カテゴリ:唯物論・観念論( 4 )

究極的な存在の考察

観念論の再評価のために『カント入門』(石川文康・著、ちくま新書)を読んでいるのだが、その中に興味深い記述があった。それは「空間・時間は主観的なもの」という中見出しで語られていることだ。

我々は、具体的に存在するものは、物質として客観的に存在すると受け取っている。それはいくつかの実践によって確かめられ、かなり信憑性の高いものとして考えられている。そして、その延長として、存在を抽象した「空間」という存在に対してもその客観的存在をそのまま信じているところがある。

「空間」というものが存在するから、その中で特別な位置を占める具体的な物質が存在出来ると論理的に把握しているように感じる。しかし、言葉として「空間」というものを考えてみると、これがなかなか難しいものだとも感じる。「空間」というのは、物質が占める場のことを意味するのだが、そこに他の物質が存在していれば、もはやその空間には同時に他の物質は存在出来ない。つまり、「空間」というのは、物質が存在していない場所として、ある種のすき間としてしか存在出来ない。

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by ksyuumei | 2006-07-19 09:50 | 唯物論・観念論

唯物論・観念論という哲学的考察と日常感覚との関係

唯物論・観念論というような高度に抽象的な対象について考えていると、それが日常感覚とは別世界のことを考えているような気がしてきてしまう。これを何とかごく普通の現象と結びつけて、哲学的な空想論として終わらせるのではなく、役に立つ知識として利用したいものだと思う。

僕はいままでも両者の概念を誤謬論に利用するという意識で考えていた。究極的には唯物論が正しく、観念論が間違っているという前提を持っていたので、ものの見方が唯物論的になるような視点を見つけ、すべてを唯物論で解釈するという方向を探していた。それが観念論的な間違いを避ける一つの方法だと思っていた。

しかし究極的な世界のとらえ方に対して、正しいとか間違っているとか言う判断は出来ないのではないかという気がしてきた。それは考えれば考えるほど分からなくなってくるもので、唯物論が正しいというのも、客観的な判断ではなく一つの解釈に過ぎないのではないかと思えてきた。つまり唯物論とか観念論とか言うものは、真理性を判断する対象にするのではなく、一つの発想法として利用する方が有効なのではないかと感じてきた。

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by ksyuumei | 2006-06-29 10:07 | 唯物論・観念論

「馬は動物である」という判断は唯物論的か

唯物論的な意味で認識というものを考えると、それは物質的存在が人間の脳に像として反映してその存在を捉えるというものになる。唯物論はまず物質的存在の方を第一義に考えるので、認識はその存在の反映というものとして捉える。決して、人間の方に何か認識能力というものがあって、その能力が働く作用としてそこに存在を作り出したということは考えない。

この反映というものを素朴に考えてしまうとそこにパラドックスが生じてしまうように感じる。だからこそ素朴な唯物論は観念論によって否定されるという歴史があったのだと思うが、素朴な唯物論を克服して、そのパラドックスを解決する道というのはなかなか難しいのではないかと思う。これをもう一度よく考えてみようと思う。

素朴な反映は我々の感覚を基礎にしている。それは、視覚・聴覚・触覚・嗅覚・味覚など様々な感覚で捉えられるものがまず反映として捉えられる。例えば馬を見たとき、それが4本足であることは視覚によって捉えられる。馬の足が4本であるという属性は、馬という存在の視覚的反映として、存在が基礎になって得られた唯物論的な判断だと言えるだろう。

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by ksyuumei | 2006-06-27 10:15 | 唯物論・観念論

観念論的妄想

「サイゾー」6月号の宮台氏と宮崎氏の対談に、宮台氏の次の発言がある。

「まず、事実関係としての前後問題がある。以前から国会で問題になっていたんだ。ペシャワール会の中村哲氏が、米国のアフガン攻撃を支援するテロ特措法の衆議院審議に参考人として呼ばれて「日本が米国に追従すれば、現地に入ったNGOの人々の命が危険にさらされる」と発言したし、米国のイラク攻撃を支援するイラク特措法の衆議院審議に呼ばれた放射能研究者の藤田祐幸も同意見を述べている。自衛隊が行く前から現地で活動する人間はたくさんいるわけ。人質になった高遠菜穂子さんも、自衛隊派遣のずっと前から現地で活動してたしね。こうしたNGOの人々の命を危険にさらすのが所属国の軍隊派遣だというのは国際常識で、それを知りつつ「あえて」軍隊派遣した国民的決定の自己責任こそが問われるんだよ。」

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by ksyuumei | 2004-05-22 10:55 | 唯物論・観念論