2008年 07月 24日 ( 1 )

「自由」を脅かすものが存在しても、なおかつ「自由」の存在を主張できるか?

「自由」については、すでに「連載第7回 選択前提とは何か」で語られていて、それは「選択前提が与えられているが故に「滞りなく選択」できる状態だ」と定義されていた。具体的には

(1)選択領域(選択肢群)が与えられ、及び/或いは
(2)選択チャンスが与えられ、及び/或いは
(3)選択能力が与えられた状態を指す

と説明されていた。基本的には、「自由」の概念は、この定義で与えられるイメージによって理解される。それを再度「連載第一六回:自由とは何か?」で論じるのはどうしてか。それは、「自由」に対して、そのようなものがありえないという主張に反論するためであるように見える。

人間の選択にはある種の制約があり、どうしても「自由」にならない限界が存在するのだから、「自由」というものが人間にはありえないのだという主張がいくつか語られる。この主張は、「自由」の概念の根源に関わるものだが、「自由」を、完全に制約から逃れているもの、つまり何ものにも縛られていないのだというイメージで捉えていれば、そのイメージにそもそも現実には「自由」がありえないということが含まれてしまう。すべての制約を取り外すということは、現実に存在しているという現実性を捨象してしまうことを意味する。それが現実に存在しているのなら、現実のある時間・ある場所を占めているということだけで、そこには制限が生じてしまうのだから、現実性を棄てない限り、すべての制約(しがらみ)から逃れることは出来なくなる。このような「自由」の概念は、原理的に現実性を持つことが出来ない。

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by ksyuumei | 2008-07-24 23:19 | 宮台真司