2008年 12月 02日 ( 1 )

構造の把握の仕方

構造というのは、対象の全体性を把握しなければそれが見えてこない。対象の一部をどれほど細かく観察しても、そこから全体を引き出すことが出来ない。そこで考えられている全体は、まだ観察していない部分を想像している、仮説的な思考になってしまうだろう。その意味で、構造の把握はいつでも思い込みから来る間違いを含んでいる。

数学的な構造は、その思い込みからの間違いが排除できる唯一の構造だ。それは、数学的対象が、現実に存在しているものではないということから来ている。現実に存在しているものは、我々にその一面しか見せていない。必ず観察から漏れる面がある。それはたいていは末梢的なものとして捨象されるのだが、時にそれが論理的判断に重要な位置を占めることがある。そのような漏れがあった部分は、後に理論の間違いを決定づけるものになるだろう。

数学においては、見えない面を最初から意図的に排除するような抽象の仕方をする。それは排除されてしまったので、後の観察で、見落としに気づくというものではなくなる。羽仁進さんのエピソードで、馬が1頭ずつ2つの方向から現れたとき、馬は何頭になるか、という問いを子供の時に考えたというものがあった。羽仁さんは動物が好きで、馬という動物がとても気持ちの繊細な動物だと思っていた。気が合わない相手と一緒にいるのが難しいので、1頭ずつよってきても、必ずしも2頭になるとは限らず、1頭がどこかに行ってしまうかもしれないし、2頭ともいなくなってしまうかもしれないということを想像していた。この想像はとても人間的で文学的(芸術的)にはすばらしい。しかし数学的には間違いだ。数学は、このような具体性をすべて捨象して、しかも捨象した具体性を後の観察でもう一度引き入れることをしない。「1+1」は、普通の意味で抽象された場合(10進法というよく知られた数の記法の上での計算ということ)、誰が考えても「2」になるというのが数学の抽象になる。

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by ksyuumei | 2008-12-02 10:00 | 方法論