2008年 11月 28日 ( 1 )

私たちを幽閉している檻としての言語

内田樹さんが『こんな日本で良かったね』で語る次のテーマは「言葉の力」というものだ。ここにはどのような構造が語られているのか。それはこのエントリーの表題にした「檻」で比喩されるような構造だ。「言葉の力」のイメージが、どのようにして「檻」という構造を見せてくれるのだろうか。

まずは、「言葉の力」という言葉に秘められた様々の意味を考えてみよう。内田さんは、これを学習指導要領の基本理念として提出されていることからまず話を始めている。「言葉の力」こそが「学校のすべての教育内容に必要な基本的な考え方」とされている。これは、国際学力調査の結果として、日本の子供の学力の「二極化」が問題にされたことから、学力の低下をもたらした原因として「言葉の力」が不足しているという発想がされたようだ。

特に低下した学力は、読解力と記述式問題で、この学力調査の結果は非常に悪かったようだ。この問題を解決するために、「言葉や体験などの学習や生活の基礎作りを重視する「言葉の力」をすべての教育活動の基本に置くことになった」という。このことから想像される「言葉の力」の内容は、単に言葉を記憶して、その記憶が正確に早く引き出せるということではない方向を目指しているように感じる。言葉としての記憶ではなく、その言葉が実際の自分の体験や感じ方に基礎を持ち、自分の体の一部のように使えるようになるということが、「言葉の力」を身につけたということになる、という考え方のように思う。そうなれば、読解や記述も自信を持って出来そうだというような予想も立つ。

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by ksyuumei | 2008-11-28 09:12 | 内田樹