カテゴリ:読書( 6 )

事実(知識)の面白さと理論(考察)の面白さ

森達也さんの『悪役レスラーは笑う』(岩波新書)を読んで以来、またかつてのプロレス熱が甦って、今プロレスに関する本をいくつか読んでいる。主に読んでいるのは、新日本プロレスでレフェリーとして活躍したミスター高橋さんが書いた一連の本だ。僕がプロレスファンであったということもあり、しかもかつて夢中になった頃のプロレスについて書いてあるので、高橋さんの本はどれも面白く読んだ。

森さんの本の面白さを考えたときもそう思ったのだが、事実の面白さを書いた本はとても分かりやすい。そこには自分の知らないことが書いてあり、しかも知りたいと思うことが書いてあるので、それを知ること自体が楽しいという、知識を得ることの楽しさを感じることが出来る。それは知らなかったことを知るだけであるから、そのことについて深く考えるという複雑さがなく、そのためにとても分かりやすい。

僕は数理論理学などをやっていたので、かなり理屈っぽく考えるのも好きだ。そのときの楽しさは、何かもやもやしていた頭の中が、すっきりと見通しよく晴れていくように見えるところに楽しさがあった。事実を知ることによる分かりやすい楽しさもあれば、複雑な現実世界のつながりを一つずつほぐしていって、世界の全体像がいっぺんに見えてくるような瞬間を感じる、考えることの楽しさというものもある。この二つの楽しさは質が違うものだが、強く結びついている部分もあるのではないかという気がしている。

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by ksyuumei | 2009-02-09 00:16 | 読書

森達也さんのおもしろさ

森達也さんの本を立て続けに2冊夢中になって読んだ。一つは『悪役レスラーは笑う』(岩波新書)というもので、これは戦後まもなくアメリカで活躍したグレート東郷というレスラーについて書かれたものだ。僕は小学生の頃に若いアントニオ猪木のファンになって以来のプロレスファンなので、まずはプロレスについての記述ということでこの本に惹きつけられた。

僕がプロレスを見始めた頃はジャイアント馬場の全盛期で、猪木はまだ若く馬場の引き立て役のようになっていた。しかし僕は最初から馬場よりも猪木の方に強く惹かれていた。猪木のはつらつとした動きに魅せられていて、勧善懲悪的なカタルシスを前面に押し出した馬場のプロレスよりも、動きそのものに引き寄せられる猪木のプロレスは、見ているだけで楽しかったものだ。ドリー・ファンク・ジュニアやビル・ロビンソンとは60分フルタイムで戦って引き分けるという試合があったが、それだけ長い間見入っていても飽きるということがなかった。

そのようなプロレスファンだった僕は、『1976年のアントニオ猪木』(柳澤健・著、文藝春秋)という本もかなり夢中になって読むことが出来た。しかし、その夢中の度合いがどうも森さんの本の場合と違うのを感じた。どちらも夢中になって読み、しかも僕の中では猪木の方が圧倒的に好きだから、内容としての関心の高さでは柳澤さんの本の方が関心が高い。それなのに、森さんの本は次のものが読みたいと思うような夢中さなのだが、柳澤さんに関しては、関心を持つような内容であれば手に取りたいと思うが、その著者の名前だけで次の本を手に取ろうというような気分にはならなかった。

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by ksyuumei | 2009-02-01 12:21 | 読書

『ネット時代の反論述』(仲正昌樹・著、文春新書)

仲正さんの新しい本を買った。僕が仲正さんを知ったのは、宮台氏と対談をしていたのを読んだり聞いたりしたことが最初だった。宮台氏に対しては、これはすごい人だと感じてから、その言説をもっと知るにつけその印象が強まっていくのを感じている。宮台氏の言い方を借りれば、すごさに感染しミメーシスを感じると言うことになるだろうか。

その宮台氏との対談と言うことで関心を持ち、その語るところに共感するところが多かったのが仲正さんだった。宮台氏にはすごさは感じるのだが、親近感は感じない。それに対して、仲正さんには共感と親近感を感じる。これは内田樹さんに感じるものと似ているような気がする。宮台氏が語ることからは、「目から鱗が落ちる」というような新しさをいつも感じるのだが、仲正さんや内田さんが語ることからは、「ああ僕も前からそう思っていた」というようなことを改めて適切な表現をしてもらって確認するというような感じがしている。

