮台氏が「トラックバックへの返答」の中で


「なお好機会ですので、読者の方々に『NANA』における(初期の)ハチのような女性(の成れの果てとしての主婦)がどんな男性政治家に惹かれるかを考えていただくのがよいでしょう。都市型保守についての豊かなイメージが得られるでしょう。
 この件についてはhttp://www.miyadai.com/index.php?itemid=281の「携帯電話の社会学的機能分析?コミュニケーション変容の社会的意味(連載第三回)」をお読み下さい([続きを読む]も忘れずに)。回答が明示してございます。」


と書いたように女性の都市型保守の豊かなイメージを得るために読んでみようと思う。上記の文章は、表題にあるように、本来は携帯電話について分析したものだと思われるが、その分析の過程で都市型保守について言及している部分があると思われる。その部分を、都市型保守のイメージを作るという観点で読解してみようと思う。これは、宮台氏が「明示」と書いているが、必ずしもすぐに分かるほど明らかではないと僕は思う。解釈としてはほぼ一つに決まるだろうと言うことで「明示」と語っているのではないかと思う。その一つの解釈を求めてみたい。

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by ksyuumei | 2006-01-19 09:47 | 宮台真司