カテゴリ:宮台真司( 50 )

選択前提理解のための「自由」の概念

宮台真司氏は「連載第7回 選択前提とは何か」の中で「自由」の概念について詳しく説明している。これは「選択前提」という言葉の理解のために、その「選択」が「自由」に選べるということの意味の理解が必要だからだ。「自由」に選べないような、これしか選択肢がないというような「選択」は、本来の意味での「選択」とは呼べないからだろう。

この「自由」については、三浦さんも何回も紹介していたが、ヘーゲルの「必然性の洞察」という言葉が「自由」の本来の意味(概念)であるという理解がある。「必然性」というのは、「必ずそうなる」ということであって、そこには「選択の余地はない」というニュアンスもある。そうすると「自由」もないのではないかという感じもしてくるのだが、この「自由でない状態がもっとも自由である」という、それが「自由」の最高段階だという認識は、弁証法的な把握であり、現実を深く広く認識したものだと思われる。

必然性を洞察することが出来る人間は、何らかの行動において、自分が操作したい対象がどのような必然性に従うかをよく知っている。自分の目的に合うように対象を操作したいと思ったとき、その目的では絶対に操作できないという必然性が分かれば、賢い人間なら目的の方を変更するだろう。あるいは対象をそのままにせずに、目的を達成できるように対象に手を加えて変化させるというようなことを考えるだろう。あくまでも目的達成にこだわって、無理やりにそれを扱うということはない。

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by ksyuumei | 2008-07-11 09:50 | 宮台真司

「構造」という概念

宮台真司氏が「連載第六回 構造とは何か」で説明している「構造」という概念について考えてみよう。まずはこれの辞書的な意味から生まれてくるイメージを考え、その概念を考えてみよう。そして、宮台氏が説明する概念が、それとどのような面で重なるか、どのような面で違うかということを考えてみたい。

「構造」という言葉は、辞書的には「仕組み」と言い換えられることがある。これはその対象の部分的な要素がどのように組み合わされているかということを見たときに、その組み合わせ方を「仕組み」と呼ぶことがある。部分と部分を実体的に見るのではなく、その関係を捉える見方になる。「構造」は対象の全体に渡るものだが、それは部分の間の関係として我々には直接見えるものとなる。

また「構造」には、それが容易には崩れないというイメージがある。あるいは、容易に崩れるようなことがあっては困るものに対して「構造」を考えることが多いといえるだろうか。建物の構造などは、それが簡単に崩れてつぶれてしまうようならたいへん困ることになる。それこそ地震などが起こってもそれに耐えるくらいに強い「構造」が求められるといえるだろう。

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by ksyuumei | 2008-07-09 10:08 | 宮台真司

社会システム理解のための「意味」「行為」「コミュニケーション」という概念

宮台真司氏は「連載第五回 社会システムとは何か」では「社会システム」というものを説明している。これは、宮台氏が考察しようとしているシステム一般を表す「定常システム」に対して、それが社会の中に見つかるという意味での特殊性を持っている対象として考えられている。社会の中、すなわち人間が関わって構成されるシステムは、人間存在とは独立に存在する物質的で機械的な「定常システム」とはその性質を異にする。

人間と独立に存在するシステムは、意志の問題が介在しないので、外から観察することによってシステムの働きを記述することが出来る。宮台氏は、対流の現象や排水のときに出来る渦巻きの現象をその例としてあげている。水を熱すると、その熱い部分と冷たい部分との作用で「対流」が起こり、それは熱している限り存在しつづけるという「定常システム」になっている。このシステムは、外からその熱量や温度を観察することによって、何が起こっているかを記述することが出来る。システムであるから、それが安定的に繰り返されるループになることも記述することが出来る。排水の現象に関してもそうである。

しかし、これが社会に存在するシステムの記述になると、外から観察するだけでは、そのシステムを完全に記述することが出来ない。自然現象と違って、人間が行うことは、それが物理的に記述できる「行動」として観察されて、行動面では同じように見えても違うものと判断されることがあるからである。そこにはある種の意味が読み取れるために、行動としては些細な違いだ(末梢的だ)と思われるのに、意味として大きく違ってくるという判断がされて、同一ではないと判断される。このように意味を伴う行動を宮台氏は「行為」とも呼んでいた。

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by ksyuumei | 2008-07-09 01:00 | 宮台真司

