2008年 07月 27日 ( 1 )

「法」の本質を求めることに有意義な意味はあるのか?

「連載第二〇回:法システムとは何か?(上)」で宮台氏は、「法」を「紛争処理の機能を果たす装置の総体」と定義している。これは、システムというもので社会を捉える発想からはごく当然の定義だと、今ではそのように僕は感じる。システムというのは、その機能に注目して設定するものだ。だから「法」をシステムとして捉えるのであれば、当然のことながら機能面を最重要なものとして定義し概念化することは必然でさえあると思っている。

しかし以前の僕なら、三浦つとむさんが批判していた「機能主義」という言葉が気になって、機能を基礎的な概念として設定するのは、「機能主義」という間違いに陥っていないだろうかということが気になっていた。機能というものが、その対象の本質を果たして表現しているものになるかということが気になっていた。

それは何か唯物論的な発想というものが、存在という「実体」を基本的なものとして考えていて、機能はあくまでもその「実体」の作用という働きを示すものであるから、本質は「実体」のほうにこそあるという先入観があったからだと思う。それが唯物論的な見方だと思っていたのだ。しかし宮台氏のシステム論の発想を知って、それをよく考えてみると、対象の「本質」を求めるという発想そのものが、実はあまり実りのないものではないかという感じもしてきた。

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by ksyuumei | 2008-07-27 23:12 | 宮台真司