カテゴリ:内田樹( 44 )

道徳と法律の社会法則

板倉聖宣さんは、社会法則を学ぶための授業書として「生類憐れみの令」と「禁酒法と民主主義」というものを作った。これは仮説実験授業の授業書として作られたもので、社会にも法則性があるのだという科学的視点を教えるための授業所だ。過去にこういうことがあったという事実を知るためのものではない。

ここで語られている法則を抽象的に言えば、道徳を法律化したときの社会に対する影響というものがどういう現れ方をするか、ということを法則化したものと言える。道徳的に正しいことは、善悪の判断から言えば、いいことに決まっている。いいことだからそれを実現することが正しいと誰もが思う。そういうものは、人々の自発的な意志にゆだねて実現すべきもので、法律化して強制的に実現すべきものではない。もし、誰もがいいと思うことを法律によって強制化して実現しようとすると、予想に反して道徳的には堕落するという結果を招く。これが社会の法則なのだということを、具体的な法律である「生類憐れみの令」と「禁酒法」を通じて学ぼうというのが、この授業のねらいだ。

「生類憐れみの令」というのは、生き物を大事にしなければならないという道徳を法律化したものだ。これは、俗に言われているように、生き物のすべてを殺してはいけないというばかげたものではなく、むやみな殺生をしてはいけないという道徳を実現しようとするものだった。生き物をすべて殺してはいけないということでは、我々には食べるものがなくなってしまうということがあるので、そこまで極端ではなかったようだ。しかし、殺生が可能な限り制限されたことは確かだったようだ。

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by ksyuumei | 2007-06-22 09:37 | 内田樹

新たな「構造的弱者」

内田樹さんの『下流志向』という本の中から気になる部分を抜き出して考えてみようと思う。その一つは、「構造的弱者が生まれつつある」という一節だ。「構造的」という言い方には、個人の努力にもかかわらず、それを越えた大きな枠組みの力によって影響されているというニュアンスがある。個人の責任に帰する以外に、社会的な原因があって弱者になっているというニュアンスを感じる。

そういう弱者は今までもいただろうし、階級社会と呼ばれるところでは今でもたくさんいるに違いない。封建社会は、生まれついての身分に縛られてそこから離れることは出来なかった。典型的な階級社会だっただろう。そこでは、どれほど優れた資質をもっていようと、社会の下層の身分であれば、そこから抜け出ることは出来ない。そして、下層身分ゆえの弱者として生きるしかない運命を持っている。

江戸時代の封建制が崩れて、明治維新によって社会が大きく変わったという点は、最近読んでいる板倉聖宣さんの『勝海舟と明治維新』などでも、有能な人物が認められて出世するというところに見ることが出来る。努力し、能力さえあれば誰でも認められるような社会というのは、近代と呼ぶにふさわしいものだと思う。板倉さんの本を読むと、明治のころの日本というのは、当時としては最高レベルの近代民主主義が実現されていたとも感じる。だからこそ明治の日本は、先を行くヨーロッパの進歩に短期間で追いついてしまったのではないかと思う。このことからも、明治維新を市民革命だと言いたくなってくる。

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by ksyuumei | 2007-02-16 09:58 | 内田樹

『下流志向』が指摘する隠された真理

内田樹さんの『下流思考』が指摘する、今までの常識とは違う、かえって反するような事柄を考えてみたいと思う。子どもたちが勉強をしなくなったと言うことや、若者があまり仕事に関心をもっていないように見えることに対して、世間の見方というのはもっぱら子どもや若者の心の問題に帰しているように感じる。

勉強をしない子どもや仕事をしない若者は、心がけが悪いと言うことだ。それは道徳の問題であり、規律を確立し厳しくすることによって問題が解決するのではないかと考えている大人(これは大部分が男ではないかと思うのだが)が多いのではないだろうか。教育基本法の「改正」や、教育制度の改革などは、このような方向での発想から考えられていることが多いように感じる。

それに対して、そのような処方箋はほとんど効果を持たないと内田さんは語っている。子どもや若者の問題は、各個人の心がけの問題ではなく、社会という大きな単位に根本的な問題が起こっているのであり、制度あるいは公的な意識を変えない限り、いくら個人に働きかけても効果は薄いと主張している。

