2008年 10月 05日 ( 1 )

個室ビデオ店放火事件の背後に潜む構造

個室ビデオ店放火事件に関しては多くの新聞がそれを社説として論じている。それは、この事件を単なるニュースとして扱っているのではなく、ここに現代日本が抱える問題点が象徴的に現れていると判断しているのだろう。だが、各社が語るその問題提起は、どうも当たり前すぎて心に響いてこない。確かに分かりやすいのだが、その解決は果たして可能なのかという疑問符がつくような気持ちを感じている。

容疑者の身勝手な犯行を非難するのはもちろん当然だが、各社が主に論じているのは、被害がこれだけ拡大したことの原因についてだ。それは主に防火施設の問題として取り上げられている。これもたいへんに分かりやすい。火災報知器の作動がもっと確かなものであれば、施設の管理に当たる従業員が避難誘導を的確にしていれば、火災が発生したときの避難通路が本当に非難できるような実効性を持っていれば、など様々な点の不備が指摘されると、それが問題だというのは誰にでも理解できる。

それではこの問題の解決法として提言されているものにはどのようなものがあるだろうか。多くは規制の強化など、人間の意識(倫理観とでもいおうか)に訴えかけるものになっているように見える。しかしそのように規制を強めて、意識を高めれば問題が解決して、防災体制が整っていくようになるだろうか。意識を高めて問題を解決するという方向は、社会的な問題の解決に当たっては疑問を持たざるを得ない。むしろ、倫理観が低くても大きな被害が出ないようなストッパーとしての働きを持たせることが必要なのではないか。道徳心が高ければ社会の秩序は維持されるけれど、道徳が崩壊すればやりたい放題だというような社会では安心して生きていくことは出来ない。道徳に頼らずに安定をもたらすような工夫はないだろうか。

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by ksyuumei | 2008-10-05 14:04 | 社会