システムの「秩序」という概念

宮台真司氏は「連載第四回:秩序とは何か?」では「秩序」という概念を説明している。この概念も、普通に辞書的に受け止めている「秩序」という言葉の意味と、宮台氏がここで語っている意味とでは大きな違いがあるのを感じる。

「秩序」という言葉が普通に使われる場面では、そこに望ましいと評価される規則性があるのを感じる。つまり「秩序」には価値評価が伴っているという感じがする。「秩序」がないと判断される場合は、それは価値が下がったように評価され、何とか「秩序」の回復を図るというふうに考えたくなる。

「秩序」は安定をもたらすと考えられる。「秩序」のある経済は我々の日常生活を安定させ、安心して物を買ったり売ったり出来る。「秩序」のない経済は、たとえばインフレがひどくなった状態を想像すれば、物を売るにも買うにも、どこでそれをすればいいのかという判断が分からなくなり、人々の生活は困窮する。ひどく困った状態が「秩序」の乱れから帰結される。

この「秩序」にまとわりついたイメージは、実は特定の文脈にくっついたイメージかもしれない。「秩序」そのものには価値的判断は本質的なものではなく、もっと一般性を持った特長が抽象されて、「秩序」の本質を押さえたような概念が「一般理論」の対象となるべきだと考えることも出来る。このような発想で提出された「秩序」の概念が、宮台氏がここで語っているものではないかと思われる。

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by ksyuumei | 2008-07-08 10:21 | 宮台真司

「システム」概念の難しさ

宮台真司氏は「連載第三回:システムとは何か?」の中で「システム」というものについて語っている。「システム」については、これまでも何度か考えてきたが、その概念をつかむことの難しさを今でも感じている。

「システム」という言葉を辞書で引くと「制度。組織。体系。系統」などという言葉が並んでいる。そのイメージは、それを構成する要素相互の間に関係がつけられていて、全体が一つのまとまったものとして機能する「全体性」を持ったものが「システム」と呼ばれているもののようだ。

「身分制度」などという制度を考えてみると、それは社会における一つのルールのようなものとして現前する。生まれつき決まっている「身分」というものがあって、社会の中の誰もがその「身分」にしたがって生きていく。「身分制度」という「制度」としてのシステムは、誰もが「身分」に従って生きるという社会の秩序を維持する機能をもっている。個々の「身分」の人々の振舞いを規定する「身分制度」は、全体として社会のある秩序を維持するものとして働く。このようなイメージがシステムというようなものになるだろうか。

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by ksyuumei | 2008-07-08 00:44 | 宮台真司

「近代」と「一般理論」の概念

宮台真司氏の「連載第二回:「一般理論」とは何か」では、「社会」という概念に続いて、「近代」と「一般理論」の概念について解説されている。この二つの概念も、辞書的な意味としてはぼんやりとイメージできるものの、明確に他のものと区別してこうだ、というような概念をつかんでいるとは言いがたい。これらの概念を明確につかむことは出来るだろうか。

宮台氏は現在の日本を「近代成熟期」と呼んでいて、戦後の高度経済成長期までを「近代過渡期」と呼んでいる。イメージとしては、物の豊かさが飽和状態に達したかどうかで区別するという感じになるだろうか。また「近代」がスタートしたのは明治維新からという漠然とした理解もある。明治以前の江戸時代は「近代」ではないという理解だ。それでは、「近代」とそれ以前の決定的な違いはどこにあるのだろうか。

板倉さんの『日本歴史入門』(仮説社)では、江戸時代は「身分制度の時代」と呼ばれ生まれつきで生き方が決まってしまう時代と捉えられていた。それが明治維新以後になると、一応は個人の努力によって運命を切り開いていける時代になった。学問による立身出世が可能な時代になっている。江戸時代だったら、どれほど有能であろうとも有力な家系に生れなければその才能を生かすことは出来なかった。しかし「近代」になった明治には、それまでなかった「自由」がかなり生れたという感じがする。

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by ksyuumei | 2008-07-07 09:54 | 宮台真司

宮台真司氏が提出する新たな概念

宮台真司氏が書いた「社会学入門講座」から、その科学性を評価してみようと思ったのだが、残念ながら法則性とそれから導かれる予想を読み取ることが出来なかった。これが読み取れなければ、板倉さんが言う意味での「仮説実験の論理」による「科学」の判定が出来ない。おそらく社会学における法則性は、その概念の難しさから来るのであろうが、簡単につかめるものではないのだろう。自然科学であれば、原子論や力学法則はその表現されたものが分かりやすいのだが、社会学では概念の難しさのせいで法則性が提出されたとしても、その意味を理解するのが難しいのではないかと思う。

