2008年 09月 27日 ( 1 )

一般論的主張と現実解釈との整合性

内田樹さんの「私の好きな統治者」というブログ・エントリーがようやくパソコンで読めるようになった。記憶にあるように、ここに書かれた内容は「宰相論」に関する一般論がほとんどだった。その一般論を語る過程で、現実の「宰相」に当たるかもしれない麻生氏について少し言及しているというのがこのエントリーの印象だ。

ここに書かれている一般論に関しては僕はだいたい共感してその通りだと思う。しかし、麻生氏を評価しているように見える部分、


「麻生太郎は総裁選挙前はずいぶんと言いたい放題のことを言っていたが、選挙になるとさまざまなトピックについて明言を避け、失言を抑制し、何が言いたいのかわからない人間になりつつある。
私はこれを彼が「公的責務」の重さを思い知った徴候だと思って、頼もしく受け止めている。
だから、各新聞の社説が「もごもご言うな」といきり立つことに少しも同調する気になれないのである。」


に関しては、この受け取り方(理解の仕方)によっては、自分とは反対の判断をしているのだろうかと思ってしまう。だが一般論からの論理的帰結としては内田さんが語ることが論理的には正しいようにも思える。自分は、論理的な判断ではなく、感情的な好き嫌いから麻生氏の曖昧さに対してマイナスの評価を与えているのだろうか。そのあたりの論理と現実の整合性についてちょっと詳しく考えてみたくなった。また、マスコミが麻生氏の曖昧さを批判する論調と僕の感じ方がちょっとニュアンスに違いがあるのも感じる。このあたりのことも、内田さんの主張をヒントに、そこにある違和感を説明できるのではないかとも感じている。

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by ksyuumei | 2008-09-27 11:51 | 内田樹