これは数学系の発想に近い問題の捉え方だ。数学系では、社会現象のようなものには統計的なセンスで考えようとする。自然科学の対象に対しては、理想状態を設定して、現実の末梢的な部分を捨てて理論化しやすい単純な対象を設定することが出来る。自然科学は、もともとが単純化して本質を求めるところがあるのでそのような手法が使われる。しかし、社会現象のように複雑なものは、捨象の仕方を間違えれば、それはまったく対象が違うものになってしまい、求められた結論が役に立たないと言うことがおこってくる。単純化が簡単には出来ない。

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by ksyuumei | 2007-02-13 10:02 | 内田樹

「社長目線」という視点

内田樹さんの『下流志向』という本が売れているらしい。僕も内田さんのファンなので、この本を早速買って読んでみた。確かに面白い本であり、その面白さが大衆的に受けているのであれば、この本が売れるというのも理解できる。ただ、一つ気になるのは、この本がどれほど売れているかということだ。いわゆるベストセラーに近いくらい売れていると、ベストセラーにろくな本はないという法則に、この本が当てはまるのか、それとも例外的に当てはまらないものなのかが気になる。

ベストセラーにろくな本がないのは、それが俗流的な常識を語るがゆえに大衆に受け入れられるというところにある。多くの人が賛同するだろう事柄の中でも、感情をくすぐっていい気分にさせるようなところを持つものが、それゆえに広く読まれてベストセラーになると考えられるからだ。去年の例でいえば、『国家の品格』は、そのような属性を持った典型的なベストセラーだったのではないかと思う。

耳に痛い真理を語ることばが多くの人には受け入れられないだろうということは容易に想像できる。真に優れた人は評価されるまでに時間がかかる。『下流志向』という本が、広く常識的に受け入れられる事柄を、気分よく受け入れられるように書いてあるのでよく売れているのか、そのような装いをとっているにもかかわらず、そこに書かれていることが実は、今の常識的な視点からはなかなか見えにくい隠れた真理を語っているものなのか、考えてみたいものだ。

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by ksyuumei | 2007-02-12 10:09 | 内田樹

「労働」は義務か?

内田樹さんが、「創造的労働者の悲哀」というエントリーで、またまた反発を呼びそうな表現をしている。この反発は、おそらくその表現の内容よりも「書き方」に反応して起こるものだろうと思う。それがどのような文脈で語られているかを読みとらなければならない。しかし、次のような表現を自分の解釈で受け取ると反発を感じるかも知れない。


「労働は憲法に定められた国民の義務だから働け」
「「とにかく、いいから黙って働け」というのが世の中の決まりなのである。」
「「いいから、まずなんか仕事をしてみなよ」と私たちは若者たちに告げねばならない。
「それを見て、君がどの程度の人間だか判定するから」」
「ニートやフリーターはこの「創造的労働者」の末路である。」


これらの表現は、それだけを取り上げて受け取ると、年寄りの説教のように聞こえる。保守的なオヤジが、現在の社会の矛盾をそのままにして、自分たちの責任を棚上げにして若者を叱咤している説教のように聞こえてしまうかも知れない。

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by ksyuumei | 2006-12-20 10:03 | 内田樹

内田さんのフェミニズム批判の意味を考える 6

瀬戸さんが「母親と保育所とおむつ」というエントリーで最後に書いた、内田さんの「2006年07月23日 Take good care of my baby」の中の三砂さんの研究に関する部分の判断(解釈または感想)の残りの二つについて考えてみようと思う。2番目のものは、


2「その非を唱える者を「フェミニストたち」と十把一からげに論じていくのは、果たして学者として正しい論理の構築なのか」


というものだった。この判断は、僕は、誤読ではないかと思っている。内田さんは、三砂さんの研究に反対するものの中から、紙おむつメーカーのものとフェミニストたちからのものをあげているのであって、非難をするもののうちの一つとしてそれをあげている。非難をするものを全部まとめて、それを全てフェミニストたちの言説だという言い方はしていない。

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by ksyuumei | 2006-11-19 15:21 | 内田樹

内田さんのフェミニズム批判の意味を考える 5

瀬戸さんの「母親と保育所とおむつ」というエントリーの最後に書かれた、内田さんの「2006年07月23日 Take good care of my baby」の中の三砂さんの研究に関する部分の判断(解釈または感想)について考えてみようと思う。まずはそれを箇条書きにしてみる。


1「現実とは乖離した理想論」
2「その非を唱える者を「フェミニストたち」と十把一からげに論じていくのは、果たして学者として正しい論理の構築なのか」
3「内田さんは結局「母親よ家に帰れ」と言う結論に行き着くのだろうか」