そこで社会学の科学性はひとまず置いておいて、宮台氏が語る社会学の学術用語としてのさまざまな言葉の概念について詳しく考えてみようと思う。その概念がうまくつかめたときに、もしかしたら社会学において、その科学性を評価できるような法則性の表現にぶつかるかもしれない。

宮台氏は、「連載第一回:「社会」とは何か」という講座では、表題にあるように「社会」という概念について解説している。これは辞書的な意味では誰でも知っているようなありふれた概念だが、社会学ではもっと深みのある複雑な内容を持った概念として提出されている。

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by ksyuumei | 2008-07-07 00:07 | 宮台真司

「意味」とは何か

宮台真司氏が「連載第一三回:「行為」とは何か?」の文章の中で「意味」について次のような記述をしている。


「意味とは、刺激を反応に短絡せずに、反応可能性を潜在的な選択肢群としてプールし、選び直しを可能にする機能でした。」


僕は、この「意味」の定義が最初よくわからなかった。あまりにも抽象的過ぎるし、よく知られている辞書的な定義とかけ離れているように感じたからだ。また、僕は「意味」という言葉を三浦つとむさんが『日本語はどういう言語か』という著書で説明しているように理解していたので、その理解とこの定義とがどう整合的につながるかということも釈然としなかった。つながりそうな感じはしていたが確信が持てなかった。

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by ksyuumei | 2007-04-27 10:54 | 宮台真司

蓋然性の問題

宮台真司氏が、以前に「南京大虐殺はなかった」というような発言をしたことがあった。これに対して僕は、かなり大きい違和感を感じたのだが、単なる感情的な「愛国心」からこのような言葉が出てきたのではなく、宮台氏が言うからには、何らかの確たる根拠があるに違いないという気がしていた。その根拠に当たるものを、今週配信された週刊ミヤダイで聞くことが出来た。

今週の週刊ミヤダイのテーマは「従軍慰安婦問題と河野談話の扱いについて」というものだった。この問題の発端は、従軍慰安婦問題で日本政府に謝罪を求める決議案が米下院に提出されていることだった。これに対し、宮台氏も、「決議案は客観的事実に基づいていない。日本政府の対応を踏まえておらず、はなはだ遺憾だ」と不快感を示した政府見解とほぼ同じ感想を述べていた。

日本政府に責任がある事柄で告発されているなら仕方がないが、いわれのない嘘で告発されているときは、それに対して反論するのが当然だというのが宮台氏の主張だった。この「いわれのない嘘」というのは、日本政府が主導して「強制連行」したというものだ。事実として政府による「強制連行」はなかったというのが宮台氏の指摘だ。

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by ksyuumei | 2007-03-03 12:16 | 宮台真司

ホワイトカラー・エグゼンプションにおける日本固有の問題

宮台真司氏が「宮台真司 週刊ミヤダイ」というインターネット・ラジオの放送で「ホワイトカラー・エグゼンプションで得をするのは?」ということを語っている。これを聞いて、僕は、ホワイトカラー・エグゼンプションというものの本当の意味をようやく理解することが出来た。

ホワイトカラー・エグゼンプションというものが、今の日本では、残業代を払わなくてすむことを合法化するようなお話にならないものだということは、多くの批判者が語っていることだ。そしてそれは、宮台氏も正しいと語っている。

今の日本企業における残業の実態は、仕事の能力が低いために時間内に収めることが出来なくて残業が発生するというものではない。基本的に仕事量が多すぎて、それなりの能力で労働時間内の努力をしても、その時間内でこなせる量ではないために残業を必要としているものだと考えられる。

ホワイトカラー・エグゼンプションを実現するのなら、まずそのような仕事の実態を改正して、通常の仕事は一定の能力さえあれば労働時間内に終わらせることが出来るというふうにしなければならない。このような基本的な条件があれば、忙しいときには多少残業をしたとしても、その分をひまなときに穴埋めできればいいということになる。これまでの制度では、そのような配分を自分で行うことができず、たぶん上司の配慮で行っていたのだと思うが、ホワイトカラー・エグゼンプションによって自分の裁量で行うことが出来るようにするというのが、名目的には導入の正当性だろうと思う。

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by ksyuumei | 2007-01-21 18:45 | 宮台真司