カテゴリ:雑文( 196 )

治安問題に対する関心

都知事選での石原慎太郎氏の圧勝を考えたとき、あるブログで見た「治安問題」への取り組みが大きな要素だったということに頷いたものだった。他の候補に比べて、石原氏が主張する治安対策のほうが、多くの人の信頼を勝ち得たという指摘は正しいものだと感じた。

治安対策というのは強権的な警察権力を有効に発揮しなければならない。その意味では石原氏の強い姿勢のほうが何となく安心できそうな感じはする。萱野稔人さんの指摘にもあったが、他を圧倒する強い暴力でなければ、暴力を制圧するという治安は保てない。弱い暴力では治安問題の解決には不安が生じてしまうだろう。

治安問題を主張すれば一定の支持が得られるというのは石原氏だけにとどまらず、保守政治家は気づいているような感じがする。自民党を離れた亀井静香氏も、今度の参院選での争点を治安問題に求めているようだ。多くの人が不安を感じている時代は、その不安をあおることによって、不安を鎮めることが出来る強いイメージを持った政治家がポピュリズムを獲得する。小泉さんがそうだったし、フランスにおけるサルコジもそのようなイメージがあるのではないだろうか。しかし、この治安の不安というのは、本当に深刻に迫っているものだろうか。

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by ksyuumei | 2007-05-28 09:56 | 雑文

極めて論理的・合理的に考察する人間が最終的にはなぜ感情に任せた行動をするのか

僕は、マル激で紹介された『論座』の「赤木論文」なるものを読んでいないのだが、この赤木氏がネット上で公開している他の文章を見つけて読んでみた。「なぜ左翼は若者が自分たちの味方になるなどと、馬鹿面下げて思っているのか」と題された文章だった。

このテーマは、以前から僕が関心を持っているもので、それが不思議だとは思いながら、僕自身がそのような感覚を持っていなかったので、実感的に考察することが難しいと思っていた事柄だった。

宮台真司氏が、以前にアメリカの民主党と共和党について、大多数のアメリカ国民にとって、政策的には民主党を支持する層が多いほうが合理的なのに、結果的には共和党支持のほうが多くなり、民主的な制度のもとに共和党政権が誕生すると語っていた。それは、共和党のほうがマスコミ操作がうまく、宣伝によって非合理的な判断をするように働きかけるからだとも語っていたが、それが成功するのはなぜなのかということに関してはよくわからなかった。

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by ksyuumei | 2007-05-22 10:14 | 雑文

合理的判断を拒否するメンタリティ

郵政民営化問題をマル激で議論していたとき、小泉自民党が提出していた「郵政法案」が論理的にいかに間違っているかということを荒井広幸さんや山崎養世さんの話を聞いているとよく分かった。郵政省に限らず、役所の改革が必要だということは分かるのだが、このとき提出された「郵政法案」がそのような構造改革にはならずに、結果的には郵貯や簡保が持っている国民の財産を外資に提供するだけのものになるだろうというのは説得的な論理展開だった。

表面的には改革のように見えるものが、よく考えてみれば一部の利権に奉仕するだけのものになっているというのが「郵政法案」に対する合理的な判断ではないかと思った。しかし、選挙では郵政改革を訴える小泉自民党が圧勝し、どう見ても合理的判断では改革になっていない「郵政法案」が、その欠点を指摘されることなく成立してしまった。

合理的判断で正しいと思われることと反対のものが選ばれてしまうというのは、その問題が難しいために、人々がトリックにだまされているのだというのが僕の理解だった。どうすれば人々が合理的判断の正しさを理解できるようになるか、というのが教育に携わる人間としても、教育という面で社会に貢献するという一つの問題意識として感じていたことだった。

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by ksyuumei | 2007-05-21 10:24 | 雑文

日本は近代社会か

表題にあるような質問に答えようとするとき、普通は、肯定的に答えるか・否定的に答えるかという対立した答を思い描く人が多いのではないだろうか。近代社会というものに対してある種のイメージを持っていて、そのイメージに合致するなら肯定的な答が結論として出てくる。合致しないなら否定的な答になるわけだ。

これが単純な判断なら、その肯定判断も否定判断もそれほど問題になることはない。ことさら異論が出てこないだろうと予想される問題では、細部にこだわって答を求める必要はない。例えば、ある動物を見て、それが「犬」であるかどうかという質問をしたとき、それが肯定的に答えられるか否定的に答えられるかで違う答が出る場合はほとんどないだろう。「犬」であるかどうかを判断するのが難しいという動物は見たことがない。