このいずれの判断に対しても僕は異論があるので、その違いを考えてみたいと思う。ただ、瀬戸さんはこの判断を最後に結論だけを書いているので、その結論が導かれてきた具体的な道筋というものが僕には分からない。だからそれを一般的に想像してこんなものではないかとものを提出して、僕はそのように考えなかったという形での異論を述べることになる。だから、僕が想定した一般論を瀬戸さんが考えていなかったら、この反論は的はずれと言うことになるのだが、とりあえずは内田さんの言説をこのようには受け取らないと言う考えもあるということは示せるだろうと思う。

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by ksyuumei | 2006-11-16 10:19 | 内田樹

内田さんのフェミニズム批判の意味を考える 4

瀬戸さんの「母親と保育所とおむつ」というエントリーの中の、内田さんの文章に関する部分の記述の理解を図ろうと思う。前回と同様に、まずはその判断の部分を拾い出し、次にその判断の根拠になった事実の方を探そうと思う。まずは判断として見つけられるのが次の部分だ。


「シグナル発見を、いざ社会科学の分野にまで広げていこうと言うことは拙速・勇み足ではと考えます。」


この判断は、「拙速・勇み足」というものにポイントがあるので、シグナル発見の正しさについてのものではない。その点では、その根拠に同意するのがなかなか難しい判断と言えるだろう。「拙速・勇み足」というのは、今の時点では弊害の方が大きく、それから得られるプラス面との相殺で考えればマイナスの結果をもたらすという判断になる。これは未来に対する判断なので、ある意味ではやってみなければ分からないと言う面を持っている。それをやりたいという動機が強いかどうかで判断が違ってくるだろう。

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by ksyuumei | 2006-11-15 10:12 | 内田樹

内田さんのフェミニズム批判の意味を考える 3

瀬戸さんが「母親と保育所とおむつ」で主張していることを出来るだけ正確に読みとるように努力してみようと思う。これは意味を読みとると言うことだ。意味というのは、同じ形式であっても内容が違うと言うことがあるので、それを正確に読みとるのは難しい。表現の持つ関係性を読みとり、表現されたものから、瀬戸さんの認識にたどり着き、その認識を生んだ客観的存在にたどり着くという読み方をしたいと思う。

そのために、瀬戸さんの表現を二つのものに分けて受け取っていきたいと思う。一つは瀬戸さんの主観に生まれた判断を語った表現で、もう一つは瀬戸さんが捉えた客観的対象を表現したものだ。判断を語った表現から、その判断をもたらした根拠である客観的対象を語った表現を見つけ出し、その論理的関係を考えることで瀬戸さんが書いた文章の意味を正確に読みとりたいと思う。

ただ、三浦つとむさんも語るように、対象の全ての面を認識出来るわけでなく、認識したことの全てを表現出来るわけではないので、そこにはいつもずれが生じる可能性がある。このずれによって誤読する可能性が常にある。瀬戸さんが思ってもいなかったことを、僕が想像で補って深読みすることもあるだろう。もしそのようなところがあったら指摘してもらえるとありがたい。出来るだけ表現された言葉からのみ意味を読みとるように努力したいと思うが、人間には自明の前提となっている先入観もあるので、それが影響して誤読することもあるだろうと思う。

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by ksyuumei | 2006-11-14 09:44 | 内田樹

内田さんのフェミニズム批判の意味を考える 2

瀬戸さんの「母親と保育所とおむつ」で主張されている内容に立ち入る前に、もう少し長い前置きを書いておきたいと思う。これは、内田さんが直接論じていることではないのだが、僕が内田さんの言説を肯定的に受け取る素地として考えておいた方がいいと思うことだ。それは、僕が持っている「フェミニズム」というものに対するマイナスイメージというものだ。

僕は三浦つとむさんの「官許マルクス主義」批判によって「マルクス主義」に対するマイナスイメージを持っている。マルクス主義には様々のバリエーションがあるので、これを十把一絡げにするのは論理的な厳密さという点で問題だとは思うのだが、崩壊した社会主義国家のイデオロギーとして知られていたものが、一般的な意味では「マルクス主義」と考えられていると思うので、三浦さんが言う「官許マルクス主義」を「マルクス主義」と捉えて考えていこうと思う。

この「マルクス主義」の間違いはいくつかあるのだが、もっとも顕著に見えるのが「教条主義」と呼ばれる間違いだろう。マルクスの言説というのは、その意味を文脈に沿って受け取らなければ正しく受け取ることが出来ない。マルクスの言説が正しい命題となるのは、それを主張する条件とともに考えなければならない。

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by ksyuumei | 2006-11-12 12:42 | 内田樹