カテゴリ:内田樹( 44 )

内田樹さんの文章の誤読について

「2004年03月02日 スーパー負け犬くんはいかにして生まれたか?」という内田さんのエントリーに次のような文章がある。


「「勝ち犬」量産システムに身を置くということは、逆に言えば、その「勝ち犬」たちを自分の「サクセス」のめやすとして採用せざるを得ないがゆえに、「不充足感」に苦しむ可能性が他の場所よりも高いということである。
不充足感につきまとわれている人間は「いまの自分の正味の能力適性や、いまの自分が組み込まれているシステムや、いまの自分に期待されている社会的役割」をクールかつ計量的にみつめるということがなかなかできない。
それは、言い換えれば、「分相応の暮らしのうちに、誇りと満足感と幸福を感じる」ことがなかなかできない、ということである。
人生の達成目標を高く掲げ、そこに至らない自分を「許さない」という生き方は(ごく少数の例外的にタフな人間を除いては)、人をあまり幸福にはしてくれない。
あまり言う人がいないから言っておくが「向上心は必ずしも人を幸福にしない」。
幸福の秘訣は「小さくても、確実な、幸福」(@村上春樹)をもたらすものについてのリストをどれだけ長いものにできるか、にかかっている。
ま、それは別の話だ。」

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by ksyuumei | 2006-04-09 11:26 | 内田樹

実定的な抵抗感と欠性的な抵抗感

内田樹さんは『映画の構造分析』の中で、何かに「引っかかる」感覚を「鈍い意味」という言葉で形容している。これは、確かな解釈が出来ないと言うことで、明確にならないという意味での「鈍さ」を持っている。「脈絡のなさ」あるいは「シニフィエなしのシニフィアン」などという言葉で表現されている。

「シニフィエ」と「シニフィアン」などと言う難しい言葉を使うと、何か高級なことを語っているような気分にはなるが、その内容がイメージ出来なければこの言葉を使うことには意味がない。単なる二流の俗物趣味みたいなものだ。表現を理解すると言うとき、そこに使われている言葉を辞書的に理解するのではなく、その表現が表している対象がどのようなものであるかを捉えることが出来なければならない。

「シニフィエ」と「シニフィアン」という言葉について何も知らなくても、「シニフィエなしのシニフィアン」という対象がどういうものであるか、自分の言葉で語ることが出来れば、この表現は理解されたことになる。これは、映画における「鈍い意味」であり、「脈絡のなさ」の現象を表現したものなのだ。

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by ksyuumei | 2006-04-08 11:29 | 内田樹

作者の死

「作者の死」と言うことは、三浦つとむさんが、構造主義者の妄想として退けていた事柄だった。三浦さんは、「作者の死」と言うことを作者の存在がないということと受け取った。もし、作者がまったく存在しないのなら、作品は自動的に生み出されると言うことになってしまう。その自動的に生み出す装置はどこにあるかということが、論理的には求められるだろう。

三浦さんは、作品を自動的に生み出すこの装置を、構造主義者が「構造」と呼ぶものであって、それは妄想に過ぎないと批判していた。三浦さんが考えたのは、作品を生み出す主体は「観念的に分裂した自己」であるというものだった。構造主義者は、この存在を捉えることが出来なかったので、作品を生み出す主体を見つけられず、「作者は死んだ」という妄想を持ったのだというのが三浦さんの批判だった。

文学作品の場合、作者は登場人物に成り代わって、作品世界の中でいろいろな体験をして、それを記述する。必ずしも主役が作者と重なるわけではない。作者は、観念的に分裂した主体として、それぞれの登場人物になる。そして、ある時はその世界を外から眺めている語り手の立場に移行したりもする。作者は死んだのではなく、分裂して形を変えた存在として生きているというのが三浦さんの主張だと僕は理解した。

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by ksyuumei | 2006-04-02 17:31 | 内田樹

内田樹さんの一流性

内田樹さんは、その評価が両極端に別れる人で、とんでもない間違った言説を撒き散らす人だと評価する人もいれば、僕のように、その語ることに一流の香りがすると高く評価する人もいる。僕が、内田さんが一流の言論人だと確信したのは『寝ながら学べる構造主義』という本を読んでからだ。

僕は学生時代に三浦つとむさんを通じて唯物論哲学を知った。心情的には実存主義というものに惹かれていたのだが、構造主義も大ブームを引き起こしていたのでそれなりの関心を持っていた。しかし、構造主義はついに分からないままだった。

「構造」というものについてならある程度のイメージは出来る。数学的構造なら自分の専門でもあるからだ。ところが「構造主義」というふうに「主義」がつくと、何がなんだかわけが分からなくなるのだ。しかも、「構造主義」と言われる哲学書を読むと、これが哲学としてわけが分からないものにしか見えない。

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by ksyuumei | 2006-04-02 10:18 | 内田樹