2008年 08月 09日 ( 2 )

敵対的矛盾と非敵対的矛盾の形式論理による理解

弁証法的な矛盾というのは、三浦つとむさんの『弁証法はどういう科学か』(講談社現代新書)によれば「対立を背負っている」ということが本質的な特徴として語られている。弁証法的な矛盾は、現実に存在する対象をさして矛盾と呼んでいるので、これも、現実の対象が「対立を背負っている」という現象をさして、その現象に対して矛盾という言葉を適用している。

矛盾という言葉の元になった中国の話に出てくる現象は、想像上のもので現実のものではない。そしてそれは決して現実のものにならないという点で弁証法的な矛盾ではない。形式論理的な矛盾と呼んでいいものだろう。それは人間の判断の中にだけ存在する観念的な対象だ。

矛盾の元になった話では、

・どんな盾でも突き破ってしまう矛
・どんな矛にも破られない盾

という二つのものが出てくる。この矛と盾に対して、「その矛でその楯を突いたらどうなるか」、という質問をしたときに、答えに困ってしまったというのが「矛盾」という言葉の始まりとされている。その矛は、どんな楯でも破ってしまうのだから、当然その楯を破るはずだと考えたいのだが、しかしその楯はどんな矛にも破られないのだから、破られてはいけないということになる。あちらを立てればこちらが立たないという困った状態になる。

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by ksyuumei | 2008-08-09 16:44 | 論理

グリーンピースへの扱いのどこが不公平なのか

さえきさんという方から「現代社会で論理に対立するのは非論理ではなく感情だ」というエントリーのコメント欄に、「「その前提となることが恣意的で公平さを欠く」という根拠が、いまひとつわかりませんでした」という疑問を呈するコメントをもらった。「公平さを欠く」という判断は、僕の中では論理的に求められた結論として確固としていたのだが、説明があまりうまくいっていなかったようでわかりにくくなっていたようだ。もう一度「不公平」という観点がクローズアップされる形でこの問題を考えてみようと思う。

僕が「不公平」を感じた一番の理由は、グリーンピースへの扱いと、横領を告発されていた調査捕鯨の関係者への扱いの違いがあることだ。公平ならば同じ扱いがされなければならないだろうというのが僕の判断だった。それは、両者とも起訴を前提とした捜査の対象とするのか、あるいは、両者とも犯罪としての立件が難しいので今回は捜査の対象としないという扱いだ。現実には両者の扱いが全く違うものになったが、この違うものになったという判断が、僕には論理的に納得できないので、ここに「不公平」を感じるのだ。

「法の下の平等」という原則的なルールがある。これは、行為として同じだと考えられるものに対しては、その同じだという判断から、同じ法的な処置をすべきだという原則的ルールだ。この原則に違反する例外も時にあるが、そのときはそれが例外であること、「法の下の平等」よりももっと重い他のルールで原則が破られるということが整合的に説明できなければならない。

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by ksyuumei | 2008-08-09 11:03 | 社会