2008年 11月 18日 ( 1 )

形式システムは自らの構造を把握できるか?

このところ「構造」という概念についてあれこれ考えている。これは、その把握が難しいと感じていることがあるのだが、「構造」の把握が物事の理解を深めるのに非常に重要ではないかとも感じるからだ。社会的な出来事の意味を理解したり、現状がどのような状況であるのかを正しく評価したりするのにも「構造」の把握は役立つだろう。そして僕が携わる教育においても、「構造」の理解を前提にした対象の理解を図ることによって、その対象の持つ本質を捉えることが伝えられるのではないかとも思える。

日本の教育においてはそこで教えられていることは、問題の解答を得るためのアルゴリズムを記憶することにあるように見える。これは外国においても、旧社会主義国などは暗記教育が主だったと言われていたので、試行錯誤によって思考の展開の仕方を教育するよりも効率的な教育が行えたからではないかとも感じる。つまり、人間の活動を形式システムが行うようなやり方をすることを覚えることにする教育は、努力した分だけ身につくし、解答がある問題に対してはその解答を見つけるという点では効果的だと思われる。

しかし、これはあくまでも解答がある問題の解答を見つけるということで効率的であり役に立つということなのだろうと思う。もしそこで考えている事柄に、形式システムとしては解答が出せないとしたら、暗記した知識では解答が得られないことになる。それでも何らかの実践が必要であるなら、どちらかに決められない曖昧な判断をとりあえず決定して何かをしなければならなくなるだろう。解答のある問題に対しては、必ず正しい判断をしていた形式システムは、このような試行錯誤においては間違える可能性が生じてしまう。

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by ksyuumei | 2008-11-18 09:42 | 論理