カテゴリ:内田樹( 44 )

内田さんのフェミニズム批判の意味を考える 1

「仮言命題そのものの真理性とその前件と後件の真理性」という古いエントリーに、瀬戸智子さんから「母親と保育所とおむつ」というトラックバックをもらった。

僕はおおむね内田さんの主張を肯定的に受け取っており、瀬戸さんは否定的に受け取っているように見える。その違いがどこにあるかを考えるのも興味深いことだ。瀬戸さんの言説には僕は信頼を置いているので、僕と全く正反対の主張であっても、その根拠を理解することは論理的に興味深いものだと思う。論理的な根拠なしに瀬戸さんがこのような主張をするとは思えないからだ。

ただ、この問題を論理として客観的に設定するには整理しなければならないことも多いように感じる。内田さんが主張している対象がどこにあるのか、その本質がどこにあるのか。そして僕がそれをどう受け取っているのか。また瀬戸さんが、僕の言説と内田さんの言説の意味をどこに本質があると見ているのか。瀬戸さんが主張していることが、僕や内田さんが語ることとどのように接点を持つのか。このような前提の問題を良く吟味しないと、この主張の違いは、単なる「見解の相違」ということになってしまうだろう。

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by ksyuumei | 2006-11-12 08:46 | 内田樹

瓜田に沓を納れず、李下に冠を正さず

『期間限定の思想(おじさん的思考2)』(晶文社)の中で内田樹さんがタイトルのような古諺を使って面白い公人論を語っている。政治家を始めとする「公人」は、どのような存在でなければならないのか、それを実に分かりやすく直感的に理解出来るように語っている。

タイトルの古諺の意味は次のようなものである。


「瓜田に沓を納れず李下に冠を正さず
(かでんにくつをいれずりかにかんむりをたださず)

 疑惑を招くような行為は避けた方がよいということ。瓜の畑で靴を履き直せば、瓜を盗んでいるのではないかと疑われ、李(すもも)の木の下で手をあげて冠の曲がったのを直すと、李を盗んでいるのではないかと疑われるというたとえから、疑わしい言動を戒める。」

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by ksyuumei | 2006-09-23 18:29 | 内田樹

内田樹的言説と宮台真司的言説

内田樹さんは『ためらいの倫理学』の中で「私は宮台真司という人の書いたものを読んで共感したことが一度もない。どうしてなのか知らないけれど、どこかで必ず違和感のあるフレーズに出くわすのである」と書いている。僕は、内田さんにも宮台氏にも共感し、リスペクト(尊敬)する感情を抱いているだけに、その感覚の違いに興味を覚える。

僕は内田さんには「さん」をつけて、宮台氏には「氏」をつけて記述している。これは年齢的なものから来る感覚がある。内田さんは僕より少し年上なので、何となく敬意を込めて「さん」をつけたくなる。宮台氏は僕より3つほど年下と言うこともあり、こちらも敬意を込めて「氏」と呼んでいるような所がある。

同じように年下の仲正さんは、「さん」と言ったり「氏」と言ったり統一はしていない。「さん」をつけるのは親しみを感じたときで、「氏」をつけるのは、その言説に敬意を込めたいときに「氏」を使うような感じがする。

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by ksyuumei | 2006-09-17 12:57 | 内田樹

内田樹的言説と宮台真司的言説

内田樹さんは『ためらいの倫理学』の中で「私は宮台真司という人の書いたものを読んで共感したことが一度もない。どうしてなのか知らないけれど、どこかで必ず違和感のあるフレーズに出くわすのである」と書いている。僕は、内田さんにも宮台氏にも共感し、リスペクト(尊敬)する感情を抱いているだけに、その感覚の違いに興味を覚える。

僕は内田さんには「さん」をつけて、宮台氏には「氏」をつけて記述している。これは年齢的なものから来る感覚がある。内田さんは僕より少し年上なので、何となく敬意を込めて「さん」をつけたくなる。宮台氏は僕より3つほど年下と言うこともあり、こちらも敬意を込めて「氏」と呼んでいるような所がある。

同じように年下の仲正さんは、「さん」と言ったり「氏」と言ったり統一はしていない。「さん」をつけるのは親しみを感じたときで、「氏」をつけるのは、その言説に敬意を込めたいときに「氏」を使うような感じがする。

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by ksyuumei | 2006-09-17 12:56 | 内田樹

不当な差別・バッシングに合理的な理由はあるか

内田樹さんは『私家版・ユダヤ文化論』という本で「なぜ、ユダヤ人は迫害されるのか」ということを論じている。この問題に対する答は、「ユダヤ人迫害には根拠がない」と答えるのが「政治的に正しい解答」だという。つまりユダヤ人迫害は不当な差別・バッシングだということだ。

これはある意味では当然のことである。だから、この当然のことに疑問を差し挟むだけで、それは「ユダヤ人迫害には根拠がない」ということを否定しているように感じてしまう気分が生じる。つまり疑問を提出することが「根拠がある」と言っていることに等しいと受け取られてしまう。これは非常に危険な主張ではあるが、論理的には、疑問を提出することと対立する主張を否定することとは同じことではないはずだ。