しかし、対象が単純でない場合は肯定判断なのか否定判断なのかが見解が分かれる場合がある。脳死の判定などの場合、ある人物が脳死なのかどうかということは、専門の医師であっても見解が分かれるのではないだろうか。身体が死んでいるというのは心臓停止の状態が蘇生しないということで、ある程度の共通の了解があるようだ。しかし、身体は死んでいない・すなわち心臓は停止していないが、脳は死んでいるという判断は、脳死の定義によって判断が違ってくる。

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by ksyuumei | 2007-05-18 09:54 | 雑文

偉大なる素人としての山本七平氏

僕は、山本七平氏に対してはあまりよいイメージを持っていなかった。最初に山本氏を知ったのは、イザヤ・ベンダサンというユダヤ人が書いたと言われている『日本人とユダヤ人』を批判したものを見たときだっただろうか。今では、このイザヤ・ベンダサンという人物は山本氏が作り出した架空の人物で、これは山本氏の著書だといわれている。

イザヤ・ベンダサンという著者を山本氏だと知らないとき、僕は『日本人とユダヤ人』という本を面白く読んだ記憶がある。それは、日本人が持っている常識的な発想に疑問を投げかけているもので、日本人ではないユダヤ人だからこそそのような見方が出来るのかな、と素朴に感じていたものだった。

しかし、その後本多勝一さんを知り、本多さんとイザヤ・ベンダサンの論争を『殺す側の論理』という著書で読んだとき、イザヤ・ベンダサンという人の論理の展開が詭弁のように見えて仕方がなかった。この論争においては、本多さんの側に確実に論理的正当性があると感じたものだ。

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by ksyuumei | 2007-05-12 11:04 | 雑文

事実に対する希望的判断と客観的判断

仮説実験授業の提唱者の板倉聖宣さんは、『子どもの学力 教師の学力』(仮説社)の中で次のようなことを書いている。


「私はもともと自然科学のほうを中心にやっておりますが、先ほど言いましたように、自然科学では「どうしても子どもたちが知らなければいけない」ということは、全然ないといっていいほどないと思うんです。でも、社会的認識のほうは、自分の生き方に直接跳ね返ってきますからそう簡単にいかないところがあります。自然科学者になるとか社会科学者になるとかは関係なく、自分たちの権利とか利害とかは、「読み・書き・そろばん」と同じように必要なところがあるわけです。
 仁徳天皇なんかの知識は要らないかもしれないけれども、憲法とか、その他の諸法律については必要かもしれない。いや、私はそういう個別な知識よりも、「社会というものが人間の善意・悪意を超えて、そういうものと関係なく法則的に動いているものだ、人間が善意を持って何かをやればよい結果になり、悪意を持ってやれば悪い結果になるというふうな単純なものではなくて、良かれと思っても悪いことになるということが少なからずある。悪しかれと思っても良くなることもある」というふうな社会科学的な認識を持つことによって、私たちははじめて社会科学を本気で学ばざるを得なくなると思うんです。私はそっちのほうが気になる。」


善意の結果はよいはずだと思うのは、希望を事実だと思ってしまうような希望的判断だと思う。希望と関係なく、結果として現れた事実のみを見て、客観的にその評価が出来なければ科学的とは言えない。科学を学ぶときに、大切な知識というものもあるだろうが、基本的にはこのようなものの見方こそが最も大事なものではないかと思う。

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by ksyuumei | 2007-05-06 18:58 | 雑文

『在日・強制連行の神話』(鄭大均・著、文春新書)

表題の本の著者である鄭大均氏は、「在日コリアンには、強制連行による被害者やその子孫であるというイメージや印象がある」と、この本の冒頭で語っている。しかし僕は、どちらかというと「強制連行」という強いイメージはあまり持っていなかった。それこそ、犯罪者のように突然官憲に引っ張られていったりとか、わけもわからずに意志に反して連れて行かれるというイメージはあまり持っていなかった。

朝鮮戦争を描いた韓国の映画「ブラザーフッド」では、主人公の青年が訳も分からず徴兵されていく様子が描かれていた。本人はなぜ連れて行かれるかまったく分からず、意志に反して兵隊になることを強要されてしまったという描かれ方をしていた。「強制連行」というイメージからは、そのような扱いをされたという姿が浮かんでくる。