仲正さんや内田さんの表現には、ナイーブなベタな表現と言うよりも、皮肉っぽくネタで語ると言うところがある。そのあたりも何か共感し好きなところだ。これはigelさんがコメントの中で書いてくれたことにも通じるのだが、「この種のアイロニカルな矛盾に満ち溢れているのがわれわれの生きる社会というものの本質的な姿なのであり、それをどう扱えるかが論理には問われていると思います」と言うことを知らせてくれるものとして、特に僕の気に入るような表現になっているのではないかと感じる。

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by ksyuumei | 2006-12-13 09:46 | 読書

問題意識と読書

僕はちょっと前に『バックラッシュ』(双風舎)という本を買ったのだが、この中に書かれている多くの言説の中で関心を持っていたのは宮台真司氏のインタビューを綴った「ねじれた社会の現状と目指すべき第三の道-バックラッシュとどう向き合えばいいのか-」というものだけだった。だから宮台氏のこの文章しか読まなかった。そして他の文章にはほとんど関心を引かれなかった。

これは、宮台氏の文章以外が、何か価値が低いとか、僕が反対の見解を持っていると言うことではない。そこに書かれていることは大部分が正しいのだと思う。専門的なことが書かれているので理解することが難しいこともたくさんあるが、それが大部分正しいであろうと言うことは伝わってくる。だが、その正しいだろう文章を、苦労してでも理解したいという意欲がわいてこないのを感じる。

宮台氏が語ることは、ここに含まれた文章の中でもピカイチに難しいものだろうと思われるのに、この文章だけは何度読み返してでもいいから少しでも深く理解したいという熱意がわいてくるのを感じる。この差は、たぶん問題意識の違いから生じるものではないかと僕は感じる。

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by ksyuumei | 2006-12-09 00:13 | 読書

『大衆運動』(エリック・ホッファー・著、紀伊國屋書店)

大衆運動というものは、僕にとっては憧れでもあり、失望と反発を感じるものでもあった。初めてメーデーに参加したときの、大勢の人の連帯のエネルギーに高揚した気分は、それ以上の感動を味わうことが難しいと思ったくらいだ。自分がこの人たちの一員であると言うことを感じたときの喜びは、他の何ものにも代え難いと思ったものだ。

だが小さな活動の中では多くの失望を味わった。組合活動の中では、自分は一つの部品に過ぎないという思いを味わうことが多く、これでは組合にいるのも、資本に搾取される労働者でいるのも変わりはないんじゃないかという感じがしたものだ。組合は、なぜもっと大きな連帯感を感じさせてくれるような活動をさせてくれないんだろうかと思った。誰がやってもいい活動を、たまたま僕がそこにいたからやっているというような活動しかなかったように感じていた。

僕はいまでも組合員ではいるけれど、それは組合の活動に賛同して残っているのではない。組合という大組織にはあまり期待するところはない。大組織であるから、個人の利益を守っているという抽象論的な理解はしている。しかし、それは、どちらかというと個人的な利益という私益に関わる部分で組合の影響力が大きいと感じているようなものだ。公益のために働いているという喜びは、残念ながら今の組合活動には感じられない。

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by ksyuumei | 2006-09-03 16:45 | 読書

『下山事件(シモヤマ・ケース)』(森達也・著、新潮社)

ずいぶん前に買っておいた本だったが、昨日何気なく手にとって二日間で一気に読んでしまった。それくらい面白い本だった。面白さの要素はいろいろとあるけれど、推理小説的な謎解きの面白さも感じた。その部分はこれから読むかも知れない人に種明かしをするのは面白さを半減させてしまうだろうと思うので、この本の内容についてはあまり触れないことにする。

この本の内容以外の面で強く引きつけられたところを感想として記しておこうと思う。同じような面白さを感じた人に出会えたら嬉しいと思う。

まずは著者の森さんの人間的な魅力について感じたことを。森さんというのは、とても親しみを感じる人だ。宮台氏のように天才的な輝きを感じるという部分はない。だが、そのおかげで雲の上の遠くに住んでいる人間というような距離感を感じることなく、自分と同じように感じ・同じように考えて対話が出来る仲間のような親しみを感じる。

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by ksyuumei | 2006-08-29 16:56 | 読書