疑問を提出することは、思想・信条の自由の表現として、それが学問的内容を持っていれば学問の自由として保障されるべきことだと思う。その主張に誤りがあれば批判されるのは当然であるが、疑問を提出したことそのものが間違いだと断罪されてはいけないと思う。

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by ksyuumei | 2006-08-28 09:01 | 内田樹

教育者としてのリスペクトを感じる内田樹さん

もう一人、僕が強いリスペクト(尊敬)を感じる学者に内田樹さんがいる。内田さんに感じるリスペクト感は、宮台氏と仲正さんに感じるものとはちょっと違う。宮台・仲正両氏については、あくまでも学者としての面にリスペクトを感じるのだが、内田さんには教育者としての面にもリスペクトを感じている。

宮台・仲正両氏の文章は、読者に対する敷居がやや高いのを感じる。普通の言葉ではなく専門用語で多く語られているのが原因かも知れない。理解するのに困難を感じる場合がしばしばだ。しかし、両者に対するリスペクト感から、何とか努力しようと言うモチベーションも生まれてくる。それがなかったらすぐに放り出してしまうかも知れないような難解さをもっている。

内田さんは、この二人と違って、読者に優しい書き方をするというイメージが僕にはある。内田さんとの最初の出会いが『寝ながら学べる構造主義』という新書だったことが原因しているかも知れないが、この本は、僕にとっては「構造主義」というものが初めて分かったと思わせてくれた本だった。

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by ksyuumei | 2006-08-22 21:44 | 内田樹

「普遍性」の認識

内田樹さんが「2006年05月02日 村上文学の世界性について」というエントリーを書いている。僕も村上春樹の小説が好きで、有名なものは一通り読んでいる。しかし、ファンを自認するほど読み込んではいない。もっとも好みに合うのは『ノルウェイの森』で、これを読んだのが最初だっただろうか。動機は、ビートルズの歌と同じ題名だと言うことだった。

内田さんがここで書いていることは、村上文学の解説としても面白かったし、一応はそれを読んだことがあるので、書かれていることについてもなるほどと思えることだった。しかし僕には、文学の話ではなく、それをもっと一般化したものとして


「存在するものは存在することによってすでに特殊であり、存在しないものだけが普遍的たりうる」


という言葉が強く印象に残った。村上文学は、この「普遍性」を表現しているからこそ世界性を持つという解説も説得力あるものに感じた。

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by ksyuumei | 2006-05-03 09:53 | 内田樹

兵法の奥義

内田樹さんの『他者と死者』(海鳥社)の「4沓を落とす人」には、「兵法の奥義」が語られている。これは、抽象的に述べれば


「欲望するものは欲望されたものに絶対的に遅れる」


と語られる。この「絶対的に遅れる」状態に相手を落とすとき、常に勝つという「兵法の奥義」を手に入れることが出来る。「絶対的に遅れる」人間は、遅れてしまった相手には絶対に勝てないのだ。

では、どうすれば相手を遅らせて、自分の方が先に行くことが出来るのだろうか。内田さんは、武術の用語で「先(せん)を取る」という言い方をしている。どうすれば「先を取る」ことが出来るのか。その技術を与えるキーワードが「欲望」というものだ。自らを「欲望されるもの」の位置に置き、相手を「欲望するもの」の位置に置くことが重要になる。

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by ksyuumei | 2006-04-30 18:20 | 内田樹

正しい現状認識とその肯定判断について

内田樹さんが「2006年04月26日 ナショナリズムと集団性」というエントリーで、「遠からず、日本はナショナリストだらけになるであろう」という予想を語っている。この予想は、日本の現在を、「「若年弱者」を大量発生させている」という現状分析をした結果からもたらされた帰結だ。

内田さんは「この新たなナショナリズムの担い手はつねに「弱者」である」と考えている。「彼らがナショナリズムに飛びつくのは、「国民的統合が果たされると、自分にも受益機会がめぐってくるのではないか」と考えているからである」と考えている。このような考えから、弱者を大量発生させている日本社会は、遠からずナショナリストだらけになるという予想がもたらされる。

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by ksyuumei | 2006-04-29 11:52 | 内田樹

論理の持つ非人情

内田樹さんが「2006年04月25日 非人情三人男」というエントリーを書いている。ここで語られている「非人情」とは夏目漱石の造語であるらしい。ヤフーの辞書によればその意味は、


「1 他人に対する思いやりに欠けること。冷淡で人情がないこと。また、そのさま。「―な(の)人」

 2 義理人情の世界から超越して、それにわずらわされないこと。また、そのさま。夏目漱石が「草枕」で説いた境地。」


となっていた。1の意味は、複合語としての「非人情」であり、まさに辞書的な意味での「人情」の否定の意味となっている。しかし、夏目漱石が語った「非人情」は、この言葉が一つの概念を表す「単語」となっていて、複合語としての意味を失っている。それ故に内田さんは「造語」と語っているのだろう。

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by ksyuumei | 2006-04-28 09:51 | 内田樹