僕は、夜間中学で仕事をするまでは在日の人と直接接する機会はなかったのだが、このような「強制連行」のイメージは持っていなかった。むしろ、日本の併合政策によって、土地を奪われ仕事を無くした人々が、食うために仕方なく日本へ渡ってきたというイメージを抱いていた。それは強制とはいえないが、「やむを得ず」という原因を作ったという点で日本政府の責任があるものだというイメージを持っていた。

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by ksyuumei | 2007-05-06 14:51 | 雑文

「従軍慰安婦問題」と米下院の「対日非難決議案」

少々古くなってきた話題だが、ようやく考えがまとまってきたのでそれを記しておこうと思う。この話題が出始めたころ、マル激の中で宮台真司氏が、この非難決議案のひどさというのを語っていた。それは全く歴史的事実に基づいたものではなく、ある意味ではでたらめなでっち上げに近いもので日本を非難しているもので、これに正しく反論しなければならないものだと語っていた。

もしこれに反論しなければ、そのでたらめを受け入れたことになってしまうので、いわれのない非難に対して反論することは外交的にも必要だというのが宮台氏の主張だった。そして、そのときの安倍首相の発言として、日本が国家として、あるいは軍として組織的に強制連行したと取られるような言説に反論したものとして、その主張を一定の範囲で支持していたことを思い出す。

僕も、この問題は歴史科学の問題として捉えるのではなく、外交の問題として考えるべきではないかと感じていた。それは、日本の戦争責任を正しく告発したものではなく、ある種のプロパガンダとして、反日的なイメージを高めるために提出された外交問題として処理すべきだろうと感じていた。だから、この問題で戦争責任を告発しているとか、正しい歴史認識をもつべきだというような議論をするのは間違っているのではないかという違和感を抱いていた。

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by ksyuumei | 2007-05-03 10:55 | 雑文

石原慎太郎氏の父性・指導者性

東京都知事戦で石原慎太郎氏が圧勝してから、その結果を整合的に理解したいと思っているのだが、なかなかすっきりするような解釈が見つからない。浅野史郎氏に魅力が足りなかったといえばそれまでなのだが、僕にはそれ以上に石原氏に魅力がないように感じられたので、280万という圧倒的な人々が石原氏を支持したということの説得的な説明が見つからなかった。

共産党推薦候補の吉田万三氏が、反石原票を分散させたという批判もあるようだが、あの程度の票を持っていかれただけで勝てないようではやはり支持そのものが低かったのだと解釈したほうがいいだろう。もし反石原票が多いものだったら、浅野氏に魅力が足りなければ、それは吉田氏に流れるはずだ。反石原票が、浅野氏に魅力が足りないからといって石原氏に入るはずはない。

選挙の結果を整合的に理解するには、やはり石原氏が圧倒的に支持されたと考えるしかない。石原氏には、それだけの魅力があったのである。少なくとも石原氏に魅力を感じた人が相当の数に上ったと理解しなければならない。たとえ個人的には石原氏に不満があっても、石原氏は大衆動員で成功したのだと理解するところから整合的な解釈が導かれるのではないかと思う。

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by ksyuumei | 2007-04-19 09:50 | 雑文

父性の欠如とモラルの喪失

小室直樹氏の指摘で気になることの一つに、父性の欠如とそれに原因するモラルの喪失との関係というものがある。小室氏は、『悪の民主主義』の中で「父性が良心を作る」と語っている。そしてこの良心が「人の規範(倫理、道徳)をつくる」と主張している。

小室氏によれば、「社会規範が内面化したものが良心である、ということである。そして、社会規範を内面化させるものは、父性の権威(authority)である」ということになる。小室氏は、「フロイトは、「父が権威を与える」ことを科学的に解明した」とも語っている。

ここで言う科学的ということの意味は、僕はそれが党派によらない真理であるという意味に受け取る。どのようなイデオロギーを持っていようとも、父性が権威を与え、その権威が内面化して良心となり、それが人の行動を規定する倫理となるということは誰もが認めるだろうということだ。フロイトのいうスーパーエゴと呼ばれるものはそういうものだろう。

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by ksyuumei | 2007-04-17 09:53 | 雑文