2008年 11月 26日 ( 1 )

構造主義における「構造」のイメージ

若いときに初めて接した「構造主義」は、そこに何が書いてあるのかがよく分からないものだった。日本語としての意味は読み取れるものの、その文章が全体として何を言いたいのかが読み取れないという、何かもやもやとした気分が晴れなかった。このような思いは、複雑で難しい対象を説明した文章に接したときに、誰もが抱く感覚ではないかと思う。そのようなもやもやした分からなさを解消するための鍵はどこに見出したらいいだろうか。

僕が若い頃に接した文章は、正しいかもしれないが分かりにくいものだったように感じる。それに対して、初めて構造主義が分かったと思わせてくれた内田樹さんの文章は、曖昧で正確さを欠いているかもしれないが非常に分かりやすいと思ったものだった。それは、内田さんが『寝ながら学べる構造主義』のまえがきで語っている次のようなものが関係しているのではないかと感じている。


「思想史を記述する場合、ある哲学上の概念を一義的に定義しないと話が先へ進まないということはありません。「主体」や「他者」や「欲望」といったような基本的な概念については、その定義について学会内部的な合意形成が出来ているわけではありません。ですから、「『他者』とはこれこれこういうものである」「何を言うか、『他者』とはこれこれのものである」というような教条的な議論につきあっているのは時間の浪費です。
「『他者』といったら、まあ『他の人』だわな」くらいの緩やかな了解にとどめておいて、とりあえず話を先へ進めたいと私は考えております。
 私が目指しているのは、「複雑な話」の「複雑さ」を温存しつつ、かつ見晴らしの良い思想史的展望を示す、ということです。」


学問的に正確な言い方をすれば、それは正しいかもしれないが、そのことの理解の前提になるような知識を持たない人にとっては全く分からない、それがたぶん日本語で語っているものだろうくらいのことしか分からないものになるだろう。曖昧で正確さを欠くかもしれないが、内田さんのようにとりあえず普通の意味で分かるような意味で解釈しておいて、「「複雑な話」の「複雑さ」を温存しつつ、かつ見晴らしの良い思想史的展望を示す」ような語り方こそが本当に分かりやすい言い方になるのではないかと思う。

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by ksyuumei | 2008-11-26 16:03 | 構造主義