2008年 08月 08日 ( 1 )

現代社会で論理に対立するのは非論理ではなく感情だ

宮台真司氏の社会学的な言説の中には、原初的な社会では誰もが同じ感情を有していたので、誰もが同じ判断をしていたというものがある。これはある意味では、思考のルールというものがはっきりと決められていて、そのルールに従った思考の流れしか持てなかったということを意味するだろう。レヴィ・ストロースが発見した婚姻の規則なども、それに従うことが当然という感情しか持っていない人々は、そこから外れる選択肢があることなど想像もしなかっただろう。このような態度は、ルールに従った思考という意味でたいへん論理的ではあるが、それはなぜそのように考えるかという反省を全くもたらさないので、論理そのものを意識することはない。

それに対して現代社会では、もはや誰もが同じ感情を持つということがほとんどない。どの問題に対しても多様な感情が見られ、それから生まれる反応のどれが正しいかということを意識せざるを得なくなっている。その意味では、現代社会では論理を意識しなければ正しい判断が出来なくなっているといっていいだろう。原初的な社会では、誰もが同意する結論に達するのはたやすかった。それが客観的に正しいかどうかは置いておくとしても、社会的な合意が得られるという意味での正しい解答を求めることはたやすかった。

現代社会では、思考を展開して得られた結論が正しいか否かは論理的に正しいかを判断して理解される。だが、人間が思考を展開するときに、論理に従わない思考の展開というものが出来るかどうかを考えると、人間は無意識のうちに論理的な法則に従わずにはいられないということがあるのではないかと思う。非論理的な思考を展開することの方が難しいのではないかと感じるときがある。

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by ksyuumei | 2008-08-08 09:58 | 社会