カテゴリ:構造主義( 8 )

親族の親疎が持つ群構造

レヴィ・ストロースが発見した人類学における群構造は、婚姻の規則におけるそれが有名だが、『思想の中の数学的構造』(山下正男・著、ちくま学芸文庫)にはもう一つの群構造が紹介されている。そのこと自体は内田樹さんの著書でも何回も紹介されているので、そのような事実が観察できるということの知識としては以前から知っていたものだ。それは、親族の間の親密な関係と疎遠な関係の対に関するもので、次のように記述されていた。

1 夫婦の間が親密 ←(対立)→ 妻の兄弟の間が疎遠
2 夫婦の間が疎遠 ←(対立)→ 妻の兄弟の間が親密
3 父子(息子)の間が親密 ←(対立)→(母方の)叔父甥の間が疎遠
4 父子(息子)の間が疎遠 ←(対立)→(母方の)叔父甥の間が親密

この現象の間に群の構造を発見するのは非常に難しいと思われる。婚姻のタイプであれば、それは世代が変わることによって変化し「変換」としての面を見ることが出来る。そうすれば「変換」というものが持つ群構造を予測して、そこに群を発見できそうに思われる。しかし、上の親疎の関係は「変換」につながっているように思われない。ここに群の構造を見ることが出来ても、それが何を意味し、どのような必然性を語るかということがよく分からない。それを考えてみたいと思う。

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by ksyuumei | 2008-12-10 10:20 | 構造主義

クラインの四元群と親族の構造

クラインの四元群というのは、元を4つしか持たない集合が満足する群構造を指す。群構造というのは、代数的な計算の構造を言い、任意の2つの要素を1つの要素に結びつける計算の構造を持つ集合を群と呼んでいる。具体的には、かけ算や足し算が持つような構造を抽象したものとしてイメージされる。

整数の足し算でイメージをすると、まずはその演算(足し算)が、整数の集合の中では閉じている、つまり答えがまた整数の中で見つかるということが必要になる。これは、どんな整数を具体的にとってきても、その足し算の答えがまた整数になっていることから確かめられるだろう。この閉じた演算に対して、次のようなことが言えるなら、整数の集合は足し算について群をなしていると言える。


1 任意の3つの整数a,b,cが結合律を満たす。
   (a+b)+c=a+(b+c)

2 単位元(足し算をしても値が変わらない)が存在する。整数の場合は0が単位元になる。
    a+0=0+a=a

3 逆元(足し算の結果が単位元0になるようなもの)が存在する。整数の場合は、正負を逆にした数が逆元になる。
    a+(-a)=(-a)+a=0


整数の足し算に限らず、このような演算規則が成立するものを群として抽象的に捉えて、群であれば成立するような数学的な法則性を求めることが群構造の考察ということになる。

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by ksyuumei | 2008-12-07 23:50 | 構造主義

レヴィ・ストロースの「親族の基本構造」における群構造の理解

レヴィ・ストロースが、オーストラリアの未開族であるカリエラ族における親族関係の中に群構造を見出したのはよく知られている。婚姻の規則の中に、クラインの四元群と同じ構造があることを見出した。このことについて、今までの僕の感覚では、それまで誰も気づかなかった隠された構造(仕組み)を発見したことにレヴィ・ストロースの偉大さがあったと感じていた。

しかしこのような理解は、ある意味では複雑で難しいパズルの答えを見出したことの頭の良さに恐れ入ったというような感覚だったようにも思う。レヴィ・ストロースの天才性に偉大さを感じていただけであって、その内容(構造を見出したということの意味・意義)の偉大さを理解していたのではなかったような気がする。

つい最近手に入れた『思想の中の数学的構造』(山下正男・著、ちくま学芸文庫)という本の中に、「構造」の発見という構造主義の視点がいかにすごいものであるかということを教えてくれる文章を見つけた。レヴィ・ストロースの個人的なすごさというのは、「構造」というものの持つ思想史的な意味・意義(人間がどれほど物事を深く広く押さえられるかという思考の発展の持つ意味・意義)の大きさから感じられるものだということが分かるようになった。レヴィ・ストロースは有名だからすごいと感じるのではなく、このようなすばらしい思考の過程を教えてくれるからすごいのだと思えるようになった。それがうまく伝われば嬉しいと思う。

さて、おおざっぱに構造発見のすごさを語ると、人間が現実の観察から得られるような現象的な記述というものをそれだけをベタに受け取るのではなく、構造というものがそこに存在してそれが必然性を教えるということを考えると、世界の仕組みが分かったというような気がしてくる。それがすごいことだと僕は思う。偶然そうなっていることを発見して、「ああ珍しいこともあるものだなあ」と思ったり、「面白いな」と感想を抱くだけではなく、その現象が、ある意味では当たり前の現象として現実に発見できることの、根源的な理由を構造が教えるというような発想を見出したことがすごいと思った。

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by ksyuumei | 2008-12-07 16:07 | 構造主義

構造主義における「構造」のイメージ

若いときに初めて接した「構造主義」は、そこに何が書いてあるのかがよく分からないものだった。日本語としての意味は読み取れるものの、その文章が全体として何を言いたいのかが読み取れないという、何かもやもやとした気分が晴れなかった。このような思いは、複雑で難しい対象を説明した文章に接したときに、誰もが抱く感覚ではないかと思う。そのようなもやもやした分からなさを解消するための鍵はどこに見出したらいいだろうか。

僕が若い頃に接した文章は、正しいかもしれないが分かりにくいものだったように感じる。それに対して、初めて構造主義が分かったと思わせてくれた内田樹さんの文章は、曖昧で正確さを欠いているかもしれないが非常に分かりやすいと思ったものだった。それは、内田さんが『寝ながら学べる構造主義』のまえがきで語っている次のようなものが関係しているのではないかと感じている。


「思想史を記述する場合、ある哲学上の概念を一義的に定義しないと話が先へ進まないということはありません。「主体」や「他者」や「欲望」といったような基本的な概念については、その定義について学会内部的な合意形成が出来ているわけではありません。ですから、「『他者』とはこれこれこういうものである」「何を言うか、『他者』とはこれこれのものである」というような教条的な議論につきあっているのは時間の浪費です。
「『他者』といったら、まあ『他の人』だわな」くらいの緩やかな了解にとどめておいて、とりあえず話を先へ進めたいと私は考えております。
 私が目指しているのは、「複雑な話」の「複雑さ」を温存しつつ、かつ見晴らしの良い思想史的展望を示す、ということです。」


学問的に正確な言い方をすれば、それは正しいかもしれないが、そのことの理解の前提になるような知識を持たない人にとっては全く分からない、それがたぶん日本語で語っているものだろうくらいのことしか分からないものになるだろう。曖昧で正確さを欠くかもしれないが、内田さんのようにとりあえず普通の意味で分かるような意味で解釈しておいて、「「複雑な話」の「複雑さ」を温存しつつ、かつ見晴らしの良い思想史的展望を示す」ような語り方こそが本当に分かりやすい言い方になるのではないかと思う。

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by ksyuumei | 2008-11-26 16:03 | 構造主義

「言語の構造に支配される思考」という時の構造とは何か

内田樹さんによれば、現在の社会というのは構造主義的な発想が当たり前になってきた時代だという。我々は構造主義を知らなくとも、構造主義であればこのように発想するというような考え方を自然に持つようになっている。それは内田さんによれば次のように表現されている。


「今の私たちにとって「ごく自然」と思われている振る舞いは、別の国の、別の文化的バックグラウンドを持っている人々から見れば、ずいぶん奇矯なものと映るでしょう。(だから「ここがヘンだよ日本人」というような批判的コメントがほとんど無限に提出できるわけです。)
 それどころか、同じ日本人であっても、地域が変わり、世代が変われば、同一の現象についての評価は一変します。半世紀後の日本人から見たら、今の私たちが何気なく実践している考え方や振る舞いの方の多くは、「21世紀初め頃の日本社会に固有の奇襲」として回想されるに違いありません。
 ですから、今、私たちがごく自然に、ほとんど自動的に行っている善悪の見極めや美醜の判断は、それほど普遍性を持つものではないかもしれない、ということを常に忘れないことが大切です。それは言い換えれば、自分の「常識」を拡大適用しないという節度を保つことです。」


ここで内田さんが語っていることは、現代日本人の多くが賛成する「常識」ではないだろうか。そして、この常識は確かに構造主義的な発想から生まれてくるものだ。何らかの構造の支配によって生み出された常識であるから、その構造が違えば違う常識が生まれるだろうことが予想される。だからそれは「それほど普遍性を持つものではない」。

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by ksyuumei | 2008-08-04 09:41 | 構造主義

構造主義における「構造」そのものの概念を求めてみる

僕は、構造主義における「構造」という言葉にこだわって、その概念をつかむことが難しかったが故に構造主義についてもよく分からないものというイメージでいた。これが数学的な構造、たとえば代数的構造などと呼ばれるものだったら、それほど苦労せずに理解できただろう。しかし、数学でいう構造は、わざわざ「主義」という言葉をつけるような曖昧なものではないはずだ。それは全体性を支配する基本になるものであり、それをつかんだ人間は、その数学分野における適切な公理を選ぶことが出来る。

構造主義は、主に社会科学の分野で語られたり、ソシュールの言語学で語られたりしていた。だから、それが全く数学と重なるような「構造」の概念を持っているとは思えなかった。もしそうであるなら、社会現象や、言語現象などを数学と勘違いしているだけではないかと思っていたものだ。三浦つとむさんが構造主義を批判するように、ありもしない妄想の影響で人間社会が支配されているとする観念論的妄想にしか見えなかった。

数学の構造は、それが人間が構築したものであるが故に揺るぎないものとして設定できるが、現実に存在する構造はすべて現象に対するある解釈に過ぎないという感じがしていた。そのような構造を見ることにそれほどたいした意味があるのだろうかという疑問をずっと持っていた。すべてを数学として見てしまうことは、数学の抽象性に数学のすばらしさを感じていた人間としては、わざわざその抽象性のすばらしさを殺すものではないかという気がしていた。

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by ksyuumei | 2008-08-03 23:50 | 構造主義

難しいことを理解する

構造主義を理解すると言うことは、僕にとっては「構造」を理解すると言うことだった。これは、実存主義を理解することが「実存」を理解することであり、マルクス主義を理解することは「マルクス」を理解することだったのと同じような感じだった。「実存」と「マルクス」に関しては、ある意味でそれを理解したと思っているけれど、「構造」の場合は、僕が理解した「構造」が、必ずしも構造主義で言われている「構造」と重ならないことが、構造主義を難しいものだと感じてしまうところだった。

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by ksyuumei | 2004-06-04 09:27 | 構造主義

「寝ながら学べる構造主義」 内田樹・著

楽天広場の東京犬さんの04月27日(火)の日記の「 『「おじさん」的思考』『期間限定の思想』/5%の邂逅」で紹介されている内田樹さんにちょっと興味がわいたので、図書館で表題の本を借りてみた。僕は、新しい人に出会うのは、人を介して発見することが多いのだが、好みに合うかどうかは、最初の文章を読んだときにほぼ直感的に感じる。

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by ksyuumei | 2004-06-02 00:09 | 構造主義